九十六話 選んだ未来と分岐点
1月1日。今日は生憎の雨。
塵が待ったりすることで、雨粒の形成が促進される……というのは俗説の1つだったような気もするが、しかしこの御降を見れば、ある程度の信頼性があるような気がしてきてしまう。
ヘッケレンでの年始の雨は縁起物とされているらしく、だからこその御降呼び。
意味としてもほとんど一緒で、今年は豊作になるのだそうだ。
似たような概念があることもあれば、全く違うものも数多い。
日本での元旦といえば家でゆっくり休む日であるはずで、こちらでもそれは一緒。
しかし三が日といったものはなく、明日からは今まで通りの日々が続く。
当時は根拠もなく考えていた。
今が歴史の最先端。
あそこが歴史の分岐点。
自分で選んだ未来は多くない。
でもあの時は、私は自分で選んでいた。
だからきっと、戻れるならばあの時だ。
戻れないなら、凍らせよう。
もう何も変わらないように。
◆◇◆◇◆◇◆
カンカン、カンカン。
今日は冒険者として働く日。
冒険者の朝はそこそこに早く、レアを含めた4人全員が早起きをすることになっている。
準備を進めてるうち、突然のノック音。
ハルアが来る時はもうちょっと遅いし、はて誰が遊びに来たのやら。
「アン、ゴー」
しっかりした鎧を着る2人に比べ、私の装備はかなり軽い。
支度が終わるのはレアの次であり、普段はこの時間を使って簡単な家事をしてるんだけど……どうやら来客の対処は私に投げられてしまったらしい。
「はーい」
と声を出してから気付く。果たして本当に私達への客なのだろうかと。
私達は別にご近所付き合いなんてしてないし、この町に住む顔見知りではなく知り合い以上となるとそれほど多くはない。
……ま、出れば分かるか。
扉を開けて、訪問者を確認する。
厚着の上からでも分かるグラマーな体型、黒っぽい肌、艶っぽい髪、見上げる必要のある身長。
えーっと、確か――
「ヴィヴロさん?」
「おはよう、エヘメロ」
レアの一行としてカウントしてたけど、確か彼女はドゥーロの従者の1人だと言っていた。
だからここを知ってること自体には驚かないけど……しかし何の用が?
それに、エヘメロって誰? ヴィヴロの視線は確かに私に向いてるけど……ていうかその後ろの馬車は何?
あ、ドゥーロっぽいの乗ってるじゃん。こっちに来て説明してくんない?
「まだ準備を終えてないの? これだから見習いは!」
「え、はい?」
一体何を言ってるんだこの浅黒ガールは。
「少し事情が変わりまして」
混乱している私に対し、突然小声になるヴィヴロ。
「アンジェリア様、今日からあなたはエヘメロです。
今すぐに荷物をまとめてください。すぐに出発しないといけません。
レア様とお二方もです」
「え、ちょっと、え?」
な、なんか知らんけど超展開!
……いやマジで何事なの? 私こういうのはもうちょっと説明欲しいんだけど?
いや、でもなんかあれだな。すっげー真剣な表情ていうか、切羽詰まってるっていうか。……とりあえず、言われた通りにしておこう。
「まだ掛かるの? はぁ……もう少しだけ待っててあげるから、早くして」
「は、はい!」
さっきからの彼女は演技ってやつで、つまりは私達の関係を悟られないようにする必要があって、もっといえば何かしらに現在も聞かれたりしている可能性があると。
……というくらいしか分からん。なんか厄介事に巻き込まれてる気がするんだが? 今度は一体何なのさ?
