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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Black Magic

作者: おもち

※ブラウザの拡大機能を使うと読みやすくなると思います。読みにくくてすみません……

(またか……)

 僕は心の中でため息をついた。

 今朝はこの瞬間まで、いい気分だったのだ。朝ごはんのサラダには僕の嫌いなトマトが、お母さんが入れ忘れたのだろう、入ってなかったし、家を出ると空は曇っていた。僕は曇り空が好きだ。晴れも、雨も嫌いだから、消去法的に好きになっただけだけど。

 教室に入った瞬間には、違和感に気づいていた。僕の机と椅子がない。

 仲間と談笑していた天野がチラリとこちらを向いて、ニヤリと笑ったのが目に映った。まあ確認するまでもない。こんなことをやるのはあいつと、その一味しかありえない。

 僕はいつも通り杉崎くんへ目配せして、教室から出た。


 階段の踊り場に行ってしばらく待つと、杉崎くんがやってきた。

「いつもごめん。迷惑ばっかりかけて」

「気にしなくていいさ。君もいつも大変だね」

 そう言って杉崎くんが笑う。つられて僕も笑った。

  杉崎くんはメガネの似合う、いわゆる秀才だった。試験も、模試も常に学年トップ。将来は東大に行くんだろう。……僕とは、対照的な人だ。

「校庭の倉庫の後ろだよ」

「そっか。遠いなあ」

 思わず愚痴ってしまう。あいつらも、よくそこまで机と椅子を運んだものだ。

「手伝おうかい?」

「え?」

 考え事に耽っていたから、対応するのが遅れてしまった。すぐボーっとするのは悪い癖だと、裕子によく怒られたっけ。

「んん。いい。そこまで迷惑かけるのはなんだか申し訳ないからさ」

 いつも周りに迷惑をかける鈍臭い自分が嫌いだった。だから、他人に必要以上に迷惑をかけたくない。

「そうかい? あんまり無理しない方がいいよ?」

 杉崎くんが心配そうな顔をする。杉崎くんは本当に優しい。

「大丈夫」

 僕は努めて自信ありげに言った。

「それに、僕とあんまり仲良くすると、杉崎くんもいじめられちゃうかも知れないよ?」

 笑う僕に、杉崎くんが笑って返した。

「それは困るね。じゃ、僕は教室に帰るよ。また何かあったら、遠慮なく相談してね」

 杉崎くんはそう言うと、教室に向かって歩いて行った。

「……」

 作り笑顔が顔にこびりついて、なかなか剥がれない。

 僕は少しニヤついた不気味な顔のまま、机と椅子を取りに校庭へ向かった。



 杉崎くんは頭がいい。数学の先生がいじわるで出す難しい問題をソツなく答える。おまけに礼儀正しく、頼りがいもある。当然学級委員長に選ばれ、面倒な仕事を淡々と、文句も言わずに片付ける。教師たちの評判もいい。みんなにとっては勉強の相談役で、休み時間は質問に来るクラスメイトたちに囲まれる。そんなの迷惑に決まっているが、杉崎くんは嫌な顔ひとつしなかった。それがますます、杉崎くんの人気に拍車をかけた。

 そんな杉崎くんは、登校も早かった。朝早くに学校に行き、授業の予習をしたり、たまには一人で教室の掃除もしているというから驚きだ。

 だから、杉崎くんは天野たちの悪行を必ず目撃する。天野たちがどこに、何を隠したのか知っている。

 杉崎くんは頭がいいから、無関係な人間がいじめに関わるとろくなことにならないことを理解していた。杉崎くんは天野たちの馬鹿な行動を止めようとはしない。代わりに、いつも天野たちが隠した場所を教えてくれた。

