百二十五話 記憶と存在の第17階層 4
迷子になりかかったところ、壁の中から出てきたレニーに声を掛けられた。
うん、声を掛けたのはレニーだよね?
「……」
どうしてこやつは無言なのじゃ?
つかなんだその表情。なんで料理教えられないだけでここまで落ち込むの。私が寝てる間に何かあったの?
「……」
といろいろ聞きたいことはあるけど私の頭はパンク寸前。ついでに言えば話しかけるのはかなり苦手。
レニー! 自分から声掛けたならなんか言ってよ! 困る!
「……」
何これ、かまってちゃんなの? ねえねえ僕しょんぼりなの話聞いてよーみたいな?
いや知らんわ。いや知らんことはないけどやっぱ知らんわ。……んもー。
「ど、どうかした?」
「いや……」
いや……じゃねーよ!
こっちがせっかく勇気出した気使ったのになんだこいつ。ホントにどうしたのさ。
……ちょっと背高すぎるなぁ。
「レニー、しゃがんで」
「……?」
よっし、この高さなら問題無い。
後ろ回ってーっと。……背中広いなおい。それとも私の腕が短いの?
「大丈夫、私は待つよ」
言いたいけど言えない! みたいな状態ならこんなセリフがぴったりでは?
別にいますぐ聞き出そうとか思ってないし、レニーのタイミングで言ってくれればいいし。
……もうちょい胸あればハグパワーも上がりそうなもんなのに。
「1人で抱え過ぎないで」
前に打算まみれで似たようなことをやったけど、今回は心あって選んだ言葉。
人間がどういうのに弱いか、なんてのは表面の部分は理解できてるはずだけど、深いところは全然分からないんだよね。なにせ私がそういうの効かないタイプだし。
でもまぁ、私が喋るだけで楽になってくれるならそれでいい。悩んでるとこなんて見たくないし……あれ? なんか震えて……ホントどうしたの?
「……教えてくれないか」
お、おお。鼻声だけど喋りだした。
うーいろいろ考えてるタイミングでこれはキツいぜ。ダンジョンのことは一旦置いておこう。
「どうしてそこまで……強くなれるんだ」
「強くないよ」
レニーのいう強さってのは、戦闘とかそういう意味じゃないんだろうな。
だとしたら私は強くない。強くないからこそ、こんなところまで来ちゃってる。
自分がもっと強かったなら……また違う未来もあったのかなぁ。
「ずっと逃げて……代わりを探してた。その事実を突き付けられた。
俺は何も変わってない。結局俺は――」
「レニーは逃げていいんだよ」
「ならアンは」
私は……私はどうだろう。
逃げてるかって言われれば、確かにそこまで逃げてない気がする。
なら正面から刃向かってみたかと考えてみれば、そんなのもほとんど無い気がする。
私の人生、あんまり大きいイベントが起きてないだけなような。
じゃあその"大きいイベント"が起きたらどうだろう。
例えばレニーが死にそうになったとして、私が死ねば助けられるーみたいな感じだったら、今の私なら飛び込んじゃったり……はありえない話でもないかも。
以前なら絶対に無かっただろうけど、今は選択肢としては存在してる。……選ぶかどうかはまた別だけど、こういうのが浮かんでくる理由は分かる。
「私は魂子だから。……あんまり自分が大切じゃない」
命の価値なんてのは人それぞれ。私にとって私の命はそこまで優先度の高いものではない。
以前は最も上位に置いていたけれど、それは人生が1回きりだという前提の上。次の転生がほぼ確約されている現状、親しい者を守れるなら……私の命くらい安い。
ま、そう安々と捨てるつもりもないけどさ。
「でもレニーは別。死んだら終わりなんだ、逃げたっていいじゃん」
「だが! 俺があの時逃げなければ、もっと強ければ……家族とも……」
家族、か。レニーの小さい頃の話はあんまり聞いたことがない。
カクはかなり小さい頃から孤児院だったみたいだけど……カクの昔話にレニーが登場してくるのは8歳くらいから。であればそれまでの間はどこで暮らしてた?
