六十三話 胸の穴と無詠唱
実技試験、だなんて聞こえはいいが要するに模擬戦。
魔人大陸のときと違い、専用の建造物に案内されている。普段は闘技場としても使われてるところで、無駄にだだっ広い。……結局アストリアのは見に行かなかったな。行っておけばよかった。
壁面に刻まれている魔法陣は、対処術のものだろうか。魔術にはそれぞれ専用の対処術というのが存在しており、正しいものを選択すれば効率的に防ぐことができる。
例えば……いや、魔法陣はそこまで柔軟性に長けたものでもない。なら単に防御術かな? 魔力も通ってないみたいだし、ただの催し用とかかもしれないか。
足元にも同様に刻まれている。こっちは壁に刻まれているものとは種類が違い、療術の魔法陣だと言っていたし、今も魔力が通ってる。
療術の魔法陣だなんて聞いたことがないけど、本当に大丈夫なんだろうか? そもそも療術は死んだ人間を生き返らせたりすることはできないし、新たに発生させられない部位も存在する。それは脳であったり、眼球であったり、いくつかの内臓であったり……。
まあ手足をちぎるくらいなら問題はないか。腕が切断されたとしても、断面を合わせて療術を唱えればくっつくわけだし。結構アバウトだがこれが現実、現実は空想より奇なりだ。……なんか違うか? まあいいや。
やること自体はあっちと大して変わらない。要するに自分の実力は6級以上だと示せばいいわけだ。
どうやら試験は4回行なわれるらしく、2回目は目の前にいる4級冒険者との対戦。3回目は闘技場らしく向こうが連れてきている魔物との対戦。4回目に関しては教えてくれなかったが、どうせゴブリン殺しとかだろう。……いや、こっちにはゴブリン居ないんだっけ。
1回目は既に済ませた。練度の再確認とやらで、私の場合は的に向かって魔術を撃つだけの簡単なゲーム。……いや、実際はそこまで簡単でもなかった。
私はほとんど動いちゃダメだし、2術しか使っちゃダメだし、的自体も水弾で攻撃してくるし、エリアには土壁が設置されてるし、的はカバーアクションしてくるし……棒立ちで魔術による射撃戦をさせられたような感じだ。まあFPSみたいで楽しかったけどさ。
「両者、準備せよ」
2回目の試験官も変わらず4人。うち2人は魔術師だと名乗っていた辺り、多分療術も扱えるんだろう。足元の魔法陣だけじゃどうしようもない場合なんかに出番が来るんだろう。
残念ながらと言えばいいのか、ヘルス……なんて言ったっけ、あのギルド長の姿はない。考えがまとまったおかげでいくつか聞きたいことができたのだが、あの人はかなり忙しい身らしい。ギルド長ってのは結構大変なのかも。
……今考えることじゃないな。
向かい合うのは4人の現役4級冒険者。見た感じ3人の戦士と1人の魔術師で、戦士のうち1人は軽装で弓を持っている。残り2人のうち片方は片手剣と大きめ盾、もう片方は大きな剣と分厚いガントレットが特徴か。
魔術師に関しては見た目から何をしてくるのかが分からないためなんとも言えないが、魔力はティナの半分ほど。あれで本当に魔術師? って思いたくなるけど、呪人の魔力なんてそんなもんだろうし、効率よく使えるパターンかもしれない。
攻撃型前衛1、両型前衛1、弓型後衛1、魔術型後衛1、といった構成だろうか。弓なんて少数同士の対人戦であんまり活躍するものだとは思えないが……まあ当たらなければ、だけど。当たったらヤバそうだから要注意だ。
それにあの弓術士、横の魔術師と同じくらい魔力がある。単なる物理攻撃だけでなく、魔人の弓術士のように魔術付きの矢が飛んでくる可能性が極めて高い。
