1
その異変が最初に何処で起こったのか。今となっては誰にも分からないことだ。
気付いた時には奴らは既に存在していたのだ。
ある町の十字路。そこで起きた事件によって奴らの存在が露見することになったらしい。最初の被害者は六十過ぎの老婆だったと聞いている。信号待ちをしていた老婆は突如、建物と建物との間、湧いて出たように現れた――それに襲われた。老婆は横からの衝撃に押し倒され、地面に倒れこむ。老婆の上に大きな影が覆いかぶさった。老婆は全くと言っていいほど状況が呑み込めていなかった。
それもそのはずである。人間誰しも予想外のことが起きった場合、現実から逃げたくなるものだ。何かが砕ける音を耳にした。それが自分の両目であることに老婆は気づくことはなかった。顔を貪り食われているころも知らなかっただろうし、自分の人生が十字路で終わったことにも気付いていないだろう。
最初、その異様な光景を見つけたのは母親と幼稚園から帰っていた男児。彼は母親の服を引っ張って老婆の方を指さした。子供につられて目を向けた母親は映画の撮影だと思い、偶々通りかかった三人組の高校生は頻りに携帯でシャッターを切る。ここにいる場の全員が自分たちを取り巻いている危機的状況を理解していなかった。理解したときには、時すでに遅し。
大きな楕円形の塊。男児はそうだと思っていた。老婆の存在は塊の影に隠れていた。
全身が日に照らされて黒く光り、楕円形に付いた六本の足には細かい毛が無数に生えている。そして、異常なまでに伸びた二本の触角。
気持ちが悪い。
男児は生理的にか本能的にか、――それともその両方――そう感じた。それは人間――人類全体と言っても過言ではない――がそれに対する嫌悪感そのもの。
奴を一匹見つけたら、三十匹いると思え。昔からよく言われていた言葉通り、奴らは初めの一匹が溢れるように飛び出してきた。奴らは通行人に次々と襲いかかった。逃げる暇などない。人間の脚と奴ら足の追跡の結果など、見えていた。
一匹いれば三十匹いると思え。ならば、三十匹いれば、九百匹いれば、……、……、……。
自衛隊もすぐに出動し、事態は収束すると思われた。だが、現実はいつも甘くない。進化した奴らの中には、鋼の甲羅に進化したものもいたのだ。機関銃を振り回す隊員と大河の流れのように迫ってくる奴ら。勝敗は一目瞭然。
戦闘機や戦車が出動しても結果は変わらなかった。奴らはそれを想定していたかのように、進化を遂げていたのだ。飛行能力や俊敏性、顎力を特化させた、あらゆる状況に対応できるように変化していた。
奴らの驚異は四国、九州、沖縄へと広がり、日本全土を覆った。地位も名誉も関係なく、出会ったもので生き残ったということは聞いたことがない。生き残った僅かな日本人――過半数は北海道の人々――は北海道に逃れた。
北海道に逃げ延びた日本人たちはある決断を迫られた。本土と北海道を繋ぐ唯一の道、青函トンネルを塞ぐかどうか。塞げば、日本の土地の約八割近くを捨てることになるのだ。しかし、塞がなければ、何時奴らの脅威に晒されるか分からない。
結果、塞ぐことになった。ダイナマイトを使って青函トンネルを沈めた。それが生き残った日本人たちの、思いつく限りの最善の策だった。
世界はどういった対応をとったのか。それは語るにはそれなりに酷なことだった。
世界は、日本を見捨てた。増殖し続ける害敵との、勝ち目の見えない戦争を起こせるほど親切ではなかった。
唯一出た案は、三度目の原爆投下。それを受け入れる否か、北海道に逃げ延びた日本人たちの答えはNOだった。
そして、日本人は故郷を取り返すことなく長い年月が過ぎていった。