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三つの世界 彼女が魔女に堕ちるまで。  作者: 春日部 光(元H.A.L.)
本章 中節 広がりと狭まり
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七十一話 幻と殺し

 私は運ばれた。

 途中までは目隠しをされていたが、魔力視を持つ私には何の意味もない。微かにでも光があれば、私の前には景色が浮かぶ。

 視点は目そのものではなく、やや奥に、やや高い位置。つまりは脳内にあるわけだが……視覚と違い魔力視の場合は頭全体が光受容体となっているような感じだ。要するに、目隠しをしたいのであれば袋を被せるべきなのだ。

 そういう意味では"クラー"や"カーラハーン"は正しかった。だというのにその処置をされていない以上、あまり情報共有は上手くない組織なのかもしれない……なんて考えてみる。

 私を縛るのに用いられたロープも魔力を封じるような特殊なものではないようで、いっそすぐにでも暴れてやろうかとも考えたが……さすがに人が多すぎた。だから彼の誘導に従った。


 途中で見かけたのは17人。多いか少ないかで言えば間違いなく多いが、想定を超えるほどでもない。私にとって、敵が2人以上居る時点で正面切っての戦闘は選択肢から外れてしまう。というか1人相手でも厳しい可能性がある。

 無詠唱はある程度扱えるようにはなったものの、制御しきれていない点が多い。思った通りの術が発現するとは限らず、発現しないこともザラだ。魔術ってのには熟練度システムでも実装されてるのかもしれない。知らんけど。

 今のところ、シュの無詠唱はほとんど確実に成功する。逆にクニードやダンは不安定で、ゾエロは属性詞を付けない3術までならといったところ。

 ここから導き出されるのは魔術による近接戦闘だけど……残念ながら私にはそんな経験が全く無い。そりゃロニーの動きとかはなんとなく覚えてるけど、それは見たことがあるだけで、身についた技術ではない。()()()()に頼るのは危険な賭けだ。

 なら他に手は? あまり長い時間ではないとはいえ、十分すぎる時間があった。結論から言うと無い。またもや賭けだ。嫌になるなぁ、ホント。でもそろそろ勝ってもいいとは思うんだよね。


 これだけ考えることができたのは、途中でシャワー室のような場所に連れて行かれ、全身をくまなく洗われたせいだ。おかげと言った方が正しいのかもしれないけど、そう言いたくはない。

 その際には目隠しを外されたが、別段語るようなことはない。強いてあげるとするならば、水ではなく湯だったことか。久々に体温を取り戻せたような気がする。

 屈辱的ではあるが、あんな状況下だ。必死に考えを巡らせるのは最も有効だと考えた。結局、ろくな考えは浮かばなかったわけだけども……。

 この"洗浄"中、気になったことがある。人1人を洗うというのは想像以上に大変で、にも関わらずピスは毎回だと言っていたし、今回の私もしっかりと洗われていた。

 それはつまり、ある程度身なりを気にしなければならないようなお上品な方々でもいらっしゃるのかもしれないということだ。


 ダニヴェスの貴族連中には詳しくないが、ヘッケレンの貴族には気をつけたほうがいい。

 あの嘘を見抜く能力だったり、魔力を量る能力だったり、魔力を霧散させる能力だったり……あれが一個人のものであるという確証を持てない以上、何かしらの妙な能力を持っている可能性がある。

 もちろん単にとんでもない魔術師や魔法使いだった可能性もあるが……私の目はそのような魔力の流れを映さなかったし、そもそも呪人の魔法使いだなんて聞いたことがない。

 だからまあ、警戒はしておくべきだろう。それも最大限に。


 作業的に洗われた後、2階に連れられた。

 ピスからは1階だと聞いていたのだが、今回は違うらしい。客層が違うのかもしれない、なんて考えてみたが、単に1階が空いてないだけなのかもしれない。これ以上の思考は無駄だ。

 入室後は拘束を解かれることが多いと聞いているが、さて、今回はどうなんだろうか。


「顧問、開けますよ」


 "顧問"、ね。実権限を握ってはいないお偉いさんといったところか。学生風に言うならばOBか? いや、ある意味では本当にOGではあるけども。オリジナルなギャングスタだ。