呪人は3歳くらいからエピソード記憶を獲得するはず。もし8歳までの間に家族と暮らしていたのだとすれば、その期間の記憶……それから別れた理由もあるはず。
その時期に起きた出来事……私とレニーは7歳の差がある。つまりは私が1歳を迎えるまでの話。
要素が揃いすぎてないか? こんなの遠因が私にあると言われてるようなものじゃないか。
でも……でもまだ最後まで聞いてない。関係無い可能性だって十分ある。
「何があったの?」
「8つになる年の夏、特にひどい嵐に襲われた。……あとで知ったことなんだが、その年は強い魔嵐がダニヴェスで発生していたらしい」
う……入りがこれとか完全にそれじゃん。最後まで聞きたくないんだけど……。
「お爺ちゃんが変わり者でな。ネフリンの北に広がる森……知ってるか?
俺達は森の深いところに住んでいて、家族と行商以外で人を見ることは滅多に無かった。そのせいで……届かなかったんだ」
「届かなかった?」
「近所の村には報せが届いてたらしいんだが、うちはそうじゃなかった」
回覧板とかそんな感じの、いや、人を見ることはーって言ってたしそういうのじゃ……って今考えることじゃないか。
ネフリンの北の森かぁ。ネフリンより北側はほぼ全域が深い森林だったはずだし、位置を伝えるのには大雑把過ぎる。
でも大梟のダンジョンがあるはずだし、あんまり近すぎる場所ではないと思うけど……ってこれも今考えることじゃないな。
「どんな報せ?」
「魔物が来る、と。……エリアズという魔物に襲われたんだ」
「エリアズ……知ってる。私も何度か見たことがある」
あの日以来も目にすることはあった。エリアズ、またの名を魔嵐の操者。
生態についてはあまり広くは知られていない。二つ名の通り魔嵐と共に現れて、魔嵐と共に去っていく……現在でも人の天敵とされている魔物の一種。
ダニヴェス・アストリアの冒険者ギルドでは共に1級に指定しているものの、関連するクエストが発令されたとは聞いた覚えがない。
エリアズ単体での強さはそれほどでもないらしい。
確認されている魔術も種類こそ多いものの中級止まり。飛べなくなったエリアズであれば、4級冒険者でも単体で狩れると言っていた。
だのに1級に指定されている最大の要因。それはあの圧倒的数だ。エリアズのほとんどは群れて行動しており、単体での階級は2級に落ちる。
人の世界は二次元的だ。
幅も高さも奥行きも感じることができる。前後に歩くことはできる、左右に歩くこともできる。でも上下に歩くとなると話は変わる。
竜や鳥と違い、人は上下方向への移動が強く制限されている。垂直移動を足だけでできるともなれば……多少の例外はいるにしろ、群れるほどの数はない。
全ての人が自由に飛べたとすれば、あるいは全てのエリアズが飛べないとしたら、人はエリアズにも勝てる。
でも現実はそうじゃない。だからエリアズには勝てない。
「同じ年、ダールはもっとひどかったらしいな。……俺のところに来たのは2匹だけ。そのたった2匹に、……俺と妹だけが生き残った」
エリアズは魔力濃度の低い場所ではまともに飛べなくなってしまう。
魔嵐の操者だなんてのは人が勝手に呼んでるだけで、実際は活動するのにあれだけの魔力が必要なだけだ。
そしてエリアズは「魔力が循環している肉」のみを……言い換えるなら、生きた肉だけを喰らう。
途中で死んでしまえば興味を失うが、代わりに延命させる魔術を持っている。獲物はできる限り長生きさせ、限界まで肉を保たせる。それがエリアズという魔物。
言葉を濁してはいたけど、エリアズに襲われて家族を失った。それの意味することは……あまり想像したくはない。
「……でも妹さんは無――」
「違う! ……俺は……逃げてしまった。約束を……俺は……! ――」
語られたのは、家族との生活とその末路。
森の中での生活はレニーに興味と知識を植えつけ、今の植物学や薬学……と呼べるほどのものではないかもだけど、それに繋がったのかもしれない。
しかし平和な毎日は突如終わりを迎えてしまう。魔嵐の余波か、2匹のエリアズが家の近くに落ちた。
飛べないエリアズがたったの2匹。
ダールやダーロは当然として、ダーマやそれ以下の町ですら対処可能なはずの事態。
