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第8章 ほぼ黒猫のおうち

「でも、あなたにしては、珍しいね。他の人の家に入り込むなんて。それとも、そういうことって、しょっちゅうやってたりして?」


 女子高生は、肩の上に丸くなって乗っかっている飼い猫に向かって、話しかけた。

 すれ違った親子連れの母親が、にっこり笑って、「ほら」と彼を指差し、子供が目を輝かせて、「ネコちゃん、かわいいーっ」と叫ぶ。


「あの人のことに興味があったの? 可愛らしい人だったものね。でも、興味があったのは、あの人が持ってる、別のことだったのかな?」


 お見通しってわけか。


 彼は、肩の上で、バランスを取る。

 あまり爪を立ててつかまって、制服を汚したり傷つけたりしたら、当然、怒られる。

 彼女をとことん怒らせたら、目が真っ黒になって、髪が逆立って、おっかないったらないのだ。


 彼女の読みは、当たっていた。

 すなわち、彼が真緒の部屋に上がりこんだのは、たいした理由がないということ。

 確かに、たいした理由ではなかった。言わば、なんとなく、だ。


 料理を作ったことも、またしかり。取り立てて、深い理由はない。

 同居している家族がお笑いが好きなこともあって、常にそういう賑やかな番組は、居間のテレビに映っていた。お笑い番組に次いで、ワイドショー、料理番組がベスト3だろう。


 そういう番組を長い間見ているうちに、彼がなんとなく気に入った新人のお笑い芸人は、数年後、必ずブレイクすることに気が付いた。

 そのことがおもしろくなり、新人の芸人が登場すると、必ずチェックを入れるようになった。ゲームのような感覚と、ノリだった。


 そして、ケーブルテレビの番組には、彼が今いちばん気になっている新人が、たくさん登場するのだ。

 それも、一日に何回も同じ番組が放送されている。何度も繰り返し、彼らを見ることが出来る。


 あのマンションが、ケーブルテレビ付きだということは、知っていた。

 以前、通ったとき、住人の学生たちが、ケーブルテレビのことを話していたからだ。

 いつか、どこかの部屋に入り込んで、見られればいいな、くらいに思っていた。

 それで、たまに、すわり心地のいいバイクなんかが前に止まっていたときなんかに、そういうごく淡い期待を抱きながら、シートの上で日向ぼっこをしたりしていた。


 そこに登場したのが、あのマオとかいう女子大生だった。

 彼女は、撫で方も、とても上手だった。

 撫でてほしいと思っているその場所を、撫でてほしいと思っている強さで撫でてくれた。

 猫好きで、人もよさそうだったし。

 チャンスだと思った。

 それで、部屋にお邪魔することにしたのだ。


 別に彼女が失恋で落ち込んでいようと、関係はなかった。部屋が汚くても、気にしなかった。

 ただ、やっぱり周囲に雑多なものが散らばっているのが目に付いて、テレビに集中できなかったので、取りあえず、床にあったものは全部、ベッドの上に移しておいたけれど。


 彼女は、大好きな猫缶も、わざわざ買ってきてくれた。(あれは、彼の家ではあまり出してくれない、高級食品なのだ。)

 座り心地のいいソファもあり、ゆったりと大好きな番組が見られる。最高だった。


 パソコンの使い方は、テレビの教育番組から覚えた。わかりやすい本も、あふれるくらい家にあった。

 会社の第一線でパソコンを使うサラリーマンが家族にいるので、そういう資料には事欠かない。書斎にあるパソコンも、家に誰もいないとき、こっそり操作をしている。


 実は、パソコンだけでなく、携帯電話だって、オーディオ機器だって、洗濯乾燥機だって、家にある機械類の操作は、ほとんどマスターしている。

 なんせ、家にずっといるとヒマなのだから。故郷である向こうの世界だって、そう頻繁に行けるわけではないのだ。


 料理を作ったのも、単に、試してみたかっただけだった。


 <冷蔵庫の残り物を使って、料理を作る>


 それは、テレビでも雑誌の見出しでもよく目にする、ちょっと魅力的で、気になるコピー。

 けれども、家では、そういうことは出来なかった。

 彼と同居している主婦は、料理が趣味で、冷蔵庫の中は、常にいろんな食材でいっぱいなのだ。


 何をどれくらい入れておくかは、決まっているようだった。だから、その量以下になることはありえない。

 なくなれば追加されるどころか、なくなる随分前に、もう既に別のところにストックされ、冷蔵庫に入れられる日を待っている。

 

