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◆第五章 創生の一週間 前編

【一日目】

 咲良とシロ、そしてミーがこの世を去ってから一週間。世界は何食わぬ顔で朝を迎える。

 その朝、シロは「城田渉(20)」として、ミーは「黒田美優(20)」として目覚めた。

 鏡に映るのは人間の姿。だが、魂の奥底には「守らなければならない」という焦燥感が焼き付いている。神様が用意した舞台は完璧だった。渉は咲良の遠縁の親戚として、美優は鳥谷動物病院の住み込みスタッフとして溶け込んでいる。スマートフォンの画面には「残り時間:7日」という無機質なカウントダウンだけが表示されていた。


 渉は、突き動かされるように比呂人の働く自動車整備工場へと向かう。油の匂いが充満する工場の事務所では、怒号が響いていた。

「入社1週間で、給料の前借りと長期休暇をくれなど、そんな馬鹿な話があるか!」

 冷たく言い放つ十河に、比呂人は食い下がっていた。「蓮を探す」それしか見えていない。


「当てもなく飛び出してどうする」


 十河の言葉は正論だった。園長の光江も蓮の行先を探してくれていた。比呂人一人が当てもなく探しに行って見つかるものではない。仮に妹を探し出しても二人でどうやって生活していくのか。比呂人が社会人として安定した生活をし、お金の価値を知り、妹と一緒に暮らせるだけの器を用意することの必要性を説いた。


 だが、焦る比呂人の耳には届かない。かつて大人たちに裏切られ、引き裂かれた記憶がフラッシュバックする。

「やっぱり大人は信用できない!」

 制服を叩きつけて飛び出す比呂人。その後ろ姿を、渉は迷わず追いかけた。


 一方、美優は記憶に刻まれた場所――雨除けの屋根があるお地蔵さんの前へ足を運んでいた。そこには、うずくまる少女、蓮がいた。少しやつれているように見える。

「…美優さん?」

 美優は何も言わず、ただ隣に腰を下ろした。その沈黙が、蓮の凍った心を溶かしていく。

 蓮はポツリポツリと語り出した。「歌手になれば、有名になれば……きっと、お兄ちゃんが見つけてくれる」


 その前向きな言葉とは裏腹に、蓮の声には震えがあった。彼女の心には深い棘が刺さっていたのだ。あの日、施設の前で自分だけが里親の前田夫妻の豪華な車に乗せられ、兄を置き去りにしてしまったという強烈な負い目。

