五話 災害の後
2020/10/03 誤字修正、解像度の変更、一部描写の変更
2016/11/15 魂子等のルビ修正
ロニーだ。ロニーが、ロニーは。サン?何してるの!? なんで?ユタ、ユタ!! お兄ちゃん!!!
私は今、とても取り乱している。
目の前には痛々しい姿のロニー。両腕と右足が失われ、遠い目をしている。生きている?死んでいる?
ユタは姿が見えない。サンは淡い光を放ち、目や鼻なんかから血を出して倒れている。
そして眼前には異形の者。
◆◇◆◇◆◇◆
―――遡るほど半刻ほど。
「なんで、ここが……」
「ユタ?どうしたの?」
ユタの声が震えている。7歳ながらも立派と言わざるを得ないような我が兄が、あれだけ冷静に対処し続けた兄が、取り乱している。
彼の視線の先には瓦礫がある。町の地図なんて見たことないし、途中の景色は早すぎたし、ここらへんはほとんど瓦礫に埋まっている。だからここがどこかは分からないけど、なんとなく見覚えがある気もする。
「……アン。ここはね、僕達の家だったんだよ」
ユタが立ち尽くしていたのは我が家の前だった。いや、今はもはや我が家だった物でしかない、そんな瓦礫の前で立ち尽くしている。
私も肩越しにそれを眺めている。正直現実感が薄いが、言われてみれば確かにこの景色を見たことある気がする。なるほど、無くなっちゃったのか……。
ユタが折れてるのは問題だ。私は努めて冷静にユタに声を掛けた。実際には寒さと疲れと訳の分かんなさで震えてたのかもしれないけど。
「パパと、ママは?」
「……そっか、そうだね。とりあえず、あの2人のところに行ってみよう。北門って言ってたはずだ」
ショックを受けている人間にはまず何かをやらせたほうが良い。代表例は葬式だし、実際に効果があるはずだ。
予想通りユタは一時的に立ち直り、目的を思い出せたらしい。そう、まずは家族の安否だ。
ユタは私を背負い直すと、そのまま北門へ歩きだした。今度はさっきと違ってトボトボと、流れるような景色は楽しめないような速度で。でもそれは責めない。責める必要がない。
北門に向かう途中、ユタがしてくれた話をいくつか思い出していた。例えば「北門は実際には北西の方にある」だとか、「西門は近すぎて使いづらい」だとか。
思い返しながら、妙な事実に気付いた。どうやら我が家の近辺以外はあそこまで大きな被害を受けたところはないらしい。ちょうど震源地みたいな感じになってるらしく、離れる毎に町への被害は小さくなっていっている。
運が悪い、とでも言えば良いんだろうか。それとももしかして。
北門につく頃には、何も起きなかったかのような普通の町並みになっている。住人が居なくて静かなのが妙なくらいか。
ここまで来るとさすがに気付く。どうやら運が悪いのはうちではなくその近所、ロニーの言ってた「私の魔力に釣られて」に信憑性が増してくる。この災害の原因は、もしかしなくても私かもしれない。
不安だ。まだ幼いし、魔力が多いと言われても使い方がさっぱりだ。銃を持った赤子と剣を持った大人なら大人の方が強いだろう。
そんな状況で、私を狙ったらしいエリアズの居る北門に向かうのは正解なのか?