 杉崎くんは僕にとってヒーローで、憧れの存在だった。



 机と椅子を抱えて教室に帰ってきた僕を、天野たちはニヤニヤしながら迎えた。

「おう、机が逃げてたのか? まあ、机の気持ちも分かるぜ。だってお前、たまらなく臭いから」

 天野がそう言うと、取り巻きたちがドッと笑った。

 無視して、机と椅子を元の場所に戻し、席に着く。

 そのまま天野たちの戯言を無視していると、天野がつまらなさそうに「臭うからどっかいこうぜ」と呟き、取り巻きを伴って離れていった。

 ホッと息をつく。

 天野のいじめは中学生とは思えないほど子供っぽい。あんなガキみたいなやつが中学生だということに、違和感すらおぼえる。ガキだから、無視していると飽きてどこかに行くのだ。だから、だんまりが一番いい。

 そんなことを考えていると、突然誰かに後頭部を叩かれ、前につんのめった。

 何事かと後ろに振り向くと、裕子が仁王立ちで立っていた。鬼のような形相で、僕を睨んでいる。

「なんだよ」

 ボツリと呟く。

 裕子は幼稚園の時からの幼馴染だ。小学校、中学校といつも同じ学校の、同じクラスだった。どの学年でも、大小の違いはあれ何らかのいじめに巻き込まれていた僕を庇って、いじめっ子を叩き潰してきた腕っ節で語る女だ。今回のいじめでも天野たちを懲らしめようとしていたところを、僕が必死に止めたのだ。流石に中学生となると、今までのようにはいかない。体格の差も、いじめの陰湿さも、小学校の時とは比べ物にならないのだ。

「なにって、なんでやりかえさないのよ!」

 裕子が僕に向かって静かに怒鳴る。良かった。このゴリラ女もさすがにこの歳になると少しは分別がわかるようになるらしい。

「……しょうがないじゃん。黙ってたら済むんだし、何もしないのが一番平和的だよ」

「呆れた」

 言い訳をするようにボソボソと言うと、裕子がそう言った。顔にも呆れたと書いてある。この女は表情と言葉がリンクしているのだ。嘘をつけないタイプに違いない。

「そんなんだから、いつも、いつもいつも、いっつもいじめられるんじゃない。そんなんで独立して生きていけると思ってるの?」

「うるさいな」

 裕子の言葉は常に的を得ていた。包み隠さず、思っていることをありのままに言う。

 そんな裕子が、僕は苦手だった。

 裕子のお説教が続く。僕はだんまりを決め込んでいた。黙り続けるのが僕の処世術だった。黙っていれば、いつか嵐は過ぎ去る。

 そのうち、小川亜梨沙が近づいてきて、裕子の肩を叩いた。

「ユウちゃん。その辺にしてあげないと、薫くんが可哀想だよ」

 亜梨沙がそう言うと、渋々といった顔で裕子が口をつぐんだ。

 小川亜梨沙は裕子の一番の親友だ。その性格はどうして裕子と仲良くなったんだと思うほど対照的で、大人しく、品のある、花瓶に生けた一輪の百合のようだった。

 彼女が来るといつも僕はホッとする。同時に、胸が高まる。僕は彼女が好きだった。

「まったく……亜梨沙に免じて今日はこのくらいにしてやるけど、とにかく考え方変えなさいよ。今のままじゃ、荒れ狂う世間を渡っていけないんだから」

 そう言い残すと、苛立たしげに、大股で裕子が去っていった。亜梨沙は僕に向かって微笑むと、裕子を追って行った。

 耳が熱くなるのを感じる。それを誰かに見られるのが嫌で、僕は机の上で腕の中に顔をうずめた。



 幼い頃から、裕子は僕のお姉さんのように振舞った。泣き虫だった僕を、僕が泣くたびに叱り、さらに僕を泣かせた。

 引っ込み思案だった僕を外に連れまわし、冒険と称してあちこちを巡った。泣き叫ぶ僕を川に突き落としたのは今でも忘れない。完全にトラウマになっている。

 そんな裕子が一度だけ泣いたことがあった。僕が水疱瘡で寝込んだ時のことだ。

 いつものように僕を家から引っ張り出そうとしにやってきた裕子は、お母さんから僕が病気で寝ていることを伝えられた。

 僕の部屋に来て、嫌がる僕から布団をひっぺがした裕子は、僕の肌を埋め尽くす赤いボツボツを見た。

 その時のことを僕ははっきりと覚えている。突然、あの裕子がワンワン泣き出したのだ。

 後でお母さんから聞いたところ、どうやら僕の肌に浮かぶ斑点から血が噴き出し、僕が死んでしまうシーンを想像して、怖くなったそうだ。そんなに僕のこと心配してくれるなら、どうして僕を川に突き落としたのかと問い詰めたい。