「もし会えても、お兄ちゃんは私を許してくれるかな……」

 蓮の肩を、美優は優しく抱き寄せた。

「大丈夫。私がついてる。一緒に始めよう」


 夕暮れの街。同じ月明かりの下、互いに一番会いたい相手が、同じ街のすぐそばで息をしていることに、彼らはまだ気づいていない。

 渉と美優のスマートフォンの中で、数字が静かに減っていく。


 夜も更けた頃、ある黒ずくめの男が街を歩いていた。肩までの長髪に、薄い茶色のサングラス。左手の甲には火傷の痕がある。


「何年ぶりかな。」


 目線の先には向日葵園。


 運命の歯車が軋みをあげて回り始めた。



【二日目】 


 朝霧の残る當間神社の境内。渉は吸い寄せられるように、かつて毎朝訪れた場所へ足を運んだ。砂利を踏む音、冷たい空気。そして、いつもの塀の前に一人の女性が立っていた。


「今日は塀の上じゃないんだね」


 声をかけると、女性――美優は振り返り、わずかに口元を緩めた。言葉などいらなかった。互いの瞳の奥に、かつてのシロとミーの魂を見る。


「お互いの心残りを無くして、一緒にあの森へ戻ろう」


 二人は短く誓い合い、それぞれの守るべき場所へと戻っていった。


 その頃、前田家の豪奢なリビングには、重苦しい空気が漂っていた。

 革張りのソファに深く座る黒ずくめの男。左手には黒い皮手袋をしている。対面する前田夫妻の前には蓮の写真。


「一刻も早く見つけ出して連れ戻してほしい。この子は、今までの中で一番優秀で完璧なの。」


 夫人の言葉に、男はサングラスの奥で冷ややかな目を細める。夫の方は興味なさげに煙草をふかしている。探偵風情など、汚いものを見るような目つきだ。


「ところで、その左手、どうしたの? 」

 夫人が何気なく尋ねると、男は口元だけで笑った。

「ええ、幼い頃の見苦しい古傷がありまして。」


 男――花園浩太(30)は、夫妻の依頼を静かに引き受けた。


 一方、比呂人が工場に来ていないと聞いた渉は、街中の思い当たる場所を探し回っていた。


 向日葵園の門の前に比呂人の姿があった。

 園庭では園長の光江が子どもたちと遊んでいる。

 踵を返した先に一人の男が立っていた。左手には黒の皮手袋。


「君もここの卒園生?」


 商店街の古いカフェ。

「わかるよ。大人はみんな自分のことしか考えていない。世の中、金と地位と力だ」

 浩太は語りかけた。

 蓮を探すのを邪魔されたこと、過去に裏切られた記憶。浩太の言葉は、乾いた砂に水が染み込むように、比呂人の心の隙間に入り込んでいく。

 比呂人は、自分を唯一理解してくれる大人に出会えたような気持になった。


「そっか。その、探している妹さんって?」

 差し出された写真を見た浩太の表情が、一瞬凍り付いた。


(……なんだ、そういうことか)

 子供の頃と最近の写真だが、間違いない。

 前田夫妻が探している「商品」のような娘と、目の前の少年が探す最愛の妹は、同一人物だった。

 特徴や過去の思い出、口癖、好き嫌い…比呂人は聞かれたことを答えていく。


「あと、最後に、何か聞いておいた方がいいこと、あるかな?」


 少し考えてから、比呂人は答えた。

「……いつも歌っていた歌があった。将来は歌手になるんだって」

「へえ、なんて歌だい?」

 何故か、このことを伝えるのに躊躇があった。理由はわからない。

 ただ——言葉にした瞬間、何か大切なものが壊れてしまうような気がした。

 浩太は比呂人の複雑な表情を、じっと見つめていた。


「比呂人くん!」息を切らせた渉が声をかける。

 渉が駆けつけたのは、二人がちょうど店を出るところだった。

「探したよ。十河さんが心配してる」


「じゃ、また連絡する」浩太はそう言い残し反対の方向に歩いて行った。

 浩太の胸中で、どす黒い歓喜が湧き上がっていた。その背中から漂う得体の知れない“捕食者の匂い”に、その背中を見送る渉の背筋が凍った。


 夜、園長室の光江は、古いアルバムを開いていた。そこには、幼い日の浩太が映っている。


「戻りなさい」

 そう言って突き放したあの日。少年の目に浮かんだ絶望を光江は忘れたことがない。今も胸に棘として刺さっていた。


【三日目】

 町を見下ろす高台に比呂人の姿があった。

 ベンチに腰掛けて歌を口ずさんでいる。

「ここにいたんだね、今日も工場へは行かないのかい。」

 渉は朝から町中を探し回り、ようやく見つけた。


「今の歌は?」

「『ひまわりの約束』」


 子供の頃、蓮と二人で口ずさんだ思い出の歌。家族がバラバラになってからも、この歌を口にするたび、必ず迎えに行くという約束を胸に刻んできた。


「近くにいる気がするんだ。」

 町を見下ろしながら呟く比呂人。双子だからこそ通じ合うのだろうか――渉もその言葉に静かに頷いた。


 その頃、鳥谷動物病院の二階。蓮は膝を抱えていた。

「お兄ちゃんに会うのが怖い……。私を恨んでるかもしれない」

 美優は蓮の背中をさすった。

「そんなことない。兄妹だもの」

「でも……どうやって探せばいいの?」

「蓮ちゃんの夢、なんだっけ?」

 美優の問いに、蓮は顔を上げる。

「歌手になりたい。有名になれば、お兄ちゃんが気づいてくれるかも……」

「でしょ!やろう。私手伝う」


 帰宅した鳥谷は、スマホで配信の準備をしている二人を見て驚愕した。

「だめだ! ネットなんて使ったら、彼女を探している連中に居所がバレる!」

 鳥谷は街で怪しい男たちから蓮の写真を見せられ、居場所を知らないかと聞かれたという。

 しかし、蓮の瞳は揺るがない。

「いつも二人で口ずさんだあの歌なら絶対に気づいてくれる!私たちだけの、約束の歌だから」

 その覚悟に、鳥谷も折れるしかなかった。

「絶対に顔は出さないこと、いいね。」


 同じ頃、浩太の姿は路地裏にあった。

「そう遠くへは行けないはずだ。探せ」

 電話を切った左手。

 黒手袋を外し、ただれた火傷の痕を月明かりに晒す。


 ――記憶が蘇る。十九年前。

「浩太くんの里親に?」

 副園長だった光江の不安な声を、園長は一蹴した。

「多額の寄付をいただいている前田さんから依頼だ」


 浩太は、子供のいない前田家に初めての養子として引き取られた。だが、蓋を開けれてみれば、「理想のペット」のような扱い。夫婦の期待通りに振る舞えない浩太に対し、躾という名の虐待は日に日にエスカレートしていった。