一方こちらは防御型前衛1、攻撃寄り前衛1、魔術型後衛1といったところ。ティナは魔術も結構使えるが、とはいえ使いすぎると機動力に支障をきたす。あんまり魔術師としてはカウントしない方が良いかもしれないが、使えることは覚えておくべきだ。
浮かんだ案を砂っぽい地面に書いていく。レニーをあの大剣に、ティナをあの剣士っぽいのに、私をあの魔術師にぶつけるとなると、残念ながら弓術士がフリーになってしまう。人数差があるだなんて卑怯だとは思うが……まあ仕方ないか。そういう試験なのかもしれないし。
「それにするのか?」
「もうちょっと考えさせて」
こういうのはカクの役割だったのに……いや、もう居ないんだ。私達だけでなんとかしよう。
レニー1人に戦士2人を任せられるだろうか。仮に2人を抑えられたとして、ではティナが弓術士に、そして私が魔術師に。……悪いようには思えないが、しかしあの大剣は見るからに脅威。それに彼らは4級冒険者だともいう。
油断せずにレニーは大剣とタイマンさせておいた方が良いか。
「レニーは大剣の対処……いや」
残る手駒はティナと私、対処するべきは魔術師と剣士と弓術士。
おそらく私1人ではあの魔術師か弓術士のどちらかしか止められないだろう。対剣士はきっと向いてない。となるとティナが剣士担当になるけど……じゃあ私1人であの2人の対処? 無理だ。
……考え方を変えようか。1人1人に対処するのではなく、その攻撃に対処する方向で考えてみよう。
左右にレニーとティナを展開、2人に私を守らせ私は魔術で攻撃。さっきよりはいい案かもしれない、けどティナはそんな戦い方をほとんどしたことがない。
「ティナ、防衛できる?」
「レニーみたいにか? あんま得意じゃねーけど……」
「魔術と矢に限定したら、どう?」
「……そんくらいなら」
付け焼き刃的だが、刃こぼれする前に終わらせればいいか。
横よりは縦だな。縦に並んだ2枚の壁で主砲を守る。うん、悪くなさそうだ。
「レニー、1番前で戦士2人の対処をお願い」
「2人だと? ……あまり長時間は無理だぞ」
「ティナはすぐ後ろで投射攻撃の対処。レニーへの攻撃もできる限り防いで。攻撃は考えなくていい」
「マジで? アタシ1人で? アンはどうすんだよ」
「1人……あの弓術士を潰す。とにかく、私が盾って言ったらこの縦一列の陣形を取って」
いつまでも守りきれるとは思ってもいない。
同じ作戦を続けていれば、きっとそのうち対処される。
だからまずは同数に持ち込もう。場合によってはまた使うかもしれないから、魔人語で盾と名付けておく。盾といえば、またこの陣形に戻れるように。
「後衛のどちらかを潰せたらレニーは剣士の、ティナは大剣の、そして私は残った方と一対一をする。こっちは矛」
ティナの頭に入れられる程度の策しか練れないが、そもそもこんな短時間じゃそこまで強力なものも考えつかない。
「どちらか? 弓持ってる方を潰すんじゃねーのか?」
「あの弓術士、横の魔術師並に魔力がある。もしかすると防がれるかもしれない。
1発目で強力なものを使う予定だけど、失敗する可能性も考えてる」
弓と魔力がどう作用するか……有名なのはトウを鏃に掛け殺傷力を上げるものだが、ウィーニやレズドによる射程延長や軌道変更、それからウズドによる爆発矢のような使い方もある。その場合の弓術士は下手な魔術師よりも脅威になる。
だが1番怖いのは攻撃と防御を分けているパターン。魔力を全て防御に回された場合、その魔術練度によっては私の術が通らない可能性もある。
そもそもそんな運用をする弓術士なんて弓単体での攻撃力がおかしいはず。……いや、1番は言い過ぎか。これを柔軟に切り替えられる奴の方が脅威度としてはずっと高いだろう。
「場合によっては剣士を潰すパターンも考えてる。その場合、レニーは弓術士の対処をお願い」
