百三十二話 猛る守護者と侵入者
「どうしよう……血が溶けて……溢れて……」
槍はレニーの体を鎧ごと貫き、小腸か大腸は確実に、もしかすると腎臓も傷ついているかもしれない。
……どこが傷ついたかだなんて細かく考える必要ある?
療術には、魔術には限界が存在してる。それは領域と密接に関連し、ある意味では魔法ですらもこの範疇になる。
魔術が体表の破壊を得意としているのと同様に、療術が効果的なのは体表だ。
理由は単純。体表とは領域の外側に近い箇所であり、当人の影響力が薄い箇所だからだ。逆に体内奥深くともなれば療術は通用しなくなってしまう。
切断された場合であれば、切断面が体表となるため再接合が可能となる。不全切断の場合であれば、一度完全に切断しろとまで教わっている。
麻酔を利用した等で患者の意識が失われている場合、領域は非常に弱いものとなり、通常よりも深い位置まで療術を届けさせることが……こんなの、何の意味が……?
何を考えても、どうやってもこの傷は治せない。
それだけがただの事実。
「……もっと、自分、を……大、切……」
燃え盛る守護者の間、左腹部を貫かれたレニー。
……これが"未来を変えた"? ティナが居るはずだった場所に、レニーが入っただけじゃないか。
「おい、お前ら大丈――レニー!? おい、アン! 早く塞いでやれよ!」
塞いだとしてもこの出血量じゃ……この傷じゃ……。
「レニー! しっかりしろ、おい! アン! 何をボケっとしてんだ!」
「……ダメだよ……」
「何がダメだ!? 時間はアタシが稼ぐからっ!」
「……私は魔術師だ。魔法使いじゃ――」
……一応、レニーはまだ死んでいない。もし死んでしまったとしても、魂なるものが抜け出る前に領域を広げておけば……その中であれば新たな肉体の生成や蘇生ですら可能なのが魔法だ。
しかし私は魔術師であって、いくら領域内に魂を留められたとしても、肉体の復元には限界がある。魂を戻す方法も知らなければ、感知する手段もない。
「魔法は現実の拒絶と詠唱だ! 死んじゃいねえって拒絶して、無事な世界を想像して、最後になんか詠唱しろ!」
「でも……今までも失敗してて……それにあの守護者も――」
「ざっけんな! コイツ見殺しにしたらお前を殺すかんな! 泣く暇あったらさっさと発現させろ!!!」
「や、やってみる……」
ティナはこの前、魔法を使い続けた場合の副作用を教えてくれた。
夢の中で父から話されたと言っていたが……でもあの時、発現のさせ方までは聞いていないと言っていた。
嘘だった。でも今は嘘だったことが嬉しい。
……できるかどうかは分からない。
今までだって拒絶はしてた。使ったあとの世界も想像してた。それでも発現してなかった。
……湿地林のダンジョン第2階層の階層外。あそこでは拒絶はしてなかったし詠唱もしてなかった。でも発現してた。
あそこは無垢の世界だと言っていた。だからこそ発現したのだと考えれば……あそこでの発現は新規であって、ここでの発現は上書きだ。
じゃあ……既にある箇所での魔法の発現には"なんか"を詠唱する必要があるってことか。
ティナのいう副作用を考えれば、詠唱こそが引き金なのは確かなんだろうけど……どんな言葉が適切なんだ。
分からないことが多すぎる。
けどダメ元で……いや、発現すると信じてやってみるしかない。
今度はティナが倒されるかもしれない。そうしたら次は私の番だ。あの扉は既に閉ざされてしまっている。私達にはもう後が無い。
やるしかない。
レニーは死にそうになんかなってない。
それどころか傷なんかも負っていない。
当然だ。レニーには大きな盾がある。あんな槍、いつも通り盾で弾いてしまったんだ。
ここで眠ってるのは……転んだんだ。
槍を掴んで放り投げた。でも重すぎて転んじゃって、頭を打って気絶してる。
それが今のレニーだ。それこそが正しい現実であって、今の現実は正しくない。
だから強く書き換える。私の考える理想の世界を現実に……こんな幻覚、早く幻に終わらせよう。
詠唱は……日常生活では使いそうもない言葉だし、初めて聞いたあの魔法のを。サンが唯一詠唱したあれを使おう。
「……セベル・メーヌ」
古めの魔人語で"大回復"の意味を持つ言葉。
詠唱した瞬間、領域内が一瞬光った。オレンジではなく、紫だ。
そして私の領域内が……世界が重なってなんかはないが、しかし確実にぼやけ、すぐに戻った。
どちらも記憶とは違うが、しかし魔法を見た時の光景に近い。ならもう……発現したの?