 だけどその時が裕子が女の子なんだと意識した、初めての時だった。



 放課後になり、帰宅部の僕は真っ直ぐに自宅に直行した。家が一番落ち着くのだ。早く帰りたい。

 僕は河の堤防の上を歩いていた。ジョギングしている人や、競輪用の自転車に乗った人達とすれ違う。

 僕はこの道が好きだった。堤防の上は視野が広い。遠くまで見渡せる。

 その光景は、引っ込み思案な僕に不思議な勇気を与えてくれた。いつか、僕もこの狭い街から旅立てるんじゃないかと、夢を見させてくれる。

 いつもならこの道を歩くときはいつも上機嫌だが、今日に限ってはそうでなかった。

 裕子から言われたことが頭から離れない。ずっとモヤモヤしている。

 裕子に言われずとも、将来に対する不安はあった。ただ、そんなんことは考えたくないのだ。

(分かってるよ……)

 分かっていることを、他人から指摘されるとイライラする。

 今回も最初はイライラしていた。。だがだんだんと、それはモヤモヤした、得体の知れない不安にも似たものに変化していった。

 そんな思考を振り払おうと頭を振ると、堤防の下に何かがあるのが目にとまった。どうやら本か雑誌のようだ。

(エロ本かな?)

 そんな下らないことを考える。何でもいいから、別のことに意識を向けたかった。

 僕はニヤリと笑い、期待に胸を弾ませて堤防を降りていった。

 近づくと、それは期待した代物と違うことに気づいた。

 それは本だった。ハードカバーで、真っ黒な表紙をつけている。

「なんだこれ?」

 拾い上げると、黒い表紙の上に、金地の文字が躍っている。

「……黒魔術?」

 表紙にはそう書いてあった。

 中を見ると、何やら怪しげなことが書いてある。よく分からない薬の作り方や、精霊との交信のしかたについてなど。

 どうにも胡散臭いが、暇つぶしにもなるかなと思い、持ち帰ることにした。



 家に帰り、改めて拾い物をじっくりと見る。

 外見はなんの変哲もない本だ。だが、中身は変哲すぎる。

 どうやら本気で黒魔術について書かれている本であるようだった。

 ペラペラとページをめくっていくとふと目にとまったページがあった。

 それは、紙に書いた人物を地獄に突き落とす魔術だった。

(ちょうどいい)

