九十二話 二度と潜った 5
――じゃないかな」
「オーク、ですか」
「私も直接見たわけじゃないけどね、大体そんな感じみたい」
レアを看取るという魔物。話を聞いてみるとどうにもオークであるようだ。
ゴブリンの緊急クエストの時に混じってたとは聞いてたけど……ゴブリンとは違い森の住人であり、遥かに強力で、そして頭も良い魔物。
「こちらではエルゲンヒエムにだけ、ですか」
「あっちでもダールの東の大森林くらいでしか聞いたことない」
しかしその生息域は非常に狭く、呪人大陸・魔人大陸のそのどちらでもあまり数の多い魔物ではないらしい。
「では、私はそのどちらかで――
◆◇◆◇◆◇◆
一時的にパニックに陥っただけ、と私は結論付けることにした。
ティナとしては私の反応は予想外であり、発水されて自分もびしょ濡れに~みたいな流れを期待してたらしい。そんなん分かるか。
別に仲悪くなりたいってわけでもないし、今度なんか奢ってもらうってことで手打ちにした。
ホントはクリーナーを持ち帰りたかったんだけど……まあそれはいっか。慰めてくれてるスイテン可愛いしもう許した。
1階層がぬらっとした土でできていたのに対し、2階層は今のところ天井と壁は長方形の石材によって作られている。
大体3m間隔くらいで松明が飾られていて、私達が近づくと自動的に点灯されていった。なんだか突然ファンタジーなところに来てしまったような気分。
天井までの高さは8mを少し超すくらいで、通路の幅もそのくらい。松明やらもかなり大きく、自分が小さくなってしまったかのような錯覚すら覚える。
床に目を落としてみると、ここだけは材質が少しだけ異なっている。
割ったばかりの黒曜石のような光沢がある灰褐色の……残念ながら私の知識の中だけでは該当するものが見つからないけど、こっちもおそらくは石材。
僅かな魔力で"水よ、溢れよ"と唱えてみれば、第1階層と違い発現した水が通路の端へと流れていくのが確認できる。どうやら床面は微妙に傾いてるらしく、また壁と床の間には微かな隙間があるらしい。
「水?」
「どうやって吸収されるのかなーって」
大蟻のダンジョンやここの1階は床は天然物っぽかったし、水は床自体が吸収していた。
しかし2階層で床に使われているこれには水を吸収する効果はないらしい。……素材によって何か違うのだろうか?
「ねえ、壁に水弾撃っていい?」
「1発だけなら」
「もう一声」
「2発」
まずは壁に――水よ、撃て。
……なるほど、素材は違うっぽいけど1階層と違って壁自体が吸収するなんてことがない。水が増えると床の隅に小さな水たまりができる、と。
次は天井に――水よ、撃て。
……うん、同じ素材なのかな、やっぱり吸い取らないね。そして天井の隅は床の隅と違って吸収されない、と。
「……楽しいのか?」
「かなり」
これらの石材の裏側には土が広がってて、そこまで到達して初めて吸収される。と予想してみたけど、今のところ間違ってるようには思えない。
だとすれば、あの"守護者の間"は普通に1階層とした方が正しいのかも。
守護者の間以外が普通の土でできてるのは単に予算不足で、本来は1階層も全てああするつもりだった、と。……ダンジョンに予算なんて概念、あるの?
「変じゃない?」
「自己紹介?」
「レニーさん!?」
私のどこが変なんや!
