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第2章 奇妙な人々

 不思議だった。

 何もする気になれなかったはずなのに。

 ドイツ語の授業に出るのだって、本当は、ものすごい決断力がいった。

 だらだら考えて、迷いに迷って、やっとのこと大学に出かけたというのに。


 なのに、あの猫のためなら、すっと部屋を出られた。

 猫のためなら、やる気が出る。

 たぶん、それは、自分のためじゃないからなのだろう。

 自分のために何かしようなんて、面倒以外の何物でもない。


 じゃあ、やっぱり、ひとりで部屋に閉じこもっていたら、よくないってことなのかも……。

 自分しかいないし、自分のことしか考えない。

 しかもそのベクトルは、ネガティブなほうへと向かってしまう。


 もう何も考えず、取りあえず、明日の授業は、全部出てみようか。

 みんなに会ったら、案外、落ち込みが直ってしまうのかもしれない。


 

 マンションのポーチの、さっきほぼ黒猫が乗っかっていたバイクの横に、誰かが立っていた。

 学生風の、背の高い若い男の子。真緒と同年代くらいだった。


 背後のブロック塀に心持ちもたれかかり、軽く腕組みをしている。

 たぶん天然パーマの髪は、カラスもびっくりの、真っ黒つやつや。

 真緒と同年代の男の子たちは、たいがい髪を染めているので、黒い髪の男の子は、かえって新鮮だった。

 眼鏡をかけているので、どこか知的な雰囲気もあった。


 服装は、ファッションにはまるっきりこだわりません、ということをアピールしているかのような、ちょっとくたびれた感じの、厚手のパーカとブルージーンズというスタイル。

 あまり、男子大学生特有の、どこか余裕のある、のんびりした感じはしなかった。


 私服の高校生かもしれない。でも、高校生が外でこんな風に立っているには、まだ少し早い時間帯ではあるけれど。

 このマンションの住人だろうか。それか、住人の友達。待ち合わせをしているとか。


 真緒のマンションの、居住者の多くは学生だった。

 だが、顔を合わせても挨拶はしない。

 お互い透明人間ででもあるかのように、すれ違うだけだ。

 だから真緒も、その男の子を無視して、通り過ぎた。

 彼の前を通り過ぎるとき、彼の視線を必要以上に感じたような気がした。


 ……まさかね。全然知らない人だし。

 私があまりにも暗い顔してるから、ただなんとなく見ただけ。

 たぶん、きっと、それだけだ。



 だが、彼は、真緒をじっと見つめていたのだった。

 真緒は振り返らなかったから、わからなかっただけで。

 彼は、腕組みをしたまま、眼鏡の奥の薄い色の目で真緒を眺め、眉をひそめた。




 そのペットショップに入るのは、初めてだった。

 いつも前を通るのだが、ペットは飼っていないので、入る理由もない。

 テラスがあって、ドアもおしゃれで、ペットショップというより、カフェとか雑貨屋さんをしたほうが似合いそうな店だった。

 ペットショップとはいえ、その構成はほとんどがペット用品で、生身の売り物のペットは、ハムスターやウサギ、ハリネズミなんかの小動物だけのようだ。


 店の中に入ると、いきなり、大きな茶色の犬が、玄関マットのように、通路に寝ていた。

 真緒は仕方なく、犬のお腹と足の間のわずかな隙間をつま先で移動し、奥へと進む。

 この犬は、かなり前から我が物顔でこの店にいるので、売り物ではなく、おそらくここで飼われている犬なのだろう。


「いらっしゃいませ」


 アルバイトらしい女の子が、にっこりと真緒に微笑んだ。


「あのう。えーと。これ、ありますか?」


 真緒は、プリンターで印刷した紙を広げて、彼女に見せた。


「ああ、『紀州のとれとれマグロ・ムース仕立て』ですね。ありますよ。こちらです」


 ぎっしりと並べられた、色とりどりの猫缶。

 とんでもない量と種類だった。

 いったい猫を飼っている人たちは、猫缶を買うとき、どうやってこの中から、自分の猫の好みのものを選ぶのだろう?