それを決めたのはユタだ。しっかりしてるとは言え前世なら小学1年生。
なら、止めるべきじゃないか?大人として。アンではなく、優人として。
しかし彼は5術まで使えると言っていた。前にユタが魔術の事を話してくれた時に聞いたが、5術と言えば、冒険者としてもやって行けるラインだ。だが彼は子供だ。しかも、今世では私の兄だ。失いたくはない。どうしたら止められる?いや、止めても意味はないのかもしれない。私と一緒に居る時点でエリアズとやらに襲われるかもしれない。だったら少しでも頼れる、両親の居る場所へ行くべきか。いや、それならば元の避難所に戻るべきでは?しかしあそこに居た連中は強そうには見えなかったし、多分半分くらいはもう居ない。今の私は魔力を感じることが出来る。その濃さが、なんとなくその人の持つ魔力量なのだろうとも考えられる。なら、あそこの兵士はユタよりも遥かに弱い、ユタの方が安心出来るだろう。しかしそれはあくまで"魔力"を見た場合だけだ。経験は?技術は?身体能力は?全て踏まえてもやはりユタが、ロニーの元が安全か?しかしロニーが無事である証拠は?何を考えている?ロニーが死ぬなんてところは想像できない。サンだって居るんだ。2人の強さなんて知らないが、死んでほしくは、負けてほしくはないのに何故そう考える。思考を戻せ。兄を止めるかどうかだ。ロニーが生きていれば、きっと安全だ。だったらこのまま向かうべきだ。この移動と言う短い時間で魔力を操れ。薄々気付いてるんだ、多分私は声を利用する魔術に適正があるんだろう。この短時間で物に出来るか?出来るわけがない。いや、しなければ――――
「大丈夫だよ。アンは僕が守る。そう約束したんだ。絶対に守るよ」
――ふっと我に返った。考えが渦巻いていて、よく分からないことになっていたのに、ユタが引き戻してくれた。
ああ、もしかしたらこのイケメンショタはたらしなのかもしれない。将来女の子を悲しませてしまうのかもしれない。だって、妹で元男の私ですらキュンとさせてくれやがる。
でもおかげで落ち着いた。どうやらブツブツと何かを言ってたらしい。気持ち悪い妹でごめんね。
◆◇◆◇◆◇◆
北門を出ると、さっき嗅いだのと似たような臭いが鼻を突き、平衡感覚がおかしくなる。
血の臭い、火の臭い、脂の臭い、そして肉の焼ける臭い。
加えて空気中の魔力の濃度が濃いせいか、三半規管が上手く働いてない気がする。さっきから地面が近づいたり、斜めになったり、そんな感覚に襲われている。
そこら中には臭いの元、つまり死体が溢れている。鎧を着た物もあるが、そのほとんどは粗末は服に身を包んだ物。
だが不思議と嫌悪感は覚えない。人の死なんて初めて目の当たりにするのに、どうにも頭は冷静だ。あんまり現実感がないせいなのかもしれないけど、同時に臭いが夢じゃないぞと告げている。何故こんなにも冷静なのか、自分でもよく分からない。
「これは……ひどいね。父さん達を探さないと。どっちに居るか、魔力で分かる?」
「わかんない」
辺りに漂う高濃度の魔力のせいか、どっちに何が居るかなんてのはさっぱり分からない。玄関に人が来たときは分かったというのに。
でも仮に、もし分かったとしても、魔力で個人の判別なんてのは出来ないと思う。微妙な違いがあるのか分かるけど、誰がどんな魔力かなんてまだ分からない。
正直に告げるとユタは少し残念そうな顔をした。
「そっか、まだ覚えたてだもんね。じゃあ僕は探してくるから、ここで少し待っててね」
私に言い聞かせるように告げたユタは、まだ崩壊していない城壁の傍らに私を下ろし、私の胸と額に手を当てると、不思議な言葉を唱えた。
「我が魔言にて。我が魔力を源とし……
ログ・ウィーニ・ニズドイ・レズド・ニズニキュビオ、
ログ・ウィーニ・ニズエル・ズビオ」
1つの言葉が重なって聞こえる。ユタの口は意味の分からない音の通りに動き、それとは別に言葉の意味が音として頭に流れ込む。モザイクの掛かったような、気持ちの悪い聞こえ方だ。
ユタは魔言なるものを唱え終えると、私の方を見た。……いや、視点は微妙に私には合ってない。
突然、私の耳に様々な音が響きだす。騒がしい、なにこれ、ユタ……あれ?声がでない。
いや、声は出てる。出ているのに、全部が跳ね返ってきているような。
『アン、僕の魔術を2つかけた。1つは君の気配を隠すもの。ここなら直接見られなければバレないはず。
もう1つは周りの音を集めるもの。僕がいいよ、と言うまで決して動いちゃダメだ。
どちらもアンの居る場所を指定したからね。
マイロには使い道の無い魔術と言われたけど、やっぱり使い時はあったね』
ユタは口早にそう言うと、戦場となったであろう方に駆けていった。
少しして、またユタの声が聞こえた。目の前に居るはずなのに、この魔術のせいか不思議と方向感覚の掴めない音として聞こえてくる。
『ニズニ・ゼロゾエロ』
小さく呟いたユタは驚くような速度で駆けていった。
そうか、これが魔術か。ってことはさっき私を背負ったときにも使っていたのか。
この呟きが詠唱って奴か。これを覚えれば、私にも魔術が使えるんだろうか……?