私の支度はもう終わってるからいいとしてー……別に荷物も多くはないし、片付けるべきは食品くらいか。
あ、あの3人にも声を掛けておかないと。
「誰だった?」
「とりあえず、今すぐ荷物をまとめてここを出る必要があるらしい」
「……いや、誰が居たの? つか何事?」
「ヴィヴロさんとドゥーロ。詳しいことは分かんない」
説明しろと言われても、説明できるだけの情報を持っていないのだ。
これに従うってのは私の勘でしかないし、だから強制することはできないんだけど。
「話が見えないんだが」
「私も見えないんだが」
「アタシも……ってふざけてる場合じゃない系?」
「多分。なんかやばそーな雰囲気」
「移動するということか?」
「多分」
まだギリギリ着替え終わってない2人は案外飲み込みが早く、会話は切り上げとばかりに一気に旅支度を進める。
と思いきや、動いてるのはティナだけだ。どうしたロニー。
「スドゥプロさんが来られてるんだよな。ハルアさんは?」
「いや、見えなかった。……なんで?」
「……なんでもない。急ぐとしよう」
ほんの少しの違和感が燻り始める。
……としたいところだけど、今はレニーの言うとおり。どうせ馬車の中で説明が入るだろうし、その時に考えればいっか。
豆粒みたいに小さくなった人魔石を回収しつつ、冷蔵庫の食品を片付けつつ、畳んである洗濯物を仕分けつつ……。
「一体何が起きてるのです?」
「後でドゥーロが説明するって」
「そう言われましても……」
2人に比べ、レアの行動はかなり遅い。
いや、逆か。あの2人の切り替えが早すぎるだけで、これこそが普通なのか。
ぶっちゃけ私もよく分かってないし、説明しろって言われてもできないのだ。
予想することも少し難しい。
例えば私が何かしらに狙われていてー……ドゥーロがそれを助ける理由は分からないけど、別にありえない話じゃない。
直近でいえば、ヘイラーが敵対してるとかいうのがやんちゃしてきてるとか。
もう1つがレア自体が何かしらに狙われていてーなパターン。今度は私達を巻き込む理由が分からないけど、こっちもやっぱりありえない話でもないような。
色々と想像することはできるけど、どれも決定打にはならない。
「レアも行かなきゃダメなんだって」
「またですか」
「またって?」
「以前もあったんです。突然逃げるように移動したことが」
と思ったけど、原因はレアにあるのかもしれない。
もちろんドゥーロやハルアなんかって可能性もあるけど、それよりかはレアの方が分かりやすい。
この人、色々特殊な人みたいだし。なんてったって聖女様だし。
つまり私達は巻き込まれか。
「じゃ、支度して」
「旅支度のことなら、既に終えていますよ」
あら、特に何かをしてる風には思えなかったけど……いや、そうじゃない。いつでも移動できるようにしてあるのか。
ま、私達としても都合がいいっちゃ都合がいい。そろそろ"根が生えて"きそうだったし、なんとなーく移動しようぜって雰囲気はあった。
「終わったぞ!」
「こっちも」
「よし。よく分からんけど出発しよう」
偉い人と関わってしまった時点で、こういうことに巻き込まれる可能性は十分あった。
そして私は、どこかこういうのを期待してしまっていた。
逃避行ってなんか楽しそうじゃん?
◆◇◆◇◆◇◆
訳の分からぬままに馬車へと乗り込んだ私達。
中に居るのは私達とレア、ドゥーロ、そしてヴィヴロ。ハクナタは御者台に座っており、この馬車の操縦を任されているらしい。
しかしハルアとイラーナの姿が見当たらない。このメンツから考えるに、ここに居ないというのは違和感があるが……聞いてみないことには分からないか。
「お掛けください」
ヴィヴロとは確かに話したことはあったけど、本当にちょっとしたものであって、顔見知り以上だということもない。
とりあえず、言われた通りに座って……おお、なんか予想以上に体が沈む。……太った?
「やわらかっ」
ティナの反応を見る限り、別に私が太ったってわけでもなく、単に座席に使われてるクッションが上等なものというだけであるらしい。
……馬車、か。今まで乗ったことがあるのは荷馬車だけだったし、人を乗せる用の物に乗るのは初めてだ。この馬車だけがこんなに柔らかいってわけでもないのかも。
あ、動き出した。
「それで、一体何が起きてるんです?」
馬車の構造の方に頭が行きそうになったけど、レニーの声がそれを阻んでくれた。
そうだ。まずは現状把握といかないと。
「宗教戦争はご存じですか?」
「……言葉から意味は察せますが、それは固有名詞的ですか?」
「後者です」
「多少は、ですが――」
沿岸語を学ぶために買った本のうち、いくつかにそうした記述があったのを覚えている。
ウラーフ・イナールという中部の大国……というか連邦? の内戦の話だ。
雑にいえば、この大国ウラーフ・イナールは元々八神教を国教としていたのに、気付けば国内の多くの領主がエヴン教の信者へとなってしまっていた。
で国教変えようぜみたいな運動が始まって、そのうち大規模な内戦が始まるも、その混乱に乗じて"砂漠の民"が攻めてきて、なあなあになってしまったとかいう奴。
確か今でも八神教が国教だったはずだけどー……でもそれって64年以上前の話でしょ。
「我々は目の敵にされていますからねぇ」
話を聞くうちに、どうにも大司教という言葉の認識が少しずれていることが判明した。
スドゥプロとハルアが大司教であることは確かなんだけど、これは名誉職っていうか、実権が伴ってないというか。
八神教は司教、司祭、助祭、輔祭の4つの位階がある。大司教ってのは枠組みとしては司教に属してはいるらしい。
けどある条件を満たすことで誰でもなれてしまい……司教との最も決定的な違いとして、叙階と呼ばれる他者の任命が行なえないようだ。
んである条件って奴だけど、"神の奇跡"ってのを起こせてしまえばいいんだとか。
ハルアの場合は降雨。
旱魃に苦しんでる地域に赴き、雨を降らせてあげるだけであの"ユークル"を名乗る権利が手に入ると。
その権利を持ってる者の中から数人がなんちゃら会議で選ばれ、実際に名乗れるようになる。
「エルミナ・ユークル・ハルア」ってのはそれ全体で名前って感じじゃなくて、「水の神を宿すハルア」と訳したほうが正しそうだ。
つまりドゥーロは"雷の神を宿す"スドゥプロとなる。なんだか強そうな名前だけど、大司教とは大魔術師的な意味のほうが強いらしく、話を聞くに本当に強いんだとか。
ここらへんは本題じゃないけど、面白そうだから拾ってみた。
本題の方だけど、要するにエヴン教強硬派の残存勢力が要人であるレアをぶっ殺せーとなってるだけらしい。
そしてエヴン教にとっては魂子自体も敵であるらしく、なぜか私も槍玉に上げられちゃってると。
いやおかしくない? なんで私なのよ?