「アタシは?」
「ティナの矛は大剣の対処。ここは変わらない」
本当はレニーに大剣を任せたいのだが、覚えられない可能性があるからこっちだ。
「最後にもう1つ、嘘って言ったら――
◆◇◆◇◆◇◆
「始めろ」
「盾、エレス・ウニド・レンズ・クニード!」
試験官の言葉に合わせ、作戦通りの陣形を作り上げる。
それと同時、5mほど先に土壁を作り出す。卑怯かもしれないが予め魔力を展開しておいた。
「なあ、ホントに守ってりゃいいのか!?」
「呪人語で喋らない!」
相手は前衛2人が走り込んできており、後衛2人も攻撃準備に入っている。
予定通りだ。それなのに作戦がバレたら厄介なことになる。私達は全員が2つの言葉を使えるんだし、こういう時にこそ活かしていこう。
「リチ・ウズド・ダン!」
「爆火球!」
「見りゃ分かるよ! 爆水沫!」
相手の魔術師は初っ端からウズドを使ってきたし、真名の書き換えもできているように思う。
これは……殺し合いと考えたほうがいいか。加減する余裕はなさそうだ。
「頼んだぞ」
「任せとけって!」
レニーが少し前に移動し、戦士2人の対処に向かう。
レニーに放たれた矢をティナが水弾で撃ち落とす。やっぱり最初はそっちを狙うか。
今回1番危険なのはレニー、そして1番難しいのはティナ。早く次の段階に進まないと。
「ドイ・ダン!」
「水沫!」
飛来する魔術はティナがほとんど対処してくれている。
それに土壁もある。
「……ニグリチ・レズド・ニズニ・ラダン!」
「ウィーニ・レズド・クニー……ぅあ、あっちぃ!」
あの詠唱……上級火沫がベースか。ただの上級火沫でも厄介なのに、真名の書き換えといくつかの魔言のせいでヤバいことになってる。
ティナは魔力消費がやや多く、あまり長時間の魔術戦は得意としていない。
そもそもが魔術師ではない。
考えるのはここまでにしよう。
魔力を再展開する。
「軽いな。その大剣は空洞か!?」
「んだとてめぇ!」
狙うは現在こちらを観察しているあの弓術士。
だがもし外した場合……そうだな、2人まとめて当ててみようか。
ならやはりエル系か。
「どうした? 2人掛かりで6級1人も落とせんの――」
「――火沫! おいレニー、少しは避けろ!」
……あれ。あの弓術士、自身の魔力を展開している。
変だな。やっぱりただの弓術士じゃないのか?
まあいいか。あの魔力に触れないよう、私の魔力を展開していく。
こうすれば私の行動は確認できないはず。
「ロッツ!」
「は!? ドイ・レズド!」
もう十分に展開した。後はイメージと詠唱。
展開領域的に、直接足元から発生させることは叶わない。
……なら上か。
濡らすためならエル・ダンが手っ取り早いが、ここからでは距離的に防がれる可能性がかなり高い。だから魔力を展開した。
レンズ・ダンは制御がかなり難しいし、土虎の時のようにゲシュで加える場合では発射地点が読まれてしまう。
となればレンズ・クニードだが、クニードの速度には限界があり、ゾエロや闘気があれば簡単に避けられてしまう。
ならエル自体の速度を増してやればいい。ウィーニはレズドほどではないがある程度流れをいじる効果があるし、レズドほど集中する必要もない。
後はエル・ウィーニ、ウィニェル、エルィニのどれを選ぶかだ。
水自体の操作を優先するならエル・ウィーニだが、付着後に操作する予定はない。ウィニェルはそもそも水ではない。
であればエル・ウィーニよりも術数の少なくなるエルィニが正解か。
「エルィニ・レンズ・クニード」
彼らのほとんど真上に発現させたのは、雨の真名を持つ魔術。
魔術師への付着を確認。もう1人、あの弓術士は――居ない!?