今の私達でも全力で当たればなんとかなりそうな程度だし、私達くらいの冒険者なんてそこそこ居る。……しかし実際には誰も通らなかった。
結果だけを見てみれば、レニーの両親と祖父母、それから兄は食い殺された。レニーとその妹キデリーは5人の命によって助けられた。……一旦は、になるけど2人の女の子を助けることには成功した。
ダニヴェス内でさえ、人がまばらな地域であれば人の法が適用できないことがある。
いくら大国アストリアといえど、いくら大都市ネフリンの近くといえど……深い森の中なんて、そこは既に人の領域ではない。
幸か不幸かレニー達にはどちらの法も適用されなかった。
人に保護されることもなく、そして魔物に襲われることもなく、4ヶ月を過ごしたらしい。
何事も無く森の中で過ごせたのは……暖かい季節だったこと、子供とはいえ森の知識があったこと、そしてダンジョンから適度な距離を保てていたからに違いない。
キデリーは魔力視のようなものを持っていたようで、しかも出会った当時の私よりもよっぽど使いこなしていたらしい。あの頃の私は濃さすら自由にいじれてなかったのに……ってまあいいや。
しかし春を迎える前に、キデリーは"次の世"へと向かってしまう。
幼い2人は獣を狩ることがまともにできず、川からは魚の姿が消え、秋の実りも終わりを迎え、と冬を過ごせるだけの食料を集めることができなかった。その日を過ごすのですら厳しくなった。
"避け続けていたダンジョンへ近付き食料を集める"……それは空腹の子供達にはよっぽど魅力的に思えたのかもしれない。
最初のうちは順調だった。大量の食料を集め、3日程度は過ごすことができた。
ダンジョンの影響を受け、常の豊作が約束された森。しかし所詮は物質世界であり、無限の収穫が望めるわけではない。
日に日に2人は森の深くへと足を進めることとなる。
冬の森は普段以上に危険だと言われているが、それはダンジョンの有無に関係ない。
しかし普通の森とそうでない森が隣接した場合……その境界の危険度は一気に上がる。
魔物だって生きるのに必死だ。食料を確保できない期間が続けば、縄張り外だとしてもダンジョンの森へと顔を出すことがある。
危険度が上がるのはつまり、腹を空かせた魔物が増えるから。食糧不足に喘ぐのは人に限らないし、腹を空かせた生物は大抵イライラする。
そしてそんな時期でも構わず境界付近に居続ける魔物とは……狩られないという自信のある強力な魔物くらい。
冬というわけでは無いものの、私達も腹の空かせた魔物とやりあった経験はある。
子のために狩りを行ない、何かに肉を奪われ、そして私達に出会ってしまった魔物……あの土虎は強かった。
レニーは装備ごとボロボロにされ、ティナは足を抉られ、私に至っては複数箇所の骨折と気絶。何か1つ間違えただけで、誰かを欠く結果になっていたかもしれない。
それでも勝ったのは私達。親を殺し、分解し、仔を攫い、金にした。それが冒険者。……相手を魔物から人に置き換えてみ――と、変な方向に行っちゃった。
2人は森で魔物と遭遇した。
草食の魔物なら遭わなかったかもしれない。雑食の魔物なら見逃してくれたかもしれない。しかし出会ったのは肉食であり、その魔物にとって彼女らはただの肉だった。
人の子が強力な魔物と遭遇した場合、取れる選択は多くない。選択すら出来ない者も多く、レニーもその1人だった。
選んだのはキデリーだけ。
自己犠牲。
自分の身を魔物へと食わせ、時間を作り、もう1人を生き延びさせるという選択。
結果的にレニーは生き残り、その魔物も後に狩られ、と次には繋がった。状況を考えればキデリーが選んだのは最善だ。
もし私とユタが同じ状況だったとしたら、他に選択肢が見えなかったとしたら……私も同じように動いたと思う。私にとってのユタとはそれほど大切な存在だ。
けどレニーは苦しんでる。
レニーを見て、話を聞いて……果たして本当に正解だと言えるのだろうか。残された側の気持ちを考慮してないのではないだろうか。
自己犠牲だなんてただのカッコつけ。聞こえがいいだけの自殺なのかもしれない。
残されないがための"逃げ"なのかもしれない。
もしかすると、私も間違おうとしていたのかもしれない。
正解にはまだ辿り着けそうにない。