 店員の女の子が指し示した場所に、写真と同じ猫缶があった。

 猫缶の相場を知らなかった真緒は、その猫缶が他のに比べると、とんでもなく高いことに気がつく。他の猫缶の2倍以上の値段だ。


「こ、この猫缶、結構高いんですね」


「紀州の天然マグロですからねー。国産の限定品ですよ。ビタミンとオリゴ糖、キトサンも入ってますし、タウリンも強化されてます」


 店員の女の子が微笑んだ。


 彼女の説明は、猫を飼っていない真緒にはよくわからなかったが、それでも、その猫缶の写真が印刷された紙まで持って買いにきた手前、真緒はその『紀州のとれとれマグロ・ムース仕立て』とかいう猫缶を3個もまとめて買ってしまった。


 高いとはいえ、三個で、おしゃれなカフェでカプチーノを一杯飲むくらいの値段だし。

 あのきれいな猫になら、それくらい、おごってあげてもいいだろう。


 真緒は再び、ナマ犬の玄関マットの間をつま先で抜けて、店の外に出た。

 『ありがとうございました~!』という店員の女の子の声が、明るくて、嫌味がなくて、やさしくて、なんかあったかくて、ほっとした。

 たぶん、単なるお客に対する挨拶なのかもしれなかったけれど、今の真緒には、どんなちっぽけなやさしさだって、きっと心にずきんと響く。


「遊園地かー。私は、連れて行ってもらったことなかったな」


 真緒は、呟いた。

 呟いたあと、また涙がこぼれそうになる。


 いけないな。恨み言になっちゃう。

 本当は、遊園地に行きたかった。

 遊園地だけじゃなくて、美術館とか、図書館とか。

 一緒に外食をしたり、甘いものを食べたり、あと、桜を見に行ったり、花火を見に行ったり。

 彼といろんなところへ行って、いろんなものを見て……。

 普通のデートがしたかった。

 でも、彼と会うのは、いつも真緒の部屋。


 真緒はいつも、彼のために料理を作った。

 料理の本を見ながら、手の込んだ、彼がびっくりするような珍しい料理を作った。

 毎回彼は、とても喜んで、おいしいおいしいって、食べてくれたのに。

 楽しかったのは、私だけなのかな。


「メシタキオンナだよ」


 桃華は、以前、真緒に忠告するように言った。


「都合よく、利用されてるだけじゃないの?」


 でも、真緒は、信じなかった。

 そんなはずないよ。ちゃんと付き合ってるんだもん。

 いつも、こちらがはずかしくなるくらい、好きだって言ってくれる。

 メールの回数だって中身だって、他のカップルには負けない。


 でも……。

 そうだったのかもしれない。

 今となっては。



 真緒は、コンビニの前で立ち止まった。

 ドイツ語の授業から帰ってきたときも立ち止まったが、通り過ごした。

 でも、今回は、入ってみる。

 取りあえず、何か食べなきゃ。

 自分で作るのがめんどうなら、出来合えのものでも。


 真っ直ぐ、惣菜の棚を目指して、歩く。

 だが、棚に並んでいる料理をざっと見て、真緒は後悔する。


 やっぱり、食べる気にはなれない。

 スパゲッティに、焼きそばに、炒飯に、あとは、こってりしたお弁当。全部、茶色の濃淡に見える。

 かといって、見た目が色鮮やかっぽいサラダも、サンドイッチもカップめんも、食べられそうになかった。


 もっと、何か、こう、出来立ての新しいものがあれば、食べられるかもしれない。温め直して食べる、冷たい料理じゃなくて。

 あったかくて、パワーがあって、見た目もおいしそうな色をしていて、元気が出るような、そんな料理……。

 それって、わがままなのかもしれないけれど。


 迷った末、真緒は、食パンを買った。

 食パンなら、きょう食べられなくても、冷凍も出来るし、無駄にはならない。それに食パンは、冷やされて売られていなかったからだ。


 中年の女性店員さんの、溌剌とした『ありがとうございました!』の挨拶が、やはりなんとなく、嬉しかった。



 マンションに戻ってくると、ポーチの同じところに、相変わらずあの男の子が立っていた。