突如体が押し飛ばされる。
一体何が……いや、今は術式の継続が優先だ。
弓術士の姿は見えないが、魔術師はずぶ濡れ。後は温度を下げるだけでいい。
リズは難しいかもしれないが、ウィニェルは慣れている。
大丈夫だ、こんな姿勢からでも使えるはずだ。
「プぁ……」
あれ? 声が、息ができない。
見れば左胸に矢が刺さっている。背中も少ししびれてるし、多分貫通してる。
ああ、見たらなんか痛くなってきた。こういう時、無詠唱ができたら便利だったんだろうな。
どうせなら試してみるか。
矢のショックで雨は解除してしまったが、領域自体はまだ縮小しきっていない。
この状況で使える、発現までに時間が掛からない、しかもイメージしやすい魔術。
……なんで最初にこれが思いついたんだろ。私らしくもない。
――魔力に風になるよう命令する。
私の魔力内に存在する全ての人間……本当は2人だけにしたかったが仕方ない。
――風に流れるように命令する。
全員に届いたとしても、理解できるのは2人だけのはずだし。
――風に乗せるように命令する。
(嘘)
良かった、発現できた。
きっといつも無詠唱を近くで見てたからだ。
嘘は雑に言ってしまえばやられたふり。私に攻撃が飛んできた場合、それが有効だったと勘違いさせるもの。
彼ら2人を自由に行動させ、注意の外れた私はフィールによる全面凍結を狙う作戦。
……ふりではなくなりそうだけど、療術でなんとかなるかもしれない。
大丈夫だ。肺は療術で回復可能な臓器の1つだと覚えてる。この位置なら他の臓器へは――心臓が傷ついていたら終わりだが、そうではないことを祈るばかり。
ああ、考える癖のせいで酸素を使いすぎてる気がする。
ゾエロで肺を動かして……無理か。ゾエロにそんな効果はない。
リニズならできないこともないかもしれないけど、残念ながら私は発現させたことがない。
……嘘は私の魔術を含めての作戦だったのに。これじゃ破綻だ。
後どれくらい時間があるんだろう。……何か1つくらい出せないか。
もう領域は縮小しきってほとんど残ってない。
もっとも、もし残ってたとしてもこのコンディションじゃフィールやレンズは使えないか。
……やっぱり、私といえばこれだな。
――魔力よ、氷の礫となり敵を穿て。
◆◇◆◇◆◇◆
真っ白い空間。
それが目前で終わっているのか、無限遠まで続いているのかは分からない。
ただ、白いだけ。
ここは……いつかどこかで見たような気もするが、はっきりとは思い出せない。
あれ、体が透けて……胸に矢が刺さってる……そうだった、模擬戦中にあの弓術士に撃ち抜かれたんだった。
ここも思い出した。転生前に来たところだ。ってことは……また死んだのか。
模擬戦だなんて言ってたのに、療術魔法陣があると言ってたのに。
……私が魔人だから? 私が女だから? だから、治療されなかった?
いや、考えても仕方ないか。もう過ぎたこと、どうだっていい。実は心臓にも当たってたのかもしれないし。
どうせ私には次がある。いや次しかない。終わりが来るかも分からない。
……3回目の人生、か。私はいつ止めてしまうんだろうな。
「3回目? 諦めるにはまだ早いんじゃねえか?」
誰?
聞き覚えのある声が後ろから響いてくる。
ここの聞こえ方はこんなだったっけ?
「よぉ。うだうだ考えるのも良いけどよ、自分をよく見てみな」
自分を?
私……私か。長いような短いような、変な人生だった。
まさかこんなところで死ぬとは思ってなかったからいくつか悔いは残るけど、今回も死ぬ苦しみは覚えてない。
「そうじゃねえよ、胸だ胸」
なんだよ、こんな時にも誂って……あれ? さっきここに矢刺さってなかった? 落ち武者みたいにさ。
「落ち武者? ……ま、お前はまだ死なないってことさ」
どうして分かるの? だってここ、死んだ時に連れてこられたところだよ。
「そん時も体はあったのか?」
……いや、なかった。体どころか目も耳も、何がなんだかよく分からなかった。
ということは、つまり。
「そ。分かったら起きろよ。あいつら心配してんぜ?」
意識が急に薄れていく。
待って。まだ話したいことが、返事が――
◆◇◆◇◆◇◆
周囲の喧騒によってか私の意識は現実へと引き戻された。
あれは単なる夢だったのだろうか、それとも魂子同士の何らかの技能だったり――?
