八十四話 対比と対比を対比して 2
正面に立つレニーを睨む。
アイツは滅多にゾエロ以外の魔術を使わないし、アタシだってあんまり好きじゃない。
だからこれは剣と剣の戦いだ。
腰を深く落とし、全身を適度に脱力させる。
この距離では見破られちまうかもしれない。
だからすり足で徐々に近づいていく。
瞬間を見誤ってはいけない。
勝ち筋を見極めなければならない。
レニーの額の汗が睫毛に落ちる、その一瞬を見逃さない。
両の足に込めた魔力を爆発させ、音を置き去りにする。
狙うのは、左の太腿!
「うっらぁ!」
全身全霊を込めて放った一撃は、しかし盾によって防がれた。
まずった、至近距離での戦闘は明らかにアイツの方が強い。
アイツとアタシとじゃ武器の長さが違う。
盾を両足で思い切り蹴りつけ、一足で後ろへと――
「土弾」
甘かった。
空中じゃまともに身動きなんて取れやしない。
それにあの野郎、せっかくの剣の戦いに魔術を使いやがった!
「土鎧!」
右足に土の鎧を発現させ、思いっきり体をひねる。
よし、このまま地面まで――!?
「俺の勝ちでいいな」
「っくしょー! いつ動いたんだよ!?」
――努力は裏切らねえなんてのはな、裏切られた奴は言葉も残せなかったってだけの話さ。
酔っ払ったカクがぼやいていたのを思い出した。
◆◇◆◇◆◇◆
久々に見た2人の戦闘は、もはや戦士でない私には捉えることすら叶わなくなってきていることを教えてくれた。次からゾエロ使っとこ。
ティナの動きはきっとこうだ。
最初にドイ・ゾエロか何かでいつもの様に急加速。そこで攻撃を加えたが盾か何かで弾かれた。慌ててどうにかして空中に跳ね跳んで、追撃の土弾に対しては土鎧によって重心をズラしての微かな姿勢制御で対応した。
ティナはますます速くなっていて、あの動きに体がついていけてる方が不思議なくらい。私の目では半分くらいしか見れていないし、だから残りの半分は憶測になる。
でもそこまで外れているというわけでもないと思う。
レニーの方はどうだろう。
最初の突進には闘気と何かしらの膜を作るゾエロを用いて対応した。その後空中に逃げたティナに対して土弾を使った。ここまでは分かる。でもこの先が分からない。
宙でどう避けるのかとティナに目を向けた間に何かをしたのは間違いない。その一瞬でレニーはティナの落下地点へ移動し、降ってくるティナを華麗にキャッチした。いやなんで?
……そんなツッコミはともかく、どうやって最後に繋がったのかが分からない。
レニーはそんなに早く動けるタイプだとは思ってなかったけど、それはただの思い込みだった?
例えばティナのようにドイ・ゾエロを用いて瞬間的に加速したとか……なんか、イメージとは合わないんだけど。ていうかドイ使えないはずだし。
「さっすが戦士って感じだな、目が追いつかねえわ。
あいつら、クエストの時よりずっと速えぞ」
一緒に見学してたハルアもまともに見えていなかったらしい。私だけじゃなくて少し安心した。
スイテンはハルアの膝の上で一緒に観戦してた。可愛い。こっち来てもいいのよ。
「つかなんでアタシらが最初?」
「レニーはお前に恋してんだよ」
「は?」
「冗談きついですよ!」
レニーがティナに恋してるだなんてのはさすがに冗談だったみたい。ティナのぐーパンはハルアの鳩尾を見事に抉ったらしく、端っこの方で悶えている。
話には聞いていたけど、ハルアとこの2人はそこそこ以上に打ち解けているようだ。……ああ、もう、本当に自分が嫌になる。
あ、今度はレニーの頭が凹んだ。うちのパーティ暴力的すぎやしませんか?
「しかし怪我1つ無いとなると暇だな」
「……ですね」
実際のところ、私がクエストに同行した場合に求められるのは療術による回復だろう。それくらいしかできないと思われていると言い換えても良い。
レアが療術を扱うのは何度か見ていたし、それはハルアに関しても同様――むしろそれ以上。だからこそ、ハルアは私の代わりのような感じで受け入れられてるんだ。
「じゃあ怪我させてやろうじゃないの。レニー、やろうぜ」
ハルアの魔術は大きく分けて2つあると聞いている。
1つがスイテンから生み出される水の魔術。これは精霊術という別の術らしいけど、ティナから見た場合には普通の魔術と対して変わらないという。
もう1つは彼自身が使う魔術。聞くにどうやらアーグルとは違い、スイテンを維持している間にも魔術が使えるらしい。つまりは実質的な1vs2ということになるの……かな?