「ここはダンジョンだ、気を引き締めよう」
「と言われましても」
2階層へ降りてからの最初の部屋には当然魔物は居たけど、魔力生物なんてのは出てこなかった。
あそこに居たのはその全てが鎧人形とその亜種であって、レパートリーはかなり少ない。
無事に部屋を切り抜けた私達は、次の部屋を目前に足を止めてしまっている。
2階層は大部屋1つと小部屋が2つだと聞いた。
さっき抜けた部屋は1つ目の小部屋で、目の前には大部屋への扉がある。
大部屋を抜けた先にコアルームがあり、コアルームの奥にいわゆる"ダンジョンマスターの部屋"と言われている小部屋があって、そこがこのダンジョンの最奥らしい。
つまりこれは"コア守護者"の部屋へと繋がる扉。1階層のものと違い普通の魔物も湧くらしいし、普通に奥も見てみたいんだけど。
「これの開け方が分からないことにはねー……」
誰かが鍵でも掛けてしまったのか、あるいは錆びでもしてしまったのか。
何にしろ、この扉はうんともすんとも言わずただ佇んでるだけなわけで。
「通路より扉のことを考えないか?」
「そっちも並行中だよ」
カクだったかな? が以前に「ダンジョンは水を掛けると崩れてしまう」的なことを言っていた覚えがある。
この扉の地盤に水を与え続ければ、そのうち沈んでくれないかな? とか考えてみてたんだけど。
「残念ながら水攻めはダメらしい」
「壊すよりも開ける方向にしないか?」
「と言われましても」
まずは普通に押してみて、戦士の2人に疲労というデバフが掛かってしまった。
次にレニーのスクロールを当ててみて、私に意気消沈のデバフが掛かってしまった。
更には足場を作って扉の観察。高いところに鍵穴が開いてたりなんてことはせず、この扉はただの一枚岩だってことが判明しただけ。
他にも魔術ぶつけてみたりだとか、とにかく色々――思いつくことはもうやっちゃったんだよね。
「ティナ」
「はい!」
「これ切れる?」
「……まだ怒ってる?」
「いや、結構真面目。無理だよね?」
「無理無理。剣が可哀想になるぜ」
この扉が本当に鉱物でできているのかはともかく、残念ながら切ることはできないらしい。
……まあこれで切れるってなったら今までの時間はなんだったんだって怒ってただろうし、それ以上にドン引きしてたろうけどさ。
「レニー、ホントに何も知らないの?」
「入る時は最初の部屋を掃除しろ、出る時は向こうの部屋を掃除しろ、とだけだ」
こっちももう試し終えてしまっている。
2階層の最初の部屋の魔物は全部掃除してしまったわけで、漏らしがないかとの再確認もしたわけで。
なんで閉じてるの?
「……バグ?」
「バグ?」
「あ、いや……」
はて、ホントに何も浮かばない。
コリジョン判定がしょっぱかったり壁の裏で湧かせちゃったりで無限に落下し続けてるバグが浮かんでるレベルで何も浮かばない。
……壁の裏? あ、でも惑景もないって聞いてるしなぁ。うーむ。
「……一応、もう1回あの部屋見てみる?」
「何か分かったのか?」
「ただの再確認だよ、残念ながら」
再確認は1回しかしてないわけで、実は隅っこの方に隠れてたなんて可能性も……まあ多分違うだろうけどさ。一応ね。
「スイテンも行きたいの?」
足にじゃれついてるスイテンが――あ、こいつ犯人では?
「一旦スイテン戻せますか?」
「ん、ああ。水貂解放」
ハルアの声が聞こえると同時、スイテンから凄まじい量の魔力が吹き出し目が眩む。
あーちかちか……普通の目の方でスイテンが見えてないってことは、きっと全ての魔力を吐き出し終えたんだろう。
寝る時や町中なんかではハルアの"内側"に入ってるらしいし、精霊ってのはよく分からない。と――地響きのような音が聞こえ始め、扉が独りでに動き出した。
「……俺が悪いの?」
「可愛いは正義。なのでハルアが有罪です」
「なんだそりゃ」
ダンジョン内の魔物って実は全てが魔力生物らしいんだよね。この言い方だと語弊があるかな? "魔力でできた生物"って意味じゃなくて、"魔力世界由来の生物"って方の魔力生物。まあ魔力でできてるのは確かだけどさ。
外の世界の魔物を模倣するし、実際に大量の魔力を持ってはいるから、しっかりと魔石は作られる。
でも身体自体もただの魔力であって、だからダンジョンからの魔力の供給が途切れてしまう外の世界――つまりは物質世界に出してしまうと、魔術と同様"終了"してしまう。
ダンジョンの魔物からは魔石しか持ち出せないってのはこれのせいらしい。
以前にレアが、精霊ってのは物質世界じゃなくて魔力世界由来の生物だと言っていた。