「起きたぞ!」
「アン! 大丈夫か!?」
夢のとおりというべきか、私の胸に矢が刺さっているようには……いや、鎧にその痕跡がある。左胸に小さな穴。でもこの大きさじゃ貫通したとは思えない。
……本当は、刺さってなかった? それともこの療術魔法陣は鎧すらも修復してしまう? いや、私の口周りにはまだ乾ききっていない血液が付着している。やっぱり胸を射抜かれたのは確かだ。
でも、じゃあなんで鎧に穴が空いてないんだ……分からない。分からないけど、とにかく肺か何かの再生には成功したらしい。
前世と今世では、医学に関しては明らかに前世の方が発達してるはず。その前世ですら内臓の再生や回復はほとんど無理だったのに、一部の分野ではこっちの世界のほうが発達してるように思う。
いびつだ。
「な、言ったろ」
「だからってなぁ!」
口を開いたのは弓術士。悪びれる様子を期待していたわけではないが、とはいえここまで私を見ていないとさすがに多少の悪感情を抱いてしまう。
あの弓に私は殺されかけた。まあ、私も彼を殺す気だったんだからお互い様か。ティナが怒ってくれるのは嬉しいが、そんな道理、私達は持ち合わせてないんだよ。
「試験は? どうなった?」
「あー……負けた」
当然か。
結局あの後どうなったんだろう。静言を使ったところまでは覚えてるけど、えーっと……なんかしなかったっけ?
全員を観察してみるが、誰1人として怪我を負っていない。いや、治療済みというべきか。ここの療術は……下手するとダニヴェスやアストリアよりも進んでるのかもしれない。
よくよく見ればそれぞれの鎧や服にダメージが残っているのも確認できる。療術は生物に対してのみ効果を発揮するから当然っちゃ当然だけど、じゃあ私の鎧は……あれ? 1人足りないような。
相手の魔術師はさっきどっかに移動するのが見えたから、戦士、弓術士、魔術師……あれ、もう1人居なかったっけ?
「嬢ちゃん、立てるか?」
誰が居ないんだと考えていたら、髭をたんまり貯えた大柄の男性に声を掛けられた。この声は多分大剣を持ってた人かな? レニーと舌戦してた方だからなんとなく覚えてる。
「ありがと」
好意を無下にする理由もなく、差し伸べられた手を掴む。
ああ、片手剣の人が居ないのか。どこ行ったんだろ……というか、試験官も元々4人居なかったっけ? 付近には2人しか見えないんだけど、あれ?
「……どういう状況?」
「覚えてないか? カルフェン……そこの弓術士に射られたんだ」
それは覚えてる。
私が知りたいのはその先だ。
「俺が殺した」
弓術士……カルフェンが口を開いた。
「お前は確実に死んでたよ」
死? じゃああれは、夢じゃなく……いやでも療術は死んだ生物を、魔力が結晶化した生物を蘇らせることはできない。
誇張か?
「お前、見える魔人だろ」
カルフェンの手から魔力が伸びてくる。
この見え方は魔力領域を展開した際のもの。見えてるっていうのはつまり、魔力視のことか。
「この魔法陣の魔力だよ」
地面を指差しながら言葉を続ける。
「ここは闘技場だからな」
「闘技場、だから?」
「来たことないのか!?」
うん、と頷く。
ヘクレットの闘技場はもちろんのこと、サークィンの闘技場だって見に行ったことはない。
何か私の知らない常識みたいなものがあるんだろうか。
「アストリアだったっけ? 向こうは田舎なんだな」
「おい――」
「ここじゃ死なねーんだよ」
故郷をバカにされたせいか、レニーが食って掛かりそうになるが、髭大剣に言葉を遮られる。
"ここじゃ死なねー"……死なない? 療術とか、そういう以前の問題? どういうこと?
「器が壊れ、水が零れ失われる……それが死だ。
零れた水を別の容器に避難させ、その隙に器を治す。
魔術じゃ再現できないらしいが、これは魔法陣だからな」
「知った口叩くなよ器用貧乏」
「んだと髭コラ」
器が肉体、水が魂的なものか。
やっぱり私は死んでた――彼らの言葉を借りるなら死んではいないか。仮死状態とか……いや、体は死んで、魂が抜けて……それは死では?