 そう思った。気晴らしにあいつらを地獄に落としてやろう。

 全く信じる気にならないが、今日は気分が悪くなることが多かったから、ちょうどいい憂さ晴らしになるに違いない。

「善は急げというし……」

 そう呟いて、早速チラシの裏に天野とその連れ巻きの名前を書き、本に書かれてあるとおりに儀式を始めた。


 薫は儀式を終わらせると、もう興味を失い、拾い物のことなどすっかり忘れていつものように寝るまでゲームに興じた。

 そんな薫が、薄く開いたドアからジッと見つめていた眼差しに気づく由もなかった。


 次の日、いつものように起きて、学校に向かって、憂鬱な気分で教室に足を踏み入れると、すぐに違和感に気づいた。

 ここのところ、ずっと続いていた机隠しが行われていない。

 杉崎くんに視線を向けると、ニコリと笑って返してくれた。確かに、今日は何もされていないようだ。

 ふとこちらを睨めつける視線を感じ、振り向くと、天野たちが睨んでいた。

 が、睨まれる理由が分からない。もしかしたら裕子が何か余計なことをしたんじゃないかと思い、ゴリラ女の姿を探したが、珍しくまだ登校していないらしい。

 そのうち、担任の教師が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。

 裕子と、あともう一人、天野の取り巻きの一人がいなかった。


 お昼休みが過ぎたところで、裕子が登校してきた。どうやら、病院に行っていて遅刻したらしい。

 早速裕子に詰め寄った。

「遅かったじゃん。それとさ、何か余計なことしてない?」

「別に?」

 裕子はそう言って笑った。なんだか今日は機嫌がいいようだ。

「そっか。ならいいんだけど……変なことは絶対するなよ? これは僕の問題なんだからさ」

「分かったって」

 そう言うと、もういいでしょと言わんばかりにさっさと行ってしまった。そのまま亜梨沙と談笑を始める。別段変わったことはないようだ。

 そうなると、まだ来ていないあいつはどうしたんだろう。

(ま、いっか)

 あんなやつのことなんて、僕が気にしてやる必要もない。

 そんなことを考えていると、次の授業の教師が教室に入ってきた。慌てて机に戻ることにする。


 帰りのホームルームになって、担任の先生が深刻な顔をして教室に入ってきた。

 どうやら、今日来なかった子は行方不明になっているらしい。警察の捜査も始まったそうだ。

 教室がざわめく。

 そんな中、僕は今更になって昨日拾った本のことを思い出した。そういえば、今日来なかった子は昨日紙の一番上に書いた子だ。

 そんなことありえないと思いながらも、不気味な一致にいてもたってもいられない気持ちになった。

 最後に先生が、誘拐の可能性もあるから、十分に気をつけるようにと言い、ホームルームが終わる。

「おい! 伊藤!!」

 先生が教室を出た瞬間、天野が僕の名を叫んだ。僕はそれを無視して、教室から躍り出た。


 走って家路を辿る。昨日はろくにあの本を読まずに儀式を行ったのだ。確認しないといけない。早急に。

 家に帰り着き、部屋に駆け込む。

 何事かとお母さんにすごい目で見られたが、そんなことは気にしていられない。

 昨日放り投げたままにしていた黒魔術の本を拾い上げ、問題のページを探る。

 あった。

 今度はじっくりと読む。

 そこにはこう書かれていた。


 ・この儀式において、紙に名を書かれたものは地獄に落ちる。

 ・紙はなんでも良い。

 ・紙には複数の名前を書いて良いが、一日に地獄に落とせるのは一人までである。つまり、書いた人数の 分だけ、全員を地獄へ落とすのにかかる日数が増える。

 ・記入された人間が地獄へ落ちるのは記入した次の日からである。


(なんてこった)

 信じられないが、今日起こったことそのままだ。

 自分が取り返しのつかないことをしてしまったことに気づく。

 それじゃあ、明日はまた一人消えるというのか。おそらくは、今日消えた人の名前の下に書いた人が。

 まだ続きがある。


 ・術者は儀式において対価を払う。対価は紙に記入した人数によらず、術者にとって大切なものの一つで ある。対価は紙に記入した全員が地獄へ落ちた次の日に払う。


 本が床に落ちた音でハッとなる。いつの間にか本を取り落としていたようだ。

 これは、どういうことだ?

 冗談だろ? と思う。冗談であってほしい。僕の大切なものって、家族か? 裕子か? それとも……

 そこまで考えて、急に怖くなる。

 そうだ、と思い立ち、もう一度本を広げて儀式をキャンセルする方法を探す。が、見当たらない。

 頭が真っ白になった。本を投げ捨て、必死にゴミ箱から昨日書いた紙を見つけ出し、ビリビリに引き裂いた。それが儀式をキャンセルする方法だと信じて。そのあと何をしたのか覚えていない。唯一覚えていることは、自分が眠ったことだけだった。