 友達は、まだ現れないのだろうか。


 男の子の前を通り過ぎるとき、真緒は、はっきりと視線を感じた。

 彼は真緒を上から下まで一通り見て、食パンの入ったコンビニのレジ袋を見て、それから、猫缶が3個入った、ペットショップのレジ袋を何の遠慮もなしに、露骨に眺めた。

 レジ袋は半透明なので、何が入っているかは、ばればれだ。

 猫缶の『ムース仕立て』という小さめの文字さえ読めるくらいに、透けている。


 わ。なんか、いやな感じ。

 真緒は、急いで通り過ぎようとしたが、彼が突然話しかけてきた。


「きみ、猫を……」


「飼ってません! 猫なんて、飼ってませんからっ!」


 真緒は、さらに何か言いかけた彼を振り切り、階段を駆け上がった。

 そしてあせりまくりながら鍵を開け、部屋の中に飛び込む。

 ドアノブから手を離さないうちに、真緒はしっかりと鍵をかけ、チェーンを下ろした。


 は、話しかけてきたよおお。

 猫缶持ってるから、猫飼ってると思われたのだろうか?

 もしかして、大家さんの知り合いとか、親戚?

 ペット禁止なのに猫飼ってるって、告げ口するつもりとか?


「ん? なんかいい匂いがする?」


 真緒は、部屋の中を眺めた。

 ほぼ黒猫は、相変わらず、ソファの上にいる。

 もうグルーミングはとうに終わったようで、今は丸くなって、ゆったりと座っている。

 パソコンのモニター画面には、テレビの番組が映っていた。


「え? ケーブルテレビ?」


 真緒があまり見ないチャンネル、決して見ない番組だった。

 芸人とおぼしき人物が、どこか街中でインタビューをしている、なんかそんな感じの番組。

 たぶん、まだそんなに売れていない芸人だ。真緒は、お笑い番組はよく見るほうだが、全然見覚えがなかった。


「きみがチャンネル合わせたの?」


 ほぼ黒猫は、知らん顔をして、丸くなっている。

 確か、部屋を出るとき、パソコンは切ったはずなのに……。


 そして真緒は、テーブルに何げなく視線を落として、愕然とした。

 そこに、料理が置かれていた。

 真緒がいつもパスタやカレーを入れる、オールマイティーの大き目のお皿と、お椀。

 お皿には、焼きうどんが入っていた。お椀には、みそ汁。

 いい匂いの正体は、この料理だ。


「な、なに、これ……」


 うどんには、ハムと玉子が絡まっていた。ハムと玉子は、ほどよく焼き目がついている。トッピングは、青のり。

 ハムのピンクと、玉子の黄色と、青のりの緑。色取りもきれいで、おいしそうだった。

 みそ汁の具は何なのかはよくわからないが、何か赤っぽい色のものが沈んでいる。両方とも、出来立てだ。


 真緒は、キッチンを振り返った。気にも留めずに通り過ぎてしまったキッチン。

 そこも、様子が違っていた。


 流しには、フライパンが突っ込まれている。小さな鍋も。

 それから、木ベラとおたまじゃくし。

 『早く洗ってね』と主張している、十分に使われた調理用具たち。


 つまり――。

 誰かがこの部屋の中に入って、料理を作ったのだ。


「どういうこと……?」


 鍵は、確かにかけて出た。

 窓も、閉まっている。

 防犯用に、窓にはさらに鍵を追加しているくらいだ。

 誰も入れないはず。

 新築だから、前の住人が同じ鍵を持ってる、なんていうこともない。

 なのに、何で?


 真緒は、ふと、ソファで丸くなっているほぼ黒猫の背中に目をやった。

 背中の黒い毛の中に、黄色い小さなものが混じっている。

 真緒は、それをつまみあげた。

 玉子の切れ端だった。

 焼きうどんに入っている玉子だ。


「きみ? つまり、きみってこと? これを作ったのって……」


 ほぼ黒猫は、細く目を開けた。めんどうくさそうに。

 <ああ、そうだよ。だから、さめないうちに、とっとと食べたら?>と、言われたような気がした。


「うん。確かに、早く食べないとさめるね。それに、おいしそうだし……」


 真緒は、テーブルの横に、腰を下ろした。

 

