前編
投稿済みの小説『聖夜の贈り物』に続くエピソードです。
未読でも楽しんでいただけるように書きましたが、『聖夜の~』を読んだあとほうが、より内容がわかると思います(ネタバレが若干入っています)。
スピーカーから流れるバロック音楽が、冷え切った部屋で柔らかく響く。それに刺激されて哲哉はゆっくりと目を覚ました。スマートフォンを操作して音楽をとめ、枕元のリモコンでテレビのスイッチを入れる。画面に映る時刻を時計代わりに支度をするのは、いつもの習慣だ。だが今朝はニュース番組が放送されていない。チャンネルを間違えたかと考えるより先に、今日が十二月三十日だったことを思い出す。
冬休みに入って日がたつのに、目覚ましのアラームはいつもと同じ時刻に鳴り響く。設定を解除しようと思いながら、寝ぼけ眼ではそこまでできず、ついそのままになっている。
自分の無精さ加減に苦笑しながら、哲哉はベッドから出て暖房のスイッチをオンにする。部屋が暖まる間を利用して洗面所で身だしなみを整え、キッチンに行き、トースターに食パンを入れた。パンの焼ける匂いに包まれながらコーヒーを淹れていると、トーストが焼き上がる。そのころになって部屋もようやく暖かくなってきた。
哲哉にとって、いつもと変わらない一日が始まる。だがテレビを通して見える世の中は、年の瀬の忙しさであふれていた。
「年末だって世界は動いてるだろ。ニュースまでやめちまってどうすんだよ」
朝からバラエティ番組を見る気になれず、テレビを消す。
大学が休みで気ままに過ごせるのはありがたい。だが世間が暮れだと言ってあわただしくなり、正月だと言ってにぎやかになるのは迷惑だった。自分には関係ないと思っても、ひとたび世の中と接触すると、意識せざるを得ない。
「なんだよ、みんなうかれちまってさ」
カップを手にしてぽつりとつぶやくと、テーブルの隅においたスマートフォンを手にとる。見慣れた馬頭星雲の壁紙が表示されるが、通知は一件もない。毎日のように入るバンド仲間からのメッセージも、クリスマス以降まったく届いていなかった。
ここ二、三日は学生街を歩く人が減っている。この時期は実家に帰るものがほとんどなのだろう。正月は家族ですごすのがまだまだ一般的だ。
哲哉は家に帰ることなく、自分のマンションで過ごしている。バンド仲間やクラスの親しい友達はみな帰省し、哲哉だけが大学のそばに残っていた。
「帰省か……」
冷たい視線しか向けない父と、息子の存在を完全に無視する母の姿が浮かぶ。
あの家に自分の居場所はない。学生にはぜいたくなマンションを借りてくれたのも、実家に戻ってくるなというメッセージが暗に含まれている。それを承知していたから夏休みは帰らなかった。
それでも正月くらいは声がかかるかもしれない。そんなことを心のどこかで期待していたのだろうか。居場所のないあの家に帰ることに、未練などないはずなのに。
「ああ、うっとうしいっ。悲劇のヒーローになるつもりはねえんだよっ」
哲哉は両手で自分の頬を軽くたたき、暗くなりかけた思考をストップさせた。ひとりで部屋にこもっているから、考えが悪い方に向かう。年末年始だと浮かれていないで、なるべく日常の生活を続けよう。そうすれば、普段は考えることのない家族というしがらみを意識することもないはずだ。
「寒いからと言って部屋の中にいるばかりじゃなくて、外に出て太陽の光を浴びる。それが一番だ」
自分に言い聞かせると、哲哉は玄関横の小物入れにあった鍵を手にする。そしてそのままの勢いでマンションをあとにした。
☆ ☆ ☆
大学の近くを自転車で一周する。今日も人の数は少なく、閑散としている。静まり返った大通りを走っていると、いつもより寒さがこたえるような気がした。
冷え切った体を温めるには、マスターの入れるココアに限る。哲哉は行きつけのライブ喫茶ジャスティに自転車を走らせた。
ところが店の前には、いつも出ているブラックボードがおかれていない。ウィンドウもすべてブラインドが下ろされ、カーテンが閉められている。哲哉は自転車を降り、扉の前に立った。そこにある一枚の貼り紙を見て、今日から来月の前半まで長期休業だったことを思い出す。二日前ピアノ弾きのバイトが終わったときに告げられていたのに、今日がその日だとは気づかなかった。冬休みのせいで曜日の感覚がずれている。