それに飼い主であるハルアも精霊のことを魔力生物の仲間だと言っていた。
だからダメ元で仕舞ってもらったんだけど……まさか本当にこれだったとは。
「引くぞ!!」
「え、なんかヤベーの居る――んなあああ」
突然レニーが大声を出し、ティナを抱えてこちらに向かって――わ! わ、私も運ばれるのね。
んー……まだ眩んでてなんとなくでしか分からないけど、どうやら"魔力生物"を引き当ててしまったらしい。
◆◇◆◇◆◇◆
ダンジョンの通路からは魔物が湧くことはなく、幼いダンジョンであればあるほど通路はほとんど安全地帯になる。
という情報のせいで、ぶっちゃけ私はかなり気を抜いていた。
ある程度年を取ったダンジョンであれば、魔物達に一定のルートを巡回させたりすることの方が多いらしいけど……"六花の洞窟"は非常に幼く、ダンジョンの赤ちゃんといってもいい程度の規模でしかない。
魔物達は別に部屋から出れないってわけでもなく、こちらに気付いた場合なんかには普通に追いかけてくる。きた。
とはいえ小部屋の魔物は掃除済みで、通路は途中で2回も直角に曲がってて、扉のせいで実質的な行き止まり。
ここまで条件が揃ってるなら気を抜いても仕方ないと思わない? ダメ? あ、そう。誰と話してんだ私は。久々にボブとアンジェリーナでも呼びだしてやろうか。
ま、そんなこんなでぐでーっとしてた私は見事にレニーに攫われてしまい、階段のある部屋まで運ばれたんだけども。
「ねえティナ、階段前って"安全"地帯じゃなかったっけ」
「アタシに聞くなよ。つかいつ降ろされんのこれ」
「この状況で療術とか絶対無理。ハルアかレニー待ち」
私達を抱えてここまで走ってきたレニーだけど、この部屋に入ってすぐに動かなくなってしまった。どうやらレニーを追ってきたあの霊らしき魔物が束縛の術を掛けてしまったようだ。
安全地帯ってのは魔物が入ってこないってだけで、残念ながら攻撃までは防いでくれたりはしないらしい。そして霊は底なしかってくらいに攻撃魔術を使ってくるわけで。
「そろそろ張ったほうがいいかも」
「リズ・ウニド・クニード、ドイ・レズド。……これ何枚目だっけ?」
「13か14くらい。つか盾めり込んでてクソ痛いんだけど」
「我慢しよ。私も肋骨がかなり痛い」
抱えられたままという、なんとも情けない格好で魔術を防ぐことになっている。
レニーの足が速すぎてよく覚えてないんだけど、どうにもハルアとはぐれてしまったらしい。
といってもここまでは一本道だったわけで、つまりはハルアは安全地帯の向こう側に居るってことになる。
「ねえ、ハルア来れると思う?」
「さすがに無理だろ。通路詰まってんぜ」
安全地帯には結界でも張られているのか、魔物は通路よりこちら側に来ることはできないみたいだけど……あんなにも広い通路だというのに、上から下までびっしりと魔物で埋まってしまっている。
幸いにも束縛の術はドイ・レズドの掛かった氷壁で防げてるっぽいけど、既に掛かってしまったものは解除できない。
あの霊らしき魔物は、どうにもウィーニっぽい魔術を連発してきてるらしい。
ウィーニに対して決定的な防御術というのは存在せず、現象魔術に対しての万能防御術はドイ・ウニド・レズド・クニードの雷壁なんだけど、残念ながらお互い使えないしスクロールも持ってない。
物質魔術への万能術はエレス・ウニド・クニードの土壁だけど、氷壁も同じくらい物質魔術には強い。そしてこの2つは別に現象魔術を防げないなんてこともなく、だからこれにしてみたんだけど――。
「なんか1箇所だけ狙われてない?」
「狙われてる。もう1枚行こう」
「リズ・ウニド・クニード、ドイ・レズド。うーしんど」
ウィーニ・ダンか何かの魔術に対しては、氷壁はあんまり強くないらしい。さっきから表面が削られまくってる。あいつはかき氷職人か何かか。
エレスならもう少し防げるはずだけど……残念なことに私はエレスが含まれてる術式に対してドイを与えることができない。
地面タイプって電気無効じゃなかったっけ? って思ったらダメになってしまった。ここにきてまた前世のイメージ、っていうかあのゲームが足を引っ張ってる。
こんなに頻繁に魔術を使わなきゃいけない状況で、デルアやアルアの含まれる術を発現させるのは不可能だ。
そしてハルアが戻ってくる保証もない。
となれば、もうレニーに自力でなんとかしてもらうしかない。
「なあ、"流"で"弾"を曲げたりできねーの?」
「できるけど……レニーがいつ戻るか分からないから、無駄な魔力は使いたくない」
「アンの魔力尽きたら死ぬ?」
「あと128枚はいけると思うけど。リズ・ウニド・クニード、ドイ・レズド」