 無駄な考えは脇に置いておこう。この組織は想像よりも大きいのかもしれない。少なくとも"卒業"した人が居る程度には。ただそれっぽい名称で呼び合ってるだけなのかもしれないが、そうでない可能性を見たほうが良いだろう。

 逃げ出せたとして、その後に捕まる可能性はやはり高いと思う。無事に外に出て、現在位置を知って、紫陽花と合流して、今まで通りの生活を続けて……なーんて、白昼夢を見るかのように愚かなことなんだろうか?


「ああ」


 扉の向こうから声がした。少し遠く感じるのに、ドアノブはひとりでに回りだす。

 ……よし、戦おう。私は私のために戦うんだ。ここから先は、ただの魔物退治なのだから。



◆◇◆◇◆◇◆



「慎重に扱ってくださいよ。それ、高いんですから」

「さっさと出なさい」


 "顧問"と呼ばれた男性は、やや白髪が目立ち始めた初老といったところ。あの体付きを見る限りでは初老という言葉は正しくないのかもしれないが。……年齢にしては元気なんだ、色々と。

 全裸の私を運んだ先で、おっさんの全裸が突っ立っているとは……。面白いな、なんて考えてしまった辺り、私は少しおかしくなっているのかもしれない。いや、元から少しだけおかしいか。なら平常運転、正常だ。


 さて、まずは現状把握だ。

 この部屋、というか地上階には地下階に巡らされていたあの魔法陣は存在しておらず、ある程度の魔術が使える。彼らが察知できているかは分からないが、おかげでゾエロを使うことができている。

 これに対応する問題は、地上階にもまた別の魔法陣があるらしいということ。地下階のように完全に封じるものではないが、魔力を吸収するような魔法陣が設置されているらしい。流れを見る限り、複数箇所だ。

 連れられている道中、少なくとも流れは三叉になっていた。そして階段を上がった先でも分かれていた以上、かなりの数が設置されているはずだ。1つを潰した程度では特に効果は無いだろう。

 こちらの魔法陣は図書館に設置されていたものであるらしい。それはつまり、何もしなくとも魔力が減っていくということ。ただこれは図書館ほど強烈なものではないらしいから、私にとっては大きな問題ではないかもしれない。

 それともう1つ。魔術制限に関しては図書館とは比べるまでもなく、あの船のを更にしょっぱくした感じだ。実際に詠唱する際には問題になるのかもしれないが、無詠唱が使えるのであればさしたる問題ではない。

 しかし、全く問題にならないというわけではないらしい。魔言数というある種の制限が無い分、ゾエロはいくらでも強化できるはず……なのだが、一定以上の魔力を操れない事実に気付いた。だから多分、船の魔法陣の仲間だ。この感覚は覚えがある。


 次に部屋の中を確認する。

 部屋はそれほど広くないが、四角形ではなくL字。私の右後ろ側に……クローゼットかな? があるだけか。どうやら普通の部屋らしい。

 右側の壁には2つの窓があるらしいが、どちらもカーテンで締め切られている。しかし、このくらいの厚さなら……うん、見えた。外の景色までは見えないが、どちらも物理的な構造を持った錠だ。それから手前側の窓は出窓のような構造らしい。

 床に目を移してみれば……おや、今気付いたけど、この部屋は裸足用なのか。泥汚れがほとんど見当たらない。綺麗に掃除した、って線はないかな。だって小物が散らばってる――端的に言えば汚部屋だ。


 ふむ、どうやらここは客室ではなく、この男の私室である可能性が高いな。装飾品も多少はあるが、ほとんどは実用的な私物が占めている。つまりこの"顧問"とやらはここで生活しているか、していたか、するはずの人間だ。

 この部屋には魔法陣の効果がほとんど及んでいないというのもそれを裏付けている。あの魔法陣の影響下では不快な感覚がずっと続くし、寝室にそんなものを設置したい人間なんて居ないはずだ。