いや、今はやめておこう。私が魔術を使ったせいで、この魔術が解けてしまうかもしれない。私の魔力のせいで、また何かが来てしまうかもしれない。
しかし、詠唱とは不思議だ。2つの音を同時に出す……いや、違う。私の脳だけがあの言葉を理解してるんだ。私の耳は理解してないから不思議な音に聞こえて、私の脳は理解してるから意味のある音に聞こえてる。だから二重の言葉に聞こえてる、と思う。
今まで何度も魔術は見てきた。でもそのほとんどはサンで、サンは詠唱なんてせずに使っていた。だからあんなのは初めて見た。
こんな状況なのに俺の厨二病が疼く。正直、ちょっとカッコイイ。無言で火を出すのもカッコイイけど、詠唱して魔術を使うなんてもっとかっこいい。
……こんな事件が起こるくらい私の魔力量は多いらしいし、そのうち私もあんな感じでかっこよくなれるんだろうか。
落ち着いたら練習してみよう。もし1人じゃ難しいなら、そのときは家族の誰かに教われば良い。ユタでもいいし、サンでもいいし、ロニーでもいい。私には、家族が居る。
◆◇◆◇◆◇◆
10分くらい経っただろうか。
魔術という現象に悶々としつつもぼーっと待っていたら、ユタの声が聞こえてきた。
『アン。聞こえるかい?2人を見つけたよ。
今からそっちに向かうから、もうちょっとだけ待っていてね』
この空間自体から音が鳴っているような、方向が全く掴めないような、そんな不思議な聞こえ方だ。
これも魔術とやらのせいなのか。魔術というのは、音すらも捻じ曲げてしまうのか。
もやもやと考えていると、遠くに人影を見つけた。
大きな者が2つ、小さな者が1つ……少しして、それが家族のものだと分かった。
「確かここらへんだったかな?我が魔言の欠片にて……
セブドイ・リチ・レズド」
ユタが詠唱を終えると、ふっと周りの魔力が薄くなり、先程までずれていた3人の視線が私に刺さる。
「……アン!良かった、無事で!!」
と、抱き上げたのはサンだ。半泣きだし、土で汚れている。せっかくの美人さんが台無しだ。
顔だけじゃない。手も服も、よくよく見れば煤けていたり、血の跡があったり。この世界の戦いとは恐ろしいものなのかもしれない。
ロニーはと見てみれば、ユタに何かを話している。
「ユタ、こんな魔術どこで……」
「習ったわけじゃないよ。魔言を砕いて使ってみたんだ」
男衆はそんな会話をしている。どちらも照れるような、それでいて嬉しそうな顔で笑い合っている。
この世界崩壊イベントみたいなのはもう終わったのかもしれない。
サンに抱かれながら遠くを見れば、鎧を纏った兵士たちが集まってきている。
彼らも頑張ったんだろうな。血や泥で汚れていたり、凹んでいたりするし、痛々しい傷が見える人も居る。
◆◇◆◇◆◇◆
どうやらエリアズという化け物は追い払えたが、町や市民、それから兵士、一部城壁などなど。被害は結構大きなものであるらしい。
たまたま近くを通りがかっていた冒険者も何人かは助けに入ってくれたらしい。冒険者ってのは野蛮なイメージがあったけど、いい人達も居るもんなんだね。
「ユタ。燃やすのを手伝ってくれるかい?」
「ごめん、もう魔力が……もうちょっと濃ければ魔石も出るんだろうけど……」
「無茶しすぎよ。アンと一緒に家に帰ってなさい。というか、なんでこっちに来たの?」
あ、そうだ、それだ。家が壊れていたのだ。それも伝えなければならないんだった。
「その件なんだけど……落ち着いて聞いて欲しい。えっと、うちが壊れた」
「「……え?」」
「だから、どうしようもなくてこっちに来たんだ。……僕ら、これからどうなるの?」
声を揃える両親に対して、ユタは不安そうな顔で問いかける。サンよ、顔を青くしている場合じゃないぞ。ロニーよ、……いや、慌てては居るがこっちは普通か。
「そ、そうか……壊れた、か……。まぁ、皆生きてるんだ。なんとかな――伏せろ!!」
話の最中、ロニーが突然叫び、ユタを抱え倒れ込む。
あまりに突然の事で固まっている私もサンに抱えられた。
え、何事!? なんて考えていたら、見てないのにも関わらず、魔力の塊が直ぐ側を通過したことが分かった。
総毛立つような、凄まじいまでの魔力は魔術ではなく何らかの物体、いや、生物。
その生物が着陸するのを見て、私は……吐いてしまった。
『おぉ?今のを避けるのか。さすがは魂子の親か?』
咳き込み口を拭いつつ、なんとかそれを観察する。
