六十七話 牢とアンジェリア
「これはガキの部屋な」
いつまでも走り続けるわけでもなく、どうやら中継所と呼ばれる建物に着いたらしい。少しして、隣の箱が運ばれていった。
残念ながら私には自傷するだけの覚悟が足りて……いや、力が足りていなかった。というかこの姿勢ぜんっぜん力入らない。無理ですよ。もう両腕麻痺してるし。
「これは魔術師の部屋」
今度は私、というか私の箱? の番。数人に担がれそのまま建物に運ばれていくらしい。
建物に入るとすぐに左に曲がり、少しして右に曲がり階段へ。下り終えると右に曲がり、しばらく歩いた後にまた右へ。最後に左に曲がるとそこに置かれたらしい。
ざわつきというかなんというか、この部屋には他に人が居るらしい。売り時が来るまで保管しておくつもりなんだろうか、と考えていたら箱が開けられ、麻袋が外された。
あの、私全裸なんで、その、できれば何か布的なものが欲しいな――なんて一瞬考えてみたが、周りを見れば全員裸。私を運んできたこいつらだけが服を着ている。服というよりかは鎧というべきか。
「変な気を起こすなよ」
頭のものだけでなく、全身の拘束具が外されていく。屈辱的な姿勢だが、それよりも解放感の方が大きい。
こいつらは見慣れているのか、特にそういう視線もない。嬉しいような悲しいような複雑な感情だが、これで四肢は自由。後は魔力さえ……あれ、見える。感じられる。薬ではなくあのロープだったのか。
少しして、私を運んだ3人が部屋を出ていった。もう1人の女性はこの部屋ではなく別の部屋、ということだろうか。
「ゼロ・ゾエロ」
聞こえないよう小声で詠唱。しかし発現はしない。
……足元、いや部屋中に魔法陣が広がっている。あの図書館の奴とは少し違い、魔力が吸われるような感覚ではなく、魔力自体をかき消されているような感覚だ。動力は私達ではなく魔石によるものだろうか。
「あんたも検問所?」
声を掛けてきたのは短めの髪の女性……いや、この部屋自体全員女か。男女で部屋を分けている? いや、私のことは魔術師と言っていた。その奴隷候補によっても部屋を分けているのか。
なるほど。これは予想外に大きい組織なのかもしれない。
「おーい、無視すんなよ」
「アルムーアに向かう途中に」
会話はそれっきり。気付けば座り込んでしまっている。
この部屋には私を含め3人が閉じ込められている。ベッドのようなものはなく、部屋全体が汚く臭い。部屋の片隅には特にキツい匂いのするバケツが置かれている……汚物入れか?
中継所と言っていたし、あまり長期的に人を閉じ込めておく部屋という感じではないらしい。つまり近いうちにまたどこかに運ばれる、と。
この部屋からの脱出は……難しいか。魔術は使えず、壁は石か何かでできている。扉のある壁は全面鉄格子で、錠は魔道具ではなく物理的な鍵を必要とするもの、と。
魔術さえ使えれば開けるのは容易いだろうけど、残念ながらこの部屋では使えそうにない。……私は根っからの魔術師だな。何かをしようとすればすぐに魔術に飛びつこうとする。発想の幅が狭すぎる。
あの錠が何かは分かるし、その構造に関する知識も多少はある。ヘアピンでも残っていれば試すこともできたかもしれないが、残念ながら現在手元には残っていない。
私が今持っているものは……何もないか。身一つだ。厳密に言うなら左腕に関しては感覚が戻りきっていない。これ大丈夫かな。変な後遺症とか残らないといいけど。
ぷらんぷらんしている左腕はともかく、右腕に関しては痺れこそ残っているもののもう十分動かせる。両足は……こっちはまだダメだな。長時間正座した後みたいな状況だ。
つまり右腕1本だけ。絶望的だな。せいぜい魔力視が使えることを喜んでおくべきか。
部屋はほぼ真っ暗で、普通の視覚にはほとんど頼れない状況だが、私には魔力視がある。こっちは色なんかの判別はできないし、普通の視覚とは見え方も違うけど、それでも物が見えるには変わりない。