 どうかしている。

 いつもの自分なら、きっと半狂乱になってる。

 パニックを起こして、部屋を出て行くとか。

 桃華に電話して、来てもらうとか、彼女の部屋に逃げ込むとか。

 警察も呼ぶかもしれない。

 とにかく、こんな感じで、テーブルについたりはしないだろう。

 やっぱり、落ち込み過ぎて、危機管理意識とかが麻痺しているのかもしれない。


 真緒は、焼きうどんを一口、食べてみた。

 玉子とハムと青のりの、シンプルな焼きうどん。

 味付けは、ウスターソース。

 ハムが香ばしくて、おいしい。

 焼きうどんって、キャベツや豚肉を入れなくても、こんなのも作れるんだ。


 それから、味噌汁を飲んでみて、真緒は驚く。

 味噌汁の中には、キムチが入っていた。

 ピリ辛の味噌汁。キムチと味噌が、意外と合ったりする。


 キムチって、味噌汁に入れてもよかったんだ。

 目からウロコだ。そんな発想さえ、なかった。


 つまりこの料理は、冷蔵庫に入っていたもので作ってある。

 真緒はそのことに気づき、冷蔵庫を開けてみた。

 やはり、中のものが減っている。

 ハムもないし、玉子も一個なかった。うどんもない。

 確実にここから出して、料理したのだ。


「で、ほんとに、きみが作ったの?」


 そんなわけないと思いながらも、真緒はほぼ黒猫にたずねた。

 ほぼ黒猫は、真緒の質問には答えず、パソコンに映るテレビを眺めていた。

 テレビの中では、名前の知らないお笑い芸人たちが走り回っている。


 でも、もしこの猫がこの料理を作ったのだとしたら?

 いったいどうやって作ったのだろう。


 この猫の大きさでは、到底キッチンには立てない。

 コンロにフライパンをかけることも不可能だ。

 ガスレンジの上に乗っかるにしても熱いだろうし、そうしたら、空中に浮かんでフライパンを動かすしかない。


 しかも、あの肉球のついた小さな前足で、どうやって玉子を割って、ハムを切る?

 真緒がペットショップとコンビニに行って帰ってくる、そのわずかな時間で?

 絶対、不可能だ。


 焼きうどんと味噌汁は、あっという間に真緒の胃の中に納まってしまった。

 やっぱり、お腹はひどくすいていた。

 やっと食べられるものに出会えて、なんか体がほっとしていた。

 たとえ猫が作った料理でも。(本当に猫が作ったのか?)


「ごちそうさまでした。とーってもおいしかったよ」


 真緒が言うと、ほぼ黒猫は、<当然さ>とでも言うように、うなずいたような……気がした。


「そうだ、猫缶買ってきたんだ。私が先に食事してしまって、ごめんね」


 真緒は、猫が食べやすいように、平たい器を選び、猫缶の中身を開けた。

 ほぼ黒猫は、テレビを見るのをやめて床に降り、ムースマグロにかじりついた。


 真緒は、キッチンで食器を洗い始める。フライパンと鍋も。

 スポンジで、お皿をごしごしこすりながら、ぼんやりと考える。


 もし、猫が作ったんじゃないとするなら、では、誰が作ったわけ?

 その誰かは、私の部屋に入ってきて、冷蔵庫を開けて材料を取り出し、わざわざ料理を作った。

 で、それをテーブルの上に置いた。で、自分は出て行った。

 なんのために? そんなことをする理由がない。


 まさか、さっきマンションの前で声をかけようとした男の子が……。

 ありえない。

 やっぱり彼にも、ここで料理を作る理由がなかった。


 彼の様子からして、真緒が往復している間、ずっとあのままあの位置に立っていたはずだ。

 このマンションの誰かを待ってて、その誰かがなかなか来なくて、そこにたまたま通りかかった、住人らしき女の子が猫缶を持っていたので、注意しようとしただけ。

 普通、猫缶をレジ袋に入れてさげていたら、猫を飼っていると思うだろう。

 しかも、猫缶は、三個も持っていたのだ。


「そういえば、さっきの男の子って、まだ外にいるの?」


 真緒はふと気になって皿洗いを中断し、窓を開けてベランダに出た。

 そこからは、マンションのポーチがよく見える。

 真緒に声をかけようとしたあの彼は、まだそこにいた。

 そして彼の隣には、もう一人男性が立っていて、彼と話をしている。

 二人とも、真剣な顔をして話していた。


(やっぱり、待ち合わせをしてたんだ)


