百三十六話 記憶と存在の第16階層
「脱出方法を知っていても、即座に目覚められるわけでもありません。
……ですが、お話の続きは後にしましょう。ヨーキラさんは危険です」
◆◇◆◇◆◇◆
城の奥へと足を進め、16階層に繋がっているという"転移罠"の前で。
「以前にも伝えましたが、第16階層では絶対に怪我をしないでください。
……ティナ、聞いていますか。あなたが1番危険なのですよ」
「わーってるよ。ったく何度も何度もしつけーな」
私達の空気はかなり悪い。
正直もうちょっと時間が欲しいんだけど……残念ながらそうもいかないらしい。
レアによれば、この階層に現れたのはエルミナ・ジェロ・ヨーキラという呪人の女性。八神教の1柱"魔の神"であるシンガイドの名を持つ、つまりはハルアやドゥーロと同列の人物だ。
八神教の大司教様の中でも特に武闘派であり、ハルアに魔術を叩き込んだうちの1人であるとも。
ヨーキラはあの守護者を殺せると判断されており、既に2年近くここに通っているらしい。
つまりは八神教が私達に気付いてるというわけではなく、この階層の点検と守護者の"掃除"が目的なんだとか。
元々時期的に守護者が復活することは予想されていたわけで、兵士半影と話した際のレアの反応は、つまりはそういうことだろう。
……あの守護者を殺せると判断されている、か。
それがどれくらい桁外れなことなのか、守護者と戦った今なら痛いほどに分かる。ヨーキラもまた人外の1人なんだろう。
そんなのと戦いたくはないし、ここは逃げるが勝ちってね。
「だがティナのゾエロであれば」
「薬が効きづらいと言っていたじゃないですか。
もしここにあるものが効かなければ……魔法に頼ることになってしまいます。
レニー、あなたも十分気をつけてくださいね」
「毒、か……」
毒。
第16階層を一言で表そうとすれば、これ以上のものは無いだろう。
第14階層から第16階層までは洞窟のような階層らしいが、出現する魔物はそれぞれ異なるという。
これから進む第16階層はせいぜいがC級止まりの魔物ばかりであり、また階層守護者も存在しないと戦闘力はあまり求められない階層らしい。
まあC級って十分強いとは思うけど……階層守護者やらに比べたら確かに強くはないよね、うん。
厄介なのは、出現する魔物全てが毒を持っていること。また各所に存在する罠の多くにも毒が含まれているらしい。
16階層で確認されている毒は4種類。
1つ目の毒は……解毒薬は存在していないものの、致死性のものではない。
触れるだけでも皮膚感覚を麻痺させ、体内に入った場合ではひどい倦怠感と軽度の麻痺を長期的に引き起こすらしい。
長期的といっても期間は3ヶ月程度であり、後遺症も見られていない。確かに厄介なものではあるが、しかし単体で見た場合には致命的なものではない。
2つ目の毒は、1つ目を強力にしたようなもの。ただしこちらには解毒薬が存在する。
皮膚に付着しても特に問題にはならず、毒性を見せるのは体内に入った場合のみ。
口からの場合では約10分で症状が現れ始め、3時間もすれば呼吸不全による死を迎える。即座に嘔吐すれば軽症で済む。
問題は傷等により体内に直接入った場合であり、量が多ければ1分程度で……心臓麻痺を引き起こし、死ぬ。
もし微量だったとしても、10分程度で多臓器不全を引き起こし、死ぬ。
極微量だった場合には生き残ることもあるが、身体各部に重度の神経麻痺が残る、と。……これを知るのにどれだけの人間が使われたんだろうか。
症状が現れるまでの時間が非常に短く、即座に解毒しなければ簡単に死んでしまう。分かりやすい危険な毒だ。
3つ目の毒は罠からのみ確認されているもので、白っぽい気体。
粘膜に対し強力に作用するらしく、目に入った場合は涙や一時的な失明、呼吸器に入った場合は鼻水やクシャミ、ひどい場合では窒息なんかも確認されている。
症状こそ激しいものの致死的なものではなく、持続時間も30分程度。曝露した場合は大量の水で洗い流せと言われている。
私、これが何かを知っているような気がする。ていうかダールに住んでた頃に手帳に書いた覚えがある。
多分だけど前世じゃとんでもなく有名な……クロロ……アセトフェノン、みたいな名前なアレじゃない?
