八十三話 対比と対比を対比して 1
夜になって、レニーとティナはいつも通り帰ってきた。
先にレニーが体を洗い、その間ティナは私達と一日の出来事を報告し合う。時には面白可笑しく脚色し合ったりすることもあるけど、出来事自体はちゃんと正しく伝え合う。
レニーが出てきたら今度はティナが体を洗う。レニーとも似たような会話をしつつ、一緒に夕食を作っていく。
何ら変わらない見慣れた光景。だからこそ、これを壊すのは少しだけ怖い。
でもこれがいつもの日常になるのはもっと怖い。だから――
「レニィンさん、相談があります」
「どうした、かしこまって」
結構前から考えていたことだし、きっとドゥーロと話さなくてもいつかはこうして話していたはず。
でもドゥーロが私の背中を押したのは紛れもない事実だろう。本当ならもう少し時間がかかってたに違いない。
「明日のクエスト、参加させてください」
この提案がかなり現実離れしているものだということは私にも分かる。
冒険者なんてのは万全を期していたとしても死んでしまうこともよくある職業なわけで、そこに私が居たらどれほど邪魔になるかは想像に難くない。
足を引っ張る人間を連れてのクエストだなんて、難易度が高すぎる。
守るだけで済む護衛クエストですら他のクエストに比べて報酬は高めだというのに、通常のクエストに足を引っ張る人間を連れて行くだなんて。
今の私はポーターですら任せられない状況だというのに。
きっとレニーは私のために命を張ることを厭わないだろう。でもそれは私の望む未来ではない。
考え込むレニーを前に、私はただ唾を飲み込むばかり。
レニーがどれくらい沈黙していたかは分からない。
気付けばティナがレニーの横に座っていた。
妙な空気に当てられてか、座ったばかりで口は開かない。
それから少しして、ようやくレニーの声が聞けた。
「……明日のクエストは休みにしよう」
「別にいいけど何かすんの?」
「久々に模擬戦だ。しばらくやってなかったろう」
レニーの言葉はティナに向けてのものに聞こえるが、実際には私にも向けられているんだろう。
現状の私がどれくらい動けるのか、そのテストを行なうと暗に伝えているに違いない。
「……ん? それってアンも来んの? レアも?」
と1人で納得しかけたところ、それをほじくり返すようなティナの言葉。
だから私は2人が好きなんだ。
「ああ。レア、同席してもらえますか?」
「難しいですね。ハルアさんを貸しましょうか」
「ありがたい」
私やティナのように扱ってほしいと言われてから呼び方だけは直せたものの、未だに不安定な口調のレニー。
1ヶ月以上生活してるのにこっちだけは直せないらしい。これもこれでレニーらしいっちゃらしいけど、やっぱりちょっと面白い。
こんなハーレム状態で何を畏まってるのやら。……今気付いたけど、ホントにハーレムだ。女剣士に聖女に魔法少女て。アニメか。
う、変なこと考えたせいで緊張感がちょっと減ってしまった。
ところでハルアって貸し借りするものだったの?