 真緒は、その二人を見下ろした。

 彼と話をしている人物は、二十代前半くらい。細身で、彼より幾分背が高い。

 長髪に、薄手の黒のコート。コートは足首くらいまでの長さがあって、ミステリアスで優美な雰囲気。

 その人物は、遠くからでも、美形であることがわかる。どことなく、ビジュアル系バンドのボーカルという感じだった。


 桃華と並んで歩いたら、きっと雰囲気的に似合うかも。真緒は、思ったりする。

 たぶんあの人、桃華のストライクゾーン、直球ど真ん中だ。

 ああいう感じのきれいな人、桃華の趣味だもの。


 真緒の視線を感じたのか、そのビジュアル系は、ちらりと真緒のほうを見た。

 途端に、真緒の全身に、鳥肌が立つ。

 真緒はあわてて、部屋の中に入って窓を閉めた。


 な、なに、今の。

 なんか、ぞっとした。

 目つき、悪い、あの人。


 実は別のどこか異質なところに居場所があるのだが、仕方なしにここに来ていて、そういう立場から冷ややかに真緒を見つめた、というか。


 その異質な何かに対する、漠然とした、言い知れぬ不安を起こさせるような目だった。

 そして、鋭利な刃物のように、その目は、きらっと光ったのだ。


 部屋の中では、ほぼ黒猫が、平和に猫缶を食べている。

 真緒は、ほっとした。

 それから、気を取り直して、皿洗いの続きを始める。

 

 で――。

 焼きうどんと味噌汁を作ったのが、ほぼ黒猫さんだとして。

 どうやって作ったのかは、謎だけど。


 ほぼ黒猫さんが料理を作った理由。

 私が『なんとかマグロのムース仕立て』を買ってきたお礼。

 あと、落ち込んでいる私を励まそうとして、料理を作った。

 それとも、他に、何か理由がある。

 それか、理由なんかなくて、ただ何となく、とか。


 真緒が洗い物を終えると、ほぼ黒猫は既に猫缶を食べ終わっていて、再びソファに戻っていた。

 食後のグルーミングを始めている。

 爪の一本一本を、これでもか、というくらい丁寧に、舌のざらざらで磨いている。

 猫缶を開けた器は、空っぽだった。


 「よっぽど好きなんだね。でも、この猫缶、お高めだけど。いつもこれ、食べさせてもらってるの?」


 <んなわけないだろ>と、ほぼ黒猫の背中が答えた(ような気がした)。


 真緒は、ベッドの上に寝転がった。

 久々の満腹感。

 胃が一生懸命、働いている。


 だけど――。

 冷静に考えれば、猫が焼きうどんと味噌汁を作るはずもない。

 たぶん、自分が作ったのだ。帰ってきてから。

 なのに記憶が飛んでしまったかなんかで、覚えていないだけなのだ。

 落ち込みすぎて、変になっているだけなんだ。

 きっとそうに違いない。

 でないと、説明がつかないもの。

 猫が料理作るなんて。

 ホラーか? オカルトか? なんせ、こわすぎる。


 少し気だるい満腹感の中で、真緒は無意識のうちに、眠ってしまった。

 ここんとこ、ちゃんと寝ていなかったせいもあった。

 夜になると、息が詰まるくらいに不安になり、悲しくなった。

 枕が絞れるんじゃないかと思うほど、涙が出た。

 でも、今はお腹がいっぱいで、横には平和に毛づくろいをする猫がいる。



 随分時間がたって、ふと半分夢うつつで目を開けると、ソファに男の子が座っているのが見えた。

 あれ?

 ほぼ黒猫さんじゃない。

 誰?


 年齢は、十二、三歳くらい。おそらく、外国人。

 だが、外国人というより、アニメかCGの世界から抜け出てきたという感じもする。

 首のところで切りそろえた髪は、真っ黒。天使の輪っかが出来ている。

 肌は青白いほど白く、目は、透明な水晶の底に沈んだ金色と緑。

 彼が着ている衣装は、変わったデザインの白い服と白いマント。やはり、どこかアニメっぽい。


 なんだ、ほぼ黒猫さんだ。目でわかった。猫のときと目が一緒だもの。

 男の子にもなれるんだ。

 じゃ、この姿に変身して、焼きうどんと味噌汁を作ったわけね。

 猫のままじゃ、絶対作れないもんね。 

 ん、納得。


 ほぼ黒猫が変身した美少年は、ソファにゆったりと腰を掛けて、テレビを見ていた。

 時々声をあげて、「はははははは」と笑っている。


 なんか、お笑い番組、見てる。

 好きなんだ、お笑い……。

 ケーブルテレビにそんなお笑い番組があるなんて知らなかった。

 今度、見てみよう……。

 

 真緒は、再び寝てしまった。

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