あいつらの持っていたランタンがあればもっと見えるようになるけど、あれも魔道具には見えなかった。ここが地下室であることを考えるに、あんまり長時間使い続けるのはよくないのかもしれない。
短髪は"も"と言っていた、つまり彼女も検問所で攫われたってことか。ここは"魔術師の部屋"らしいから、2人共魔術師ってことになるか。魔術師は高値で売れる……なんてこともあるのかもしれない。
この部屋にはもう1人、私よりも長い髪の女が入れられている。こっちは長髪と呼んでおくか。長髪は体育座りのまま、ブツブツと何かを――魔術の詠唱を繰り返している。当然それは発現しないわけだけど……彼女はダメかも。
「いつからここに?」
「昨日だよ。こいつは知らない」
「他に人の出入りは?」
「なんでそんな……さあ。私が来た時には、こいつだけ」
こいつ、と先程から呼ばれているのは長髪の方だろう。
しかしこんな暗いのによく見えるな。彼女も魔力視持ちなのか? それとも単に目が慣れた? ……うーん、慣れるはないか。私だってずっと暗かったのに、未だに全然見えないわけだし。それか単に種族差?
短髪の顔は魔人っぽく見えるし、魔力も魔人並にある。だが魔人と呪人の魔力は質が少し違う。だから魔力を詳しく見れば呪人だということが分かる。今はほぼ魔力視に頼りきりだから分かったけど、普段なら魔人だと思ってしまうかもしれない。
「アンって呼んでくれ。そっちは?」
「……ヒト、で」
「ハハ、変な呼び名だな」
他にアンと呼ばれてる人を見たことがないわけでもないが、しかし面と向かって被るのは初めてだ。咄嗟に前世の名前を出してしまった。……別にお互い同じ名前で呼び合っても良かったのかもしれないけどさ。
変な呼び名、ね。まあ日本語由来だし、こっちの呼び名のルールからは少し外れてるか。ヒットとかにしておけばよかった。
「食べ物や飲み物なんかは?」
「日に1回。今日はもう来ないぞ」
こんな状況であるのに、私のお腹は先程からぐぅぐぅと鳴き続けている。あのダンジョンに比べたら全然マシだが、とはいえ空腹であることに変わりはない。
最後に食べたのはややしょっぱいクッキーで、飲んだのはブドウっぽいジュース。どっちに薬が入ってたのかは分からないし、どっちにも入ってたのかもしれないけど、とにかく記憶の中で最後に口にしたのはあれだ。
記憶の中で、というのはどうにも不思議な臭いが口の中に残っているせい。最初はあの布かと思ったがちょっと違う……なんだろうな、妙に不快な臭いだ。これのせいで意識の無い間に何かの薬物でも経口摂取させられたのかと思っていた。
今の所薬の副作用らしきものは感じ取れない。実は一時的に暗いところが苦手になっているなんて可能性はあるが、残念ながら現時点では判断が付かない。
「しっかしやっと喋れる相手が見つかったわ」
「この人は、ずっとこんな感じ?」
「ああ。私が来た時にはもうな」
ブツブツと詠唱を続けつつ、たまに頭を掻きむしる。それだけをひたすら繰り返す。あんまり長期間居るとこうなってしまうんだろうか? こうはなりたくない。
「どこで捕まったんだ?」
「同じく検問所で。宿舎に着いていったら薬を盛られて……」
「私と同じ奴かな。あいつかっこよかったもんなー」
かっこいい……んだろうか? 呪人の顔の違いは分かるが、それが良い顔なのか悪い顔なのか……そこまでは分からない。少なくともアンにとってはかっこよく映っていたらしい。
……ん、アン? もしかして――
「もしかして、アンジェリア?」
「……なんで分かった?」
「アンって呼び名だし、なんとなく」
やっぱりだ。多分この人私と名前が被ってるせいで捕まってる。
アンジェリアなんて名前はそこまで少なくはないけど、だからって"魔術師の"をつければ数はかなり減る。
あれ、じゃあもしかして、本当に……?
