ワニさん。
「お嬢、そろそろお起きろ」
「ん?んぅ……」
小さな手で目をこすり、開ければ見慣れた世話役の顔が見えた。
強面だがスッとした顔立ち、目は細く、強い印象を受ける。歳は29、体躯は大きくあらゆる武術に通じているため、ボディーガードも兼任している。
「ワニさん、おはよ」
「ああ」
ワニブチ。それが彼の名前だが、「ワニさん」と呼ぶのは彼女だけ。
ベッドの上でボーっとしていれば、ワニブチがテキパキと準備を始める。
この家では、12歳の姉と7歳の妹それぞれに世話役が付けられている。ワニブチはサヤが生まれた頃に見習いとしてやってきて、今に至る。
「ほら」
「いい。今日は自分で着る」
いつもなら着替えは彼に任せきりなのに、伸ばされた手を避けるように横を向き、自分でパジャマのボタンを外そうとする。
「珍しいな」
「お姉ちゃんが、大きいんだから自分でしなさいって」
「そうか」
僅かに眉を寄せるワニブチだが、ボタンを外すのに手間取っているサヤには見えない。
「できた!」
パジャマを脱ぎ捨て、用意されたシャツにスカートを穿いて、リボンを止める。が、所々ヨレヨレで、リボンも曲がっている。
「……」
「あ!サヤがやる!」
「直すのはダメとは、言われてねえだろ。」
「……そっか。」
シャツを入れ直してやり、曲がったリボンを直してやる。
「おねーちゃー!」
脱ぎ捨てた服もそのままに、サヤは姉に見てもらおうと部屋から出て行った。
「やれやれ。」
残されたワニブチは服もベッドも整え、通学かばんを持ち部屋を出る。廊下ではサヤとその姉、チヨが話していた。
「見て!今日は自分で着たよ!」
「まあ、すごいわ。……本当に自分一人で?」
「着たよ!」
「本当に?」
「……ちょっと、ワニさんに手伝ってもらった」
バレた。と、ばかりに目をそらし、少し口を尖らせれば、そんな妹の頭を撫で、チヨは小さく笑いながらも「じゃあ、また新しい事にチャレンジしましょうね」なんて言ってやる。
姉妹が手を繋いでリビングの方に向かえば、ワニブチはチヨの部屋から出てきたエリを見やる。
チヨの世話役を務めるエリはワニブチに無言で一礼すると、別方向へと歩き出した。
「………」
◇◇◇◇
「お父様」
「ん?どうした?」
「ワニブチさんの事なんだけど……」
「彼がどうかしたか?」
「サヤの世話役から外した方がいいんじゃないかしら?サヤも大きくなるわ。いつまでも男の人じゃ、サヤも恥ずかしいと思うの」
「ふむ。赤ん坊の頃からだから、あまり気にした事もなかったが……。しかし長年勤めてくれた彼にいきなり「辞めてくれ」とは言えない。新しい勤め先を見つけて、女性の世話役を迎えよう。それなら、彼も安心だろう」
「そうね。ありがとうお父様」
チヨは笑顔でお礼を口にするが、父親の書斎から出れば顔を曇らせた。
「(私の気のせいなら彼に申し訳ないけれど……でも、彼は何か怪しい)」
何が。とはハッキリしないのだが、彼を見ていると心がざわついてくるのだ。
「お嬢様、お庭でサヤ様がお待ちになっております」
「……分かったわ。ありがとう」
エリに何度か相談しようとしたが、やめた。
自分の想像で事を大きくしたくなかったからだ。
しかし、自分の警戒が間違っていなかったと気づいたのは、父親が冤罪に掛けられ、警察に連れて行かれたと聞いた瞬間。
給仕長のハヤシや他の者達は動揺しながらも、決して皆を混乱させまいと下の者に声を掛けていく。家が混乱に陥っている中、ワニブチとエリが家の乗っ取りに成功。気づいた時には、ほとんどが彼らによって奪われていた。
「貴方…ッ!貴方がお父様を!」
「ハハハ。何を根拠にそのような事を?」
家も何もかもを奪われ、追い出されたチヨはワニブチの腕に収まるサヤに手を伸ばす。
「サヤを返して!」
「残念だが、サヤはもうお前の妹じゃない。」
エリが書類を見せてやれば、いつの間にかワニブチの養女になっているサヤに、チヨは目を見開く。
「あな、貴方、何が目的なの!?サヤまで!」
「お嬢さん、ここはもうお前の家じゃない。これ以上この敷地内に居座るつもりなら、通報も辞さないが?」
「……ッ!」
この家の人間……使用人も含むほとんどの人間が追い出される中、ハヤシに促され、チヨは悔しそうにその場を後にする。
「ワニさん、お姉ちゃんどこ行くの?何で怒ってたの?」
「チヨお嬢様は……--」
チヨが何故怒っていたのか、父親がどこに行ったのか分からないサヤは、クロコダイルに訊く。分からない時は、彼に訊くのが一番だから。
彼の言葉に疑問を抱かず、サヤはよく分からないままに返事する。
「サヤお嬢様が真実を知るのは、何時になるんでしょうね」
エリの言葉にワニブチは睨むように一瞥し、屋敷の方へと戻る。
「サヤお嬢様は、最初の計画には入ってなかったでしょうに」
(彼は、人に執着しないと思っていたのだけれど)
法律関連をうやむやにする為、世界観をぼかしてます。
一応企んでる系な話なので、サスペンス。サヤとワニブチのほのぼの(?)したお話でヒューマン……と、分けてみましたが、これ、どの分類が正しいんだ……?
人物紹介
【ワニブチ】
とあるお屋敷にて、サヤの世話役兼ボディーガードを務める29歳。
暴力団関係の方ですか?と、訊かれそうな風貌。性格と口調を表と裏で使い分ける。
とある目的の為、お屋敷に潜入する。
【サヤ】
ワニブチに甘やかされて育った8歳。
考える事も、何かする事も、全部ワニブチ任せ。本人曰く「ワニさんに間違いはない」
お姉ちゃん大好きっ子ではあるが、ワニブチと比べたら若干ワニブチに軍配が上がる。
ワニブチに抱っこされるのが好き。
【チヨ】
サヤの姉。12歳。
サヤとは違い、自分で考え、自分でできる子。賢い子故に、ワニブチに疑惑を抱く。
【エリ】
チヨの世話役。
涼しげな顔立ちのスレンダー美女。体術ではワニブチに劣るが、他は卒なくこなす。
【父】
サヤとチヨの父親。
古くから続く名家の現当主。
性格は穏やかで、あまり人を疑わない性格。
【ハヤシ】
長年、お屋敷で給仕長を務める女性。
朗らかでいつも笑ってはいるが、食事に関しては誰にも譲らない頑固さを持つ。