九十七話 紋入れ墨と雷の神
ドゥーロから外を見るなとは言われていたけど、しばらくは流れる景色を楽しんだ。
別にそれを咎められはしなかったし、なんとものほほんとした空気が流れていたと思う。
少しして、レアと一緒に行動する際にいつも貸し出されていたケープを渡された。
なんでも簡単な魔術程度なら防いでくれるものらしい。
制服的なものだとばかり思っていたばかりに、これが魔道具だなんて素直に驚きだ。
といっても万能防具ってわけではないし、砲弾や炎上なんかには当然無力。パンチだって防げないし、矢だって防げない。私の爆氷弾ですら防げないという。
しかし氷弾であれば内出血程度で済むだろうとも言われた。
このケープにはゲシュ・レズドに似た魔法陣が刻まれていて、着用者の領域に魔術が侵入した場合に発動し、魔術が触れた際に勢いを殺す効果があるのだとか。
魔力を持つ生物である以上、体表から数mmくらいまでは誰だって領域を持っているわけで、効果自体は小さいもののそこそこ便利な代物であるらしい。
ま、1番の目的は変装ってわけなんだけども。
ほら、帽子まで渡されたし。
簡単な変装をしつつ、窓から外を眺めていると……昨日あれだけ降ったというにも関わらず、また雨が降りだした。
「ヴィヴロさん」
「存じております」
二言だけ交わした後、ドゥーロは扉を開け放ち、馬車の外へと出る。
同時に馬車が大きく揺れ、これでは確かに会話するのは難しそうだと考えた途端――昨日とは種類の違う爆音が聞こえた。
何の音か。
そう考え窓へと目を向けたものの、いつの間にか木の板か何かで目隠しをされてしまっている。
最初の爆音を皮切りに、次から次へと轟音が鳴り響く。
塹壕戦の兵士ってこんな感じだったんだろうか、なんて下らない考えまで浮かんでいる。
爆音を聞き続けるうちに、いつの間にか馬車全体がドゥーロの魔力に包まれていることに気付いた。
私の拡張領域が全て押し返されてしまっている。
ああ、なるほど。これは確かに大魔術師だ。
神を宿すだなんてと思ったが……他人の領域を押し返すだなんて、考えたこともなかった。
しかしドゥーロは呪人のはずだ。
一体どれだけの差があるというのか。
ドゥーロが外に出て数分、永遠にも思えたあの爆音はいつの間にか姿を消していた。
馬車の運転も落ち着いてきた頃、ようやくドゥーロが戻ってきた。
「お待たせいたしました」
あれだけの雨の中に居たというにも関わらず、水滴1つ付いていないとは。
「その、敵? ってのは全部倒したのか?」
「少なくとも、しばらくは安全でしょう」
いつものようにニコニコとしているが、一体何をしていたのか。
……なんて、聞くまでもないか。
「えーっと、どこに向かってるんです?」
「現在はアルムーアですが、最終的にはザールです」
ザールってことは、私の氷解石のことは考えてくれてるってことか。
でもさすがに一直線にいけるってわけでもないし、まずは最寄りのアルムーアで補給とか色々してくと。
「アルムーアってどのくらい滞在しますか?」
「1日も居ないでしょう」
「……それって伸ばせません?」
私が呪人大陸に来た理由の1つに、ユタ探しというものがある。
カクが居なくなってしまった以上、今ではむしろこっちの方が本題だ。
アルムーアであればほぼ確実に手がかりが見つかるはず。それを通過するというのは正直かなり都合が悪い。
しかし事態が事態。ドゥーロから良い返事がもらえる可能性はほとんどないのかもしれない。
「……難しいです?」
「どうしても必要ですか?」
どうしてもか、と言われればどうだろうか。
確かに本題としてはいるものの、優先度としては……いや、高いな。
ユタのことは好きだし、それにどうしてあんな手紙を送ってきたのかだとか、いつの間に魔法陣描けるようになったのかだとか、聞きたいことは山ほどある。
「どうしても、です」
「お兄様の件ですか」
「……まぁ」
ここが他国で、しかもヘッケレンに足を踏み入れたことのない人が知っていた、とかならちょっと驚いたかもしれないけど、他国出身であるらしいドゥーロが知っていたからといって、別に驚いたりなんてことはない。
むしろヘクレットよりもキネスティットでの方がユタの名前を耳にすることがあるし、この前なんてそれで追いかけられた。ていうか捕まった。
「では滞在期間を4日に伸ばします」
「スドゥプロ様――」
「代わり、今後は私に従っていただきます。いかがでしょう」
一瞬即答しそうになってしまったけど、この"従う"ってのがどの範囲なのかが指定されていないし、ドゥーロが取り出した魔道具も気になる。