4つ目の毒は……特に罠に掛からず、また全ての戦闘を回避した場合でも症状が現れることから、おそらくは階層そのものが持っていると考えられている。
若干の誘眠効果は確認されているものの、あまり強いものではなく、脅威ではない。眠りに落ちるまでは、との前置きが必要ではあるけども。
解毒前に眠ってしまった場合はこの毒の本来の効果、覚醒阻害が発現する。つまりは眠り続けたままになり、遠回しにではあるが衰弱死を引き起こす。
最初の覚醒阻害はあまり強いものではなく、覚醒する人間も多いらしいんだけど……2回、3回と眠る度にその毒は強くなり、最終的には眠り続けるようになってしまう、と。
第17階層では全ての侵入者が一度は眠りに落ちてしまう。また半影達は基本的に友好的であり、言葉を交わせば長期滞在すら薦めてくる始末。
……解毒せずに進んでしまった場合、侵入者はこの毒の影響を受けた状態で眠りに落ちることになる。
1回目の眠りは脱出手段が確立されている。しかし滞在し続けた場合の、2回目以降の眠りは通常の睡眠であって、この毒の影響は強まり続ける。
3つ目までの毒がその階層での侵入者の処理を目的としているのに対し……つまり、4つ目の毒は第17階層へ進んだ侵入者を確実に殺すためのもの。
こちらは2つ目とは逆に、分かりづらい危険な毒だ。
ここがダンジョンである以上、外へ移動してしまえば毒自体は消すことができる。
しかし毒による後遺症は治せない。毒が消えるのはそれがダンジョンの物質だからであって、後遺症のほとんどは肉体そのものの変性だからだ。
いつ聞いたのかは分からないけど、ティナに薬が効きづらいのは事実。
東の大森林に火蛇狩りに行った際、間違えて毒蛇に喧嘩を売ってしまったことがある。
あの時はレニーの持っていた解毒薬を使ったんだけど……ティナにだけは効果がなく、3日ほど看病することになったのを覚えている。大毒亀を狩った際にも1人だけ治りが遅かった。
しかし逆に強かったりすることもある。呆蝶に絡まれた時なんて、ティナは1人だけ回復が早かった、らしい。
……私もパッパラパーになってたからこっちはよく分からん。あの蝶ヤバいってマジで。麻薬振りまいて飛んでるようなもんじゃん。
多数の毒物に耐性ができている反面、毒物自体にはかなり弱い。
これがティナの現状なんだろうけど、どちらに傾くか、だ。
ここで受ける毒が経験のあるものであれば、効きづらくなっている可能性すらあるが……おそらくは初のものであり、その効果は通常以上に強く出るはず。
よし、ここらで一旦まとめよう。
解毒薬があるのは2つ目と4つ目のもの。
3つ目の毒は、そもそもが移動ルート上に該当する罠が設置されていないため、特に気にする必要はない。もし仮に曝露してしまったとしても、全員が発水を扱える"紫陽花"であれば大きな問題にはならないはず。
4つ目の毒は……一応17階層から解毒剤を持ってきはしたものの、16階層の転移罠から直接外に出るのだから、出番が来ることはないはず。持ってきたのは「念のため」ってやつに過ぎない。
この2つに関しては、警戒する必要はほとんどないだろう。
しかし残りの2つは要注意。
1つ目の毒は失われるのは皮膚感覚だけであり、動かすことは可能だしとそこまで強い毒ではない……んだけども、この階層に限れば皮膚感覚が失われるというのが大問題。
2つ目の毒は非常に強力なものだが、体内に入らなければ問題にはならない。しかし1つ目の毒が効いてしまっていると、知らぬうちに切り傷ができ、そこから入ってしまうことがある。
解毒薬こそあるものの、気づけなければ、間に合わなければ意味が無い。つまり、1つ目と2つ目は合わさることで非常に厄介なものになっている。
ちなみに私の場合、下半身に限れば1つ目に侵されても特に問題にはならない。
なんせ元々感覚ないからね。既に侵されてるようなもんなのさ! ……これはさすがに笑えないか。口にするのはやめとこ。
「――い、アン。もうあの2人行っちゃったぞ」
「あやっべ」
◆◇◆◇◆◇◆
魔力視を持って生まれた者。
私達の中には、真の意味で暗闇を知らずに死ぬ者も居るだろう。
魔力視から逃れる術はそう多くない。夜に瞼を閉じてすら世界を捉え続けてしまう。
ある意味で、私達は光に囚われ続けている。
魔力視を機能させるには光が必要だ。
視点自体は頭中に存在し、光自体を捉えているのも頭部ではあるものの、目が使われているのもまた確か。
必要な量はそう多くない。通常の目では像を結べないような、知覚することすら難しい程度の微弱な光でも機能する。
必要な波長はよく分かっていない。太陽では完全に機能するのに対し、焚き火のような光のみではやや鈍ることを知っている。
プリズムのようなものを手にしたことがないので、正確なことは言えないが……下界付近かその先の"光"が必要なのだと予想することはできる。
魔力視が原因なのか、魔力視を持つ魂子なのが原因なのか、他にも条件があるのか。
ともかく、私にはダンジョンは光を放っているように見える。
壁、床、天井。これらからの微弱な発光を捉え、魔力視が働き……結果として、私はダンジョン内で光源を必要としていない。
そのはずだった。
私は久々に暗闇を見た。
壁が、床が、天井が。そのどれからも光を感じ取れない。
こうなればいくら魔力視といえど見ることは叶わない。
ま、光源さえ用意できれば問題にはならないんですけどね。
「まだかー」
「るせえ。……ここに入れたはずが……お、あった」
「やっとかよ。もう消すぞー」
ティナは当然のように発火を発現させているし、加えて私達には頼りない荷物持ちが居る。
ハクナタが手にしているのは魔石を燃料に用いるランプであり、上限こそあるものの、極端なまでに光量を上げることができる。
当然、それだけ消耗も激しくなるけど……守護者の間に居た半影からはちゃんと回収してきたし、問題にはならないはず。
どっちかっていうとランプ側の寿命のほうが心配になる。これ、カクが置いてった……大蟻のダンジョンでも使ってた奴なんだよね。
「眩しっ! おいハクナタ、ふざけんなよ!」
「ひっひっ……こんなもんでいいか?」
「今度は暗すぎだっつの。魔石にゃ余裕あるだろ」
このランプ、どうにも普通の火ではないらしい。
いや、普通に見る分にはただの火なんだけど……魔力視と相性いいっていいますか、紫外線的なピカピカが出てるような気がするって言いますか。
要するに、私の目がちゃんと機能してくれている。ありがたやー。
「全く……レア、案内を頼む」
「直線で7歩、左に3歩。壁の半ばに触れてください」
「その部屋で注意するべきは」
「最初の転移3回までは、変に動かなければ問題はありません。
……ですが、注意するに越したことはない。でしょう?」
「……ああ、そうだな」