 また新しい一日が始まる。

 昨日はよく眠れなかった。眠い目をこすりながら、朝ごはんを食べ、学校へ向かった。

 教室に入り、天野たちの方を向く。天野たちは怯えるように僕から目をそらした。

 天野の取り巻きの人数を数える。祈るような心持ちで。

 ……一人、足りない。昨日からさらにもう一人。

 僕は崩れ落ちるように椅子に座った。

 さっきまで、あれは悪い夢だ、冗談だと自分に言い聞かせていたが、もうそんなことは言ってられない。

 体が震える。

 机の上にうずくまった。

 僕のせいじゃない、僕のせいじゃない、と、念仏のように自分の中で繰り返す。

「大丈夫?」

 裕子が心配そうに声をかけてきた。今日はいつも通りに登校している。

「な、なんでもない。ちょ、ちょっと体調が悪いだけで……」

 引きつった声でそう言う。これじゃかえって不安にさせるかも知れない。

 だが裕子は

「そっか」

 と一言残して去っていった。

 ホッと安心する。

 そのうち、担任の教師が教室に入ってきた。

 教師から、また一人行方不明者が増えたことを伝えられた。


 昼休みに、杉崎くんが僕に声をかけてきた。

「ねぇ、ちょっといいかな?」

「な、なにかな」

 ひっくり返った声が口から出る。朝からずっとこの調子だ。なんとかしないと、不穏に思われてしまう。

「うん。いや、こんなこと聞くのも失礼だと思うんだけど、行方不明の件、君は何か知っているんじゃないな?」

 心臓が飛び出そうになるのを感じた。冷や汗がドッと溢れる。バクバクと鳴る心臓を抑えながら、杉崎くんに笑いかけた。

「え? し、知らないよ」

 そんな僕の様子を、杉崎くんが訝しげに見つめる。その瞳にはなんでも見透かされてしまいそうだ。

「……知っているんだね?」

 急に杉崎くんの雰囲気が変わった気がした。攻撃的な雰囲気を身に纏わせている。

 僕はただ、ブンブンと首を振るほかない。

「……そうか……まあ、話したくないならそれでいい」

 杉崎くんはそう言い残して去っていった。



 家に帰り、部屋で蹲る。僕は、殺人鬼になってしまったのか?

 もう取り返しはつかない。天野たちは一人ずつ死んでいって、最後には僕の大切なものが奪われるだろう。

 どうしようもない、という状況が、たまらなく怖かった。

 そうしていると、涙が溢れてきた。涙は止まることなく、後から後から溢れてくる。

 その時、ふと誰かの視線を感じた。どこからか、ジッと見つめる視線。

「誰!?」

 そう叫んで、立ち上がった。辺りを見回すと、さっきまで感じていた視線は消えていた。

 なんなんだ、次から次に。




 数日が経った。

 最後に天野が行方不明になって、天野たちは全員いなくなった。

 僕はもう、何も考えることができない。明日には僕の大切な何かが失われて、この奇妙な事件も幕を閉じる。それを、ただ僕は待ち続ける他ない。

 お昼休みのとき、食欲も出ずただボーっとしていると、肩をポンと叩かれた。振り返ると、杉崎くんがニコリと笑っている。

「ちょっと話がしたいんだ。いいかな?」

 杉崎くんはそう言い、教室の外を促した。

「……うん」

 僕はそう言って、杉崎くんの後を追って教室を出た。



 体育館の裏側で杉崎くんが立ち止まった。

「ね、ねえ、何の用なの?」

 ビクビクしながら尋ねる。ここまで来る間、杉崎くんは一言も喋らなかったのだ。何を聞かれるか気が気でなかった。そろそろ杉崎くんの狙いが知りたい。

 杉崎くんが振り返った。

 一瞬、目の前にいるのが誰か分からなくなる。

 いや、目の前にいるのは杉崎くんだ。そうでないはずがない。だけど……

 杉崎くんは今まで見たことのない表情をしていた。ニヤリと笑い、明白な侮蔑の表情をこちらに向けている。

 突然、杉崎くんが両手をぬっと突き出し、僕の首を絞めた。

 凶悪な顔をしたまま、杉崎くんが口を開く。

「一体どんな手段を使ったんだい? 僕には皆目理解できないなあ。天野たちを一日ごとに消していくなんて、まるで魔法のようじゃないか。でもね、いいことを教えてあげよう。この世に魔法なんてものはないんだ」

