カート・コバーン
エッセイです。
ジミヘンドリックス、ジャニスジョプリン、ブライアンジョーンズ、ジムモリスン、カートコバーン。
彼らは皆、偉大なロックスターであり、不気味なことに全員27歳でこの世を去った人達です。
ジミヘンはアルコールと睡眠薬で意識不明になり自身の吐瀉物で窒息死、パール(ジャニス)はヘロインのオーバードーズ、ブライアン・ジョーンズはドラッグ摂取後プールで溺死、ジム・モリスンも薬物がらみではと推測されています。
この中でニルバーナのカート・コバーンだけは、ショットガンを使い自らの意志で頭を打ち抜いて命を断ちました。
ニルバーナが全盛の頃、私は中学生で「カート・コバーン超かっけー」などと言っていたものです。
そして突然の訃報。
世界中のロックファンが驚いたはずです。当然ど田舎の中学生もおったまげました。
当時の空気を知っている人なら分かると思いますが、ニルバーナの人気は凄まじく、世界中のティーンから圧倒的な支持を得ていました。
その頃の私はスラッシュメタル一本槍だったので、最初は全く興味がなかったのですが、友人から借りたアルバムの中の1曲に衝撃を受けました。
“スメルズ・ライク・ティーン・スピリット”
どうしょうもなく遣る瀬のない、どこにぶつけていいのか分からないような怒りの感情を、ひしり上げるようなヴォーカルに乗せる、そんな一曲でした。
これには完全にやられてしまい、私はそれ以降ニルバーナを聞くようになったのです。
日本ではグランジロックとして紹介され、人によってはロックシーンをニルバーナ以前、ニルバーナ以降で分けるほどの影響力を持っていました。
田舎の中学生はあこがれのスターが自殺した事実にかなりの衝撃を受けたものです。
それがペンネームとして使わせてもらっている理由です。
何故、彼は人気絶頂の状態で自殺したのか?
彼の孤高なまでの高潔な精神に、痛々しさを感じずにはいられません。
残された壮絶な遺書を通して、彼の内面に迫ってみたいと思います。
~カート・コバーンの遺書~
ブッダへ
これは明らかに弱々しい、幼稚なバカの言う言葉だ。
だから理解するにはまあ簡単だろう。
何年もの間パンクロック101コースからの警告は、独立心とコミュニティーを受け入れる事に関係したんだ。何て言うか、論理へ初めて入門して以来全くの真実であったと実感したんだ。
自分はもうずっと長いこと、音楽を聴くことにも、曲を作ることにも、何かを書くことにも、喜びを感じなくなってしまった。
ステージ裏に戻ってライトがすべて消えた後、熱狂的な聴衆の絶叫をもってしても、聴衆の愛と崇拝を喜び楽しんでいたフレディマーキュリーが感じたように、喜びや楽しみを感じることはできなかった。
フレディマーキュリーみたいに出来るのは本当に立派だし羨ましいと思う。
自分だってみんなに嘘をつくのは嫌だ。ただの一人も騙したくない。
自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいふりをして嘘をつき人を騙すこと。
時々ステージに出て行く前に、タイムカードでも押しているかのような気分にかられていたんだ。
感謝しなくちゃいけないんだ。だから出来る限りの力を尽くして頑張ってみた。(本当なんだ信じて欲しい、それでも足りないんだが)
自分や自分達が沢山の人達に影響を与え、そして楽しんで貰えた事は重要だと思っている。
きっと全てを失ったときに初めてそのありがたみが分る、世界一のナルシストなのかもしれない。
自分はあまりにも繊細すぎるんだ。
子供のころに持っていた熱狂を取り戻すには、少し鈍感でなければならないのに、あまりにも神経質で感じやすい。
この最後の三つのツアーでは、みんなやファンにはすごく感謝している。それでもこの不満や、罪悪感は解消できなかったんだ。
人間みんなどこか必ず良いところがある。だから本当に人が好きだ。あまりにも愛しているので悲しくなってしまうんだ。
自分は惨めで何の価値もなく、ちっぽけで救いようもない魚座の男。どうして楽しむことができないんだ? 分からない。
希望と思いやりに溢れた頑張り家の女神を妻に持ち、かつての自分に良く似た娘は愛や歓びに満ちて、娘に善くしてくれる無垢な人たちはみんな誰彼なくキスをする。
そんなことが取りとめがつかないほどの恐怖感を与えるんだ。
