百三十一話 静けき獣と猛き獣 3
先ほどまで輝いていた魔力は嘘のように薄れ、嵐の前の静けさを思わせる。
ステップを上がり、踊り場で折り返し……大きな扉が目の前に。
どこかで見たような扉だが、あれとは違い全面に装飾が施されており、絢爛という言葉がぴったりだ。こんな時でなければ見入っていたかもしれないけど……。
扉の隙間からは魔力が流れこんできており、先ほどの魔力の発信源がここだというのが分かる。
「アン、頼むぞ」
「2人も練習だと思って集中してみてね」
「言葉、か……」
扉に手をあて、軽く押してみる。
効果音を付けるならスッだろうか、重さはほとんど感じられなかった。
ゾエロのせいだというのもあるかもしれないし、本当にこの扉が軽いものなのかもしれない。
『待っていたぞ! レア――!?』
『別人』
『何っ!? 誰だお前は! レアを連れて来い! 今すぐだ!』
開扉一声。勝手に閉じるのか、なんて小さな考えはすぐに中断された。
周囲には大量の兵士の姿をした半影。そして正面には騎士のように見える魔物と馬のように見える魔物。あの2体がここの階層守護者であるらしく、見覚えのある魔力を投げつけてきた。
何故彼らが言葉を解するのか、それにどんなメリットがあるのか、何故屋内で騎乗しているのか、結合しているはずではなかったのか……様々な疑問が浮かぶものの、聞けるものはそう多くはないはずだ。
『レアをどうするつもりですか?』
『話すつもりはない! あいつは同じように引き裂かれる!』
槍を振り回しつつの返答。
声がデカい方が騎士か。
『私達だけなら通してくれますか?』
『侵入者は、排除』
やっぱりだ。全く別の魔物にしか見えないものの、2体の魔力は同質だ。
普通に考えてみれば、あの騎士は槍を振り回すのに対し、馬はただの移動ツールでしかないはず。あの重そうな装備を見るに、馬を潰してしまえば移動不能に陥る可能性すらある。
しかし彼らは魔物であって、しかも全く同質の魔力を持っている。別の魔物のように見えるものの、実際はどこかしらで繋がっているのかもしれない。
首から上は完全な独立部であり、腹部から下はどちらの脳によっても制御される共有部。胸部に関しては独立部と共有部が複雑に絡み合っている。これが前回のレアの結論だ。
この魔物にも同じことが言えるとして……本当に繋がっているのだとしたら、騎士の尻と馬の背中辺りの可能性が高い。
それより下部・後部が共有部なのだとしても、そこまでは片方の脳によってのみ制御されているはずだ。
であれば、馬の首を飛ばしてしまえば馬の上半身は機能を停止するはずで、騎士の首を飛ばせば騎士の脚部以外は機能を停止するはず。特に馬のほうであれば、機動力を大きく削げるかもしれない。
……なんてのは、希望的観測だろうなぁ。
「統率者は馬の方だね」
『おい、あいつ気付いてるぞ』
『そうか』
驚いた。あの魔物、呪人語を理解してるのか。
いや、私の声には魔力が載ってるらしいし、それを聞いた? ……魔人語に切り替えてみよう。
「でも糸とかで繋がってるわけじゃないっぽい。多分、あれを殺さないとダメだ」
『殺す、だとよ! あっちもやる気満々だぜ!』
『そうか。だからどうした』
もしかして、馬の方は言葉を理解していない?
