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三十五話 提案

 ダーロに来て3ヶ月くらいになったかな。ダールよりはダーロの方が夏は暑いらしい。とはいえ前世のようなムシムシとした感じではないから、暖かく過ごしやすい時期ってイメージの方が近い。

 そうそう。とんでもない化け物が出たりとかも特になく、魔力が濃いのと雨が降るので外出が面倒になったくらいだけど、魔嵐は今年も来た。

 あの時期の魔人はなんとなく憂鬱になる。私も例外ではなく、なんとなくぼーっとしてた。町はいつもよりもやや静かだけど、それでもダールよりは騒がしいような、微妙な感じ。この町は魔人以外も結構居るから、ダールほど静まり返りはしないらしい。


 8月に入ったこともあり、魔嵐も過ぎ去った。あれは1ヶ月近く続く面倒な季節だけど、ただの季節。前世でいうところの梅雨とかそんな感じだ。偏頭痛持ちだった私は、当時もやっぱり憂鬱にはなってたけどね。

 今年も後半分だ、そろそろまた頑張らないと。



◆◇◆◇◆◇◆



「呪人大陸ねえ」


 今日もクエストを受けにギルドへ。棚の更新を待っているとカクが呟いた。


「どうかしたの?」

「アンの兄ちゃんが行ってるんだろ?ちょっと気になってな、調べてみたんだ。

 あっちの大陸はこっちよりも遥かに広い。が、小さな国が多い。

 それから、魔人には差別的なところがやっぱり多いんだとよ。インセンビウンは知らんが大丈夫なのかね」


 あら意外。先日雑談の中で出た時に、カクは不思議な表情をしていた。やっぱりっていうのはよく分からんが、少数派は弱いってことなのだろうか。

 しかし、差別的ねぇ。差別的ってのはどういう意味なんだろう。活動できている辺りこっちのアノールのように奴隷にされるような事は無いんだろうけど、よく分からん。

 そもそも前世が日本人だってこともあって、あんまり人種差別は感覚的にぱっとしない。ダニヴェスでも獣人や呪人を差別するような事はほとんど見たことがない。むしろ呪人はモテてるイメージすらある。


「でもよ、こっちより飯が美味いらしい。つーか……1回あっちの飯を食ったら、もう戻れないらしい」


 ああ、なるほど。それが本題か。


「つまり?」

「行きてえ!」


 知ってた。



◆◇◆◇◆◇◆



 今日は特に良いクエストがなかった。だから、北にある森で適当に狩り。

 大森林と繋がってる森ではあるけど、こっちは謎の暑さだったり謎の魔力濃度だったりはない。つまり普通の森だ。魔物が生息している辺り何をもって普通の森とするのかは分からないが、こっちの世界では普通の森だ。

 一応、森を東に抜けるとウィグマとされている。だからあんまりよろしい場所ではないんだろうけど、実際のところ地元民は結構入り込んでる。国の戦争なんて、住民にとっちゃ遠い話なのかもなんて。

 今はクレルトという村に居る。この前野宿しんどいなーと地図を引っ張り出したら見つけた、森に面する小さな村だ。お金さえ払えば空き家を貸してくれる。

 特筆するようなこともない小さな農村だけど、それでも野宿に比べたら遥かにマシだ。冒険者の立ち寄りが割とあるようで、村民も慣れた対応だった。


 村の子らはカクがお気に入りらしい。革防具の魔剣士より、小さな魔法少女より、筋肉もりもりヒーローより、話し上手な奴の方がモテるらしい。でしょうね。一応私も聞かれはしたけど、説明下手なのだ。


 とはいえ私達の冒険譚はそこまで長くない。会う以前のカクやレニーの話も、ぶっちゃけそこまで面白いものでもないし、会った後もやっぱり面白くない。

 ダンジョンの話に差し掛かったところで、男の子からもっと深いところに行かないの?と突っ込まれてしまっている。行ってはみたいけど、難しい問題だ。


「攻略して見せるさ。いつか土産話にしてやるよ」


 なんて、本人はカッコつけてるけどね。



◆◇◆◇◆◇◆



 この農村に泊まるということは、つまり宿代が2倍掛かっているってことになる。もちろんダーロの宿に比べたら全然安いんだけど、それでも多少の出費だ。

 現段階での所有金額、今回の魔石売却予定金額、クレルトでの宿と食事代、ダーロでの宿代、今回のクエストでの備品購入代……最近、収支計算は私の係になっている。なんでこんな流れになったかは分からないが、とりあえず今は私だ。

 寝る前に日記をつけ、たまに計算をし、全部終えたら少しばかり文字と言葉の練習。


 文字の練習なんていうけど、私の書く文字は呪人大陸由来のものがほとんどだ。前世でいうならローマ字の立ち位置だろうか。魔人大陸由来の文字も混ざっているが、大まかには呪人大陸の文字だ。