「おっと水貂、お前は見学だ」
と思いきや、どうやら1vs1をするらしい。
魔術師がレニーとタイマンかぁ。以前のレニーになら私は勝ってるけど、今のレニーだとどうだろう。
きっと今のレニーはドイ・ゾエロを使えているんだろう。であれば距離をとっての戦闘なんて普通にやれば難しいだろうし……もし私がベストコンディションであったとしても、勝つのは難しいかもしれない。
あ、スイテンこっち来た。可愛い、けど冷たい。……お湯に出来ないのかな、これ。
「魔術師だからって、手加減は無しだぞ?」
「できるわけないでしょう!」
「全力の戦士相手とか超怖え」
◆◇◆◇◆◇◆
ハルアさんがどんな魔術を使えるのか、その全てを知っているわけじゃない。だがどんな傾向なのかは掴んでいる。
魔術師である以上距離を詰めなければ話にならず、しかし詰めたところでようやく不利になれる程度。
1番の問題はあの魔術の発現速度だ。
魔物の多くは特定の動きの後に魔術を使うし、普通の魔術師であれば詠唱後に魔術を使う。
しかし無詠唱の近接魔術師は……戦士なんかよりもよほどたちが悪い。
「よし、いつでも良いぞー」
ハルアさんまでの距離は凡そ14歩。俺の一足は最大でも8歩、この距離ではまだ届かない。
であれば最初は魔術で牽制を……魔術師相手に?
せっかくの好機をみすみす潰すわけにはいかない。牽制になんて使うべきじゃないな。
……なら、これはどうだ?
「纏風」
対人戦とは心理戦でもある、か。
「……そりゃズルくねえかな。
それとももう始まってるってことでいいのか?」
闘気とゾエロをまとい、後は徒歩で近づくだけ。
やっぱりだ、反応に困ってる。ありがたい。
10歩、9歩、8歩――
「連爆!」
イヴに頼んで作ってもらった俺の魔術の1つ。
取るに足らないほどの小さな爆発を続けるだけの単純な魔術。
しかしこの爆発は流れの魔言によって指向性が付けられている。
爆風を利用して自身を吹き飛ばす奇妙な魔術。
だがゾエロと闘気を使える俺とは相性がいい。
そら、もう俺の距離だ。
そう思ったのに。
次の瞬間には目の前に水の壁が。
急激な加速の代償は、あまりにも長い制動距離。
突っ込む寸前、水の壁が横に割れた。
もはや壁ではなく縄だ。何本もの水の縄が拘束しに掛かる。
だがこれが水である以上、纏風を抜くことはできない。
魔術への意識を強め、周囲の水を吹き飛ばす。
――どこに行った?
『ほら』
背中を何かで殴られた。
咄嗟に振り返るが、既にそこには誰も居ない。
先程の水が霧のように漂い続け、水の流れる音だけが耳に届く。
あの術か。
「纏土」
距離を詰められた以上、もう連爆は必要無い。
連爆が要らないのなら、纏風ももう必要無い。
より防御に優れたゾエロに切り替え、霧に隠れたハルアさんを待つ。
待つだけでなく、うっすらと感じる"悲しさ"を読み取る。
――左後ろ!
現れるはずの気配に合わせ、右手の盾を思い切り突き出す。
が、帰ってきたのは水を殴った感覚だけ。
『聞こえないって怖いだろ』
声の方向に居ないことなんて分かりきってる。
ならその反対側に――も居ない。
徐々に水が暗くなる。
『見えないって怖いだろ』
怖くない!