そうだとすれば、原因は声じゃなくて言葉の方。騎士だけが理解できているのであれば、先に潰すべきはあっちなんだろうけど……難しそうだ。
静言でなら私達だけで話すことも可能だろうけど、現状で静言を使えているのは私だけ。
しかし使えるといっても私の静言は有詠唱且つ一方通行と最低限のものであって、相互のやりとりは望めない。
……とりあえず、騎士を潰すまではあまり喋りすぎないほうがよさそうだ。もっとデルアの練習しとくんだった。
「なんでそっちで?」
「試してみただけ。結論、こっちの言葉は全部理解されてる。喋らない方がいい」
前回のレアによれば、彼らに"人の言葉"を理解する能力は無いとのことだったけど……うぅ、さっきから寒気が凄い。
なぜ理解できるのか、なんて考える時間は無さそう。
「もういいよ。予定通り、まずはイーリア」
聞き取れたところで意味が分からないのなら、暗号であれば問題にはならない。
知能の高い魔物なのだからと万一を考えて一応用意したんだけど……あんまり練るだけの時間もなかったし、できたのはイーリアとウェイル、ペルズ、それからリケレルの4つだけ。
とはいえ役に立たないわけでもない。
「レニー!」
「進め!」
叫ぶと同時、敵群へと飛び込んだのはティナ。
レニーもそれに追従する。
騎士が槍を突き出し、何かを行なおうとする。
――風よ、穿て。
『風弾! お前らの相手は、私だ!』
私の役割はこれだ。
普段の私であれば、あの大群への主力は私を設定し、その間の防御をレニーに、ティナには援護をとしたはずだ。
広範囲魔術の発現には多量の魔力を消費するものの、雑兵を蹴散らすのには向いている。
しかし私の"正しい"選択は、レアの見た未来へと繋がってしまう。
『殺すぞ』
『当然だ!』
未来を変えるというのであれば。
多少の非効率は飲まなければならない。
私は選ばれなかったはずの未来を選ばなければならない。
――水よ、穿て。
『水弾』
突撃を仕掛ける騎士に対し、水弾を放つ。
本気で、攻撃をする気で術を発現させる。
そうでなければ殺気は含まれない。
殺気がなければ対応されない。
対応されなければ意味が無い。
『ちゃちな魔術師だな! 踏み殺してやる!』
騎士に触れる直前、急激な魔力の変化。
何らかの外因によって水であることを維持できなくなった。
終了させられると同時、あの槍が発火した。
……もう読めたな。早くウェイルに繋げよう。
――広氷よ、撃て。これよ、分かれよ。
『硬氷壁』
『邪魔ぁ!』
「きゃっ!?」
発現させた氷壁は、突き出された槍によって砕かれた。
それに驚いた私は悲鳴を上げた……なーんてね。
――これよ、爆ぜろ。
『くっ、馬!?』
砕かれ散らばっているだけのはずの氷壁の残骸が、突如として魔物を襲った。
なんて、別に不思議な現象なんかじゃない。
元よりあれらは残骸などではない。私自身の制御によって砕き、そして爆発させただけだ。
"相手の詠唱を聞いてから対応するだけでいい"だなんて勘違い……知能のある、言葉を解すゆえの弱点。
騎士には大したダメージにはなっていないようだが、馬にはちゃんと効いたらしい。
統率者である馬への攻撃……そもそもが私の狙いとは、イーリアの狙いとはこれだ。
周囲の魔力が急速に縮小していっている。
「切っ……ティナ、ウェイルだ!」
「あぁ!」
レニーの声が聞こえると同時、ティナの魔力が膨れ上がり、動かなくなる。
だが半影達も動かない。否、動けない。
統率者からの連絡が絶たれての一時的な混乱……時間にして数秒もないのかもしれない。
が、今のティナにとっては十分すぎる時間だろう。
「空――」
突如としてティナの姿が消え、同時に遠方へと現れる。
まるで瞬間移動したかのようにも見えるが、実際はただの高速移動。
経路にあった半影が消し飛んだ。
「――蹴ッ!」
続いて2連。3度目の移動でティナはレニーの元へと戻った。
どれも詠唱を聞き取りきることはできなかったが、何を発現させたのかは知っている。
ロニーのように空中を動けるわけではないし、シパリアほどの速さにも届いていないらしい。
しかしあれは紛れもない空蹴であり、既に私の目が捉えられる速度を超えている。
模擬戦で見せた時とは比べ物にならない早さ。最大出力だと制御しきれないと以前に愚痴ってたけど……あの速さなのにレニーのすぐ側に戻れてるし、ちゃんと停止もできている。また腕を上げたな、なんつって。
「ペルズの出番は……ティナ、あとどれくらいいける?」
「この分だと3かけ12ってとこ――ぅひぃ!? お、おい、アイツ復活したんじゃないか!?」
格好良いんだか情けないんだか。
