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キミの音色をもう一度

作者: 麻垣
掲載日:2026/03/13

 愉快なトランペットの音がして思わず振り向いた。トランペットを心地良さそうに吹く彼女は、街に溶け込めない異物感があった。こんな街中でトランペットを吹いていたら、多少騒ぎになりそうなのに、それなのに、誰も彼女に目もくれない。

 トランペットを口から離して、大きく息を吸って、肩を落とし行き息を吐いた。トランペットを愛おしそうに見つめていた彼女は顔を上げる。

 彼女の無垢な瞳が、私を捉えた。

 彼女が「視えてる」と言った言葉が、はっきりと聞こえた。私は焦って目を逸らした。誰も彼女に目もくれない。多分彼女は、死んでいる。

 白い肌とのコントラストが際立つ黒髪のポニーテールに、力強い丸い瞳が強調されるぱっつん前髪。どこの高校かはわからないけれど、紺色のブレザーの制服を着ている。高校生の幽霊……なのだろうか。

 彼女は一瞬で私の隣にやってきて、「視えてるよね!?」と興奮気味に訊ねてきた。

「トランペット聞こえてたよね!? だから、振り向いてくれたんだよね!」

 飼い主でも見つけた子犬みたいだ。尻尾を振りながら駆け寄ってくる。彼女はまるで生きているみたいだと思った。

 鼻先を赤くして、垂れそうになる鼻水をすすり、厚手のコートを着ている私に対して、彼女は紺色のブレザーの制服だけ。

 寒くないのかな。そう思ったが、幽霊に寒いという概念はないのであろう。

 私が聞こえないふりをしていても、彼女はまだついてくる。「ねぇ」と私の顔を覗き込む彼女。顔を近付けた彼女を見て、本当に生きているみたいだと思い驚いた。水分量の多い丸い瞳、ほんのりとピンクに色付いた頬に、血色感のある唇。

 本当に死んでいるのだろうか。

 思わずじっと見つめてしまい、彼女は拗ねたように口をへの字に曲げて言った。

「ねぇ、視えてるよね?」

 意図的に無視していることに罪悪感を覚え、私は小さな声で「ちょっと待って」と伝えた。帰路にある公園に人がいないのを確認すると、私はブランコに座った。

「なんで話しかけても答えてくれなかったの?」

「私が独り言話してる変な人だと思われるから」

「あ、確かに」

 彼女は納得して、隣のブランコに腰かけた。座れるんだ、と思ったことは、内緒だ。

 幽霊と話をする、なんて非現実的な出来事に興味がないはずがない。私は彼女に興味があった。

「あのさ、名前は?」

「にじか。虹に河って書いて虹河」

「虹河」

「あなたは? 名前」

「瑠香」

 彼女――虹河は「いい名前だね」と笑うと「ねぇ、瑠香」と私の名前を呼んで、続けた。

「覚えてるうちに、私の話してもいい?」

「覚えてるうちに?」

 虹河の言い回しに違和感があった。それでも深入りすることなく、私は「いいよ」と答えた。虹河は「ありがと」と言うと、小さく笑った。

「私、捨て子だったんだ。お母さんが施設を経営してたから、そのまま拾ってもらった。その日は雨が降ってて、傘のさされた段ボールにタオルで包まれた私がいた。お母さんが私を見つけたとき、ちょうど雨が上がって、虹が綺麗にかかったから、虹の河で虹河になったんだって」

「……そうなんだ」

 綺麗な話だと思った、と言ったら、彼女は怒るだろうか。捨て子だった過去は、綺麗な思い出ではないだろう。

「瑠香は霊感でもあるの? 私が視えるってことは」

「いや、ないと思う」

「じゃあ、私たち過去にどこかで会ったことがあって――」

「それもない。初めましてだよ」

 虹河は「人と話をしたのは久しぶりで」とよく笑いながら言った。彼女はなんだか話しやすくて、心地よかった。虹河がよく笑うから、私も釣られてふいに笑顔になってしまう。

 明るかった空がオレンジ色に染まっていた。公園の時計は十八時を過ぎていた。日の入りの時間は過ぎていたから、だんだんと暗くなってしまうだろう。それでも、私は彼女との会話を続けた。

「死んだ理由って、聞いてもいいの?」

 虹河は「別にいいよ」と笑って頷いた。

「事故に遭ったんだ。去年、高二の春に」

「去年……ってことは、同い年だ」

 生きていたら彼女も高校三年生で、私と同い年だったのか。

「本当!? やったー。死んだのに友達ができた」

 虹河は嬉しそうに笑った。生前の虹河は、よく笑う子だったんだろうか。

「私、こう見えて吹奏楽部だったんだよ」

「だろうね。見てたらわかる」

「生きてたときは、演奏を聴いてもらえるのが嬉しかった。死んだときに、もっと吹いていたかったなって思ったから、今もこの子が一緒にいるんだと思う」

 虹河はトランペットを大事そうに撫でた。愛おしそうに見つめ、「一回吹いてもいい?」と言うから、私は頷いた。

 ふと顔を上げると、木々に桜が咲いていた。彼女の演奏に乗るように、風に触れられ桜の花びらが数枚、空に浮かんだ。

 音楽に触れてこなかった私に、虹河の演奏が上手か下手かの判別はできないけれど、伸び伸びと演奏する彼女の音色は心地の良い音だと思った。

 日の暮れた公園に響くトランペット。観客は私だけ。初めて会ったはずの彼女は、私に溶け込んでくる。目頭が熱くなった。彼女の演奏にのみ込まれていくのがわかった。私はこの音を、まだ聴いていたい。一粒の涙が頬を伝うと、込み上げてくる得体が知れない感情を止められなくなった。

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