五十五半話 火と夜と飯
空は今日も紫色に輝いている。
あの光は太陽のものではないと知っている。太陽はもうずっと見ていない。
空は今日も曇っている。
あの雲がいつからあるかは分からない。太陽はもうずっと居ない。
空は今日も賑やかに、ただ燦々と私を照らす。
あの雲は何故輝いているんだろう。雲というのは、あんなにも光るものだっけ?
あれは本当に雲なんだろうか?
ちょっととんでみようか。
両足から魔力を噴き出しその反動で跳んでみる。
両腕から魔力を噴き出しその反動で飛んでみる。
両翼へと流れ込む風を掴み、翔んでみる。
気分は悪くない。鳥になったみたいだ。あれ、鳥って、腕?
いや、私には翼しかない。そうだ、私は鳥だった。何を勘違いしたんだろう。
空を掴む感覚が眩しい。久々の飛翔は私を自由にさせてくれる。
このままどこへでも行ける気がしてしまう。
でも私はどこへも行けない。定められた道に沿ってしか、飛べない。
違う、雲に届きたいんだった。
浮かぶ雲は遥か彼方。あそこまでいくのにどれくらい掛かるんだろうか。
定められてない道を、私は翔んでいけるのだろうか。
振り返れば私を追いかける影がある。
逃げなくてはいけない。彼に追いつかれては、きっと何か悪いことが起こるはず。
追いつけるものか。私のほうがずっと早いんだ。
彼が何か言っている。
なんだろう。何か忘れている気がする。
風が私を押してくる。
なぜだろう。これ以上進めない気がする。
やはり私は道に沿ってしか飛べないのだろうか。
進むためには彼の言葉を聞く必要がある気がする。
悪いことが起こるだなんて、思い込みかもしれない。
耳を傾け、言葉を拾ってみる。一体何を伝えたいんだろう。
……うん? 起きろって、何のこと?
◆◇◆◇◆◇◆
「起きろ、交代だぞ」
「ん……起きた」
寝惚け眼をこすり、なんとか目覚めようと努力する。
夢を見ていた気がする。どんな夢かは覚えてないけど、とても不自由な、それでいて自由な夢だった気がする。
起こしに来たのはカク。今日は野宿をしていて、私の睡眠時間はこれまで、温かな布団と別れを告げるときが来たのだ。
ぐっばいティナとのイチャイチャ布団。……別に変な意味はないし、イチャイチャもしてない。そもそもテントは結構狭いし、もう冬も間近で寒いからくっついてただけだ。それに、一緒に寝始めたのはレニーとだし。……こっちの方が変な意味になりそうだな。
「じゃ、後は任せるわ」
「ふぁ……うぃ」
もぞもぞと芋虫のように這ってテントを出る。持ち運びを優先した結果かあまり大きなものではなく、頑張って中腰が限界という高さ、中にティナが居るから這うしかない。
なんてどうでもいいことを考えつつ伸びをする。ついでに寝起きのあくびもしつつ返事。
あくびとは脳に酸素を行き渡らせるための重要な動作である。この世界の生物がどうなのかは知らないし、もしかすると酸素以外を吸ってるのかもしれないけど、効果自体は一緒だ。多分。
「おやすみ、カク」
「おやすみ」
カクがテントになんとか入り、ティナは寒さに身を捩らせる。
久々に野宿って感じがする。クエスト自体1ヶ月近く受けてなかったし、最後のクエストでは私は寝込む羽目になっていた。3人には迷惑を掛けてしまった。
「おはよ」
「ああ」
振り返ってみれば、少し離れたところには焚き火があり、レニーがぼーっとしている。見張り番とは同時に焚き火番でもある。
レニーの横に座り、声を掛ける。いつものこと、いつもの朝。
朝とは言ったが、空はまだ暗い。聞こえる音は虫の鳴き声と風の音、それから木の弾ける音だけだ。薪の乾燥が上手く出来てなかったのかもしれない。
「飲むか?」
「ん」
見ればレニーがお茶を入れてくれていた。
朝はまだまだ冷える。ありがたく頂こう。
「寝れたか?」
「ぐっすりと」
ポツポツと、なんてことのない会話を進めていく。
あまり話しすぎるのは良くない。うるさくてカクが寝付けなくなるかもしれないし、話題がなくなると途端に眠くなるものだ。
適度に黙り、時たま言葉を交わしていく。見張り番とはそんなものだが、周囲のチェックだけは怠らない。
カクと私は同時に見張りをしないようにしている。互いに魔力を察知出来るから、レニーやティナが気付けない異常も分かるかもしれない。
「寒いね」
「13月か……ダールはもう白い時期だな」
「あっちに比べれば、まだ暖かいね」
サークィンは暖かかった。1日の寒暖差は結構あった気がするが、夜はあまり出歩かなかったので分からない。