何にしろ、ティナが対半影で途轍もない戦力なのは間違いない。あれはレニーには真似できない。
もちろん、本来は私のほうが対多数戦は向いてるんだけど……今回は状況が状況だ。
「今はイーリアに戻ろう」
今の魔力状況で36発ってことは、実質的な残弾数は18発とかそのくらい。対する半影の総数は100に届くかどうかってとこ。
1発の空蹴で大体8体くらいは処理できていた辺り、魔力に余裕はある……と言いたい所だけど、数が減れば密度が減るはずで、であれば1発辺りの処理量も減ってしまうはず。
ペルズは魔力や体力が不安だったし、やらずに済むならとか考えてたけど……残念ながら出番が来てしまいそうだ。ちゃんとペースを考えないと。
なんて考えてるうちに、途轍もない魔力が放たれた。
……凄いな、漏れてないといいけど。
『貴様等は! やはり理解できん! どうして我らを苦しめる!』
『いや、通してくれさえすれば私達としては――』
『ふざけるな!!』
視界の端でレニーが震えたのが確認できる。
感情を読むってのはこういう時には不便なのかもしれない。
激昂、憤怒……どんな一言でも表わせないくらいの形相だ。
『生かしては通せない! 見られては生かせない! 侵入者は見逃せない!』
いつの間にか、声の主が馬に変わっていた。
騒がしい騎士と静かな馬。それがさっきまでの印象だったけど……どうしてここまで怒るのか、を感情的に理解することはできないんだろうな。
半影を殺されたから? そんな些細なことではない。
私に攻撃されたから? そんな単純なことでもない。
もちろん痛みに対しての怒りも多少は含まれてるはずだけど……彼らの怒りの根源とはすなわち彼らが彼らとして生まれたからこそであり、「外の魔物を通すな」という絶対的な命令と「ダンジョンが危険に晒されている」という防衛本能から来るものらしい。
後者に関してはダンジョンを自身に置き換えてみれば理解できそうだけど、前者に関しては確実に不可能だ。
『聞いてみただけ。早く私を殺さないとどんどん手下がやられちゃうよ?』
『どうしてもいい! 貴様等全て殺すだけだ!!』
もはや言葉ですら正しく紡げていないじゃないか。
知能のある魔物ってのは……無機質な魔物に比べると相手にしやすいかもしれないな。
反応速度の向上であったり身体能力を高めたりと、怒りとは確かに強力な感情だ。しかし判断力や予測力の低下であったり視野狭窄に陥ったりと、デメリットも多分に存在する。
怒りとは御しきって初めて最大のパフォーマンスを発揮するのだ。……ま、私も未だに御しきれてないけども。だからこそあんまり怒らないようにしてるわけで。
『馬、落ち着け!』
『ダメだ、終わりだ! 制御よこせ!』
終わり? 制御?
考える時間は一瞬もなかった。
光の奔流が――氷よ、形を表わ――
「あっ……」
発現は間に合わなかった。
全身が焼けるように熱い。
ゾエロを纏っていたはずなのに、そんなものはお構いなしだ。
感覚の無いはずの下半身ですら熱さを感じてる。
……ああ、私、燃やされてるのか。
焼けるように、じゃない。焼けてるんだ。
熱い、熱い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い!
息ができない! 水を!! 今すぐに!!!
「ヘウ……!?」
声が出ない!?
ダメだ、集中しろ! 無詠唱でなら! ――水よ、溢れよ!
よし、水が……熱い!?
なんで熱い!?
両腕が……違う! 落ち着け、落ち着け? 違う、熱くない。冷たいんだ。
見ろ。皮膚は爛れてないし、服も鎧も燃えていない。心配事は顔の石だけだ。
……落ち着いた。よし、もう大丈夫だ。一瞬だけの発現で済むはずだ。
――冷気よ、纏われ。
瞬間的な多重ゾエロ。しかしリズのゾエロには持続性を持たせない。
火は……やはりだ。あの火はリクテルと同様であって、熱を断てば消えるもの。
正面に目を向け――……背中? どうしてレニーがここに。
どうしてそんなものが生えてる?
どうして血が流れてる?
まるで――槍に貫かれたかのような……!
「う、う、うぉおおっ!」
槍を引き抜き守護者を放り投げた。
しかしすぐに膝を付き、苦しそうな表情を浮かべている。
槍は確かに貫通していたが、出血量は多くない。
胴が広く炎上し、血の氷塊ができてしまっている。
ま、まずは……――冷気よ、溢れよ。
「レニー……どうして」
火を消すことはできた。
時間さえあれば、傷口を塞ぐこともできるだろう。
でもこの傷は……内臓までは治せない。
私はただの、魔術師だ。
騎士の詠唱シーンは色々あって全カットされてしまった。かなしかなしやおおかなし。