レニーの首……脈はある。鼻……呼吸もある。浅かったりなんてこともない。
腹と背の血はまだ……あ、でも鎧に傷が無い。
内側の確認は……今は無理だけど、する必要も無いのかも。
……良かった。
多分、発現してくれたんだ。
魔法のトリガーはやはり"詠唱"で、必要なのが"拒絶"と"想像"か。
今まではずっと無詠唱で試していた。だから発現してなかった。
ならあの階層外での現象は魔法なんかじゃなく、ただの前段階に過ぎなかったのか。
でも魔力が……魔力が全く減ってない。
魔術の発現と違って、いつ発現したのかも分からなかった。
いまいち実感が湧いていないが、しかしレニーの顔色は少しずつ戻ってきている。
……出血を無かったことにするのは魔術同様無理なのか、あるいは習熟度だったりの問題か。
ともかく発現したことが重要だ。あとは……今は一旦これでいいか。
――氷よ、形を表わせ。
「待ってて。すぐ戻るから」
床にレニーを寝かせ、姿隠しではなく氷壁で周囲を囲っておく。
隠すためにしてるわけじゃない。"冷たい火"と"私の魔術"から守るための盾だ。
先程からの爆音の発信源を見てみれば、ティナとあの守護者と1対1で戦い続けてる。
周囲の半影達は先程から完全に動かなくなってしまっている。……統率こそは続けているものの、命令するだけの余裕が無い、とかだろうか。
だんだんと、この状況を飲み込むうちにイライラしてきた。
このイライラの大本がどこにあるのかは分かってる。
でもこの矛先は……原因の1つがあそこに居るし、八つ当たりさせてもらうとしよう。
「ティナ、こっちは終わった。今から合流する」
何が「怒らないようにしている」だ。そんなことを考えた途端にこれだ。やっぱり私は呪人大陸と相性が悪い。
……でもこのくらいの怒りならまだ制御できるレベルだ。
私を焼いた罰、レニーを刺した罰、ティナにあんなことを言わせた罰……いいやそれだけじゃない。八つ当たりなんだから。
レアなんかに捕まった、私の足が動かない、カクがここに居ない、中部に行けそうもない、兄に長いこと会えてない、家族とやりとりができていない――。
あんな優秀なサンドバッグ、滅多に見つかるもんじゃない。全部ぶちまけてやれ。
――多量の魔力よ、強力に纏われ。強風よ、溢れ爆ぜよ。
発現させた爆風により、体を無理やり吹き飛ばす。
これだけ強力なゾエロを使ったとしても、強風の術式では体が耐えられないか。
ま、そこまで高い耐久度なんて必要ない。私の体は元々耐えられていたのだから。
「セベル・メーヌ」
私程度の療術であれば、自身の骨折ですらそこそこの時間が掛かってしまう。
しかし魔法は発現速度が全く違う。詠唱と同時に即座の治療……いや、現実の書き換えが行なわれているじゃないか。
今まで魔術を使っていたのがバカらしい。こんなの経験してしまっては、魔法に頼りっきりになってしまう人の気持がよく分かる。
ま、とりあえず発現は確認できたしっと――強風よ、溢れ爆ぜよ。
……うん、どうせなら痛くないところを犠牲にした方がいいもんね。ぐっばい私の下半身の骨々よ。後に魔法で治してやるからな。
"セベル・メーヌ"……この言葉を考えられるうちはまだ副作用は出てないんだろうけど、あんまり使いすぎもよくないよね。
着地後に再度の発現をするとして、一旦はそれを最後としよう。
シュを細かく調整し、着地点を理想的なものへと変更し続ける。
こっちへの魔法の適用は……ダメだ。魔術で済むことなんだからこのまま魔術で間に合わせよう。
っと今のうちに――氷よ、穿て。これよ、爆ぜよ。
地面への激突。3、2、1……――風よ、溢れ爆ぜよ。
「アンか――!? お前、その足……」
「うわーぐっちゃぐちゃ。セベル・メーヌっと」
氷解石への適用は今は無し。
今までの情報によればこれが生えた瞬間まで遡る必要があるかもしれないし……守護者が生き残ってる現状優先度は高くない。