いくら私の魔力が多いとはいえここまで頻繁に、しかも計5術とはいえドイを含む術式を連発しなきゃいけないとくるとさすがに不安にもなってくる。
最初の氷壁は5分くらい保ってたのに、今や1分と保たないはずだ。
完全に破壊される前に張り直す必要があるし、実質的には30秒くらいしか耐えられず、ということは雑に考えても1時間程度でタイムリミットが訪れるということになる。
「どうしても脱出できない?」
「無理。コイツ闘気全力のまま束縛されてる」
「電流でなんとかならない?」
「アタシらブレスレットつけてる」
本人の魔力を僅かに吸い取り続ける代わりに本人が受けた術式からドイを取り除いてくれるという耐電ブレスレット。戦士連中のほとんどはこれを着けてる。
魔力を吸い取り続け……っていっても術式の発現に使うわけではなく、本人が使う魔術に支障が出ないようにするためのものらしい。ティナがドイ・ゾエロを使えるのもこの性質のせいだ。
2箇所以上に装備しなくちゃいけなかったり、消耗品の割には結構高かったりと、探せば欠点も多いけど……それでも便利な道具であることに変わりはない。
しかし敵に回すとなるとこれほど厄介なものも珍しい。
ティナとレニーは2人ともが両手首に2つずつつけてたはずで、つまりは手首から先にしかドイが効かないってことになる。
「リズ・ウニド・クニード、ドイ・レズド」
私達はそれぞれ抱えられてるけど、ブレスレットを焼き切るでもしなければ腕の闘気を消し去ることはできない。
じゃあ焼き切れるかと考えてみれば、正直現実的じゃない。製作者によってかなりのばらつきがあるけど、平均すると私の魔力半日分くらいは余裕で耐え切ってくる。
両腕に2本ずつ着けてるってことは、2本か3本は焼き切らなきゃいけないわけで、つまりは最低でも1日分の魔力を使う必要がある。
……運が良ければいけるかもしれないけど、運が悪ければ耐えられてしまう。私の運の悪さは私自身が1番知っているし、こういう賭けっぽいのは選びたくない。
「というわけで耐えよう」
「何だよ"というわけで"って」
「賭け事は苦手なの」
ま、賭ける対象が自身の魔力からレニーへと変わっただけだけども。責任転嫁ってやつ?
ていうかハルア大丈夫かな。2級の魔術師でもあるんだから早々死んだりはしないと思うけど……ちょっと楽観的すぎるかな。
いくら療術の無詠唱が可能な魔術師だといっても、1発で意識を飛ばされてしまえば簡単に死んでしまう。
ここは現実であってヘルスバーなんてのは存在しない。雪下ろし中に滑り落ちただけで死んだ人を数人知っている。そのうちの1人はロニーの教え子だった。
通路の魔物はひらすらにこっちに向かってきてる。下の方の魔物なんてもうぐちゃぐちゃに潰れてしまっている始末。
これだけこっちに魔物が向かってきてるってことは、ハルアが生きてる可能性の方が低いのでは?
「リズ・ウニド・クニード、ドイ・レズド。
……ねぇ、ハルア生きてると思う?」
「あの扉の向こう側に閉じ込められてたりしてな」
ああそっか。その可能性が……あるのかなぁ。
ハルアの位置を確認するだけの余裕がなかったけど、扉からは魔物が溢れ出てきていた。
だのにそれを逆に向かう? ……中々難しい話だと思う。
けど仮に、もし本当にあの扉の向こう側に行ってたなら。
魔物達が全部こっちに向かってる説明が付くし、ハルアが出てこない説明もできる。
きっと"部屋の外"に魔物が居るせいで、あの扉が開かなくなってしまっているんだ。
大部屋の魔物を全部倒しても開くらしいけど、その魔物の一部はこっちに出てきちゃってるわけで。
もしこの魔物達が"大部屋の魔物"としてカウントされてるなら、ハルアはどうしようもないんじゃないか?
◆◇◆◇◆◇◆
ウッソだろおい。
勝手に閉まるとか聞いてねえぞ。
却って都合がいいか。
しかし本当にダンジョンにまで関わってくるとは……そろそろマジでヤバいかもなぁ。
「どう思う?」
『いいから飯』
『モットクレ』
『こっちにも』
ったく会話が成り立たねぇ。つか、ダンジョンの中ってあんまり水使っちゃダメなんだろ?
「お前らはお留守番。影姫皆じ――」
『ヤダ』
「あぁ? なら返せよ」
『ヤダ』
「なら働け」
『ショウガナイ』
どうしてうちの精霊共はここまでへそが曲がってるんだか。誰に似たのかね。
『誰が解いたのやら。何にしろ、ここに居るべきじゃないだろ?』
明らかにヤバいオーラの見える魔物に対して声を掛けてみる。
あいつらが言葉を解さない魔物だってことは分かってる。これはただの独り言だ。
『なぁ、――さんよ』