振り抜いた拳には何の手応えも感じられない。
世界が傾き始めた。
『分からないってのは怖いんだ』
ただそう見せているだけだと知っている。
なのに平衡感覚は徐々に崩れ、気付けば膝を着く始末。
「……怖いですよ」
「だから楽しいんだよな」
声の方向に腕を伸ばす。
さっきまでの聞こえ方とは違う、きっとハルアさんはそこに居る。
「正直もんめ」
――と考えたのは、俺が彼を知らないからだ。
首に腕を回され拘束された。いつの間にか後ろに回られていたらしい。
「第2ラウンドで遊ぶか? それとも降参して実験台?」
当然答えは決まっている。
腕を首で無理やり掴み、前に倒れ込むことで遠心力を利用して引き剥がす。
形勢逆転、今度は俺が捕まえた。
「僕のほうが有利ですよ」
「そりゃ魔術師だしなぁ」
……まただ。
捕まえていたはずのハルアさんの体が水となって崩れ落ちる。
崩れたはずの水は再度集まり、またハルアさんの姿を取り戻す。
どういう原理かさっぱり分からない。ハルアさんは本当に水になってるのか?
「素手ゴロの殴り合いなんてどうよ」
「……そう言って、魔術使うつもりでしょう?」
「まあ」
いつの間にか四方を囲まれてしまっていた。
……どれが本物なのかが分からない。この人の感情は読み取りづらい。
「男らしく行くぜ!」
「ならタイマンでしょうが!」
どれが本物かは分からない。
それなら全てを叩いてしまえばいい。
いつか本物に手が届く。
1人目の伸びた腕を躱し、掴――めない。偽物だ。
勢いのまま背後の2人目に裏拳、しかしこれも当たらない。偽物だ。
右のハルアさんに膝を蹴られた。ならこれが本物?
左手で襟を……これも偽物だったのか。
なら後は。
「そこか!」
最後の1人を組み伏せる。
確かに掴んだ感覚はあったのに、一瞬で赤っぽい霧になってしまう。
「……魔術、ズルくないですか?」
少しでも感情に揺らぎが入れば見つかるはず。
『魔術師に魔術を使うなってか?』
「精霊術師だって言ってたじゃないですか」
会話を進めつつ、どうにか気配を探り続ける。
『今は俺だけ、魔術師のハルアだけだ』
「じゃあ殴ったりも無しにしてくださいよ」
敵意を引き出すのはおそらく無理だ。呆れや笑い……敵意に比べれば遥かに弱いが、それでも無いよりはずっとマシ。
『ハ、人間やめろって?』
――見つけた。
俺の真正面に突っ立ってる。いつから、最初から? 考えても仕方ないか。
そこに居ると分かった途端、ぼんやりとだが姿が見えるようになってきた。
……そういえば、ハルアさんはクエスト中にも目を閉じていたな。あれには何か意味が?
「やめちゃってるじゃないですか、水じゃないですか」
『そら比喩だよ。俺は真っ当な呪人様さ』
声と口にズレはない、ということはやっぱりあそこに居るんだろうか。
――声? 目を閉じる? ……聴いてみよう。
流れる水の音は足元だけに広がっている。
心臓の音は俺のものだけが聞こえる。
『今度は居眠りか?』
そもそもどうして方向が分からないんだ。
……波、か。正面に居るように見えて、実は後ろに居る、なんてのはありえない話でも無いのかもしれない。
もう一度だけ、試してみよう。
左腕を前に伸ばした瞬間、正面のハルアさんが若干揺らいだように見えた。
もう何がなんだか分からないな、だが続けよう。
――纏風は忘れるなよ、音ってのは怖いんだぜ。
「連爆」
魔術を発現させると同時、忠告を守らなかったことを後悔した。
耳というのは簡単に壊れてしまうものらしい。
だが療術が約束されてるのなら問題は無いだろう。
左掌に単独の爆発を発生させ、自分を後方へと吹き飛ばす。
どこか別のところから見て笑ってるのかもしれないが、これは模擬戦。
失敗もまた経験となるはずだ。
吹き飛んだ直後、今までにない衝撃を受けた。
運も味方してくれたのかもしれない。ハルアさんに衝突したようだ。
が、手が胸に伸びるのを確認した。魔力ももうほとんど残ってない。
ここまでだ。
「……好きにしてくれ」
水の鞭が伸びてきた。
◆◇◆◇◆◇◆
訳が分からない、というのが最初の感想だろうか。
この感想はどちらにも向けられている。
レニーがいくつか爆発の魔術を使うようになったとはティナから聞いていたが、スラスターのように使うとは思ってもみなかった。
手段としてはロニーに近い分類だろうか。確かに闘気とゾエロを両方使えるなら、この手の方法に辿り着いてもおかしくはない。
見た感じ、まだ直線でしか使えてないみたいだけど……これでロニーのように自由に動けるようになったら、と考えるとこの世界の人間が怖くなる。
ハルアの方は……近接魔術師とはせいぜいが武器の代わりにトウやシュを使う戦士程度の認識だったのに、なんだか根底から覆されたような気分だ。
最初の魔術はエル・ウニド・クニード辺りがベースだというのは分かる。ならそれを細かくしたのはゲシュ・レズド辺りだろう。
その後の領域は私がやった節約版と同じ奴だと思うけど……そこから先の魔術は検討も付かない。私の目にはハルアが分身してたように見えたんだけど……?
