八十七話 耳と声
実はこのメンバー、誰1人としてハルマ森より北側には行ったことがない。
だからと言い切れるわけでもないけど、道中は「六花のダンジョンってエルムニトの方が近くね?」という話でそこそこに盛り上がった。
盛り上がりきらないのは私達があのダンジョンに対してあまりいいイメージがないせいと、それから誰もエルムニトに行ったことがないからだ。
キネスティットは地図に記載されている位置よりも少し西にズレているようだし、規模ですら地図で見るよりも明らかに大きい。精度のいい地図は発行してはダメみたいな決まりでもあるんだろうか?
百聞は一見に如かずとはよく言ったものだと思う。
でも誰もヘクレットの方が近いとは言わなかった。ヘクレットもかなり近いと思うんだけどなぁ。
◆◇◆◇◆◇◆
「マジ臭いって」
「匂いでバレそう」
「やめたほうがいいのでは?」
喧嘩というかじゃれ合いというか、バカバカ合戦が終わった後にハルアは"あるもの"を取り出した。
私達が口を揃えて批難しているのは、ハルアの口元でくゆる"あるもの"。
「魔除けの匂いだっつの」
「でも臭い」
「避ける必要あります?」
「健康に悪そうですが」
あの海賊料理長ですら海外だと飴に変えられてしまっていたわけで、もしこの世界がアニメの世界だとしたら、きっとハルアはソーセージでも咥えた状態で描かれるのだろう。
……どうなんだろ、葉巻ってどういう扱いなの? 煙草なら吸ってたけどこれは吸ったことがない。
ていうか魔除けって。
魔除けのなんちゃら系に何の効果が無いことは私の持ってた指輪が証明済みだ。拉致られた時に行方不明になっちゃったけど、別に惜しくもなんともない。
あ、でも煙草とかって元々は"魔除け"的な効果が信じられて発展してたりするのかな? あるいは原始宗教でたまに見かけるトランス状態に行くための……みたいな? お酒はそんな感じで発展した地域もあったと記憶してるけど。
「それ、気持ちよくなるんですか?」
「ッ! ゲホッゲッ……突然何言い出すんだこのちびっ子は」
「誰がちびっ子だ! ヒゲオヤジ!」
あーなんだろ、ティナとかカクとかに言われた時と違ってマジで腹立つ。
いや、別に他の人なら腹立たないってわけじゃないよ? でもなんというか、ベクトルが違うというか……あ、そうだ。
「スイテン、水掛けちゃえ!」
スイテンは今も発現中――この呼び方が正しいのかは分からないけど――、雲になるのは飽きたのか、現在はハルアの頭の上で小さく丸くなっている。
さて、私の言葉は……よっし! いいぞ、もっと掛けてやれ!
「んでお前までそっち側な――!?」
「ざまあ」
スイテンから発せられる水はスイテンの気分次第で消すことができてしまう。
だから実際に乾かしたりする必要はほとんどの場合で無いんだけど、とはいえ魔術の水を掛けられた火はそれが魔術の火でなければちゃんと消える。
何が言いたいかっていうと、スイテンはしっかりと火を消してくれたということである。
「ていうかなんで突然そんなものを」
「町中じゃ吸えないんだよ。俺、これでも大司教様なんだぞ」
……まあ確かに、太った聖職者がお菓子を食べてるのは見様によっては微笑ましいまであるけど、煙を吐いてる姿はいい印象には結びつかない。
実際に吸ってた身からすると「ストレス溜まってるのかなぁ」とちょっと心配になるまである。
「ところでアンジェリア、いつから喋れるようになった?」
「え、何ですか突然に」
なんか突然ガチトーンに切り替わったんだけど。初めて会った時はこの顔だったな、ふざけてないとやっぱかっこいい。
えーっと、確か半年の頃にはもう結構聞き取れていたような覚えがあるけど……喋る方はどうだったかなぁ。10ヶ月とかそこら辺?
「水貂が『この人の言葉は分かる』だってさ。精霊術は本当に知らなかったのか?」
「ほ、本当ですよ……え、誰でも話せるわけじゃないんですか?」
「俺も生まれつきだから詳しくはないが、普通は話せるようになるまで時間が掛かるらしい」
話せる、といわれてもいまいち理解できない。
スイテンが喋ってるようには全く聞こえないし、なら単なる一方通行だ。……精霊術師とやらならスイテンの声も聞き取れるってこと?