マスターはいつも年末年始に長期休暇をとる。去年はヨーロッパに行ったらしく、哲哉もお土産を貰った。今年も海外旅行だろうか。
考えてみればマスターの私生活は、謎だらけだ。
推定年齢三十代後半、アメリカ帰りの帰国子女で英語はペラペラ、在米中にバンドをやっていたのはみんな知っている。だがプライベートはだれも知らない。独身なのか妻子持ちなのか、それすらつきとめた者はいない。元レコード会社の新人発掘担当で脱サラ組だという事実も、つい最近判明したものだ。
そのマスターに、ヴァレンタインに似合う曲を弾けるようになっておけと言われた。休み中でもピアノの練習をさぼるなということだろう。新たに曲をマスターするために、楽譜を捜さなくてはならない。
思いつくと、すぐに行動に移したくなる。哲哉は最寄り駅に自転車をおき、電車で三駅離れた繁華街に移動した。
改札を抜けて外に出ると、街は師走の忙しさが充満していた。ラッシュアワーかと思うような人ごみの中を、行きつけの楽器店まで移動する。バンド仲間の直貴がバイトしている店だ。今は帰省中で、ここにはいない。
店の奥にある本棚まで移動し、ピアノの楽譜が載っている雑誌をとって、今の時期にあう曲が入っているか確認する。冬をテーマにした曲に交じって、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」が載っていた。これを二月までにマスターすることにした。CDはバンドリーダーのワタルに頼めば、貸してもらえる。
ほかにも気になっているバンドスコアがあったので、併せて購入した。
次は同じ建物にある書店に移動する。静けさの中、哲哉は文庫本売り場に足を運ぶ。紙の本が持つ匂いは、知識への扉だ。インターネットで得た新刊情報や口コミで話題の本を手にとるのもいい。だが書店に行くと、予想もしなかった書籍に呼ばれることがある。声に耳をすませながら棚を見ていく。SFコーナーで、薄い桜色の背表紙をした文庫本が哲哉に語りかけた。紹介文と中を拾い読みする。続きが気になったので、手元のかごに入れた。
新刊コーナーでは、発売直後のミステリー小説を手にする。好きな作家の旧作品が改稿され、再版されたものだ。本格推理はふだん使わない脳の一部を刺激する。犯人を見破ろうと思って読むが、一度として当てたことがない。今度こそは当ててやるぞ、と意気込みながらその本もかごに入れた。
今日の収穫は二冊だ。バイト料も入ったばかりなので、多少の出費は痛くない。好みの本に出会えた幸運を胸に、哲哉は書店を出た。
外は変わらず師走の喧騒が広がっている。人の数はますます増えて、どこからこれだけ集まったのだろうと首をひねる。
哲哉は次にアーケード街の市場に行ってみることにした。表通りとは異なり、こちらは庶民的な店が多く集まっている。
市場は大通り以上に、新年を迎えるための買い物客でごった返している。場違いなところに紛れ込んだようで、居心地の悪さがぬぐいきれない。慌てて引き返そうとしたときだった。
「哲哉、どうしたんだよ、こんな年の瀬に」
聞き覚えのある声にふりむくと、同じ学科の同級生が店先に立ち、営業スマイルを親しげな微笑みに変えた。
「まだ実家に帰ってなかったのか?」
「あ、いや……両親がこっちに来てんだ」
自分でも意外なくらいなめらかに、口から嘘が飛び出した。
「そうか、部屋を掃除に来てくれてんのか。いいご両親だな」
いい両親? あのふたりをそんなふうに思えたことが、一度だってあっただろうか。返事に詰まっていると友人は続ける。
「じゃあ、雑煮用に杵つきの餅なんてどうだい? うちの店で作ってるんだ。クラスメートのよしみで、いろいろサービスするよ」
哲哉が返事するより早く、友人は丸餅が一キロ入った袋をふたつ袋に入れた。そんなに買って食べ切れるだろうかと思う一方で、断れば嘘がばれるおそれもある。無意識のうちに苦笑しながら、哲哉は餅二キロを買い、リュックに詰めた。背中の荷物はずっしりと重く、ひもが肩に食い込んだような気がした。
背中には重い荷物を、両手には本と楽譜を持って、哲哉は人ごみの中を縫うように歩き、家路に就いた。
☆ ☆ ☆