 ま、ここは私室だと知ったところで何かが変わるわけでもないか。


 脱出経路はいくつかある。

 まず1つ目は、ゾエロを再構成して硬纏身にし、窓から飛び降りてみるというもの。

 これは"今"は無しだ。瞬間的な脱出は叶うが、周囲の情報が全く無い。再度拘束される可能性だったり、ゾエロの再構成が上手くいかない可能性だったり……不安要素が多すぎる。

 それに、もう1人のアンが心残りだ。だからこれは、最後の手段。今はもう少し考え続けよう。


 2つ目は、"顧問"を捕らえてしまうというもの。

 ある程度の地位の人間であることは確かだ。少なくとも、私をここに運んだ奴よりかは。

 彼の羽織っている上着もそれを証明している。あの貴族程上等そうに見えるわけではないが、とはいえ一般人と比べてみればその差は歴然だ。

 こちらの問題点としては、まずは私が彼の力量を知らないということ。

 別に筋骨隆々だとかいうわけではないが……なんだろうな、上手く表現できない……圧がある、とか? 端的にいうなら強そうだ。いや、これでは小学生並みか? まあいいや。

 今は表情を和らげているが、もし全力で睨まれたとしたら、私は腰が抜けてしまうかもしれない。そう思わせる何かがある。なんだろうな……魔力は確かに濃いめだけど、ティナのほうがあるし、筋肉だってレニーのほうが……ああ、なるほど。

 模擬戦で時折カクも見せていた、あの強そうなオーラが出てるんだ。シパリアやセレンなんかにもあったやつだ。あ、もしかしてこれが「肌で感じる」って奴なのか? ……何にしろ、多分強い人だ。私なんかよりもよっぽど。


 3つ目は、2つ目よりはもう少し簡単。彼を殺してしまうというもの。

 私を連れてきた男は既に退室し始めている。あの男が居なくなった瞬間に速攻、あの首を刎ねてしまう……と考えてはみたが、具体的な彼我の実力差が分からない以上難しいことに変わりはない。

 そりゃ生かしたまま捕まえるよりは簡単だろうけど……。まだ実際に手を掛けたことがないというのも不安に拍車を掛ける。実際のところ、全く怯まずに実行しきれるという自信がない。だって私人間だし。


 ぱっと思いついたのはこのくらい。

 別に私は自分を天才だとか思ってるわけでもないし、多分もっといい方法もあるんだろう。でも今思いついたのはこれくらいだ。

 もうちょっと口が上手ければ、説得だったりを試みても良かったけど……どうやら私は喋るのがあまり上手ではないらしいし、なら却って逆撫ですることになりかねない。だからこれは無しだ。

 残る2つの手段は、どちらも暴力的だ。だからといってそれは避ける理由にはならない。彼の力量さえ測りきってしまえれば……懸念点はたったのこれだけ。


「どうした? 突っ立ってないで、こっちに来なさい」


 ああ、あんまり時間はないらしい。このままだと"舌戦"が始まってしまいそうだ。……魔人はあまり味覚が発達していないらしいが、かといって全く味を感じないわけではないし、というか気持ち悪いし、何よりも屈辱的だ。

 いっそ噛み切ってやろうか? いや、それは結局口に含む事になるだろうし……ううむ、どうしよう。


『来なさい』


 おや、この人は魔人語が使えるのか。……だからどうした。別に私は彼に興味があるわけではないし、これを何かに利用できるとも思えない。

 大人しく従う……しかないのかな。今は。……今だけは、ね。



◆◇◆◇◆◇◆



 暗い。ひたすらに暗い。

 俺とイヴ(3)の足音だけが地下に響く。俺とイヴの息遣いだけが耳に響く。

 一歩、また一歩と足を進めていく。

 この道がどこに繋がってるのか、なんてのはもう考えない。障害を排除し、ヘイル達と合流する。考えることはそれだけだ。


 入ってどれくらいの時間が経ったろうか。暗さのせいか、静けさのせいか、緊張感のせいか……何にしろ、長い時間ここに居る気がしてならない。

 かなりの長時間歩いているはずだ。それにも関わらず、道は一向に続いている。これではまるで、ダン、ジョン――!?