「レアの身代わりになって死ね」と言われたら死ななきゃいけないってレベルなのか、それとも「一緒にご飯食べませんか?」程度までのレベルなのか。
……さすがに前者ってことはない、と以前の私なら考えていたかもしれないけど、ハルアの扱いを見る限りではありえない話でも無い気がしてしまうし、それに――
「その"従う"というのは、どこまでの範囲ですか?」
「警戒されてます?」
「多少」
その手の魔道具は、奴隷紋を刻み入れる奴だ。
「これは拘束力の弱いものです。1ヶ月としないうちに落ちるでしょう」
有名な奴隷紋は3種類ある。
そのうちの1つにドゥーロの持っているインクのようなもので書き入れるタイプがある。そしてこれは概ね1ヶ月くらいで落ちるはずだ。
拘束力は奴隷紋の中でも特に強く、刻まれた者が全力で拒否した場合には命すらも奪ってしまう。
この奴隷紋は一時的に使われるものであって、通常はその効力が切れる前に傷を付けるタイプのものを入れる。
逆にいえば、これを入れられるということは別の奴隷紋もセットでついてくるということとほぼ同義。
つまり、嘘だ。
……そっか。じゃあドゥーロは敵なのか。
外を見るなと言ってたのも、見られると都合の悪い何かがあったんじゃないか。
そもそも爆撃されたとかいう事件自体がでっち上げ、あるいは自作自演の可能性すら出てきた。
家を出る時、レニーはなぜあんなことを聞いた? もしかすると、ハルアとドゥーロは敵同士で、それを伝えられていた?
……考える時間はあんまり無さそう。今は何をするべきか、だ。
単純な戦闘力では私達はドゥーロに絶対敵わないだろう。
本来ドゥーロは無理やりこっちを拘束することもできるはずだ。じゃあそれをしないのはなぜ?
レアか。
私とレアは隣同士、そしてヴィヴロとレニーは隣同士。1番危険なのはティナだけどー……ま、それはなんとかしてもらおう。
「ドゥーロさん、1つだけ聞かせてください」
ニコニコとした笑みを浮かべてはいるものの、ドゥーロの領域は展開されっぱなしだ。
彼は無詠唱で魔術を発現できる魔術師なのだから、こんなの喉元に刃を突き付けられているのと何ら変わらない。
だからまずは、互角にしよう。
「キンパーロ、美味しかったですか?」
「……ええ、もちろん」
別に私は読心術が使えるってわけでもない。むしろ他の人に比べ、感情に関する理解は浅いはずだ。
だからこの瞬間、ドゥーロが何を考えていたのかは分からない。
でも声を発する瞬間に、魔術師には小さな隙ができることを知っている。
魔術とはイメージが優先されるのに対し、発声する瞬間にはどうしてもそれをイメージしてしまう。
だからこそ生まれる一瞬の隙。ダガーを引き抜き、レアの首元へ。
「あっ――!?」
「もう少し、仲良くしていたかったです」
「……いつから気付いていましたか?」
この質問、ということは本当にドゥーロは味方じゃなかったのか。
何が目的なのかとか、そんなことはどうだっていい。裏切られたという事実がただ悲しい。
いや、そうじゃない。気付けなかった自分に悲しいんだ。
「8つ数えるうちに領域を収めてください。でなければ切ります。8――」
私と同時にレニーもヴィヴロを拘束した。
ティナだけはわたわたとしていたけど、なんとなく事情を飲み込んだらしい。
「そうしたらレア様を離していただけますか?」
「5、4、3――」
「ほら、収めましたよ」
ドゥーロが領域を収めたからといって、まだ安心なんてできはしない。
このケープが本当に防具としての役割があったとしても、ドゥーロに対しては無力なはずだ。
だって彼はドイを専門にする魔術師であって、このケープ程度簡単に燃やせてしまうだろう。
手元に居るレア。
これだけが唯一の保証だ。
領域外へのドイの行使は制御が非常に難しいはずだし、レアに当たる可能性を考えれば使ってくることはないだろう。
問題なのはリチやウィーニだけど――使ってきていない以上、現時点では攻撃の意思は無いのかも。
魔力隠しに関しても無しだ。そもそもそんなことができるのであれば、最初からそうしているはずだし。何せ私が魔力を見えることを知っているのだから。
「次は何をしたら?」
「その道具を置いて、両手を頭の後ろで組んで。……ティナ、服を裂いてくれる?」
「お、おう……」
以前にドゥーロがヴィヴロとハクナタは奴隷だと言っていた。
あまり時間を掛け過ぎるとハクナタが異変に気付いてしまうだろうけど、その頃にはもう遅いって奴。むしろ向こうから来てくれるならありがたいまである。