「もしかしてついでに、魔力見える?」
「……なんで分かった」
「こんな暗いのに、私の姿が見えてるっぽいから」
「それが見えてるってことは、ヒトもだろうな」
「ああ、うん。私も見える」
間違いない。これもう確定だろ。絶対私のせいだ。アンジェリアって名前で、魔力が見えてて、魔術師で……私と被ってる要素が多すぎる。
カーラハーンがいくつも確認してたのはこういうことがあるせいか。ああ、もう……なんか責任感じてきたぞ。長髪はともかく、この人はなんとかして逃してあげたいな。
「私もアンジェリア。呼び名はアンでもヒトでもどっちでも。ついでに魔力視持ち」
「ふーん、似たもん同士ってわけか。……いや、違うな。そういう人間を狙ってるのか?」
「ほら、冷血のユーストの妹。あれもアンジェリア」
「ああ、ユースト。あいつらからも聞かれたが……あんまりこっちの事情には詳しくないんだ」
「というと?」
「2年前に魔人大陸から移ってきたんだよ。出身はダニヴェスってとこ」
世の中にはそっくりさんが3人は居るというが、それは姿だけでなく内面的な、それこそこのもう1人のアンジェリアのようなものにも適用されるのだろうか。
ダニヴェス出身で、魔力視持ちで、魔術師で、そしてアンジェリア。いや、もうそれ私じゃん。私にしちゃ身長高いし胸もあるし顔も違うけど、姿形を除けばほぼ私じゃん。
「六花の魔術師って知ってる?」
「それならアストリアで――ああ、アストリアってのも魔人大陸の国だが、そこで聞いた」
「私の出身もダニヴェス。あっちのことも知ってるよ」
「……ここまで被ってると気味が悪いな。ダニヴェスのどこだ? というか魔人語にしないか?」
私としても、呪人語よりは魔人語の方が喋りやすい。
しかし気味が悪いとはこっちのセリフでもある。そっくりついでに私もこのくらい大きくなれればいいんだけども。
「ダール。リニアル沿いにある……ってアストリアに行ったなら知ってるかな」
「もちろん。私はイーリルの近くの小さな村。ダーレの南の方が分かりやすいか」
「ダーレってアーフォートの近くだっけ。実は行ったことなくて――」
◆◇◆◇◆◇◆
久々の同郷との出会いに、こんな状況にも関わらず殊の外会話が弾んでしまった。いや、こんな状況だからこそなのかもしれない。
話している間は気が紛れるはず。気丈には振る舞っていたが、この"もう1人のアンジェリア"もなんだかんだ不安なんだ。
私だって不安じゃないと言えば嘘になる。でもだからって不安だ不安だとばかり考えていたところで何にもならない。
状況を打破する糸口を見つけるため、少しでも情報収集を……いや、これも嘘だな。半分くらいは単純に会話に縋っていた。この状況はそれほどに絶望的だ。
「なあ、お前もアンじゃないのか?」
長髪に対しアンが声を掛けるが、返事はない。
「やっぱダメか」
「彼女呪人だよ。魔人語分からないかも」
「なあ、アン。おーい、アン」
なんかもう、凄い不思議だ。
私はアンで、短髪もアンで、長髪も多分アンで、短髪のアンが長髪にアンと呼びかけているのをアンである私はぼーっと眺めている。
なんだこれ。面白くなってきた。
「何笑ってんの」
「なんかもうアンがアンにアンって意味分かんなくて面白くなってきた」
「……こっちは真面目なんだけど?」
「アハハ、ごめんごめん」
さて、仲間的なのが増えたのはいいが、2人に増えたところでこの状況が変わるだろうか。
一旦情報を整理しよう。
短髪のアンは6級冒険者で、他に2人の男性とパーティを組んでいた。ラッドリンとゴルカという名前だが、きっと私はすぐに忘れてしまうだろう。でもまあ今くらいは覚えていられると信じよう。