部屋に戻り、買った荷物をテーブルに並べる。同級生に渡された袋には、餅二袋のほかに、スモークサーモンと手作りの冷凍コロッケが入っていた。おまけの方が高いのではないかと、申し訳ない気持ちになる。
「これでオードブルを作れってことかな」
手の込んだ料理をしない哲哉の部屋には、てんぷら鍋などおいていない。腕組みして考え込み、手近な人に教えてもらうことにする。
料理が得意と言えばリーダーのワタルだ。小さいときから家で料理をしていたので、腕もいい。プロのミュージシャンになったら、料理番組を担当できるのではないかと、ひそかに思っているくらいだ。
「雑煮を作るには、どんな材料をそろえればいいんだ?」
スモークサーモンはそのまま食べてもいいのだろうか。冷凍コロッケは油で揚げなくてはならないのか? オーブンレンジで調理できるのか。そんなことも解らない。
ワタルならすぐに答えられるだろう。話し次第では料理に来てくれるかもしれない。そう期待しながらスマートフォンを手にする。
「今ごろ何してんだろ。電話かけてもいいかな」
優しそうな両親や兄を慕う妹と一緒に、大掃除をしたり買い物に出かけたりしている姿が目に浮かぶ。
「やっぱ、忙しいんだろうな……」
今のワタルは北島家の長男として、家族と共に過ごしている。ワタルだけではない。武彦、直貴、弘樹、仲間はロックバンド、オーバー・ザ・レインボウのメンバーではなく、それぞれの家族の一員として年の瀬を迎えている。
そんなところに電話するのは土足で踏み込むような気がして、哲哉はスマートフォンをスタンドに戻した。
食材を冷凍室に放り込み、夕飯の準備をする。といってもご飯をしかけるだけで、献立はレトルトカレーだ。
いつもと変わらない、淡々と過ぎる日々。正月など関係ない。
テレビの莫迦騒ぎは見たくなくて、録画しておいた映画を流す。しばらくしてご飯が炊きあがり、簡単な食事をすませる。食後には紅茶を淹れた。武彦用にストックしてあるアップルティーだ。武彦も今ごろは高校時代のバンド仲間と会って、昔話に花を咲かせているだろう。
そのときスマートフォンにメールが入った。何かを期待して画面を確認したが、書店からのメールマガジンだった。たったそれだけのことなのに、予想以上に落胆している自分に気づく。
電源が入っているから、家族からの電話を期待してしまう。連絡をもらっても帰るつもりはないのに。
メールマガジンを表示させたままの画面を、見るでもなく眺める。やがて画面は暗くなり、ロックされる。
哲哉は小さくうなずき、スマートフォンの電源をオフにした。
「正月だって普通にすごしてもいいじゃねえか。おれはおれの道を行く。特別な日になんかしてたまるか」
そうやって決意を新たにすると、先ほど淹れた紅茶を手に机の前に座り、並べた本の中から古典力学演習を出した。いつも通り、夕食後一息ついたら勉強にとりかかる。冬休みの宿題に出されたレポートは、まだ半分しかできていない。図書館で借りた演習本を参考にして物理に没頭することにした。
頭が暇だとその隙間でいらぬことを考えてしまう。無理やりほかのことで埋めて、余計なことを追いだすのが、哲哉のやり方だ。
二時間ほど勉強に集中していると、レポートが完成した。心地よい疲れの中で背伸びをして席を立つ。コーヒーでも飲みたいところだが、眼が冴えて眠れなくなりそうだ。代わりにココアを淹れて、買ったばかりの推理小説を広げた。夢中になって朝を迎えるもよし、いつのまにか眠ってしまうもよし。それこそが哲哉の日常だ。
そうまでしてでも、正月という特別な日の存在を忘れてしまいたかった。
☆ ☆ ☆
大みそかの朝を迎えた。昨夜は一度こたつでうたた寝し、明け方近くにベッドに潜り込んだ。さすがにこれではいけないだろうと、ギリギリになって大掃除を始める。簡単なすす払いと窓ガラスを磨いたところで昼を迎えた。時間切れを言い訳にして掃除を終える。
簡単な昼食をすませたのち、昨日買った楽譜を開いて電子ピアノの前に座る。
バンドを始める前は、クラシックピアノを習っていた。親の言うままに練習したが、楽しいと思ったことは一度もなかった。そんな心構えだから、コンクールに参加しても入選するはずがない。音大を目指しているわけでもないし、ピアノで身を立てるつもりもなかったから、どうして親がそこまで執着するのか、幼いころは解らなかった。