「ほら、これにて私も魔法使い」
「じゃあさっきのじじ臭いのが……」
「そ。あんまり気にしなくていいよ。それより状況は?」
「見ての通り」
見ての通りだなんて言われてもね。
"冷たい火"は僅かに燻っているのみで、既にここらの熱は喰らい尽くした後らしく、意識が飛びそうになる冷たさだ。私も――熱よ、纏われ。
ティナの左腕はだらりと垂れ下がり、また魔力の減りも著しい。
腕の方は骨折だとして、まだ数分しか経ってないのにこの魔力は……。
「ティナ、氷使った?」
「そっちは3回な。もうくったくただ」
間近でリズやウィニェルを見ていたティナが扱えないなんてことはなく。
ティナってなんだかんだで色んな魔術使えるんだよね。本人はあんまり使いたがらないけど……む。
「は?」
「まあ……回復」
魔力の光。
ティナの周囲が一瞬ぶれ、同時に左腕を動かした。
「アタシも魔法使いってワケ」
「……えっ!? ならレニー治してくれてもよかったんじゃ」
「領域いじんのが下手っぽくてさ、自分の回復に――」
再度の発光。
発した言葉に対しての自動発現。ってことは――。
「……自分にしか使えないし、もうこんな状況ってワケ」
「何回目から?」
「分かんね。けど他のもここまで来てる。アタシ、相性よくなかったっぽい」
恐怖を吹き飛ばし、万能感を呼び起こす……ゾエロは精神にも影響する。
確かに戦闘においては非常に有用な効果ではあるけど、自身の能力を過大に評価してしまうというデメリットもある。低級の冒険者が死にやすい原因の1つだ。
私達くらい使い続けていても抗うことは叶わないが、しかし自身の評価が高過ぎるという前提の上で考える癖を付けることはできる。
ティナは筋肉がほとんど発達しない。そういう体質だ。
だからこそ常時のゾエロで体を動かして生活している。筋肉を利用できる私と違い、魔力の消費量はやや激しい。
そしてティナのゾエロは……単に本人の好みなのかもしれないが、日常生活を送る上でも十分以上の出力を維持している。
いくら慣れているとはいえ、あれだけのゾエロを維持していれば精神に及ぼす効果は強くなる。
あの守護者を倒すのに魔法を使ってしまえればどんなに楽か。私だってそう考えている。我慢するのに精一杯だ。
当然、ティナも同じことを考える。そして守護者と1対1。……当然、それに手を付ける。
日常生活における自動発現。
自身で発現を制御できなくなってしまい、自身の望まぬ世界が見えなくなり、ただ書き換えを続けるだけの生き物になる。……これが魔法使いの最期だそうな。
具体的にどう発現するのかは説明されなかったけど、ティナを見る感じ、やはり詠唱文自体に反応するようだ。
「んな顔すんなよ。つか、アイツまだ生きてんぞ」
「……とりあえず、魔法は一旦禁止で行こう」
「わーってるっつの。んじゃ援護――」
――冷気よ、形を表わせ。
「――頼むぜ」
「当然」
飛んできたのは火弾のようなもの。
……さっきまで私が戦ってたのとは別物だな。遠距離攻撃なんて見せてなかったじゃないか。
「さっと教えて」
「突進、火……火の玉、体全体が燃える、たまに増える」
「増える?」
「ああ。ほら、また――」
どういうことだ、と見てみれば確かに守護者が増えている。
……冗談でしょ?
いや、冗談なんかじゃない。ていうかあのモーション――。
「避けろっ!」
――風よ、溢れ爆ぜよ。
あっ……ダメだ。避けそこなった。せっかく治したのに足が……ていうかまた燃えてるじゃん。
なんだあれ。分身作って突進させる? しかも触ると燃え上がる?
……魔術なんかの範疇じゃないぞこれ。私達、もしかしてとんでもないのを相手にしてるんじゃないか?
と、とりあえず。――冷気よ、溢れよ。
それから――
「セベル・メーヌ」
ダメだな、やっぱり便利すぎて頼っちゃうぞこれ。
……今回限りってことにしよう。それに使うのはこの詠唱だけだ。