ゴルカも呪人であり、魔人はラッドリンのみという魔人大陸ではやや珍しい編成。ゴルカは戦士であり、ラッドリンは魔戦士とでも呼ぶような、雑に言えばティナやカクのような感じだったらしい。つまりゴルカはレニー枠で、アンはアン枠だ。……ややこしいな、やめよう。
元々はヴァイヤニアというもう1人の戦士とゴルカとアンジェリアの3人でパーティを組んでいたらしいが、ネフリンにてラッドリンと入れ替わるようにヴァイヤニアが離脱。
ヴァイヤニアに関する情報はせいぜい呪人の女性で戦士だったというくらい。今後役に立つことはほぼないだろうし、詳しく知る必要もないか。ラッドリンを加えた彼女らはそのままネフリンからヘクレットに移動したらしい。
ヘクレットに限らずヘッケレン内でクエストをこなすうち、ラッドリンがアルムーアの方が稼げそうだと言い出したため移動。そしてカーラハーンらしき人間に捕まったと。
凄いな。サークィンではなくネフリンだったり、パーティ編成や人数が違ったりの差異はあるけど、被ってる要素がかなり多い。こんなに似たルートを選ぶ人間も居るのか。
ちなみに彼女らのパーティ名は……なんと訳そうか……コンタクトとしておくか。まあ、そんなパーティ名らしい。残念ながらコンタクトに聞き覚えはないが、あっちもあっちで紫陽花を知らないらしいのでお互い様だ。
彼女も魔術師で且つ魔力視持ちではあるものの、魔言の聞き取りはできないらしい。まあ魔力視があるってだけで魔術師としてはかなり恵まれてるはず。私に至ってはきっと最高の環境だ。……闘気は扱えないけども。
魔言を聞き取り組み合わせられないというだけで、魔言自体の理解度はかなりあった。というかラッドリンが魔言を聞き取れていたらしく、魔術の構成をラッドリンが担当し、実際に詠唱するのがアンジェリア……って感じだったらしい。なんか面倒臭そう。
フアとは違い、全く同じ魔言を用いる魔術……例えばリチ・ダンを"火よ、撃て"と"火よ、穿て"で使い分けられるという。ここらへんは魔力視の影響もあるのかもしれない。
私もある程度自分の事を伝えた。ただユタの妹だという情報に届きそうなものは伏せながら。逆恨み……ではないけど、そんな感じで喧嘩になったらたまったもんじゃない。
確かにアンは私のせいで捕まってるわけだけど、それは彼女の低い情報収集能力にも起因してるし、ていうか私ばっか責められたくないし。
お互いの情報を知った上で、改めて現在の状況に絶望している。
この部屋に広がっている魔法陣は、魔術だけでなく闘気さえも制限している。私は使えないので分からなかったが、アンは人並みには使えるらしい。
闘気を使った生物は、私の目には魔力が薄くなるように映る。何度かアンに試してもらい再確認したが、こちらも魔力同様に霧散していってしまうらしい。闘気も魔力も根本は変わらないと聞いたことがあるし、1つの魔法陣で両方共抑えられてしまうのかもしれない。
壁は全て石に見えるが、天井と床はコンクリートのような建材か。触れた感じは石と大差無いが、魔力視では壁よりも薄く映っている。確定ではないが、ある程度推測はできる。だがそれがここを脱出する鍵になるとは思えない。
こっちの世界では今までコンクリートのような建材は見たことがない。前世ではローマだかギリシャだかの時代には既にあったらしいし、であればあってもおかしくはないか。魔人大陸では見たことがないと言い直そう。