◆◇◆◇◆◇◆
久々に模擬戦。
といってもヘッケレンという国は全体的に土地が豊かであるらしく、ここキネスティットの近辺にはサークィンのような荒野が広がっているということもない。
町と町を繋ぐ街道はあるし、その途中にいくつもの村があるという構造自体は変わらない。
ただ村同士の間隔が狭かったり村自体が大きかったりと……端的に言えばこっちの方が開発されてる印象。
キネスティットを北東に行けばヘクレットが見えてくるし、南西に行けばアルムーアに着くことになる。西に行けば東ハルマが見えてきて、北には広大な農地が広がっている。
こうして並べてみると周囲には全く空き地がないように思えるけど、実は南東の方の海岸地帯はあんまり人が住んでいなかったりする。
理由はよく分からない。私としては海沿いなんてむしろ発展しててもおかしくはないと思うんだけど……ヘクレットに港を集中させる政策でもあるんだろうか。
と色々考えてみたけど、単に気味悪がられてるだけらしい。
「なんだこれ! 砂が喋ってる!」
風が地表を撫ぜるたび、砂浜の各所から小さな音が聞こえてくる。足を踏み入れれば大合唱だ。
これを"喋る"と表現するのは少し難しい気もするが、確かに聞き様によっては悲鳴や雄叫びと捉えてしまってもおかしくない。
「……どういう原理なんだ?」
「砂同士が擦れてるんじゃないかな。濡らせば鳴らなくなるよ、多分」
鳴砂というのは知識として持っていた。これは石英同士の摩擦音だ。
実際に聞くのは前世も含めて初めてだけど……強めの風が吹いた際には砂浜全体から音が聞こえてくることも。確かに原理を知らなければ気味が悪いと言われてしまっても仕方ない。
「夜更けに浜から声がする、なんて耳にしたが……これか」
きっと海も穏やかなんだろう。だったらこそ発展しててもおかしくはないと思うんだけど……海の魔物との関係なんかもあったりするんだろうか。
久々だという今日の模擬戦は、ここの砂浜を使うことにした。なんか問題が起こったらハルアに押し付ければいいらしい。
あえてなんか起こしてやろうか、なんてちょっとだけ考えてみたり。もちろん考えるだけで実行には移さないけどさ。
「それで、どうする――」
「の前に、アンは俺を知らないだろ?」
実際に何をするのか。
とレニーに聞こうとしたところ、件のイケメンが間に割ってきた。
知らないとは例えば戦闘スタイルだったりとかのことだろうか。確かに療術師としての印象のほうが強いが、どのくらいの規模の魔術を使うことができるのかはティナから十分聞いている。
本当に2級の実力があるんだろう。
「なんでも精霊魔術の使い手だとか」
「ああ、水貂」
ほんの僅かな魔力の膨れすらも感じさせなかった。
いつの間にかハルアの腕の上に小さな水の塊が表れ、なんとなく動物っぽいシルエットに。これは……オコジョ?
「えっ可愛い」
「似合わないだろ」
「めっちゃ似合ってますが?」
おっさんと可愛いものの組み合わせというのは中々にフェティシズムを……別に性的な意味はないけども。
普段は他人に厳しく自分により厳しくな人が1人きりの時に愛玩動物と戯れてるのとか最高に萌えると思うんですが?
……このオタク、絶対早口で言ってる。
「向こうで似た魔術師に会ったらしいな。そいつも精霊術師だろうよ」
「その精霊術? って魔術って何が違うんです?」
「こいつらは生きもんだ。魔力生物って見たことあるか?」
「ファンムエイというのを1回だけ」
カクと別れてすぐ後の実技試験で戦わされたことがある魔物だ。束縛の術によって全員が固められてしまい、なぜか私の魔力を……うわ、また鳥肌が。
でも見え方が全然違う。響霊をティナは見えないと言っていたし、レニーもある程度でしか掴めないと言っていたし、私の目にもただの光としか映らなかった。つまり響霊とは純粋な魔力の塊だ。
一方のこのスイテンとやらは普通の目にも見えている。落下しきらない水の塊と言ってもいい。
「大体それの仲間みたいなもん。だから魔力を食わせてやれば……水貂雨覆」
水の塊に魔力を流し込むハルア。
私の目にはその程度にしか映らないのに、いつの間にか空が陰り、遂にはポツポツと雨が降り始めた。
……雨粒に強い魔力が含まれているということもない。であればこれはただの自然現象だ。