 あの女子大生が猫缶を買いに出たとき、冷蔵庫を開けてみると、いい具合に食材が残っていた。メニューも、簡単に出来るものが、ぱぱっと浮かんだ。で、作ってみただけだ。


 おにぎりを失敗したのは不覚だったが、他のものは、だいたいうまく出来た。

 別に、彼女を慰めようとか、元気づけようとかは、微塵も思わなかった。

 ただ単に、なんとなく作りたかっただけ。


 そりゃあ、おいしいとか、ありがとうと言われて、悪い気はしなかったし、彼女が料理を食べて少し元気を出してくれたことが、多少は嬉しかったのだけれど。

 人間に親切にしてやろうなんて、たぶん、生まれてこのかた、思ったことなどありはしない。断言できる。

 

 全く、人間たちは、勝手だ。

 そのへんになんとなくうずくまっているだけで、それを見て、癒される、などと言う。

 そこにいるだけで、心が和むとも。

 ちょっと手を舐めてみたら、やさしいんだね、と言う。

 単に頬がむずがゆくて、すりすりしたりすると、慰めてくれるの? などという、予想外の言葉が降ってくる。


 そんなつもりなど、毛頭ない。

 自分のやりたいことを普通にやっているだけなのだ。

 人間たちは、それを勝手に都合のいいように、解釈する。

 まったくもって、おめでたい連中だ。


 ただ、こちらの世界で猫になっていると、そういった猫好きの人間たちからちやほやされ、すこぶる暮らしやすいというのは、確かにあるのだけれど。

 

「あなたは外見によらず、あったかくて世話焼きなところがあるものね。そのへんにも、彼女の家に上がり込んだ理由があるのかな。でも、あまり、あの見張り人グループの人たちを刺激しないようにね。あなたがいつもとちょっと違うことしただけで、飛んでくるんだから」


 彼の主人であるところの、女子高生が言った。


 見張り人グループの、先代の記録係とは、うまく付き合っていた。

 出会ったときには、もう老人だったが、やさしくて、猫好きで、猫の撫で方も、あの女子大生のように、上手だった。


 彼女は、白い猫も、飼っていた。

 白い猫は、彼が訪問すると、頼みもしないのに、ざらざらした舌で、彼を舐めてくれた。

 昔、この猫が生んだ子猫に、あんたは似ているよ、と、記録係は笑っていた。

 その記録係も白い猫も、今はもう、いない。


 新しい記録係は、先代の孫だという、男子高校生だった。

 精神的な余裕がなかったから、近づかなかった。

 けれども、そろそろ仲良くしてやってもいいかな、と思う。

 彼に近づけば、あのマオとかいう、猫みたいな名前の女子大生も、もれなくくっついてきそうだし。

 そうすると、また彼女に撫でてもらえるし、『紀州のとれとれマグロ・ムース仕立て』も買ってくれる。


 なにしろ、好きなときにケーブルテレビが見られるのだ。気が向いたら料理を作ってもいいし。

 新しい記録係とは、お互い第一印象はよくないが、それはそれでいい。

 おちょくりがいもありそうだ。

 ああいう性格は、ほどほどにおちょくると、おもしろいのだ。

 春になって、彼の浪人生活が終わったら、また姿を現してやろう。


 彼は、ひそかに決心した。



 やがて、女子高生と彼の前に、ガラスが印象的な、白い家が現れる。

 塀からは、いろんな種類のハーブがあふれていた。

 ローズマリーに、ラベンダー、セージ、ミント、オリーブ。彼が大好きなキャットニップも、たくさん植えられている。

 彼は鼻をひくつかせ、風の中に混じる、彼の家の香りをかいでみる。


「おうちに帰ってきたよ」


 彼女が言った。

 彼は、にゃー、と甘えた声を出してみた。

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