……ああ、昔似たような言葉を聞いた。『――展開後だからまだ逃げてねえ――魔法を見るのは初めてか?』……あの化け物の言葉だ。そうか、あの時の化け物も魔力を広げていた。ロニー達はあの時、確かに死んでいた。
魔法陣と魔術はそれぞれ魔法の再現を目指して生まれた技術。なるほど、療術では再現不可能な現象だと思っていたが、魔法陣では既に再現されていたのか。
現実を書き換える、だったっけ。鎧の傷から考えるに、貫通しなかったことに現実を書き換えた? そんなのありなのか。
もしありだとしても、その前の現実では私は死んでいたらしい。じゃああれは、やっぱり夢じゃなかった?
「神様にでも会えたか?」
「……まぁ、似たような人と」
「そら幸運だな。幸運といや、シエナには会ったか?」
「シエナ?」
聞き覚えがあるような、無いような。うん? 誰だったっけ?
……んー、思い出せない。まあ元から人の名前覚えるのは苦手だし、仕方ないか。
「いや。だが緊急クエストで名前は聞いた。……知り合いか?」
「ああ。魔人大陸に行ったって聞いてな。まだ死んでねえのかあいつ」
あー! そういえばそんな名前聞いた覚えがある! 幸運のシエナ……までしか覚えてないけど、居た居た!
まだ死んでねえのかって……確かに悪運強いだのなんだのと噂は聞いたけど、ひどい言い方だ。人柄を知ってるわけじゃないからなんとも言えないけどさ。
しかし、どんな繋がりなんだろう? あっちは3級で、この人らは4級で……そういえばシパリアはシーナって呼んでたっけ。高階級同士の情報網的な何かがあるんだろうか。
「雷光のシパリアに聞き覚えは?」
「いや、知らん」
「海専の電撃女魔人だよ」
「なんでそこだけ魔人語なんだよ。つかなんで俺が知らねえんだ」
「言ってねーからだよ」
電撃女魔人て。まあ確かに合ってるっちゃ合ってるけど、こう、もう少し言葉をだな。このままじゃ氷結女魔人ってあだ名を付けられかねない。……もう手遅れか? 既に似たようなの付けられてるし。
まあいいや、ともかくやっぱり高階級同士だと……いや、これは髭大剣だけが知ってるみたいだし、情報収集の結果か。
4級の彼らを私は知らなかったけど、4級のシパリアを髭大剣は知ってる。単に行動範囲の問題か? 海専とか言われてるし。
「冷血のユーストは?」
「知らねえ奴探す方が難しいだろ。捕らえりゃ大金持ちだ」
指名手配とか言ってたしなぁ。そうなるか、そうなっちゃうのか。
「体に問題はないか?」
◆◇◆◇◆◇◆
『――話し込んでるうち、いつの間にかあの剣士と試験官が戻ってきていた。
あの魔法陣は大体の予想通り、その魔法陣上で起きたことの書き換え――今回の場合は戦闘内容の変更――らしい』
いや、もう、魔法ってわけわからないね。なんですか現実の書き換えって。過去改変能力ですか。確かにそう聞いていたし、実際に目にもしたけど……実際に受けてみてもさっぱり分からん。
ちょっと別のページでまとめてみるか。
『現在までに目にした魔法は3回。1回目がサンが"大回復"と呼んだもので、頭を強く打ったときのもの。昔過ぎてかなり曖昧だがオレンジ色の光を見た。魔力視が発現する前の記憶である点に留意。
2回目は化け物の使った、療術魔法陣に酷似した奴。この時はサンが療術のようなものを繰り返す光景が映し出された。サンが療術を成功させた世界への書き換えだと思われる。
3回目は護衛クエストで出会ったカザル。この時はオレンジ色の光も、領域拡張の魔力も確認できなかった。どう書き換えたのかは選択肢が多すぎてよく分からない。
あの時、魔法使いだと見抜いたのもカクか。当時は気にしてなかったけど、カクは魔法も間近で見たことがあるんだろうなぁ』っと、ここは要らない! エル・クニードっと……こういうときも魔術は便利だな。
うーん、やっぱり共通点が見出だせない。"大回復"での発光は他の魔法では見れてないし、化け物のあの重複した世界も他では見れてない。
