57 走る魔法使いの手綱は巫女が握る――①
周りはしっとりひんやりした石壁が広がるばかりの通路。
薄気味悪くも、到底人の手が届きそうもない位置に並ぶ炬火のお陰で、明かりには不自由しないそこでは、呼吸を荒くする男の息がひっそりと響く。
「絶対じゃぞ。絶対に金は払うのじゃぞ」
えっほえっほとひた走る男の耳元に、約束を破ったらハリネズミを飲ますから――とかなんとか続く守銭奴少女のガメつい声が吐きかけられる。
男のその首には銀髪少女の細く白い腕が巻き、胴には素足じゃ痛いのじゃ、と駄々をこねたその足から蟹挟みをされしがみつかれていた。
そんな男――すなわち俺は、道具箱を担がせたサーシャを背負いながらカレン達仲間との合流を果たすべく、『狭間の大広間』のある上階を目指し、ひたすらに足を前へ前へと押しやる。
「はあっ、はあっ、しつこいな。分かってるって」
「本来は1つで10万じゃからの。じゃから、じゃから……お主今レベルはいくつじゃ?」
魔王の、まさしく魔の手から逃れた俺はサーシャにレベル上限の引き上げを打診した。
後ろの無職&低レベルのちびっ子に戦闘力は望めない。敵と遭遇した場合戦えるのは俺だけ。
こんな冴えない状況下の中、HPやSPの回復も含めて前向きに考え出した答えが俺のレベル上げで、サーシャ曰く、本気の『限界突破の歌声』フルコーラスバージョンを歌ってもらった。
本気具合はともかく、お陰さまでレベル一つ以上の上限突破が可能になった。
「おい、魔道士イッサ。妾がいくつじゃと訪ねておるのじゃ。ちゃんと答えぬか」
「んなことより、右と左どっちだ。はあっ、はあ、そっちを答えろよっ」
速度を緩める俺の正面、道が二手に分かれる。
迫る四方を囲む青い石壁の様式は、見た感じどっちも似たようなもの。
「そうじゃな。そこは右――と見せかけて左じゃな」
「見せかける必要性なんてねえだろうがっ。本当に大丈夫なんだろうな!?」
「案ずるな。才色兼備のサーシャちゃんは無論物覚えも良いのじゃ。曲がった先に階段があるからそこを登れば『狭間の大広間』の階層なのじゃ」
声を聞く限りでは自信たっぷりの道案内。
それを信じるに値するかどうかは結果次第なのだが――初見でうろつく自分よりは、任せておくが良いと言い張るサーシャの方がマシだろうとの判断である。
俺は後ろからのナビに従い左折進行。
駆ければ駆けるほどに、奥の闇がぐんぐん払われてゆく。
その先に言われた通りの階段があった……との言葉を溢したいところではあるのだけれども。
足を止めた俺の眼差しは、石壁を這う鉄のハシゴを下から上へとなめていた。
「これ……階段とは言わねーよな?」
確かに上層には行けるがしかし、ナビ内容とやや異なる。
んで、案内に不信を抱く俺の訝しみにナビ子からの反応がなかった。
だから首を回し後ろを見てみると、なんか小瓶に入る液体をゴキュゴキュ飲んでいやがった。
サーシャの手には貴重なポーション。
どこから仕入れたかなんて考えるまでもない。こいつに担がせている俺の道具箱からだ。
「ぷはっ。喉が渇いたのでな。お主も一本どうじゃ?」
鼻先にて、おんぶされている馬鹿がなんの悪びれもなく勧めてくる。
「こんのおおお、スットコどっこい巫女がっ。お前、お前、お前っ、何してくれてんだよこらっ」
「そう熱り立つでない。お主の言いたい事はよう分かっておる。しかしじゃ、仕方がなかろう。他に喉を潤す物もなか――」
俺は背中の物体を柔道家バリに投げ捨ててやった。
第一の感想としては、
「うむ。良い買い物をした」
さすがは冒険者御用達の道具箱である。硬い床と手癖の悪い巫女から挟まれても潰されることはない。
ただし、叩きつけられた衝撃を吸収することはなかったようで、ちっこい巫女が大いに床をゴロゴロのたうち回る。
避難の顔で見上げてくるサーシャ。
知ったことじゃない。俺は憎たらしい目を返す。
「お前の飲んだそれっ。ヤバイ時用に取っておいた貴重なポーションだったんだぞっ」
「まさにそうじゃな。久しぶりにフルコーラスを熱唱したので、妾の喉がカラカラでヤバヤバじゃった」
「ジェイミーさんジェイミーさん、俺にこのアホな巫女を焼き払う力をお貸しください」
ギっと睨みを利かせる俺は腕を突き出し、スキル発動の意思表示。
「待て待て、待つのじゃ。ちょっとした戯れじゃ。洒落の分からん小僧じゃの。ほれ、ちゃんとこうして一つは残しておる」
「だからっ、お前が無駄に飲まなきゃ、そいつが”最後の一本”にならなくて済んだんだよっ」
バシリとサーシャの手からポーションをぶんどる。
「回復薬の一本や二本でキャンキャンガミガミ、心が貧しい男じゃの……。そもそもじゃ、ポーションに頼らざる得ない状況を作り出したのは、お主の後先考えぬ計画性の無さからくるものじゃぞ。うむうむ、そうじゃそうじゃ」
及び腰だったサーシャが一転、無い胸を張って言う。
偉そうな態度が指すところは十分に思い当たる。俺が”すべて”使った『とっておき回復』のことを言っているのだろう。
「こいつ、開き直りかよ……」
「違うぞ。妾は今、お主の軽率さを避難しておるのじゃ。妾は何か事実と異なる事を言うておるか?」
「あれは……面白いようにステータスがあがるからさ、ついついボタン連打したつーか……そもそもレベル上げでの回復は裏技的なものだし……それはそれじゃん」
視線を逸らしていたことに気づき、再び銀髪頭を視界へ戻すと、すうーとたっぷり息を吸うサーシャ。
「お主が――うっわヤッベ、ボーナスの+20がガバガバじゃん。ヤベえ、とにかくヤベえ、なあ見てみろよサーシャっ。俺の引きの良さが留まるところは知らねえっ。このステータスの上昇ヤバ過ぎだろ! 俺死ぬんじゃねーか、いやむしろ無敵気分で死ぬ気なんてまったくしねーけど、ヒャッホーイ――などと浮かれ騒いで己を見失い経験値を使い切らなければ、ポーションも必要としておらんじゃろ」
「しつけーな。浮かれてたのは認めるが、わざわざ再現すんなよ。似てねーし、俺はそんなアホ面じゃない。ただその……俺も可能な限りレベル上げしたことを失敗したとは思ったさ。けど後の祭りってやつで……だから別にいいだろ」
「うむ。人は失敗から学び成長するものじゃからの、妾も反省している者を殊更責める気もない。以後は同じ過ちを繰り返さぬよう気をつけるのじゃぞ」
尊大な態度が青天井のサーシャに、分かったよと口を開き――そうになって思い留まる。
思い直した、が正しいか。