と聞いてみれば、「アンジェリアという魂子をレアが探している」という情報が漏れたらしい。漏らすなよ。
ま、つまりは私もお尋ね者になってしまったわけだ。兄妹揃ってお尋ね者とか、ロニーとサンが知ったらなんて言うだろう。
この"敵"も町中では基本的には大人しいらしく、今まで危害を加えてくることはなかったんだけどー……昨日のあのお祭り騒ぎの中、以前にレアが使っていた宿舎が爆撃されたらしい。
爆撃て。字が怖いですよ字が。
レアはこっちに泊まりこんでたし、"幸いにも"怪我人が出ただけで済んだという。
しかし町中での攻撃という想定外の事態が発生したため、あいつらが町の中に居る今のうちに本拠地に帰っちまおうぜってのが現状。
ちなみに彼らの襲撃対象にはドゥーロとハルアも含まれてるらしく、ハルアには"餌"としてあっちで生活してもらうらしい。
なんかさらっととんでもないことを言葉が聞こえてきた気がするんだけど……知ってる人に死なれるのはなんか嫌だなぁ。知らない人なら別にいいけど。
「ドゥーロとレア、おまけで私も危ないと?」
「そういうことです」
「魂子だからって、なぜ?」
ていうかこれだよこれ。なんだよエヴン教って。魔法使い差別に続いて今度は魂子差別ですかっての。
「神の定めた命の理を破ってしまっているらしいですよ。破ってしまったのですか?」
「いや、全く知りませんが。死んだと思ったら生まれ変わってただけなんですけど」
「でしたら、逃げましょう」
なんだなんだ本当に何なんだ。
せっかく平和な日々が続いてたと思ったのに。……まあキネスティットで生活するのにもちょっと飽きてたところだけどさ。
逃げるのは面白そうーとか思ったけど、まさかその標的に私まで含まれてるとは想像外だ。
つかなんだ狂信者って。そんな簡単に人を殺すな。そういう無差別殺人はよくないぞ。私みたいにきっちり線引をするべきだ。
「ところで、エヘメロって?」
「聖人エヘメロより。いかがです?」
どう、と言われても。
今の名前はそこそこ気に入ってるんだけどなー……名前隠す必要があるってなら仕方ないけどさ。
しかし、聖人て。いよいよもって宗教って感じがしてきたぞ。
「その方はどのような?」
「彼は唯一の西の大陸の上陸者です。
我々が何気なく口にする作物も、その一部は彼の功績によるものです。
北では豊穣の祈りを込める際、そう名付けられます」
"西の大陸"とはすなわち私の知る東の大陸のことだろうか。
上陸すると突然燃え上がるだのなんだのと聞いたことがあるけど……運が良くというべきか、とにかくエヘメロって人は生き残った。
んでそっち由来の食物をー……って、それ確実に向こうに何か居るってことじゃん。おそらく人が。
「豊穣ですか」
「氷漬けにするのとは正反対でしょう?」
「氷漬け?」
突然なんだ、保存食か?
「失言です。聞かなかったことにはできませんか」
「……まあ、時間もなさそうですし」
ドゥーロによれば、さすがの敵さんも町を出るまでは何かしてくることはないだろうとのこと。
それはつまり、外に出てしまうと攻撃されるだろうということにもなる。
そして目前にはキネスティットと外とを隔てる門。
「何かできることはありませんか?」
私だって一介の魔術師ではあるわけで、防御はあんまり得意とはしてないけど、攻撃ならそこそこにイケる口のはず。
もう初めてってわけでもないんだし。
「舌を噛まないよう、静かに座っていてもらえますか?
それと、外は見ない方がよろしいかと」
「……分かりました」
しかし色好い返事はもらえない。
……色好い? ということは、私は誰かを殺したい? ……まさかぁ。