「雲晴」
そのはずなのに。
髪を伝う水滴も、声を潜めた砂浜も、空を覆った暗雲ですらもまるで幻だったかのようにかき消えた。
これではまるで魔術じゃないか。
「な、凄いだろ」
いつの間にか横にティナが。
凄いか凄くないかで言えば確かに凄いとは思う。私が使えるエルィーニとは比べるまでもない大規模魔術だ。
発動までの時間は短いし、範囲も広いし、魔術だとすらバレない可能性もある。
これが優れた魔術だというのは紛れもない事実だが、その前提の上で仮に私がこの魔術を使えたとして、はたして魔物相手に使うだろうか? いいや、ほとんどの場面で別の魔術を選ぶはずだ。
この魔術は"冒険者"として見てみると、特段優れたものとは言えない。
仮にこの雨を通じて別の魔術を発現させられたとしても、それでも私が使うことはないだろう。
しかしこれが対人戦、特に大規模な人数同士がぶつかるような状況で考えてみれば……もし本当に別の術式に繋げられるなら、これほど恐ろしい術も無い。
何せ私自身がよくやっていた戦法だ。雨粒の全てにウズドを付与できるのであれば、こんなの絨毯爆撃に他ならない。
しかし前世で熊や鹿を狩るのに爆撃機を用いたかと考えてみれば、そんなことはありえない。
適材適所、この魔術は冒険者としては間違っている。……ならきっと、これはただのパフォーマンスだ。
「まーた難しい顔してる」
「実用的なものって見せてもらえます?」
「だってよ、水貂」
先程よりも小さくなった水の塊が、ぴょんぴょことひとりでに跳ね回っている。
まるで私に何かを伝え……ん?
「……もしかして、意思疎通できるんですか?」
「生きてるしな」
「魔力食べるって比喩じゃなく?」
「ああ、こいつの飯だ」
詳しく話を聞いてみると、私の想定とはカスりもしていないことが明らかとなった。
イメージングの際に既存の生物を利用することで、より精度の高い魔術を実現する程度の技術だと思っていたのに、なんかもう根本から全く違う。
形を持たない精霊とやらに自身の魔力で肉体を与えてやることで、その礼としてか魔術を代行してくれる……みたいなシステムなのだという。
精霊術は古くは2種類あったらしい。
1つ目が野生の精霊を頼る方法で、その場限りにはなってしまうが以前は主流だったもの。現在ではあまり精霊というのが見られないらしく、ほとんど廃れてしまっているのだとか。確かに私も野生の精霊なんてものは見たことがない。
2つ目がハルアのように特定の精霊と共生し続けるもので、常時自らの魔力を与え続ける必要がある代わり、ほとんどいつでも強大な術を扱えるようになる……と。
「いつ出会ったんですか?」
「さあ? 気付いたら居た」
「さあって」
会話の最中、暇そうにしていたスイテンをこねくり回してみた。
冬場ということもあってかかなり冷たいが、実際に手が濡れるだなんてことはない。ゴムの薄い水風船……が1番近いだろうか。
夏場の抱き枕にちょうど良さそうだ、なんて思ってみたり。ていうか可愛い……あっ、逃げられた。ハルアの頭の上に!
「隷従させてるわけじゃないから、俺の好きにってわけにはいかないの。
けどまぁ、こいつはこいつで結構便利で――」
「なんか水噴かれてません?」
「……おい、飯抜きにすんぞ」
肉体を与えてやると言ってたけど、本当の生物のような肉体ではなく、体自体はただの水であるらしい。
ただの水というと語弊があるか。エル・クニードなんかで作られる魔力の水だ。
そんな体であれば当然声帯なんてものはなく、鳴くこともできないわけだけど……代わりにスイテンには与えられた魔力とそれを操る能力があるわけで。ハルアの頭はびっちゃびちゃに。
ふむ、水も滴るいい男……じゃないな。水が滴るいい男になっている。……うぅ、冬本番って感じ。
「魔術を使うのは水貂で、俺はただの飼育員。
あの2人からアンのことは聞いてる。んじゃ、始めようぜ」
そうだった。今日は青空座学を行なうために来てるのではないんだった。
ティナ(なんだこの空気……とりあえず座っとこ)
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元は水兎でスイトの予定だったんですが、呼びづらかったのでテンになりました。テン可愛いよテン。