 呪人大陸の文字は分かりやすい。表音文字であるため、読み方さえ分かればどのような音かがすぐ分かる。日本人がスペイン語を見かけたら、実際の意味はともかく音としてはある程度把握出来る感覚に近いかもしれない。まあつまり、ローマ字やカタカナだ。

 一方の魔人大陸の文字は複雑で、小さな絵のような字だ。文字を扱う文化が弱いせいか、喋る音と書く文字で大きく乖離しているものが純粋な魔人大陸の文字。もっぱら東部で使われる事が多いというこの表意文字、要するに漢字だ。

 この世界の歴史に明るいわけではないが、この不便な魔人文字は、どうやら呪人文字に淘汰はされなかったらしい。音を表す呪人文字と意味を表す魔人文字をくっつけてしまったのだ。誰がこんなことしたんだめんどくさい。

 その結果、文字通り漢字のようなものが出来ている。あんまり詳しくはないけど、意味を表す意符と音を表す声符で組み合わされてるんだから、もはや漢字なんじゃないだろうか。

 日本の漢字ほど複雑ではない。というのも、呪人文字の部分だけを読めばある程度正確な音が分かるのだ。「鳥トリ」で1文字、「肉ニク」で1文字……みたいな感じだ。ハングルに部首をつけたイメージが近いのかもしれないが、音の繋がりやアクセントなんか分からないので、あくまである程度止まりであり、たまに読みづらいこともある。


 私も多少は魔人文字を読めるがあまり得意ではない。意符の部分は分からないことも多いが声符の部分、つまり呪人文字のおかげで音が分かり、あれのことかと理解する、みたいな状態だ。

 それを知ってか知らずか、ユタからの手紙はこの漢字っぽいものをほとんど含まれていなかった。カタカナオンリーの手紙みたいなもんなのでこれはこれで多少読みづらいが、ガッツリ魔人文字にされるよりは読みやすい。つーかいつ文字勉強したんだ。


 ちなみに紫陽花ではまともに読めるのが私とカクの2人だ。呪人であるレニーがほとんど読めないのは驚いたが、録石を扱えてるので不要なんだろう。

 カクは呪人文字の方だけ読めはするが、スラスラとは言えないくらい。ユタの手紙を渡してみたら、詰まりつつも最後まで読みきったので、読める側にカウントしてもいいだろう。ティナには逃げられた。まあ、うん、最初から期待はしていない。


 そんなカクが、最近少し怪しい。どうにも呪人大陸に行きたいらしい。レニーは多分あっちの方が過ごしやすいんだろう。ティナは、まあ、どこでも生きていけそうだ。

 私としても文句はない。なんだかんだユタの事は好きだし、そのうち会えたらいいなとは思ってる。もちろん両親も相応に好きだが、ユタの方が別れて久しい。


 だからカクに呪人大陸行きを提案されたとき、すぐに肯定できた。


 しかし行くと決めたらすぐに行けるわけでもない。渡航費も掛かるし、言葉の問題もある。文字が一緒でも、言葉が一緒とは限らないのだ。ドイツ語とスペイン語とフランス語、全部違う言葉だけど、使う文字は大まかに同じだ。

 文字を学ぶ過程、私はある程度の呪人語を読めるようになっているし、書けもする。カクとレニーもある程度扱えると言っていた。どうやらアストリアではある程度呪人語も使われているらしい。火蛇をカロチと呼ぶのは呪人語の影響だ。

 だが話すとなると少しだけ不安がある。ダールのニアケさんから少しは習っているが、実際に使った場面がほとんどない。英語の本が読めるからとはいえ、話せるかと言われればまた別問題なのだ。

 いざとなれば魔力を乗せればなんとかなるかもしれないが、普通に話せればそれが1番だろう。しばらく使ってないから練習もしなおさなきゃいけなさそうだし、魔力に頼りっきりでは体調不良のときなんかに不安が残る。


 身分証の問題もある。というか、私は呪人大陸の文化はあまり知らない。おとぎ話に出てくる事があったり、歴史書にちらと出てくる事はあるけど、呪人大陸の事が詳しく載っている録石はほとんど見たことがない。

 あちらにも冒険者ギルドはあるようだが、こちらの拓証が使えるとは限らないし、国どころか種族が違うんだから、文化も大きく違うんだろう。

 そういう意味では不安もあるが、種族の違う国どころか、法則すら違う別の世界に来てしまった私にとっては些細な問題ではないのかもしれない。上手く表現しづらいが、1番近いのは慣れだろうか。


 また新しい世界だ。準備に時間は掛かるだろうけど、少しだけワクワクする。

 ただ、1級を目指すだなんて話はどうなったんだろうか。ま、私はそこまで深く考えてないんだけどさ。

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