 そこまで言うと、杉崎くんはパッと手を離した。

 僕はそのまま地面に崩れ落ち、むせ返る。

 その顎を、杉崎くんに強引に持ち上げられた。

「ねぇ? 教えてくれない?」

 杉崎くんが壮絶な笑みを浮かべる。

 僕は自分に言い聞かせる。これは夢だと。天野たちが消えるはずがない。杉崎くんが僕にこんなことをするはずがない。じゃあ、これは夢じゃないか。

「黙ってないでさあ、答えてよ!」

「ぐふっ」

 杉崎くんの拳が鳩尾にのめりこんだ。息ができなくなり、その場にうずくまる。

(早く、早く覚めて……)

 僕はもう、それしか考えられなかった。

 その時、

「何やってんの!」

 懐かしい声がする。もう、何十年と聞いていない気がする声。

 岡崎裕子の声だった。

 体を転がして裕子の方を仰ぎ見る。

「先生を呼ぶわよ」

 裕子が静かに、それでも有無を言わせない声音で杉崎に言い放つ。

「やれやれ、ホント君って運がいいんだね」

 杉崎が僕を見て笑い、降参だとでも言うように両手を挙げた。

「こんなとこ見られたんじゃ敵わないな」

 そう言い捨て、杉崎は去っていった。

「大丈夫?」

 駆け寄ってきた裕子が心配げな声を出す。

「だ……じょぅ……」

 懸命に平気だと訴えようとするが、まだ鳩尾を殴られたダメージが残っているのか、声がうまく出ない。

「無理しないで。大丈夫。あたしがいるから」

 そう言って、裕子は倒れたままの僕を抱きしめた。

 顔が真っ赤になる。いくら裕子とは長い付き合いとはいえ、ここまで接近したことはなかった。

 鼻に裕子の匂いが入ってくる。それは、


 ドブが腐ったような臭いだった。


 明らかな悪臭に、反射的に裕子を突き放す。

「薫?」

 裕子が怪訝そうな顔をする。少し傷ついているのがすぐ分かった。

「い、いや、恥ずかしいからさ」

 やっと声が出るようになった口で取り繕う。とても正直には答えられなかった。

 それにしたって、どうして裕子からあんな臭いが……

 裕子は男勝りな女の子だったが、それはおしゃれに無関心というわけではない。今までだって、裕子はおしゃれに積極的だった。たまに、裕子から香水の匂いが漂ってきたことだってある。その裕子が、自分の、あんなおぞましい臭いに気づいていないだなんて、信じられなかった。

「なんだ。恥ずかしがりやなんだから」

 そういって裕子が笑った。よかった。どうやらごまかしきれたみたいだ。

「それにしても」

 裕子がポツリとつぶやく。

「あいつ、コロシテヤル」

 その声がとても冗談とは思えないほど鋭くて、僕は思わず凍りついてしまった。

「立てる? 立てるんなら、教室に戻ろう?」

 いつもの声音に戻った裕子が、やさしく僕に声をかけてくれる。

「うん」

 僕はそう言って、立ち上がった。まだ絞められた首に違和感を感じたりするが、歩く分には問題ない。

「じゃあ、行こ?」

 裕子がいつになくやさしく笑う。僕は戸惑いながらも、裕子の後に続いて教室に戻った。


 教室での杉崎はさっきのことが嘘のようにいつもどおりだった。これではきっと、杉崎にされたことを先生に訴えても無駄に違いない。誰も僕の言うことなんて信じてくれないに違いない。きっと僕なんかより、みんな杉崎くんのことを信じるだろう。