特に3回目の時は違和感がまったくなかった。さも当然のように氷を作り出し、当然のように溶かしてた。最初見た時は無詠唱&形状構築すげえ! 程度にしか考えられないくらいには。
今回に関しては外から見ていたわけじゃないが、レニーいわく世界が重なるような景色は見れなかったらしい。まあ魔法陣っていう魔法とはちょっと違う技術だから、単純に比べることはできないか。
……一応まとめておくか。
『――魔法陣によるもの。私の左胸を貫き背にまで到達したはずの矢が無くなり、鎧へのダメージも軽微なものになった。矢が貫通しなかった世界への書き換えだと思われるが、口周りの吐血痕は残ったままだった。
試験官曰くになるが、書き換えには限界がありそこまで万能なものでもないらしい。怪我をした後に魔法陣上に連れてきても当然ながら回復不可等。
またあの魔法陣には書き換えだけでなく療術も刻み込まれているらしく、私の蘇生の場合では"複合魔法陣の増幅"という性質を利用したもの――』
ふぅ、思ったより長くなっちゃったけど、足りないよりかはマシか。
うーむ、やっぱり直接魔法使いに聞いてみなきゃ分からないかなぁ。……サンが教えてくれればよかったんだけど、ロニーに怒られるとかで全然教えてくれなかったしなぁ。
これ以上は時間の無駄か。ていうか明日もクエストがあるし、こっち書いてる場合じゃないか。日記の続きっと。
『――無詠唱による静言は発現し、氷沫も無事発現したらしい。氷弾を詠唱した気がするので制御に失敗したのかもしれないが、記憶が曖昧で断言はできない。
イメージングの補助をするという魔言を廃していることから、術者のイメージに強く依存すると思われるが……長くなりそうだから別のページにそのうち書き直す。
無詠唱が成功したのは嬉しいし、どういうものかの原理もある程度理解できた。まだ試してはないけど、多分他の魔術でも応用できると思う』
でも座標現象詞での発現は難しそうなんだよなぁ……座標現象詞は座標指定のために予め魔力を展開する必要があるが、その際には無詠唱とほとんど同じプロセスを辿ってる。
となると座標現象詞を無詠唱にするためには2つのイメージングを同時に、ってことになる。そんなん普通に考えたらできっこない。
まぁそこはおいおい考えていけばいいか。そもそも氷弾を狙ったはずが氷沫になってたようだし、今後も発現させられるとは思えない。
『――その後も試験は続いた。3回目は魔獣――呪人大陸独自の定義で、大型の魔物を示す"猛獣"に似た言葉――の1種であるビョウゴ、4回目は魔力生物との対峙となった。
ビョウゴは土虎によく似た魔物であり、図鑑によれば中部の森林に生息する魔物であるらしい。魔人大陸風に名付けるなら風土虎……いや、複数を用いる場合は片方だけを取ることが多いから、あれも土虎になるのかな。
この戦闘ではティナが大怪我を負い、ビョウゴは確実に殺したはずだが、どちらも魔法陣によって書き換えられた。確かに死を無かったことにできるのは便利かもしれないが、ここまで乱用していると死生観や倫理観などがどうなってるのか、純粋に疑問だ。
4回目の戦闘はファンムエイという魔力生物だった。魔人大陸で聞いたことのある4級の響霊と特徴が一致するためおそらくは同種。
必死の戦闘も虚しく……と書きたいが、残念ながらファンムエイの体を不自由にしてくる攻撃の前に大敗。その後私を包み込み、魔力を食べられ始めたところで終了となった。
あれは二度と経験したくない。なんというか、全身の穴という穴に侵入され、内側から喰らわれるような……ドイを練習しようという気になった。気持ち悪すぎて――』
うわ、書いてるだけで鳥肌が……ホントに……ていうかなんで私だけなんだ。ティナだって魔力めっちゃあるじゃんか。
あれが管理されてる魔物で本当に良かった。おかげで終了の合図と同時に解放されたが、あんな思い二度とゴメンだ。4級用の試験が混じってるとか聞いてない。
しかもなぜか懐かれた。だからなんで私なんだ。美味しかったと言われたけど……分かんない。分かりたくない。もういいや、次次!