「仲間だな」
「……えー」
「んだよ、俺と一緒じゃ嫌なのか?」
「嫌です」
普通の人の声は精霊には届かない、つまりスイテンはレニーやティナの声を聴くことができていないらしい。
ハルアは生まれつき精霊に声を届けられる体質だけど、言い方的には後天的に獲得できる技術のよう。ならただ珍しいってだけで特別ってわけではないのかな。
そしてどうやら私もハルアと同じ体質であり、実際にスイテンへと声を届けることができていると。
……いや、別に声に魔力載せてないですよ? 1歳の時に現れた化物と、レニーと一緒に受けた昇級クエストでゴブリンと、あとは土虎と少し話したことはあるけど、逆にいえばそのくらいでしか使ってないわけだし。
あ、ゴブリンの時は聞いただけか。じゃあ人生で2回しか使ったことのない謎の技術ということになる。
その2回が2回共に意識的にやってたわけで……ん、声? なんか昔あったようなー……なんだろ、もう喉元まで来てるんだけど。声だけに。
「どういうことなんですか? 精霊と話せるって」
「俺も詳しくないっつの。なんでも生まれつき声に魔力が載ってしまってるらしい。……見えるか? あー――」
魔力視の精度をかなり引き上げて……んー……言われてみれば……確かに微かに載ってるような……?
え、私の声もこうなってるの? こんなに薄いのとかさすがに直視できない自分の魔力じゃ気付けないぞ。いや、全力で見てようやくって感じだし仮に直視できてたとしても気付くのにはかなり時間が掛かったはず。
日記を確認しようにも、今手元にあるのはサークィン以降のものだけだし……うーん、すぐには確認できないか。そのうちダニヴェスに帰ったら漁ってみることにしよう。
予定がまた増えちゃった。これは予言されていませんように、なんて祈ってみたり。ちょうどアステリアも本気出してきた頃だし、日差しついでに叶えてくれないかな。
「確かに、言われてみれば僅かですけど――」
「俺らは選ばれし者なのさ」
「あ、そうですか。それはよかったですね」
「何でもいいから感情込めてくれ。無はキツい」
しかし本当に思い出せないな。実はただの勘違いだったり? ……私のことだ、十分にありえる。私の記憶力の低さを1番知ってるのは当然私なわけで。あんまり期待しすぎない方がいっか。
◆◇◆◇◆◇◆
翌日の太陽が真上に来た頃になって、ようやく東ハルマ森に到着した。
浮かぶ雲を雨にしてしまったせいか、今日は恨めしさを覚えるほどに晴れている。
ハルミスト村は道中寄れなくもない位置にあったはずだけど、特に誰も何も言い出さなかった。
ハルアはカクから何か聞いてるのかもしれないけど、単純に知らないだけなのかもしれない。
「あ! ハルアとハルマって似てね!?」
「だからどうしたバカ」
「バカしか言えねーのかよ燻製」
「く、燻製」
どうやら男の子よりも女の子の方が成長が速いらしい。
いや、会話の切り出しは十分子供っぽいけども。あんまり人の名前をいじってはいけない。アンにあーんとかマジでやめろ。
「どうして燻製なんだよ」
「いつもモクモクしてんじゃん。山火事でもいいぞ」
「……レニー、助けて」
「お断わりします」
「アン――」
「消火はご自分でどうぞ」
……なんだろ、ハルアは話せば話すほど残念なイメージが定着しつつある。
黙ってればイケメンなんだけどなぁ、どうしてこうも悲しい感じのキャラを作ろうとしてるんだろう。明らかに演じてるよねこれ。半分くらいは素かもしれないけどさ。
いや、「こんなイケおじがここまでアホなワケがない」的な考えが私の中にあるせいでバイアス掛かってる? ……黙ってればホントにかっこいいんだけどなぁ。葉巻も結構似合ってるし。
「ねぇ、一口だけちょうだい?」
「ガキには早い」
「私は大人だ!」
前世じゃかなりのヘビースモーカーだったこともあり、ぶっちゃけかなり気になっている。
そりゃ吸ってない今の方が健康的なのは確かだけど……一口くらい、ダメ?
「アン、オヤジ臭くなっちゃうぞ」
「健康に悪いぞ、やめておけ」
「全員で否定してくるじゃん」
……そんなにダメ? まあ別にいいけどさ。またニコチン中毒になんてなりたくないしさ。でもこの匂い嗅いでるとなんとなーく欲しくなってくる。
つまりハルアがやめればいいのでは?