もしこれがコンクリートであれば、分子同士が結合してるわけではないから引張強度は低いし、逆に圧縮強度は骨材のおかげで高いはず。まあコンクリートだとは限らないけど。
そもそもが全く別の建材である可能性もある。魔力が薄く見える辺り、あんまり前世の知識からかけ離れたものではないとは思うけど……こっちとあっちでは異なるルールもあるから厄介だ。
まあこの建材が何であったとしても、結局のところ魔術を発現できない私達にとっては破壊不能な物体であることには変わりはないか。
扉のある壁に目を向けてみれば、こちらは一様の鉄格子。唯一扉だけは木製のように見えるが、よく見てみれば魔力の薄い線が走っている。多分金属の枠に木をはめ込んだような構造だ。
ただの木製なら必死に体当たりを繰り返せば壊せたかもしれないけど、本体はあくまで金属であり、木の部分は装飾だと思われる。なら木の部分を剥がすだけでは特に意味は無い、か。
もし仮に魔術が使えたとして、魔術は金属に対してはなぜか非常に効きづらいため完全に破壊するのは難しいだろう。ヒンジの部分を集中的に狙えばなんとかといった程度だが、どちらにせよ魔術が使えないのでは話にならない。
扉、壁、天井、床と考えてみたが、どこからも脱出できるようには思えない。
であれば私をここに運び入れた彼らが扉を開ける瞬間……くらいしかないが。
「無理だって。あいつら強いもん」
アンは既に試したらしい。メイスのようなもので全身の骨を砕かれた挙げ句、療術によって回復され再収容されたんだとか。
彼らはこの魔法陣の影響を受けないらしく、魔力に闘気になんでもござれらしい。理不尽にも程がある。
◆◇◆◇◆◇◆
2日目というべきか。寒さに体を寄せていたうちに2人共寝てしまった。ここは地下室だと思うが時間による寒暖差が多少はあるらしい。
右腕と両足に関してはもう十分に回復しているが、左腕はまだ微妙。肩が脱臼していたらしく、無理やりはめ込んではみたものの、未だに痺れが残っている。鎖骨が折れていなかったのは運がいい。
彼らが3人現れ、うち2人によって長髪がどこかへ連れて行かれた。残り1人は私達に食事を残していった。2時間ほど経った後、長髪が戻された。どうやら長髪は慰み者にされているらしく、嫌な匂いが鼻を突いた。
彼らは全員が魔力の濃い腕輪を付けていた。あれが魔道具であることは確定だが、どんな効果だろうか。もし魔法陣に対する対策品であれば、あれさえ奪えれば。
ここは中継所だと言っていたが、どうやら"商品"を保管しておくための倉庫のようなところであるらしい。
たまに左に箱が運ばれ、右に人間が運ばれていく。運ばれていく人間のほとんどが子供である辺り、子供が売れ筋の奴隷商……といったところか。
◆◇◆◇◆◇◆
多分4日目。長髪は昨日からずっと帰ってこない。
天候が悪いのか、昨日からずっと寒い。魔人である私はまだ耐えられるがアンには厳しいらしく、熱を出してしまっている。
新たにラーンとピスが入ってきた。そのどちらも"アン"ではない辺り、ここは別にアンジェリア収容所ってわけではなく、つまりあの長髪もアンではなかったかもしれない。
2人は検問所ではなく、ダ・ビウン方面へ向かう途中にあるハルマ森で捕まったと言っていた。ハルマ森は舗装された道があるとは聞いていたが、やはり森は森。魔物よりも危険な生物は潜んでいたらしい。
今度はピスが連れて行かれた。彼らは髪の長い女が好きなようだ。
◆◇◆◇◆◇◆
多分6日目。
アンの容体は芳しく無く、悪くなる一方。ピスの啜り泣く声だけがずっと響いている。
彼らとは風貌の違う人間が現れ、こちらを眺めていた。あの腕輪を付けてないところを見ると、ここの組織の人間ではないのかもしれない。
