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◆第六章 創生の一週間 後編

【六日目】


 町はずれの廃工場跡。錆びた鉄骨が墓標のように空へ突き刺さっている。

 呼び出された光江、十河、そして渉と美優、比呂人が到着すると、薄暗い倉庫の奥から浩太が現れた。

 両手を縄で縛られ、口を塞がれた蓮を盾にするように引きずっている。浩太の右手には、鈍く光るサバイバルナイフが握られていた。


「蓮! 俺だ、比呂人だ!」

 比呂人の叫びに、蓮は目を見開き、口を塞がれたまま必死に頷く。涙が頬を伝い落ちた。


「遅かったな。観客は揃ったか」

 浩太が嘲るように笑う。その視線の先には、遅れて到着した前田夫妻の姿もあった。

「蓮ちゃん! すぐに連れて帰ってあげるからね!」

 前田夫人が金切り声を上げ、手を伸ばそうとする。だが、浩太が顎でしゃくると、蓮は必死に首を横に振った。帰りたくない――その拒絶に、夫人は理解ができなかった。

「蓮、どうして…」


「この場所、覚えているか?」

 浩太の問いに、前田夫妻は怪訝な顔をするだけだ。

「……かつて、お前たちが俺をゴミのように捨てた場所だよ」

 浩太は左手の手袋を歯で噛んで引き抜いた。露わになったのは、赤黒く爛れ、引きつった火傷の痕。


「ひっ……!」

 夫人が息を飲み、後ずさる。「あなたは、まさか……浩太なの?」

 ようやく思い出した夫妻の顔に、恐怖が張り付く。


「浩太くん、もうやめなさい!」

 光江が一歩踏み出した。

「あの時、あなたを信じてあげられなくてごめん。私が弱かったの。本当に、ごめんなさい……」

 涙ながらの謝罪に、浩太の表情が一瞬揺らぐ。


「お前の憎むべき相手は俺たちだろう! その子らは関係ない!」

 十河も叫ぶ。だが、一度堰を切った浩太の感情は止まらない。


「今更何を言ったって遅いんだよ。俺の人生をめちゃくちゃにしたお前たち全員、今日はここで一緒に死んでもらう」


 浩太は足元のドラム缶を蹴り倒した。ガソリンの強烈な臭気が充満する。彼が擦ったマッチを放り投げると、ボッという音と共に炎の壁が立ち上がった。

「きゃあああ!」

 悲鳴を上げる前田夫人。炎は瞬く間に古びた木材を舐め、退路を断っていく。


「ふん、こんな茶番に付き合ってられん」

 夫の前田哲男が冷たく言い放った。

「行くぞ陽子。また違う子を探せばいい」

 背を向け、自分だけ逃げようとする哲男。その背中を見た瞬間、浩太の中で何かが切れた。「俺をこんな風にしたのは、お前らだァァッ!」


 浩太は蓮を突き飛ばし、ナイフを振りかぶって哲男へと突進した。

「ひいぃっ!」

 腰を抜かす哲男。刃が振り下ろされる――その瞬間。

 二人の間に、小さな影が飛び込んだ。


 ドスッ。

 鈍く、重い音が響いた。


「……え?」

 浩太の手が止まる。刃が突き刺さっていたのは、庇うように立ちはだかった蓮の腹部だった。

 ゆっくりと崩れ落ちる蓮。白いワンピースが見る見るうちに赤く染まっていく。


「な、なぜ……?」

 浩太は理解できなかった。自分たちを縛り付けた元凶のはずだ。なぜ庇う?

 蓮は苦しげに息を吐きながら、血の泡と共に呟いた。

「……お父さんと、お母さん、だから……」


 どれだけ歪んでいても、どれだけ冷たくても。蓮にとっては、自分を拾ってくれた唯一の「家族」だったのだ。その哀しいほどの純粋さが、反射的に体を動かした。


「蓮ッ!!」

 比呂人が炎の中を駆け抜け、血まみれの妹を抱きしめる。「蓮! しっかりしろ! 目を開けてくれ!」


「嘘だろ……なんで……」

 浩太は呆然と立ち尽くす。その隙を見逃さず、十河がナイフを取り上げた。


「こっちだ!」

 炎の壁の向こうから、消火器の白い煙が噴き出した。昨日から出張に出ていたはずの鳥谷が、美優から連絡を受けて急いで駆けつけたのだ。彼がこじ開けた脱出口へ、渉と十河が比呂人と蓮を抱えて飛び出す。浩太もまた、光江に手を引かれ、力なく外へと引きずり出された。