 ある夜、浩太が食事中にスープをこぼし、陽子夫人のドレスを汚した瞬間、夫人は激昂して熱湯を浩太の左手にかけたのだ。

「だから、もっと小さな頃から躾けないとダメだと言ったろう」

 左手を押さえて泣き叫ぶ浩太を見向きもせず、夫の哲男は吐き捨てる。夫人は夫人でドレスのシミを拭くのに必死だった。


 翌日、耐えきれなくなった浩太は隙を見て、向日葵園へ逃げ帰った。

「ここに帰りたい」と泣いて訴えた。

 だが、光江は保身と園の経営を天秤にかけ、包帯を巻いた小さな手を振り払った。

「あなたを思ってのことよ」


 十河の工場もまた、地域の名士である前田家からの支援を受けていた。誰も浩太に手を差し伸べてやれなかった。


 その後、浩太は夫妻に捨てられ、裏社会の泥水をすすって生きてきた。


(前田夫妻に光江、十河。‥‥そして、あの兄妹)


 自然と笑いがこみあげてくる。

 これは運命か、それとも悪魔が俺に用意したプレゼントか。

 胸の奥で、復讐の炎が静かに、激しく、燃え上がる。


 夜の路地裏に、浩太の笑い声が響いた。


【四日目】

 古びたアパートの一室。タバコの煙が充満する中、浩太はスマートフォンの画面を冷ややかな目で見つめていた。着信履歴には「前田夫人」の文字が執拗に並んでいる。

「……浅ましいな」

 自分を捨てた過去など忘れ、今の「所有物」である蓮への執着、その身勝手さが、浩太のどす黒い愉悦を加速させる。


 一方、鳥谷動物病院の二階。

「よーい、スタート!」

 美優の合図と共に、配信が始まった。


『ひまわりの約束』

 歌声は、予想を遥かに超えて広がっていった。視聴者数が跳ね上がり、コメント欄が滝のように流れる。

『なにこの透明感』『顔出しなし?逆に気になる』『泣きそう……』


 歌い終えた蓮の肩を、美優が後ろから抱きしめる。

「すごいよ蓮ちゃん! これなら絶対、お兄さんに届く!」

 蓮は緊張が解け、へなへなと座り込んだ。


「気が抜けたらなんだかお腹すいちゃった。『松栄堂』のたい焼き……食べたいな」

 それは、兄と半分こした記憶の味。

 鳥谷は急患で手が離せない。「私が買ってくるよ」と言う美優の袖を、蓮が掴んだ。

「私も行きたい。……外の空気を、吸いたいの」


 同じ頃。まるで目に見えない赤い糸に引かれるように、比呂人もまた渉を連れて商店街を歩いていた。

「蓮はあんこが大好きでさ。俺はいつも尻尾だったけど、今日は頭の方をもらっちゃおうかな」

 久しぶりに見せる比呂人の笑顔。渉もつられて笑みをこぼす。


 だが、その視界の端に、見覚えのある黒い影――浩太の姿が映り込んだ。比呂人は気づいていない。

 嫌な予感がした渉は、「先に行って」と浩太の後を追った。


 店に着いた比呂人は、たい焼きをひとつ注文した。

 香ばしい匂い。祖母の栄子と来たあの頃と何一つ変わっていない。


 ちょうどその時、店の角を曲がってきたのは美優と、帽子を目深に被った蓮だった。

 比呂人の背中まで、あと十メートル、五メートル――。


 焼き上がりを受け取った比呂人は、胸ポケットから写真を取り出し、店員に見せた。

「すみません。この女の子を知りませんか? 今は十八歳になっている、蓮という名前で……」

 その声に、美優が足を止める。慌てて蓮の視界を塞ぎ、手を取って逆方向に走り出した。

「どうしたの? 美優さん!?……」


 振り返った比呂人の視界には、走り去る二人の女性の後ろ姿だけが映った。それが最愛の妹だとは気づかずに。


 路地裏で浩太を見失った渉。

 戻ろうかとかと思ったその時、不意に背後から声をかけられた。


「なんだか君は不思議な存在だな。」


 壁に寄りかかり、値踏みするように渉を見ている。

 黙り込む渉。


「まあいい、君が何者かは全く興味ないけど、僕の邪魔する者は容赦なく排除するよ。」


 そう宣言した浩太は、笑いながら去っていった。



 その夜、工場に戻った渉は、十河に相談した。


「比呂人に近づいている男がいるんです。左手に火傷の痕があって……」


 その言葉に、十河の顔色が変わる。握った拳が、わずかに震えていた。


(まさか……あいつが、戻ってきているのか——)