竜だ、と最初は思った。ただゲームに出てくるようなカッコイイ竜じゃない。とてもグロテスクで、本能的に嫌悪感を呼び起こされるような……。
まずは意味と音が別々の、魔術の詠唱のような不思議な声。金属音にノイズを混ぜたような不快な音なのに、意味だけは私の頭に流れ込む。
姿は、こんな生物は、見たことがない。5mは優に超えていそうなその体高。それ以上の大きさを持つ4枚の翼。
顔面には目が3つあり、その全てがこちらを射抜くように睨みつけている。3つ目のヘビが居るならばこんな感じだろうか。
腕は6本生えており、うち4本は半透明。どこが関節か分からないような、ぐねぐねとした動きをしている。
半透明でない腕はコウモリのような飛膜が指先まで広がっているが、その巨躯を浮かせるためにはかなり細く、そして小さい。
全身は光沢のある黒い鱗に覆われているようだが、魔力が濃すぎていまいちよく見えない。
こんな生物、私は知らない。竜のような――。
「「ば、化け物だー!」」
周囲の兵士が騒ぎ立て、被害を免れた市民は我先にと町の中に駆け出していく。
それを尻目に化け物は、あの不快な音で喋り始めた。
『そのガキをよこせ。渡せば悪いようにはせん。抵抗すればガキ以外の命はない』
「ふざけるな!何だお前は!」
頭が真っ白になりそうだ。私が何をしたと言うのだ。ただ生まれて、ただ1歳の誕生日を迎えていただけだというのに。
それに対してロニーは"誰だ"ではなく"何だ"と問い返す。彼ですら見たことないような、そんな化け物が目の前に居る。
『聞いてるのは俺だ。16数えるうちに答えろ。16、15、14……』
「断る!纏うは風の鎧、握るは雷の刃!!」
ロニーが何かを叫ぶと同時、辺りの魔力が彼の身と剣に纏わり、誰の目にも見えるほど濃くなっていく。
そのあまりの濃さが、人として異常なのはすぐに理解出来た。そしてそれ以上の魔力を纏う化け物は、どうしようもないものなのだとも理解できた。
『おっ魔戦士か?マジケルにしてもすげえ魔力だな』
「わ、我らも続け!」
「ロニリウスの援護だ!」
戦闘が始まった。サンを含む兵士のほとんどは遠距離から魔術を放っている。斧槍を振るう者はほとんどはいない。
私とユタはただただ端っこで震えているだけ。ロニーと化け物、そして近接戦を挑む兵士の動きは全く見えないし、時折何かが凄い勢いで飛んできている。
時折の飛翔物は全てサンが防いでくれているが、サンが居なければどうなっていたか分からない。ここを動くことすら出来ない。
時間の流れに合わせ、怪物の足元に血が流れ始めた。人間の血だけが流れ、死骸となって積もっていく。
◆◇◆◇◆◇◆
それは戦闘と呼ぶにはあまりにも粗末なものだった。時間にして1分もない。化け物の圧勝だ。
化け物の魔力が高まり、何かが爆発した。近接戦を行なっていた兵士の殆どが死に、魔術で攻撃していた兵士も多数が死んだ。
サンは辛うじて防いでくれたが、至近距離で受けたロニーは両腕が失われていた。
これは夢なんじゃないか、なんて思うくらいに、簡単に人が死んだ。血の雨なんて表現すらも生温い、
両腕を失ったロニーは、それでもなお襲いかかった。化け物は半透明の腕を伸ばし、残った兵士を全て殺し、ついでにロニーも吹き飛ばされた。今度は足が弾けていた。
もう戦闘は終わっていた。いや、そもそも始まってすら居なかった。
ロニーに駆け寄りたいが、ここを動けば子供に危害が及ぶ。そう考えたのか、サンの体から今まで以上の魔力が噴き出し、辺り一帯を飲み込み始めた。
何かする気だ。
『魔術師かと思ったら療術に法術まで!さすが魂子の親だな!!』
だが化け物はそれを許さない。
化け物の魔力はサンの魔力を上書きするように飲み込み始め――彼女は唐突に血を吐いて倒れた。口だけでなく、目や鼻、耳からも。
何が起きたのか、理解が出来ない。
『お前も要らんな。消えろ。
テクワイタ・シトゾエロ……テクワイタ・シトプート』
「ア、アン!に――」
三重になった音が響き、悍ましい魔力が化け物を包み込み。
少しして、ユタが消えた。
理解なんて出来るわけがなかった。戦えなんてするわけがなかった。
人とは世界が違う。神が暴れたら、きっとこんな感じになる。
これは現実じゃない。
『さて、お前に用があるんだ。魂子』
現実逃避をし始めた頭に、化け物の不快な声が刺さった。