 じっと睨む僕の視線を、杉崎は完璧に無視していた。しかし、だからこそ分かる。さっきの事件は夢や幻じゃなかったことが。

 その日は結局、杉崎が僕に接触することはなかった。



 次の日。

 僕は朝起きてから、ずっと神経を尖らせていた。今日、僕の何か大切なものが奪われる。

 家族は大丈夫だった。朝ごはんを食べ、学校に向かう。

 教室に入る前に、僕は深呼吸をした。意を決し、ドアを開けて教室の中に入る。

 裕子は、いた。亜梨沙も、いる。二人はいつも通り楽しげに会話している。

 教室を見渡して、違和感がないか調べる。

 すぐには気づかなかった。気づくのに時間がかかった自分に驚いてしまう。

 杉崎司の席が空白だった。そんなことは、ありえないはずなのに。

 その瞬間、僕がどれだけ大きいものを失ったか理解した。

 杉崎は僕にとって憧れだった。それを杉崎自身によって踏みにじられ、そして、それを回復させる機会は永久に失われたのだ。















 薄暗い部屋で目を覚ます。

 杉崎司はどことも知れない部屋で横たわっていた。灯りはたよりない電球ひとつだけだ。


「ここは?」

 自分のいる場所に見覚えはなかった。どうして自分がここにいるのかも分からない。

 ここにいたるまでの記憶が混乱している。

 しかし、現在の状況を鑑みるに拉致されたと考えるのが妥当だ。

 そんなことを考えていると、突然、部屋の奥にあった扉が開き、一人の人物が部屋に入ってきた。しかし、暗くてどんな人物かも分からない。

「あら、もう目覚めたのね」

 その人物が声をかけてきた。この声には聞き覚えがある。たしか……

 侵入者が明かりに近づいていく。薄明かりの中に、見覚えのあるシルエットが浮かび上がった。

「……小川亜梨沙」

「ふふ、覚えていてくれてたのね。うれしい……」

 小川亜梨沙。たしか伊藤薫への接触を邪魔した岡崎裕子の友人で、クラスでは目立たないほうだ。

「お前が天野たちを殺したのか?」

 現状からそう推理し、小川に問いかける。意外な人物だったが、大人しい人間ほど裏で何を考えているのか分からないものだ。そういう点では、妥当な人物かもしれなかった。

「違うわ。あいつらを始末したのはユウちゃん。ユウちゃんったら、大好きな薫くんをいじめるやつが許せなかったみたい」

 ん? と訝しむ。天野たちを殺したのはあの岡崎なのか? それにしては、最近の裕子に不審な動きはなかった。人を何人も殺しておきながら、あんなにも平然と過ごせるものだろうか。

 いや、それよりも、小川の言うことが本当ならば、自分の前に小川がいることの説明がつかない。

「……じゃあ、お前はなぜここにいる?」

「そんなの決まってるじゃない」

 小川が不思議そうに笑う。

「あなたを守るためよ」

「守る?」

 投げかけた疑問に、つまらなそうに小川が答える。

「だって司くん、このままだったらユウちゃんに殺されそうだったんだもの」

「なるほど……」

 やはり伊藤への拷問を見られたのが不味かったか。

 今日か、それとももう昨日の出来事になったのか、伊藤を問い詰めていた場面を岡崎に目撃されたことを思い出し、歯噛みしていると、可笑しそうに小川が笑った。

「ふふふ。司くん、いま今日の出来事が原因だって思ったでしょ。甘いよ。ユウちゃんはね、司くんが天野くんたちを扇動していたことまで分かっちゃってたんだから」

 絶句した。そんなことばれるはずがない。部屋に盗聴器でも仕掛けない限り。

「うふふ。ユウちゃんはね、薫くんに関することなら何でも知っているの。何でも。すごいよね。これぞ、愛のなせる業だよね」

 小川の話すことが理解できない。つまり、岡崎は狂っているということか?