フランシスが自分のように惨めで、自棄で、やがて自殺するロック歌手になるなんて想像に耐えられない。
すごくありがたいと思えるような良い時期もあった。そのことには深く感謝している。
だが、7歳の時からあらゆる一般人を憎むようになってしまった。なぜなら他の人間はあまりにも簡単に他人の感情を共感しあっているから。なぜなら自分は人間を愛しとても気の毒な気持ちでいるからだと思う。
この焼け付いて吐き気のする胃袋から礼を言うよ。今まで手紙をくれたり気にかけてくれてありがとう。
自分はすごく気まぐれな人間だから、情熱がもう冷めてしまった。
だから覚えておいてくれ。
“徐々に色あせていくなら、いっそ燃え尽きたほうがいい”
ピース、ラブ、エンパシー。 カート・コバーン
フランシス、コートニー。俺、これからは祭壇にいるから。
コートニー、フランシスを頼んだ。
俺がいなくなったら、フランシスの人生をもっともっと幸せにすることができる。
アイラブユー。愛してる。
*1)アメリカの大学のコースのコードで101コースは入門コースの意
*2)70年代を代表するロックバンド『クイーン』のヴォーカル
*3)ニールヤングのヘイ・ヘイ、マイ・マイの歌詞からの引用
*4)フランシス・ビーン・コバーン:カート・コバーンの娘
*5)コートニー・ラブ:ミュージシャンで女優 カート・コバーンの奥さん
多くのロックスターが若くして亡くなりましたが、その死にここまでのメッセージ性がある人はそうはいないでしょう。
カート・コバーンは商業主義に走るレコード会社と、それに乗っかるアイドルとしてのロックスターに激しい嫌悪感を抱いていたのです。
ところが、そんな自分が売れてしまい、最も嫌っていたはずのロックスターに祀り上げられたのでした。
やがて鬱病になった彼はドラッグに頼る事になり1994年4月5日、自宅のガレージで薬物を摂取した上でヘッドショットをしたのです。
繊細な人というのは素晴らしい物を作る代償にこういう結果になるのでしょうか?
出来ればもっと生きて、いい曲をたくさん作って欲しかった。
最後に面白いコメントを紹介します。
当時人気のあったガンズ・アンド・ローゼズは、商業主義という観点からカート・コバーンが最も嫌ったバンドの一つです。
カート・コバーンの死に際しガンズのヴォーカル、アクセル・ローズは次のようなコメントを残しています。
~アクセル・ローズ談~
世界中の観客がNIRVANAの音楽を聴いて喜び、跳びはね、カート・コバーン自身がかつてビートルズやジミ・ヘンドリックスに憧れていたように、ロックを志す少年たちがサインを求めて自分をずっと待っているのを、「キッズたちがサインを求めてくるのは間違っている」だ?
よくそんなこと言えたもんだな。
アメリカやイギリスやヨーロッパ以外の非英語圏の人間だってNIRVANAの音楽を聴いて言葉もわからないのに感動して、 心を震わせた奴だっているんだ。
アジアの東の果ての隅っこの隅っこでおまえの歌声を聞いて「音楽ってすげえ、ロックってすげえ」って思った奴だっているんだよ。
それをみんなに「天才、天才」って言われるのが嫌だった、「俺はそこいらの人間と同じ、偶像視は拒否するよ」だ?
売れたくなかったなんて甘ったれたこと言ってんじゃねーよ。
世の中には自分の音楽に自信を持って必死でそれを紡ぎ出しても誰にも聞いてもらえず、はいつくばって生きていってるミュージシャンもいるだろ?
おまえが遺書の中に出していたフレディ・マーキュリーのように「君たちが富と名声を与えてくれた、礼を言うよ、ありがとう、俺たちこそが世界のチャンピオンなんだ!」ってなぜ言わなかったんだ?
世界の頂点に立ったバンドなら、聴衆に向かって堂々とそう言ってやりゃいいんだ。
おまえが「僕は天才じゃないんです」「売れたくなんてなかった」っていうことでみんなが好感をもってくれるとでも思ってたのか?
それらの言葉が一番NIRVANAの音楽を心から愛していた者たちの心を傷つけるんだよ
~引用終わり~
どうやらアクセルはこっそり私の事を観察していたみたいです。
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エッセイと銘打ていますが大部分コピペです。ネットの海から拾ってきた物です。ご批判があれば感想欄まで。