「イヴ。どれくらい経ったか分かるか?」

「ん……お前さんら流に言うなら、四半時と少しだ」


 俺の感覚は間違っていなかった。この規模の建物の地下構造としては明らかに時間が掛かりすぎている。


「おかしいと思わないか。それだけ歩き続けて、曲道の1つも無い」

「……そう、か?」


 ……?

 イヴの様子もおかしい……?

 どういうことだ。全てがおかしい……? いや、それなら俺がおかしくなってる……?

 気付けの丸薬がまだ残ってたはずだ。かなり前に調合したと古さが少し気になるが……背に腹は代えられん、使うか。


「イヴ、これを噛め。奥歯でだ」

「……何でだ? つか、なんか臭いぞ」

「良いから噛め。俺も……」


 カリッ。

 小気味の良い音とは裏腹に、ツンとした強烈な臭いが鼻を襲い、口中には途轍もなく不快な味が爆発的に広がっている。

 こうなることは分かっているのに、頭では分かっているはずなのに。実際に使うと毎回面食らってしまうのは、この薬がそれだけ強力であるということの証拠だろう。

 臭いも味も一瞬なのに、まだ舌が麻痺しているような気がしてならない。もう味は残っていないはずなのに、それでも水袋に手を掛けてしまっている。

 ……久々に服用したが、やはり強烈だ。


「よ、よぉレニー……何だってんだ突然。イタズラか?」

「いや、気付け――」


 視線を上げて、ようやく気付いた。

 まっすぐだと思っていた通路が、少し先で右に曲がっていることに気付いた。

 振り返ってみれば、だいぶ前に降りたはずの階段がすぐそこにある。

 俺たちがさっきまで歩き続けていた通路は、幻だった……?

 10歩もない通路を延々歩き続けていた……?


「……どうなってんだこりゃ。さっきまでずっと歩いてなかったか?」

「ああ。だがあれは歩き過ぎだ。以前、似たような光景を経験してな」


 昔というほど前ではないが、惑景というトラップに掛かったことがある。

 カクによれば、一口に惑景と言っても様々な種類があるらしい。あの時の惑景は「一方向からの景色の偽装」というものだったが、中にはワープさせてしまうようなものすら存在しているとか。

 俺は知っていた。だからこそ気付けた。……いや、案外イヴも知っていたのかもしれない。なら俺だけに掛かりが悪かった……? いや、そもそもなぜ俺は気付けたんだ……?

 ……考えても仕方のないことか。今は「惑わされていた」という事実に気付けたことのほうが重要だ。


「つまり、俺達はこの短い通路を歩き続けていたと考えるわけか」

「多分、な。惑景のようなもので直線に見せかけ、加えて正常な判断を乱すような魔術でも掛かっていたんだろう。……覚えはないか?」


 俺は魔術に明るいわけではない。気付けたとはいえ、俺1人ではこれ以上先に進むことはできない。

 だがここにはイヴが居る。なら問題はないだろう。


「Euleyqt wfeelng jetel quwydot か何かか?