一方のダールは1日中寒い。寒暖差もあんまりなく、真冬は地獄の一歩手前って感じだ。呪人が少ない理由はこれかもしれない。
ヘッケレンはまだ長くないから分からないが、ダールとサークィンを足して2で割ったような気候な気がする。寒暖差の無いサークィンと言った方が良いだろうか。
ただ、暖かい方とはいえ冬の夜はやっぱり寒い。それと風が結構強い。これを寒くしたらダールって感じだろうか。
ダールの冬は長い。今頃は雪が積もり始める季節だ。雪下ろし中のロニーに雪玉をぶつけたら本気で怒られたことを思い出した。
前世ではずっと都内に居たこともあり、あまり雪の怖さを知らなかった。なんでも毎年雪下ろしで怪我人が出て、打ちどころが悪かったりすると死ぬこともあるらしい。というか知り合いがこれで3人死んでる。
リチで溶かしたことがあるが、これも怒られた。雪を溶かすと流れた水が氷になり、転ぶ人が増えてしまう。単純なことなのに、言われてみないと気付かないことも多い。
こっちでも雪は降るんだろうか。
前回の冬はダーロで過ごした。ダールほどじゃないとはいえ、雪が降るせいであまりクエストには行けなかったと記憶している。
雪が振らなくなったなと思ったら突然暑くなったのを覚えてる。ダーロは春と呼べるような季節がほとんどない。
現在は13月、つまるところ初冬に当たるはず。にも関わらずヘッケレンではまだ雪が振っていない。まだ滞在期間も短いし、雨にも降られてない。そんなもんなのかもしれない。
こっちの世界でも太陽は1個だし月も1個。雨の前には暈が掛かることも多い。今日は生憎の曇りで月は見えないけど。……もしかしたら雨か雪が降るんだろうか。
「明日の天気、大丈夫かな」
空を見上げながら声を掛ける。
「……匂いはしないが、少し怪しいかもな」
カクほどじゃないがレニーも結構鼻に頼っている節がある。
とはいえカクのように嗅覚に優れているわけでなく、私と大差無いかむしろ劣るかくらい。単にカクと過ごす内に影響されたとかそんな感じかもしれない。
私も釣られて嗅いでみるが、雨の前特有の匂いは嗅ぎ取れない。
しかし雲は結構な速度で動いている。確か速く雲が動く時は天気が崩れやすい、みたいな諺があった気がする。
日程的に降られると困ってしまう。一応マントにはある程度の撥水性はあるが、レインコートみたいに完全に弾くわけではないし、濡れると風邪を引くかも知れない。
もし降ったらどうするんだろう。失敗報告をすることになるんだろうか。こっちの違約金はいくらなんだろう? もし降ったら聞いてみよう。
薪に手を伸ばし、レニーの手と当たる。同じことを考えていたらしい。
「すまん」
この時間用の最後の1本だ。最後の1つというものは恐ろしい。飲み会の唐揚げは必ず1個残るし、ポテチの最後の1枚はデブに食わせないと怒られる。
「入れる?」
「いや」
と思ったがそういう訳ではないらしい。
風がやや強いので、若干燃えにくい形に整えつつ投入。こうしておけばちょっとだけ長持ちする。もし消えちゃっても私ならすぐにまた燃やせるし。
「飲み終わったら交代だね」
「……そうだな」
空はまだ暗い。レニーとカクを起こす頃には少しは白むだろうけど、それでもやっぱりまだ暗い。
ティナを起こして少し経ったら朝食の準備をしなければいけない。水は……寝る前に取ってきたやつが十分あるか。食材も余裕があるし、味はともかくまともな朝食にありつけそうだ。
カタン、と金属が何かに当たる音がした。レニーがお茶を飲み終わり、カップを置いたようだ。
「ティナを起こすのは、少し疲れるな」
「寝る前の最後の運動よ」
「の前に用足しだ」
ふっと笑い、レニーはテントとは逆方向に向かって歩き始めた。しばらくして鎧を脱ぐ音が聞こえ始める。……これ以上は実況しないようにしてあげよう。彼のプライバシーのためだ。
少しして戻ってきた。発水と聞こえたからしっかり手も洗ったらしい。偉いぞ。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
テントに向かう背中を眺める。鎧はほとんど外しているが、右腕を中心にいくつかは着けたまま。外で寝る時のレニーはいつもあれだ。一度全部脱いだらどうかと聞いてみたが、咄嗟の時に困ると言われた。
確かにその通りだとは思ったけど、だからって寝る時まで鎧はどうなんだろうかと思ってしまう。ほとんど全身外してるとはいえ、残ったちょっとが微妙に気になる。
