58 走る魔法使いの手綱は巫女が握る――②
「なあ、なんで俺がなんか全面的に悪いみたいになってんだよ。元はといえばお前が」
「その元の元がお主じゃから、少しは上に立つ者としての心構えを養うべきじゃなと思うてじゃな、こうして説教をしてあげておるのじゃぞ」
「おい日本語しゃべれ、おこちゃま巫女。説教される理屈が皆無だ。つーか、お前何様のつもりだよっ。いいか、俺の方がお前にいろいろ説教してくれーだかんな」
「おほん。妾はサーシャ様じゃ」
やれやれといった様子を見せてから、お子様以外何者でもないサーシャがゆっくりとした瞬きを一つ。
深海のような深さをもって、蒼い瞳で俺を見上げてきやがった。
「……なんだよ」
「お主が妾の力を使い、レベル上限を引き上げたいと思う動機や目的に妾は興味はない。しかしじゃ、イッサ……お主はこの世界で特別な存在になってしまうことには責を持つべきじゃろう」
すう、と細くなる蒼眼が言わんとするところは、恐らく今の俺はこのレベルがモノを言う世界で最高峰のレベルを持つ存在だろうから、
「特別と言われればそうなんだろうけど。だからって責ってなんだよ。レベル上げることに責任なんて必要ねーだろ」
「そうじゃなお主の言う通りじゃ。しかしながら『稀代の歌姫』と賞賛される妾はその責務を果たすため、日々下々の者へ歌を届けておるぞ」
「さらっと、自画自賛がヒドイな」
「主の音痴もまた才能じゃ。僻むでない」
「勝手に歌下手認定してんじゃねーよ。つまりあれだろ。強くなったらなったらで、やれることをやれとかそういうことだろ。わけの分からない歌姫話をされなくても十分自覚してるさ」
俺は眉根の筋肉を強張らせる。
「不細工な顔じゃな」
「ほっとけっ」
このしかめ面は覚悟の表れなんだよ。
サーシャにあーだこーだ言われるまでもなく、短い時間だったが今に至るまでに自分を見つめ直すことはやった。
俺の中に新しく生まれたもう一人の俺。
そいつと対話して見つけたことがある。
これまでにない可能性――そう、例えば俺が魔王を倒すとか。
「俺にとっては持つべき者の責務とか、そんな大層なものでもなく、きっと自分自身へのチャレンジなんだよ。それに、彼女との約束もあるしな」
俺が独り言のように言ってしまえば、サーシャが背負う道具箱から備え付ける古代魔道士の杖を取り出す。
「ともあれ、要はお主が素敵な魔道士イッサになるか、ただの冴えないイッサになるか、選べる自覚を持てということじゃ。それはお主の心の在りようにて決まる。無論、妾は素敵なサーシャちゃんとして皆から敬われておるぞ」
「ふーん。俺は侮るばかりだけどな」
皮肉をこぼしながら、ほれと突き出される杖をサーシャの手から自分の手へ。
異変に気づいていた俺達は進んで来た通路の先を見つめる。
頬に触れる空気を僅かに揺らす振動があった。
そうして、構える先から聞こえてくる雄叫びがはっきりしたものへと変わった。
『グオオオオンンンン』
威圧的かつ重なり合う耳障りな重低音。
速いリズムでドスドスと硬い石床を鳴らし迫り来る二体の影は、もうすでに橙色の明かりによって払われ全貌を俺にさらけ出してる。
筋肉の塊のような人の巨躯に牛の頭を持ち、一振りで大岩も割れそうな大斧を軽々担ぐモンスター、ミノタウロス。
敵との間はまだ遠距離戦で戦える程だが、このままではあっという間にあいつらのお得意そうな近接戦の間合いになる。
『グオオオオンンンン』
「だあっ、うるせーな。吠えなきゃ動けねえのかよ。アナライズっ。んで、牽制の『シャルード』」
ミノタウロス達の足元に、シャランと凍てつく音とともに氷面が広がる。
中級氷結魔法如きで倒せはしないが、二体の突進は止まる。
そして、牛の目にもしっかりと映っているのだろう。俺の頭上では紅蓮の大槍が形成しつつあり、更なる魔法攻撃を警戒したか、ミノタウロスの足踏みが慎重に間合いを詰めるようなそれへと変わった。
「サーシャっ、俺に構わず鉄ハシゴを登れ。こいつら、レベル100そこそこだ。なら問題なく俺一人でも倒せる」
言い放ちさっと振り返れば側にいたサーシャの姿はなく、掛かるハシゴに目をやると、そこに浴衣のような衣装を着たちびっ子がツインテールの尾を揺らし壁を這う。
俺から言われるまでもなく、もうすでにハシゴを登っている最中だった。
「にゃろ……別にいいけどさ、せめて言われてから逃げろよな」
聞こえるようには口にしていないのだが、ハシゴの中間地点辺りにてサーシャの動きがピタリと止まった。
それから一拍の後、ぐるりと首だけをこっちへ向け俺を見下ろすのであった。
「どうした何してる。別に俺は気にしてねえから、早く行けよっ」
「……しまったのじゃ。妾としたことがお主の策略に乗ってしまったのじゃ」
上方から鬼気迫るような面持ちでこんなことを投げかけられた訳であるが、当然ながら意図が理解できず小首を傾げ返すだけである。
「なんじゃ、その白々しい態度は。聡明な妾が気づかぬと思っているのか。このスケベエの助」
「助兵衛の助?」
「パンツじゃ。お主、モンスターとの戦闘にかこつけて妾のパンツをノゾくつもりじゃったろっ。乙女の聖域を。しかもこっそりじゃからムッツリ――」
『グオオオオンンンン』
サーシャからの謂れのない避難はモンスターの威嚇に混ざり聞き取れなくなったが、口はパクパクと動き続けていた。
「なんだろ。最優先でお前を焼きたい……ところだが、まずはこっちだろうな、くそムカつく」
『グオオオオンンンン』
「だからっ、うるせーぞ、中途半端にウシウシしやがってっ」
サーシャを睨みつけ、迫り来るミノタウロスを睨みつけ、俺は一つ息を吐く。
そして。
「『レンプリカ』」
きっとどの魔道士も知らない、俺が新しく覚えたスキルの中の一つ。
その言葉は、炎の大槍に影響を与える。
本来一本の大槍である『ドラゴニール』が二つ浮かぶ。
敵は二体でこっちは二本。
数は適度であるが、今の俺はアホ巫女にイラつかされ、ちっとばかし気が立っている。
だから言い訳としては俗に言う、むしゃくしゃしてやったってやつになるのだろう。
「レンプリカ、レンプリカ、レンプリカ、レンプリカ、レンプリカ、レンプリカ、もう一つレンプリカっ」
『グオ!?』
俺の連呼の果てに絶句なのか、ミノタウロスの叫びが途絶える。
この補助魔法は倍加の効力があるスキル。
一つは二つに、二つは四つに、四つは八つにってやつだ。だから俺の周りには――。
「おお、なんかすげーな……」
頭上の赤い揺らめきを確認して感嘆を漏らす。
勢い任せだったので、実際何回唱えたか把握していない。けど、ざっと100本は優に超える『ドラゴニール』が所狭しとひしめき合っている。
広いと感じたこの空間の通路が炎の大槍の集まりに圧迫されていた。
「間違いなく無駄な過剰攻撃だが、唱えてしまったものは仕方がない」
牛の表情なんてさっぱりだけど、死を悟った顔に俺は手にする杖のコブを振りかざす。
「灼熱のランスをっ、とくと味わって逝け。ドラゴニールっ」