彼らと何度か会話した後、少ししてラーンが連れて行かれた。その後帰ってこない辺り"売れた"のだろう。女を女が買うこともあるんだな。
◆◇◆◇◆◇◆
多分7日目。
そろそろ気が滅入ってきた。
行動を起こした際に失敗しないよう情報を集めているつもりだったが、新しい情報は全く無く、結局のところただ無為に過ごしているだけだ。
アンは熱も高いままで、昨日から目を覚まさない。今夜が峠だと言われたら信じてしまいそうな状況。
「羨ましい……もう疲れた」
ピスは長髪ほど弱っているわけでもなく、延々と泣いていたりはしないが、こちらを恨むような目で睨んでくるし、長く話そうとすると喧嘩になってしまっている。
初日こそある程度話せたものの、今は少しの言葉を交わす程度。
「ねえ、あんた見えてるんだっけ」
「まあ」
ピスから私に声を掛けてくるなんて滅多にないのに。
「この痣も?」
「痣?」
ピスが自身の首を指差すが、残念ながら私には見えない。
魔力視で見えるのは物質の魔力とその形状であって、色だったり痣だったりは判別できない。
「あいつらさ、首絞めてくんの。そっちのが気持ちいんだって」
なんて返そうかと困っているうちに、ピスの言葉が続いた。
「いっそそのまま死んじゃえればいいのに」
私には分からない。分かろうともしたくない。
大多数の人間にとっては死とは終わりかもしれないが、ピスもそうだとは限らない。
「あんたさ、殺してくんない?」
「……え?」
「自分じゃダメみたいなのよね。だからほら、あたしの首絞めてさ」
疲れたって、そういう意味か。
人殺しを忌諱しているわけではないが、だからと言って理由無くしたいわけでもない。
……この場合はどうなんだろう。私には理由がないが、ピスには理由がある。
「あんた冒険者でしょ? 魔物を殺すのも人を殺すのも大差ないでしょ」
そう言われると困ってしまう。確かに魔物も人間も同じ生物であり、魔物を殺し続けてる私には大差無いのかも知れない。
しかしピスを殺さない理由はいくつか浮かぶ。その中で最も大きいのは私にメリットがないこと。
ここでピスを殺したとして、次が私でないとは言い切れない。ピスには生きていてもらったほうが都合がいい。
次がピスは人間であること。……いや、あの男らを殺そうと考えてたんだ。これは理由にならないか。
「……あーあ、ダサいなぁ。1人死ぬことすらできないだなんて」
泣き始めるピスを前に、私は言葉が見つからない。
ここはなんて説明するかよりも、励ますとか、そういう系の方が正解じゃないか?
……励ましてどうなる? 結局ここを抜け出す手段は見つかってないのに。ただ地獄に居る時間を伸ばすだけの結果になるだけじゃないか。
死のうとするだけの気力があるのなら、それを別の方向に向けられるのなら、何か変えられないか?
あの頃の私とは違うんだから。ただ死んでいなかっただけの私とは。
……私も覚悟を決める必要があるか。1人よりは2人の方が成功率は高いだろうし。
「殺してあげよっか」
「……ホントに――」
期待したような表情、失望したような表情。
続きは紡がせない。
「そうしてほしいなら言う通りにして。
私はまだ死にたくない。ここから抜け出さなきゃいけない。
だからもう、死んだ気で私を手伝って。
全部が終わった後、それでも死にたかったら殺してあげる」
「……そう。言葉遊びが好きなのね」
決まった、と思ったのにそうでもないらしい。
人の心は読みづらく、それを操るのはやはり難しい。
彼女はどうすれば私の思い通りに動いてくれるだろうか。