 だが Euleyqt を知ってる人間、つか使える奴がどれだけ――

 ……ならやっぱり、繋がってんのか……? つーことは――」

「イヴ、それは後だ」


 イヴが独り言を繰り返し始めてしまった。

 何やら術式も混じっていたようだが……それは今考えるべきことのようには思えない。

 今はこの構造をどう突破するかのほうが大切だ。


 真っ直ぐに足を進めていくと、通路が曲がる直前、突然後方へと飛ばされる。

 どうやらこれによって俺達は堂々巡りをしていたらしい。後方に向かって進んでみれば、無事階段にまで辿り着ける。つまり、この通路は一方通行だ。

 本来ならこんなお粗末な惑景すぐに気付けたはずだが……ここが暗いのもあるが、惑景自体に意識を弱めるような効果もあるらしい。

 惑景を踏んだ瞬間、周囲の色が少しだけ褪せた。踏めば踏むほど気付きにくくなるトラップだということか、厄介だな。


「ヘイル達がここに居ないってことは、このトラップを超えて」

「――或いは、ここで捕まったか」

「……本当にそう思うのか?」

「いや、隊長だしな。つーことは何らかの突破手段があるんだろう」


 会話は切り上げとばかりに周囲を探り始めるイヴ。

 ……こうなると手持ち無沙汰だな。魔法陣やら魔術やら、俺にはさっぱり分からない。



◆◇◆◇◆◇◆



 少しの時間が経った。歩いていた時間ほどではないが、それでも結構なものだと思う。

 何度か惑景を踏んでみたが、結果は変わらない。踏む度に後ろに戻され、徐々に視界に靄がかかっていくような感覚。

 だが効果を知っているならば問題無い。このくらいであれば、闘気を少し調整するだけでどうにでもなる。


「よぉレニー。お前、魔術はイケる口だよな」

「多少はな。……何か分かったのか?」

「隊長達がどうやったかはさっぱりだ。だがこの魔法陣自体を破壊する方法は思いついた」


 このトラップは魔法陣によるものだったのか。ということは、装置自体を発見した?

 いや、周囲を調べていたのは最初だけで、その後はずっと考え込んでいた。ということは別の方法か?


「魔言、真名……どっちもダメなんだよな」

「悪いがその通りだ」

「真名の書き換えられた術を使ったことはあるか?

 いや、すまん。同じ詠唱で別の術を出したことはあるか?」


 同じ詠唱で、別の術、か……。

 そもそも同じ詠唱かどうかというのがよく分からないが……ああ。


「エレス・トウで経験がある。

 1つは刃を鈍くするために、もう1つは剣から土を発生させるためにだ」

「よし、ならそれの応用だ。今から言う詠唱と真名を覚えてくれ。

 ドイ・リニズ・レズ……いや、雷術はダメだったか。なら裸だな」

「……一体何をさせるんだ?」

「悪いが説明は後だ。

 魔言構成は、ゼロ・リニズ・レズド・クニード。

 真名は、魔力よ、その地へ流れ行け。

 詠唱文は、Jero lieniqz leqzdot quwydot。

 イメージは、お前さんの魔力を俺に送る感じだ。

 だが直接は繋げるな。ワープさせるんだ。

 詠唱の前には自分の魔力を外に広げろ。

 それから、詠唱の前にはレイヤーにアクセスする必要がある。だから――」

「ちょ、ちょっと待て」


 あまりに情報が多すぎる。

 ええと、ゼロ・リニズ・レズド・クニードという魔術を今から使うんだな。

 それで、意味は「魔力よ、その地へ流れ行け」で、イメージは、……ワープ?

 ワープ……この惑景と同じようなものをイメージすればいいのだろうか。

 だがクニード……確か発系に使われる魔言のはずだ。ここでは使えないはずでは?


「……クニードが入っているが、問題無いのか?」

「ああ、どちらも問題ない。

 かなり高度な術式だ。発現だけを考えてくれ。制御はこっちでやる」



◆◇◆◇◆◇◆



 突然、新たな魔術を使わされることになってしまった。

 俺がやることはそこまで難しいものではないらしい。魔術の発現こそは俺だが、発現後の操作は全てイヴが行なうと言っていた。

 ……しかし、詠唱が長過ぎる。綺麗に込められるかが不安だ。

 だが成功させなければ先に進むことはできない。できるできないではない、やるのだ。


「そうだ。さっきのヤツ、まだあるか?」

「気付け薬か? ならまだあるが……何かに使うのか?」


 残っているのは後1つだけ。

 気付け薬なんてそれほど使う機会もなかったし、呪人大陸に移動してからはそもそも調合するだけの時間が取れていない。

 使いたくないという気持ちがあるわけではないが……何に使うかくらいは聞いてもいいだろう。


「詠唱前に、口に入れとけねえか?

 多分、ガツンと来るからよ」


 保険、だろうか。

 2人で1つの術を行なうと言っていたし、俺が途中で意識を失わないための――どんな魔術を使う気なんだ?