「背も伸びなくなるぞ」
「エル・クニード!」
「……わあったわあった、もう森にも入るしな」
別に消火目的で使ったわけではないんだけども。
しかしハルアの言うとおりでもある。ここから先はダンジョンと相互に作用し合っている東ハルマ森であり、つまりは魔力世界へと足を踏み入れることになる。
……なーんてね。色々説明されたけど全然実感湧かないや。だってちょっと魔力濃いだけの森にしか見えないんだもん。
レアの話が全部本当なら、ここから先は魔力世界とやらの影響が濃く出ている地域であって、ダンジョンの中とは外とは逆で、魔力世界に物質世界が混ざっているような状況らしい。
だからどうした。
変わるのは認識だけであって、ダンジョンだの森だの世界だの自体が変わるというわけではない。なら別に深く気負う必要も無い。
今から入るのはダンジョンのある森。東の大森林なんかに比べれば魔力の影響はかなり弱く、六花の洞窟だって別にあれ自体に苦しめられたわけではない。
惑景で作られた空中庭園にでも出会わなければ、大した問題にはならないのだ。
別にあれもトラウマだとは思ってないけど、同じ景色を見たらかなり嫌な気持ちになるはず。だから多分、一種のトラウマであることは確かだと思う。
「見えるか?」
「うん。余裕で見える」
レニーの声で現実へと引き戻された。
町の中では様々な魔術が規則によって制限されてるけど、魔力視自体は特に何も言われたりはしていない。
体を動かせるようにするのがメインの休息だったけど、魔力視の調整もしっかりしておいた。
ダンジョンの中で使えるようになれば、きっと私は罠を見分けることができる。見分けられるようになればもうあんな餓死寸前な思いはせずに済む。
ま、調整したのはあくまでレヴィの家の中であって、実際に濃いところを見るのは久々になるけど……特に問題はなさそうだ。空気中の魔力の流れまでくっきり見える。
そもそもダンジョンに入ってからが本番であって、こんなところで躓いてちゃお話にならないし。ていうか元々サークィンの東の大森林ですら見えてたしね。
「ハルアさんはどうです?」
「前回と同じだ。危なさそうな時限定」
「……俺とアンが前、ティナとハルアさんが後ろで――」
ほんっとレニー変わったなぁ。配置決めなんて以前は口すら出してこなかったのに、今じゃむしろリーダーだ。
以前は基本的にはカクが全て決めていて、ティナとレニーは常に従っているだけで、たまに私がちょこちょこと口を挟むくらい。
カクの代わりになろうとしてる、とは言い方が悪いかな。完全に模倣するってわけじゃなくて、レニーはあくまでレニーのままでリーダーを務めようとしている。
「アタシ前の方がよくね?」
「ティナを先頭にするなら1人だな。そっちの方が動きやすいだろう」
「ああ。後ろの3人はそっちで――」
確かにカクの提示するものは優れていることが多かったけど、だからといって人間は完璧ってわけじゃない。たまに変なのが出てくることがあった。
カクは確かに信頼されていたけど、ある意味で私達は頼りすぎていた。変なのが出てきた時に意見するのが私くらいしかいなかったのだ。
あれは確かにリーダーシップというやつで、私達は完全に統率されていた。それは非常に優れた能力ではあると思うけど、同時に烏合の衆になってしまうという危険性も孕んでいる。
じゃあ皆の意見を聞いてから決定するレニーにリーダーシップがないのかと言われれば、別にそういうわけでもない。
もし今もここにカクが居たならば、きっとティナはこの時間を暇そうに過ごしていたはず。しかしレニー主導の現在では活き活きと意見を伝えている。
お互いの優れている要素が全く違う方向なのだから、単純に比較してしまってはダメだ。
これもまた1つのリーダーの姿なんだと思う。
なら私の意見も伝えないとね。
「私は右端が良いかな。ほら、これ持ってるし」
私の左手には杖がある。
といっても魔術用のものではなく、以前に貰ったものでもない。模擬戦の後に新しく買い直したのだ。あの杖よりもずっと小ぶりなもので、トレッキングポールと呼ぶのが多分正しい。
森の中を歩くのなんて久々だし、これがどのくらい機能してくれるかは分からないけど……左手が杖で埋まっちゃってるのは確かで、左側への発現は少しだけ遅くなる自信がある。
こんな自信、持ちたくなかったなぁ。
07/01から07/31までの1ヶ月間を毎日更新とします。
しかしストックが切れちゃった場合は終了します。切れたらごめんね。
百七話までは書き上がっているので、少なくとも20日分は更新されます。