「私も、司くんのことなら何でも分かるよ。何でも。司くん、つまらなかったんでしょ? 才能に恵まれたのに、周りに同レベルで話せる人がいなかったことが。だから、軽い気慰みとして薫くんを使うことを考えたんでしょう?」

 今度こそ言葉を失った。心を見透かされることがこんなにも不気味だとは初めて知った。

「お前らは……何なんだ……お前と、岡崎は……」

「私たちはね」

 小川はとても楽しそうに話し始めた。

「とても気が合うの。きっと、誰かを狂おしいまでに愛しているっていう、共通点があるからだと思う」

 途中で理解しようとすることをやめる。これ以上この女に付き合っていたら、こっちまでおかしくなりそうだ。

「まあいい。早くここから助けてくれ」

 理屈はよく分からないが、小川は自分を助けに来てくれたらしい。こんな息苦しい部屋からはすぐに出たいとせがむ。

「何言ってるの? もう司くんはここから出られないよ?」

 不思議そうに小川が首をかしげる。

「は?」

 出られない? 意味が分からない。岡崎に拉致された自分を、小川は助けに来てくれたのではないのか。

 あ! と小川が手を打つ。

「分かった。司くん、まだ状況が理解できていないのね。私はね、ユウちゃんから司くんを守るために、司くんを誰にも分からない場所に連れてきたの。だからもう大丈夫だよ。これからはずっとここで二人一緒」

 目の前の女が何を言っているのか分からない。つまり、自分を拉致したのはこの女だということか?

「冗談じゃない!」

 そう叫んで、出口に向かって駆け出そうとする。

「え?」

 が、途中でバランスを崩し、倒れてしまう。

 何が起こったのかわからない。突然、何かに躓いたわけでもなく、バランスが崩れたのだ。

 倒れたまま、自分の足を確認して、その原因を理解した。

 右足の太ももが切断されている。大腿四頭筋が切り裂かれ、右足が動かなくなった。

「司くんのことなら、なんでも分かるって言ったでしょ? 逃げようとすることぐらい、お見通し。でも駄目。外に出たら、ユウちゃんに殺されちゃう。だから、ずっとここにいないといけないんだよ」

 そう言って微笑む小川の右手には、いつから持っていたのだろう、鉈が握られていた。

 鉈からはポタポタと血が垂れている。

「う、うわ……」

 動かなくなった右足を引きずり、這って進む。

「しぶといなあ」

 そう言って、小川がまた鉈を振るった。

「ぎゃあぁぁぁぁぁあああ!」

 右腕が根元から切断される。

 先がなくなった肩から、血が溢れ出る。

 急速に冷えていく自分の身体からだを感じた。

 激痛に身をよじりながら、それでも身をくねらせて出口に向かう。

 左足の裏側が切断された。

「ふふふ。安心して? 怖がらなくていいんだよ。あたしがずっと、その、愛してあげるから……キャッ。言っちゃった……恥ずかしい……」

 小川が両頬に手を当てて何か呟いている。こいつはおかしい。なんとか逃げないと……

「? どうして逃げようとするの? あたしのこと、嫌いなの?……それでもいい……時間はたっぷりあるんだから、あたしのこと、好きになってもらえるように頑張る……」

 左腕が肘から切断された。

 何もできなくなった体を、小川に抱き抱えられる。

 意識が遠ざかっていく。視界が、少しずつ暗くなっていった。

「大丈夫だよ? ちゃんと輸血パックも持ってきたし、止血用の道具も持ってきたんだから。司くんは死なない。あたしとずーっと一緒」

 霞みゆく意識の中で、小川の声が微かに聞こえた。

「好きだよ。司くん。大好き」

 それが、意識を失う前に自分が聞いた、最後の言葉だった。

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[良い点] ヤンデレとはかくあるべきですな。 登場人物の態度の豹変やドブの臭いなど、 ファンタジー的ホラーへのミスリードが 面白かったです。 [気になる点] ・こ、高校生? 中学生でいいんじゃないかな…
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