 十河の脳裏に、あの日の少年の顔が蘇る。

 包帯を巻いた小さな手。助けを求める目。

 そして——何もしてやれなかった、あの無力感。


【五日目】

「え、浩太君が!?」

 光江は十河からの電話に心の疼きを覚えた。十五年もの間消息不明だった少年。あの日、彼を見捨てた悔恨は、一日たりとも消えたことがない。

「会いたい・・・けれど、会って何て声をかければ・・・」

 切れた電話の前で、光江は崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。


 比呂人と渉は、この日も何の収穫もないまま時間だけが過ぎていった。七日目にはあの場所に戻らないとならない渉。焦る気持ちが空回りする。


「前田さんなら、何かご存じかもしれない。」

 だが、光江が電話をしても、家を訪ねても、一切取り次いでもらえないという。


 比呂人と渉も、住所を聞いて訪ねてみた。高い塀の向こうからは、冷たい沈黙しか返ってこない。格子の間から見える駐車場には何台か高級車が止まっていた。そのうちの一台が、蓮を乗せて去っていった車と重なっても見える。


 蓮と美優は今日も配信を行っていた

 午後の配信では、初めてこの歌に込めた思いを語った。九歳で生き分かれた双子の兄を探している。よく一緒に歌ったこの「ひまわりの約束」を届けたいと。


 歌い終わると、コメント欄が今まで見たことのない速さで流れていく。

『拡散する!』『お兄さん見てる!?』『特徴は?』

 想像をはるかに超える反響が届けられた。この中の一つにでも、兄の消息がわかるメッセージがあればと期待した。


 その日の夕方。

 浩太が通りを歩いていると、女子高生たちの会話が耳に飛び込んできた。

「知ってる? 『ひまわりの約束』歌ってる配信の子。双子のお兄さん探してるんだって」

 浩太は足を止め、獲物を見つけた獣の目で笑った。

「……見つけた」


 同じころ、當間神社。

 夕陽が鳥居を茜色に染めている。


 渉が一人で境内に入ると、そこに美優の姿があった。

「うまくいかなくって。」

「こっちも。」

 黙り込む二人。


「このまま、何もできずに七日間が過ぎたら、どうなっちゃうんだろうね。」


 美優の言葉に渉は神様の言葉を思い出す。


「でも、残る…かもね。」


 渉との言葉に優しく笑う美優。


 美優は何気に歌を口ずさんだ。無意識だったがいつも蓮が歌うのを聞いていたから癖になっていた。


「何?その歌」


「『ひまわりの約束』いい歌でしょ?私の大切な人が双子のお兄さんを探しているの。この歌で。」


「双子の…兄妹…!?」


 渉が美優の肩を掴んだ。

「その人、名前は!? お兄さんの名前は!?」

「蓮ちゃん。……お兄さんの名前は、比呂人くん」


 風が、御神木を大きく揺らした。ざあっと葉が鳴る音が、喝采のように響く。

 交わりそうで交わらなかった二つの線が、今、結ばれた。


「僕の大切な人、双子の妹を探しているんだ!」



 急いで鳥谷動物病院の二階、蓮の配信部屋に元に戻った美優。だが、蓮の姿が見当たらない。モニターには、1通のメッセージが。


『お兄さんの知り合いです。彼も一緒です。向日葵園の正門前で待っています。』


 そこに、渉が比呂人を連れて駆け付けた。

「蓮はどこ!?」


「向日葵園に、ひとりで行ったんだ!行こう!」


 比呂人、渉、美優は転がるように石段を駆け下りた。

 だが、向日葵園の正門前には、冷たい風が吹いているだけだった。

 誰もいない。


「いったいどこへ…」


 ブブッ。

 比呂人の携帯が震える。見知らぬ番号からのメッセージ。

『妹は預かった。明日の午後、指定の場所へ来い。――美優という女、光江、十河も一緒にだ』

 添付された写真には、縛られた蓮の姿があった。


 時を同じくして、前田夫妻の元にも招待状が届いていた。

 浩太が書き上げた「地獄の脚本」。その最終幕へ向けて、すべての役者が舞台へと引きずり込まれようとしていた。


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