……また発水が聞こえた。まあティナはなかなか起きないし仕方ない。いつものことだ。
微妙に不機嫌なティナがテントから出てくる。
「おはよ」
「……はよ」
起き抜けのティナは準備運動をする。
私は軽くのストレッチ程度に留めたが、戦士の3人は結構入念にしていることが多い。肉離れだったりとかの対策なんだろう。
ティナの準備運動を眺めつつ、私もお茶を作る。茶葉から濾すわけではなく、粉末を入れるだけで出来る簡単なものだ。
ぐつぐつと沸騰したお湯にひとつまみ。後は冷めるのを待ちながらレズドで軽く混ぜるだけだ。
少しして、柔軟運動や南陸の初歩的な型をいくつか済ませたティナが戻ってきた。
「はいどうぞ」
「サンキュー」
運動後に熱い飲み物はどうなのかとは思うかもしれないが、煮沸消毒的な意味もあるから仕方ない。それに一度沸騰させると飲みやすくなる水は結構多い。
「ちょっと見ててくれる?」
ティナに声を掛けて、少し離れた低木の陰に向かう。実は結構前からかなり我慢していた。
しゃがんでる間はかなりの無防備。毎回神経を尖らせてはいるが、このタイミングで襲われたことは1回もない。できることなら死ぬまでそんな目には遭いたくないもんだ。
用を済ませ、水で洗う。トイペ無しで水洗いしてる辺り、インド式なのかもしれない。てことは、私の右手は不浄の手なんだろうか? ……考えたら食欲が無くなってくるな、やめておこう。
ティナの元に戻ると今度は彼女が催した。あくびが伝染するみたいな感じでこれも伝染するのかもしれない。なんて下らないことを考える。
「見張りよろしくね」
そろそろ朝食の準備に取り掛かろう。
用意するのは干し野菜と干し肉、水、パン。
干し野菜は軽くて安くて種類も豊富と便利な奴らだ。欠点は戻すのに最低でも水が必要なことと、そのままの味ではないこと。それから、戻らない奴らも一定数居ること。
とはいえ持ち運びがしやすく旅先で野菜が取れるのに変わりはない。当然のように冒険者を含む各地を移動する人間には愛用されているし、町で暮らしてるときにも結構使う。
要するに、カップ麺なんかに入ってるかやくだ。前世ではよくお世話になった。……たまに入れ忘れて悲しい気持ちになったこともある。
こと干し物に関しては前世よりも種類が豊富な気がしている。エルで水分を交換出来たり、リチで手軽に熱を作れる辺り、この手の文化は発達してるのかもしれない。
ウィニェルでボウルを作り、ちぎった干し野菜と水を入れ、リチで多少温める。干し野菜は実は結構灰汁が強い。こうしておくと若干味が良くなることを私は知っている。
次はお湯を沸かすのに使った小さな鍋。これにもう一度水を入れ、沸騰するまでの間に干し肉を手軽なサイズに切り分ける。干し肉は結構硬いものの、私のダガーは結構切れ味が良い。
お湯が沸騰したのを確認したら、火から少しだけ離してお肉を入れる。野菜の方はもう少しだけ放置、まずはお肉からだ。干し肉は干し野菜よりも戻すのに時間が掛かる。早めに作る原因は大体こいつだ。
そろそろかな。元パリパリ野菜、現しなしな野菜を鍋に投入。ウィニェルで作ったボウルは一旦そのままに、次はパンを切る。こっちもこっちで結構硬いが、私にはこのダガーがある。
そのままでも食べられないことはないのだが、パサパサとしているし、どうせなら柔らかい方が良い。だから切り分けたパンをボウルに乗せる。
ボウルにはわずかに水が残っている。これをウィニェルで作った蓋で覆い、リチとウィーニで水分を蒸発させる。たったこれだけで多少はマシになるのだ。もっとも、できたてのパンには当然劣るけど。
さて、後は味付けだけど……干し肉自体にしっかりした味が付いているから、調味料は味を整える程度で十分。胡椒みたいなのを軽く入れて……うん、いい感じ。
今日の朝食はウサギとキャベツと大根のスープ、それから拳大のパン2つ。
厳密にはキャベツっぽいだけでキャベツではないし、大根っぽいだけで大根ではない。けど味も調理方法も大体一緒なのでキャベツと大根と呼んでしまっている。
寒いしホントは小麦粉っぽいあいつでトロミを付けようとも思ったんだけど、残念ながら手元にはない。まあ外で食べるものと考えれば十分か。
出来上がりに満足しつつ盛り付けていると、3人全員がこちらを覗いていた。カクとレニーはいつ起きたんだろう。
「ご飯にしよっか」
東の空が白む頃、私達の1日も始まった。