『――予想外の出来事は他にもあり、私達は全員揃って5級の拓証を手にすることができた。ティナに限れば魔人大陸以上の出世である。
またこちらでは昇級条件がある程度公表されていて、聞けば普通に教えてくれたようだ。魔人大陸がそうであったせいで教えてくれないもんだと思い込んでいた。先入観は良くない。
それから、4級の彼らとは少しだけ仲良くなれた。ここらへんはカクがやっていたことだが、彼はもう居ない。
現在はレニーが紫陽花のリーダーではあるが、情報収集は私のほうが適役だろう。ティナの方がよく喋るが、彼女は彼女でたまに人を怒らせてしまうし――』
ちなみに6級用のものは亜人種の殺害、4級が魔力生物の殺害であり、それが最後の試験。7級と5級、それから3級以上は実績制となっているらしい。
7級と5級の場合では済ませたクエスト数による総合評価であり、3級は飛行する魔物殺害を含む一定数以上のクエストクリア、2級の場合は魔王個体の殺害など。1級についてはこちらでも公表されていない。
2級の内容はアストリアのものとは違うらしいが、それ以外は概ね同じだと言っていた。アストリアとダールで内容が変わるのかは不明だが、アストリアで受ける分にはちょっとしたカンニングにもなってしまった。
しかし以前に予想したものと大きくは乖離していないため、カンニングもクソもないだろう。とはいえ奇数階級が実績制なのは察していたが、3級以上は試験がないというのは少々予想外だった。
まあ真面目に考えてみれば大部屋1つを凍結させられる私が5級なのだ。3級だの2級だのといった魔術師が本気を出せば町1つくらい潰すのは想像に難くない……つまり、場所がないんだろう。
前世に比べ、今世では個々の戦力に大きな乖離が見られる。想像にはなってしまうが、1級の魔術師ともなればロケランを鼻で笑う程度の火力であったとしてもおかしくはない。
だが武術には物理的な限界射程が存在し、魔術は特に長射程ではあるもののやはり限界は存在する。特に射程に優れる、レンズを用いた魔術だったとしても2km先への直接攻撃はほとんど不可能。というか座標現象詞は扱える人間自体あんまり多くないらしい。
結局の所、魔術は前世での銃に成り代われたとしても、大砲やロケット、ミサイルなどには成り代われない。その銃としての運用ですら、取り回しを優先すれば100m先を狙撃できればいい程度。
現に大砲は前世の史実通り……のものではないが、実際に配備され使用されている。逆に銃の話は魔人大陸ではほとんど聞かなかった辺り、個々人の火力という意味では魔術で十分なのかも知れな……あ、考えが凄いところに飛んでってるな。危ない危ない。
こほん。
ええと……そうだ、階級の話だ。
『――ビョウゴ自体は4級の魔物だが、試験で戦ったものはファンムエイ同様野生のものではなく、5級用の試験だった。
6級の試験のうち亜人種の殺害は免除され、今回の実技試験のほとんどはそのまま私達の強さを測るものであったらしい。
1回目と2回目の結果から6級に、そして3回目の対ビョウゴの結果から5級になったということになる。ファンムエイには残念ながら手も足も出なかったため4級に飛んだりはしなかった――』
そろそろ寝とかないとまずいし、うん、このくらいにしておこう。
どうせ明日の朝も目が腫れてるんだろうな。この体は涙もろい。……いや、そんな他人行儀な言い方はやめよう。これは私だ。私は涙もろく、そして引きずるんだ。
ま、そんな夢ならまだマシな方か。響霊が出てきませんように。