……もしかすると、私もこの2人みたいになっていたのかも、と考えるとちょっと怖いな。
だが勝ちは勝ちだ。
「おかしいですねぇ。"アンジェリアは気の抜けた方"と聞いて――」
「次勝手に喋ったら切るよ」
正直頭が回りきってないんだ。いちいち会話になんて付き合ってられるか。
「やってごら――」
「あっ」
人差し指の先を数ミリ動かした。
たったのこれだけで切れてしまうのだから、このダガーはちょっと怖い。手汗で滑らないように気をつけないと。
切るとは言ったが殺すとまでは言っていない。というかレアに死んでもらいたいなんて思ってないし。
「これ、魔道具らしくって。どうにも切れすぎちゃうんだよね」
切れすぎるというのも少し怖い。
まな板どころか骨ですら抵抗無く切れてしまうのだから。一体どこで手に入れたのやら。
私なんかよりもティナが持つべき類の武器だ。……あ、そうだ。
「ティナ、代わってもらえる?」
「えー……ああ、分かった」
この2人、思ったよりも素直に動いてくれる。
特にティナなんていまいち理解してないだろうに、なんでここまで行動が早いんだろう。
17人とか言ってたっけ? ま、いいか。
「スドゥプロさん、大人しくしててね。初めてだから」
しかしこの馬車、本当に揺れないな。サスペンションが有能なのかな? ってそうじゃない、今は紋入れ墨の方だ。
これ、正しく魔法陣を描かないと簡単に暴走しちゃうんだよね。
それだけ強力な魔法陣に対応してる墨だってことだけど……あ、やっぱりもう魔力は注がれてるのね。
「……何をするつもりだ?」
「奴隷にするってわけじゃないよ。描くのは初歩的な魔法陣」
背中でいいかな、キャンパス広いし。
まずは腰に二重の円を書いて、それからドーナツのところに一筆で文様入れてー……っと。
んで内側の円に表裏の記号と表である証を入れて、よし、完璧。
次は肩甲骨の間辺りがいいかな。
途中までは全く同じで、こっちは裏である証を入れて、完成。
送受信がどっちも同じ個体からだから、正しく動くかは分からないけど……ダメならダメでスプラッタになるだけだ。
「本物とは別物だけど、魔力封じの魔法陣の完成。今日から1ヶ月くらいは"魔抜け"だね」
描き入れたのは、古い魔道具から新しい魔道具へと魔力を移し替える際に使う魔法陣。
これも初歩的な魔法陣の1つで、複数の魔法陣を組み合わせて使うことがあるよーとかなんとかでテルーから教えてもらったやつだ。
一度でも魔力を使えば最後、全身の魔力が外に出たり中に入ったりを繰り返す。
ドゥーロくらいの魔力があれば全身の魔管が全て破壊されるはずで、もしかすれば脳や魔臓、心臓なんかもやられるかも。私みたいに魔石に覆われてしまう可能性もある。
これはつまり、前世風にいうとショート回路だ。テルーからはやるなと説明されてたけどー……まさか活躍することになるとは。
「スドゥプロさん、もう喋っていいよ」
「……一体何を」
「もし今後も魔術を使いたいなら、しばらくは安静にしてたほうがいいよ。私魔法陣描くの下手だからさ」
ま、何かしら起動はするとは思うけど。むしろちゃんと制御されるかの方が不安である。
機能しなかったらしなかったで暴走からの崩壊コースになるだけだろうし別にいいけどさ。暴走対策の魔法陣はちゃんと持ってきてるし、ここで自爆しようが関係無い話だ。
「……この後どうしよ」
「は、何か考えた結果じゃねーの!?」
「完全に勢いでやりました」
息が荒いし少し眩しい。
それにさっきから少しだけ現実離れしたかのような感覚に襲われている。
戦うか逃げるか反応とか言ったっけ。きっとそれが出てるんだろうなぁ。
ということは持続時間は……。
「……スドゥプロさんと話してもいいですか?」
「どうぞー。あ、ティナ、拘束はそのままね」
切れてしまった。
一度切れてしまった緊張の糸は、なかなか張り直すことは難しい。
この現状を見直して、むしろ後悔しているまである。
じゃあどこで間違えたのかって言われると……どこかと言い当てることも難しい。
馬車に乗らなければよかった? レニーの誕生月を祝わなければ良かった? ……歴史にifなんて存在しないなんて、もう十分分かってるはずなのに。
ダメだな、久々に癇癪を起こしてしまった。
収容所だっけ? の事もカウントすれば、呪人大陸に来てからだけでもう2回目だ。魔人大陸に居た頃は1回も起こしてなかったしー……うーむ、私はこの地と相性が悪いのだろうか。
……すごい、未だに手の震えが収まらない。まだ筋肉が緊張しっぱなしってわけね。意識はもう通常態勢に戻ったのに、体だけは臨戦態勢って感じ。