 いや、気にしても始まらないか。一応入れておこう。今まで飛んだことはないが、今回も飛ばないとも限らない。


「よし、始めてくれ」

「――我が魔言にて、我が魔力を源とし、我が理を世界に映し出せ」


 魔術というものは、分からないことが多すぎる。

 俺は魔言なんてのは聞き取れない。当然真名というのも聞き取れないし、扱うことなんて不可能だ。

 ……と思っていたのだが、そうでもないらしい。今の詠唱を先に挟めば誰でも魔言を扱えるようになるのだという。

 もちろん、この詠唱にも条件があるらしいが……正直、何がなんだかさっぱりだ。レイヤーにアクセスするだとか言ってたが……いかんな、今考えることじゃない。アンじゃあるまいし。


「ゼロ・リニズ・レンズ・クニード」


 後ろ側の惑景の境目に手を合わせ、魔力を放出していく。

 放出した魔力がイヴの元に届くように、しかし直接は繋がらず、惑景を通してワープするように、そうイメージを作り上げる。

 ……言葉で表せば簡単だが、俺はあまり得意ではない。だがやらなければならない。だからやる。だからやれる。

 録石を読む時の魔力をイメージし、出力量を増やしていく。魔力売りのときと同じ感覚だ。……結局、俺はあまり得意ではないのだが。


「いいぞ。そのまま維持してくれ。

 Delrhan jero qqubiror ma-lieven、

 Shetot lieniqz leqzdot――Shiqmna!」


 イヴの詠唱は2回に分けられていた気がする。

 最初の詠唱で、魔力が吸い取られるような感覚を覚えた。予想はしていたが、やはり俺の魔力も使う術であるらしい。

 この詠唱が聞こえた時点で、視界が緑色に染まった。……驚きすぎて魔術を終了しそうになるほど、煌々と光り輝いていた。

 少しして、これが魔力の見える人間の世界なのだと気付いた。俺の体から流れ出す光が、惑景を通してイヴの元へと集まっている。多分、これが魔力というやつだ。


 次の詠唱で、イヴに集められた光が爆発した。あまりの明るさに目が眩み、それと同時に強烈な頭痛、あまりの痛みに魔術を終了させてしまった。

 未だに目は眩み、眼球の奥を抉られるような痛みが走っている。しかも、鼓動に合わせるように一定の間隔で。……これはアンの言っていた「魔力酔い」というやつか? こんなに痛いものだったのか。

 とんでもない衝撃だ。気付け薬が無かったら、本当に気絶していたかもしれない。作っておいて良かったな。


「よぉレニー、生きてっか?」

「……なんとか、な。だが……ああ、ひどい頭痛だ」

「やっぱお前さんの魔力は異質だな。

 普通の呪人じゃぶっ倒れるぜ? こんなの――」


 イヴの言葉が捉えきれない。耳は正常に動いているのに、何を言ってるかも聞こえているのに、それらが全て流れ出てしまうような感覚だ。世界から切り離されてしまっているような……。

 魔力の切れたアンやカクは何度か見たが、なるほどこういう感覚だったのか。これは確かに――危険だ。戦いの中で陥るものとしては致命的すぎる。

 ……ティナは魔力が切れても体が動かなくなるだけだと言っていたな。ある程度個人差があるのだろうか。

 あやふやな現実とは対照的に、頭は十分に働き続けている。戦闘後に常にこんな感覚を覚えていたのだとすれば、確かに考える癖が付いてもおかしくないのかもしれない。


「よぉレニー、これ飲めよ」

「……これは?」


 手渡されたのは、液体で満たされた茶色の小瓶。薬、だろうか。


「そ。かなり不味いけど、さっきの奴よかマシだぜ」



◆◇◆◇◆◇◆



 私は人間とそれ以外の生物との差を、他者を重んじ社会を守ろうとする()()だと考えている。

 それを持たない()()()ではなく、この世界風に言うならば"()()()()()の1匹だ。

 ついでに……彼にとっては残念かもしれないが、私は魔物相手に加減する理由を持ち合わせてはいない。


(氷よ、舞え)