ここら辺は後で考えるとして、やっとこ私の出番が来た。
「2人揃って鼓膜ですか」
「勘弁して欲しいよな」
膜を作らないエレス・ゾエロを使っていたレニー、何のゾエロも使っていなかったように見えたハルア。
至近距離で爆風を受けた結果、どっちも耳がキーンとしたらしい。正しく言えば、損傷してしまった。
……損傷が鼓膜までで済んでて良かった。それより内側はほとんどが療術の範囲外だ。
「ゼロ・タイナ」
私はハルアやレアと違い療術を無詠唱で発現させることはできない。
なら完全に劣化版かと言われればそうでもなく、私には……いや、誰しもがそれぞれに長所を持っている。
それは身近な人間に対する療術を使う時に始めて現れる。レニーやティナに限定すれば、ハルアよりも私の方が療術の発現速度は遥かに上だ。
当然、これは自身にも関係する。私自身への療術は私が最も速い……と思うけど、どうだろう。
こほん。
とりあえず、この場に居る人間の中でレニーとティナ、それからアンジェリアに対しての療術が最も優れているのは私だ。
こればかりは誰にも譲らない。特に私に対する療術は、サン以外には譲るつもりはない。……サンだけはちょっと例外。あの人は私も知らない私のことを知っていたりする。ちょっと怖い。
発現速度がなぜ速くなるのか。最も大きい理由として、被術者の流れを知っていることが挙げられる。
これは別に私のように"感知できる者"に限られず、単に近くで過ごしているだけで勝手に覚えてしまうものらしい。何も感知できないはずのフアでさえ、シパリアに対する療術では魔力同調をほとんど必要としていなかった。
逆説になってしまうものの、少なくとも私達魔人は無意識下において周辺の人物の魔力の流れを把握していることになる、が……それは本題からズレる。
とりあえず、施術者が被術者と親しければ親しいほど、魔力同調の速度が早まる。今必要なのはこの情報だ。
さて、ティナやレニーと親しいのはハルアと私のどちらだろうか。愚問だろう。
だからこそ療術の発現はハルアよりもよっぽど速く、速ければ速いほど術式終了までの時間は短くなりやすい。
要するに、紫陽花に対してはハルアよりも私のほうが療術師としては優れている。あの男にこの席を渡すつもりはない。あの男よりも私のほうが彼らには必要とされているはずだ。
「レニー、大丈夫?」
「ああ、聞こえる。……魔術をもっと勉強するべきだったな」
「何言ってんの。ていうかまだ動かないで」
2人共が音を使えなくなった結果か、レニーの降参宣言の後にもハルアは数度攻撃を加えてしまったと言っていた。
その現状がこれ、全手足首の粉砕骨折だ。
確かに人間を戦闘不能にする手段としては有効だ。しかし同時に味方に対して行なう攻撃ではないと思ってしまう。
自身が療術を使えるから? そんな言い訳は許さない。なぜなら私も療術を使えるのだ。その私が許せない以上、これは明らかなやりすぎだ。
「手伝おうか?」
「要らない。ゼロ・タイナ」
私の療術は他者に比べて特に秀でているというわけではないが、だからといってそれほど劣っているというわけでもない。
そしてレニーは私の親しき人間。であれば私ほど優れている人間は居ない。
単純な骨折で済みやすい単一の骨の損傷と違い、複数の骨にまたがる関節の修復というのは少し難しい。
だからなんだ。私こそがこの2人を知っているんだ。だから私こそが1番速く、そして最高の療術を与えてあげられる。
魔力よ、進めよ。
私は無詠唱の療術を使えないが、だからと言って有詠唱でしか意味がないというわけではない。
イメージングの補佐に無詠唱は大きく関わってくる。私の療術こそが1番効くはずなのだ。
「やっぱりアンだな」
「でしょ」
ほら、被術者のお墨付きだって手に入れた。