解ったのは、一緒に習っていた姉が上位入賞したときだ。彼らはすべてが一流、一番でないと許せない人たちだった。
一流になれない哲哉は、その日を境にピアノを辞めた。
二度と弾くものかと思っていたピアノだった。だがそれがきっかけでバンドメンバーに誘われたのだから、世の中何がどう転ぶかわからない。そのとき身につけた腕のおかげで、ジャスティで生演奏のバイトをしている。
一時期と比べ、恨む度合いはずいぶん落ち着いた。音楽に関しては、感謝すらしている。それなのに向こうはこちらをふりむかない。
鍵盤の上を踊る指が止まる。部屋には静けさが戻った。
今の心理状態で弾くと、どうしても音が湿っているような気がする。自分の気持ちに左右されるようではプロにはなれない。音楽に自分を近づける。簡単なようでなかなかできない。
このまま練習を続けると、中途半端な解釈が定着しそうで、ピアノのふたを閉じた。
部屋に閉じこもって考えているのは、基本的に性に合わない。哲哉は気晴らしにマンションを出て、ショッピングモールに行った。今年最後の買い物に来た人でごった返している。昨日行った市場ほどではないにしても、人に酔いそうだ。
夕飯は簡単に済ませたかったが、今日に限って手頃な値段の総菜がない。かわりに、みんなで食卓を囲めと言わんがばかりのオードブルセットが、大量に並んでいた。すぐそばにはお重まで売っている。
かたくなに拒否することもないだろう。
哲哉は手頃な値段のオードブルとお節料理、勢いで年越しそばのセットまで買ってしまった。
予定外の買い物で手荷物がふえたので、どこにも寄らずに帰宅する。マンションに帰ると買ったものをキッチンのテーブルにおき、こたつの上においたままの文庫本を手にする。
テレビをつけない代わりに、何か音がほしかった。ふと思いたち、机の上に積み重ねたCDの山から一枚取り出す。ライブの様子をジャケットにしているそれは、ジャスティでレギュラーライブを行っているクロスロードというバンドが、インディーズで出したアルバムだ。メジャーのレコード会社から声がかかり、プロデビューの可能性が出てきたという噂が流れている。
クロスロードがジャスティで定期的にライブをするようになって、二年になる。女子中高生は言うまでもなく、二十代後半以上の男性ファンも一定数いる。プロになり多くの人にその演奏が届くようになったら、さらに幅広い世代に受け入れられるだろう。
哲哉は彼らに憧れを抱いていた。いつかその背中に追いつき、追い越したい。だがそれはずっと先の話だと思っていた。
チャンスは何の前触れもなくやってくる。
先日のクリスマスイヴのことだ。仲間たちと別れたあとたまたま会った沙樹と夕飯を食べていたら、ジャスティのマスターから呼び出され、ピアノの生演奏を依頼された。一通り終えて控室に戻ろうとしたとき、マスターに、ライブだと思って全力で弾き語りをするように指示される。
いつもはBGMに徹しろというのに不思議なこともあるものだと思いながら、言われる通りに演奏した。
それはマスターがレコード会社の社員に聴かせるためのものだった。
哲哉の演奏しか耳にできなかったにもかかわらず、その人はオーバー・ザ・レインボウの可能性を読みとる。次はバンドの演奏を聴きたいと言い残し、満足のうちに店を後にしたという。
一連の出来事を沙樹が全員にメッセージで知らせたとたん、まだ帰省していなかったメンバーが急きょ哲哉のマンションに集合し、今後のことを熱く語り合った。
すぐにでも練習したい。曲を作って演奏し、自主製作のCDを作る準備を始めたい。何でもいい、すぐに行動に移したくてたまらない。このまま話がうやむやになってしまうのが怖かった。
にもかかわらずタイミングの悪いことに、ちょう冬休みと重なってしまった。その日集まった仲間たちも、翌日にはみんな帰省した。先走る気持ちを持っていく先がなくなった。それが悔しくてたまらない。
だが仕方のないことだ。仲間たちには帰る場所がある。今ごろはバンド活動のことなどすっかり忘れて、家族や古い友人と楽しく過ごしているのだろう。
哲哉にはそれがない。迎えてくれる家族はいない。