 シュ・ウィニエル・レズド。

 久々にこの魔術を使う気がする。フィールがある以上使う機会はないと思ってたし、フィールを知る以前は消費魔力が大きすぎて扱いきれなかった。実戦で使うのは1年ぶりだろうか。

 でもそれは私にとっては何の問題にもならない。この魔術は"使えない"ではなく"使わない"魔術なのだから。

 レンズを知らなかったからこそ、無理矢理に作り上げた私の()()領域。クニードやダンではないからこそ可能な発現速度と魔力展開。

 シュだからこそできるこの魔術。シュであるにも関わらず射程を拡張させた私のオリジナル魔術。


 後2つ。

 だと言うのに、正面の男は気持ちよさそうな顔を晒しているだけ。

 雪が舞う。

 私ではなく、回りを見ていればよかったものを。


(強固な姿をここに表せ)


 ゲシュ・ゲイゲズビオ・ニゲウニド。

 舞い散る雪々に新たに命ずる。柔らかに舞う雪の結晶を、極小サイズの氷の棘へと変貌させる。

 絶えず蒸発と再凝固を繰り返す氷の棘は、その切れ味を失うことは絶対にない。


 準備は整った。

 後1つ。


(氷よ、封ぜ)


 極端に短い最後の詠唱、ウィニエル・ズビオ。

 だからこそ、強いイメージを受け付けられる。そのためにだけに分離させた最後の詠唱。

 ある一点へと集まれと、舞う氷に命令する。たったそれだけの詠唱文。

 さ、レニーはスクロールで対応してたけど、お前は……まだ気付かないんだ。少し拍子抜け。


 両手を思いっきり握りしめる。どんなマゾでも、さすがに破裂は気持ちよくはないはずだ。

 皮が裂け、肉が散り、血が溢れ出す。ざまあみろ。

 その表情が見たかった。でも私を見ている場合? もう術は完成してるんだ。遅すぎた。


 カラフルな表情を晒した後、不意に上がった膝に私の顎は撃ち抜かれた。

 でもそんなの意味はない。これがゾエロ、私は魔術師だ。


 悲鳴が上がると思ったのに、そんなことはなかった。

 陰茎を破裂させた氷像、なんて芸術的ではないものがあるだけだ。

 氷像にしては赤いかな。でも紫陽花みたいで綺麗じゃん。青の氷、赤の血、紫の顔。

 下衆の最期としては立派すぎるかもしれない。


「……エル・クニード(水よ、溢れよ)


 いつも通り手を洗う。

 魔物を狩った後、戦士連中は決まって手を洗う。この世界の冒険者は結構綺麗好きだ。

 私はあまり血を浴びるのに慣れてないけど、浴びた場合にはちゃんと洗うようにしている。気持ち悪いしね。


 ああ、結局3番目になってしまった。ま、仕方ないか。ちょっと我慢できなかった。私って結構ヤバい奴なのかもしれない。

 と、ふざけてる場合じゃないな。魔石はっと……いや凍ってるから無理か。このまま平和に処理するには――。


プート・(風よ、)ウィーニ(流れを)・レズド(進めよ)


 ウィーニは本来風を生む魔言のはずだが、プート合わせると風化や劣化、腐食といった性質へと切り替わる。

 だからこの魔術を使えば……うん、いい感じに肉が溶けてきた。骨はそのまま残ってるけど、これなら魔石も取り出せる。……なんで取り出そうとしてんだろ? 売れるわけでもないのに。

 こ、これが職業病って奴か!? まあ不死生物対策にもなるし、もう発現させちゃったし……うん、取るだけ取っとこ。

 しかし肉が溶けるっていうのはどういうことなんだ。"風化"させた結果細胞膜が壊れていってるとか……? うーん、よく分からんな。っと、そろそろ頃合いか。


「くっさ」


 久々に魔術を連発したせいか、ちょっとクラクラする。挙げ句にひどい臭いだ。これは肉が溶けたせいというよりも、排泄物の臭いがそのまま来てる感じだな……おえ、吐きそう。

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