◆第四章 境界の森
境界の森は静けさで満ちていた。木々も地面も“ある”のに、輪郭だけが薄い。現世の重さが削ぎ落ち、代わりに、光と気配だけが澄んでいる。
シロは、自分が光の玉のような存在になっているのを知っていた。驚きはない。ここでは、理解が先に来る。名前も、毛並みも、血の温度もない。それでも「自分が何だったか」だけは、なぜかはっきり分かる。盲導犬。咲良の歩幅の半歩先。比呂人の声。最後の雨。
周囲にも無数の光が漂っていた。大きいもの、小さいもの、強く瞬くもの、今にも消えそうなもの。見つめるたび、さまざまな犬や猫、オウムやインコといった小動物から、競走馬やイルカのようなものまで、生前の光の断片が飛び込んできた。
すぐ近くに、同じ大きさの光が浮かんでいる。見るだけで頭の中へ“答え”が流れ込む。
(當間神社の壁の上…ミー?)
そこへ、姿のない気配が降りてきた。音ではない。森そのものが心に語りかけてくる。
――ここは境界の森。
気配には、微かに“當間神社”の痕跡が混じっていた。古い社の木、線香、獣の像に溜まった土。あの場所で何度も交わした祈りの残り香が、あの場所と繋がっている。その気配が當間神社に祭られる神様だとシロは確信する。
――ここに訪れた魂は、前世で人間のために尽くし、人間から感謝と愛情を注がれ徳を積んだ者たち。次の生まれ変わりは、人間で確定している。
周囲の光が、静かに流れている。「忘却の彼方」へ向かう流れ。人間の赤子へ戻る準備。すべての光はそこへ吸い寄せられていく。
――お前たちは生前の人間との絆が深すぎたようだ。このまま「忘却の彼方」へ入れば、次の生で“混濁”が生じる。
シロの内側には、事故の時に飛び込んで来た咲良の声が刺さったままだ。
『シロ、比呂人をお願い』
ミーの内側には、蓮の声が残っている。
『ミーだけが友達、私一人では生きていけない……』
それは、忘却の流れに溶けない“重さ”だった。
神は言う。選択肢は二つ。
一つは、今ここでその重さを断ち切る。以後、彼らとは決別して生きる。
もう一つは、人の世へ戻り、その重さをほどき、ここへ帰る。
期限は七日。かつて我々が人の世を整えるために用いた区切りだ。戻るのは人の姿。正体を話してはならない。失敗すれば次の生は失われ、絆の相手にも災いが及ぶ。
シロは理解する。比呂人のために戻って、比呂人を壊しては意味がない。ミーも理解する。蓮の手を取るために戻って、蓮に禍を落とすわけにはいかない。それでも、二つの光は決まっていた。シロは“頼まれた”ままだ。ミーは“置いていけない”ままだ。
「戻る」
シロが言うと、ミーも小さく肯定した。
――かつて戻れなかった者もいる。彼らは時の間に閉じ込められている。7日目の休息の日、必ずここに戻るのだ。
森の流れが反転する。二つの光は引かれ、落ちていった。