そんなことを考え始めると、本に書かれた文字が頭に入らなくなった。哲哉は軽く息を吐くと本を閉じた。
「まあいいか」
休みはまだまだ続く。今日読めなくても明日がある。それよりも今夜は、年に一度の音楽番組が放送される。
プロを目指すものとして、気にならないといえば嘘になる。昔ほどの権威がないというものもいるし、無理して出ることはないという態度をとるアーティストもいる。でも哲哉にとって、そのステージはひとつの目標だ。ここに立てば、理解のない両親も、哲哉のやっていることの素晴らしさを解ってくれるかもしれない。
親の求める場所で頂点に立てずとも、自分の信じる道で立つ。
そのために、今できることを確実にこなそう。
哲哉はミニコンポのそばにおいてある、コピーを綴じた冊子を手にとった。講義最終日に渡された台本で、映画研究会が書いたものだ。撮影中の映画に音楽をつけてほしいと依頼された。学内に数あるバンドの中で、自分たちが選ばれたことが素直にうれしい。作曲を多く手掛ける哲哉が代表して、冬休みの間にプロトタイプを作ることになった。
こたつの上にオードブルをおき、テレビをつける。ちょうど紅白が始まったところで、今はアイドルグループがヒット曲をメドレーで歌っている。それをBGMに台本を開く。
「え? ホラー映画?」
最初のページを読んで、思わず声が出た。冒頭から幽霊が出て、大学内をさまよっている。どんな展開になるのかと読み進めるが、哲哉の頭ではストーリーが理解できない。
「だれだよ、こんな脚本書いたのは」
表紙には『工学部情報処理学科、高遠悠』と書かれている。どんな人物なのだろう。休み明けに会い、映画のテーマを確認する必要がある。このままでは音楽が映像にフィットしないかもしれない。
「幽霊が大学生? いや、大学生が幽霊になったのか。死んだのにどうして大学をさまよってんだ? てか、昼間から幽霊が出ても、怖くもなんともないぜ。となるとこれは、ホラーじゃないってことか?」
ストーリーだけを追っていては、大切なテーマを見落としてしまいそうだ。勝手な解釈などせず、脚本家の意図を確実に理解しなくてはならない。
哲哉は脚本に付箋を貼りながら、順番に読み進めていった。
除夜の鐘の音が、テレビのスピーカーから流れてくる。ふと気がつくと紅白歌合戦は終わっていて、新年を間近に迎えた日本列島が順番に映し出されている。
「いつの間に……」
気がついたらこたつにうつぶせになって眠っていた。脚本のテーマを読みとろうとしていたのに、ついうたた寝をしたようだ。
みんなが新年のあいさつをメールし始めるころだ。スマートフォンを手にとって、自分も準備しようとした。
「いや、いいか」
オフにしたままの電源を入れる気にはなれない。万が一家族から連絡が入っていたら、どうすればいいのか。態度を決めかねている状態で、話などできるはずがない。
一方で着信がゼロの可能性も怖かった。
携帯電話があるから、どこに行っても追跡される。逆に電源を切っていれば、自宅にいても連絡が取れず、行方をくらますことは可能だ。このまま冬休みの間、行方不明になろう。
スマートフォンを机の上において、またこたつに入る。テレビの画面に目をやると、ちょうど日付が変わった。
有名な神社が映し出され、人々が初詣に出かけるようすが報道される。寒い時間にご苦労なことだと、冷めた目で見つめる。昨日と今日で何も変わらない。新年なんて人間が勝手に決めた約束事だ。
特別な日にしたから、いつもと同じ生活が送れない。特別な日だから、家族が集う。
帰れるところのあるものはいい。行き場をなくした自分はどうすればいい?
「ああ、今日はダメだな……」
どうにも考えがおかしなほうに向かってしまう。
哲哉はキッチンに立って水を一杯飲み干すと、もう一度台本を広げる。
生きているのにみんなに無視される人間と、死後も幽霊になって現れ、生きているときと同じようにふるまう者。無視される人物の気持ちが痛いほど伝わってくる。
ホラー映画ではないのかもしれない。脚本を書いた人物に興味が出てくる。もう一度名前を確認する。高遠悠。いろいろな話を聞きたい。彼と話すことで、違う刺激を受けることができるかもしれない。
そんな漠然とした思いを抱きなら、哲哉は台本を何度も読み返し、曲のイメージを固めていった。