 数時間後、病院の手術室前。

「急所は外れています。命に別条はないそうです」

 医師の言葉に、全員が安堵の息を吐いた。だが、比呂人の震えは止まらない。


 病室に移り、眠っている蓮の手を握る比呂人。

 難しい機器につながれて眠る蓮を見ながら、頭の中に前田夫妻の冷酷な捨て台詞が呪いのようにリフレインしていた。

『あんな傷物、もういらない』『兄妹二人で生きていくなんて無理よ』

 比呂人は蓮の手に顔を寄せる。

「蓮をこんな目に。俺一人じゃ、やっぱり蓮を守れない……。金も、力もない俺じゃ……」


「一人じゃない。今までも、これからも」

 温かい声が降ってきた。顔を上げると、そこには鳥谷が立っていた。


「……鳥谷先生?」

「比呂人くん、君たちはずっと一人なんかじゃなかった」

 鳥谷は静かに語り始めた。


「君たちがずっと大切に思っていた盲導犬のサクラ……。彼女の魂は、一度人間に生まれ変わっていたんだよ」

 比呂人の目が見開かれる。

「それが、咲良さんだ」

「え……?」

「彼女は目が見えなかったけれど、心ではずっと君を見ていた。君の成長を見守るために、そばにいたんだ」

 比呂人の脳裏に、咲良の笑顔が蘇る。あの温もり、あの優しさ。それは、幼い日に抱きしめたサクラと同じ温度だった。


「ずっと、君たちは愛されていたんだよ。見守られていたんだよ」


 真実を知り、比呂人の目から大粒の涙が溢れ出した。

 孤独だと思っていた日々。けれど、その足元には、空には、いつも温かな眼差しがあった。


 その真実は、渉の心をも激しく震わせた。

 なぜ、彼女はあれほどまでに自分の心を察してくれたのか。なぜ、臆病だった自分のリードをあんなにも優しく、力強く握ってくれたのか。

 サクラは禁忌を犯してまで、比呂人のそばにいることを選んだ。そして、頑なな彼の心を溶かす「次の光」として、自分を見つけ出してくれたのだ。


 あの事故の瞬間、薄れゆく意識の中で彼女が託したもの。

 記憶の中の温もり、ハーネス越しに伝わる信頼、いつも歩幅を合わせた半歩先の世界。

 その全てが、自分へと手渡された「愛のバトン」だったのだと、渉は全てを悟った。


「そして……そこにいる渉くんと、美優さんもね」

 鳥谷の言葉に、比呂人は驚いて二人を見る。


 渉が静かに頷いた。美優も、優しい瞳で微笑んでいる。

 比呂人は確信する。言葉なんていらなかった。魂が震えるほど懐かしい気配。


「シロ、なんだね」

 比呂人の問いかけに、大きく頷いた。


 すると、ベッドの上で蓮がうっすらと目を開けた。弱々しく伸ばされた手が、美優の手を握る。

「……ミー?」

 美優は蓮の手を両手で包み込み、頬を寄せた。

「そうだよ。ずっと一緒だよ」

 二人の目から、大粒の涙が流れ落ちた。


「お別れだ。」

 その様子を暖かく見守っていた鳥谷は、比呂人と蓮を見つめて言った。

「サクラと僕は、七日間の掟を破ってこの世界の留まることを選んだ。サクラは残念ながら事故で亡くなってしまったけど、僕は今、自分の正体を話してしまったからね。」


 鳥谷の姿が少しずつ粒子となって透け始めた。

「蓮ちゃんの歌、たくさん聞けて良かった。あの頃いつも一緒に歌っていたから。」

 蓮が何かに気づいたように起き上がろうとする。


「あなた‥‥ダイスケ!」


 行方不明になったあのオウムのダイスケが、鳥谷の元の姿だった。

 彼もまた、愛の系譜を継ぐ者だった。


「ずっと不幸だと思ってた。世界中が敵だと思ってた……。でも、こんなにも愛されていたなんて……」

 比呂人は涙を袖で乱暴に拭った。もう、迷いはない。

「俺……生きるよ。弱くても、蓮と二人で。みんなが守ってくれたこの命で」


 少しずつ窓の外が明るくなり、間もなく七日目の朝を迎えようとしていた。

 渉と美優の姿もまた、少しずつ粒子となって透け始めた。


「シロ、俺もう大丈夫だから!」

「ミー、私生きる!」


 渉と美優も口々に返事をするが、もう声は比呂人たちには届かない。

 けれど、二人の口元は確かに動いていた。

『ありがとう』

『大好きだよ』


 三人は光の粒となり、病院の窓から差し込む眩しい朝日の中へと溶けていく。

 光江も、十河も、そして鳥谷も、涙を拭いながらその光を見送った。


 空っぽになった病室には、けれど、確かな温もりだけが残されていた。

 それは、彼らが命を賭して繋いだ、未来への光だった。




【7日目】

 渉と美優。二人の姿は境界の森にあった。今度は人間の姿のままだ。


 森の空気が変わり、姿のない気配が降りてきた。それは音ではない。森そのものが心に語りかけてくる。


「よく戻ってきた。」

「はい、どのような罰を受けようとも後悔はありません。」


 渉はすがすがしい表情で言い切った。


「お前たちは正体を話したわけではない。禁を破ったのはあのオウムだ」


 オウムのダイスケ――鳥谷は、それを分かっていて自ら正体を明かし、二人の身代わりとなって「禁忌」の責任を負ってくれたのだ。そのおかげで、渉と美優は最後まで比呂人と蓮に寄り添い、しっかりとお別れができた。改めて感謝する二人。


「それで、もう良いのだな」


 尋ねる神様。


「はい」


 二人の声が重なる。


「もうあの二人には、私たちは必要ありません。自分たちの足で、しっかりと歩き出しましたから。」


 迷いのない二人に、神様の気配は満足げに揺れたようだった。


「そうか。では、行ってまいれ」


 二人の姿は輪郭を失い、もとの魂の光へと還っていく。


「ありがとう、美優」

「うん、渉。…あなたに会えて、本当に良かった。」


 離れたくないと、ぎゅっと繋いだ二人の手が、ぬくもりを残したまま徐々に色を失っていく。


「さようなら」


 二つの光は粒子となって、次の出発点の方へと流れていった。


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