◆第一章 やわらかな光の中で
■登場人物
比呂人(18)
児童養護施設「向日葵園」で育った青年。現在は自動車整備工場で働く。大人たちによって家族を引き裂かれた過去から心を閉ざしているが、妹と動物には優しい。生き別れた妹・蓮を探している。
蓮(18)
比呂人の双子の妹。資産家の前田家に引き取られたが、「理想の娘」を演じさせられ自由を奪われている。唯一の友達は野良猫のミー。歌うことが好きで、兄との再会を夢見ている。
城田 渉(20)/ 元・盲導犬シロ
咲良のパートナーだった盲導犬シロが、死後、比呂人を助けるために神様との契約で7日間だけ人間の姿になった青年。
黒田 美優(20)/ 元・野良猫ミー
蓮が心の支えにしていた野良猫ミーが、死後、蓮を助けるために7日間だけ人間の姿になった女性。鳥谷動物病院のスタッフとして蓮を保護する。
咲良(26)
全盲の女性。シロの飼い主。比呂人とシロを繋げた恩人。交通事故によりシロと共に他界する。
鳥谷 大輔(36)
鳥谷動物病院の院長。比呂人と蓮を陰ながら支える。
光江(70)
児童養護施設「向日葵園」の園長。比呂人の親代わり。かつて園の経営を守るために下した決断に悔恨を抱えている
十河 明久(55)
自動車整備工場の社長で、向日葵園のOB。比呂人の雇い主。厳しくも情に厚い人物だが、彼もまた過去に悔恨を抱えている一人。
花園 浩太(30)
黒ずくめでサングラスをかけた謎の男。左手に酷い火傷の痕がある。
前田 哲男(63)・陽子(58)
地域の資産家で、蓮の養父母。
朝の光が静かに、咲良(20)の部屋を包み込む。
瞼の裏――そこだけが明るいような、ほんのわずかな温度の違い。咲良は布団のなかから、手のひらをそっと掲げた。見えるはずのない世界。けれど、窓辺から差し込む朝の気配は、ゆっくりと彼女の輪郭を撫でてくれる。
「おはよう、シロ」
足元で感じる温もり。白い盲導犬がそっと鼻先を咲良の手のひらに寄せる。シロの体温が、ひんやりとした空気に、ちいさな“光”を灯す。
日々を重ねるなかで、見えない世界にも色はあるのだと、咲良は思う。手に触れる温もり。コーヒーの湯気。足元の、白くあたたかな命。
シロは静かに体を起こし、咲良の脚に寄り添って座る。その仕草に、咲良は自然と頬をゆるませた。
白杖の感触を確かめる。今日は週に二度の、大切な日だ。アパートから歩いて十五分――児童養護施設「向日葵園」の比呂人(14)に会いに行く。頼もしい案内人は、横にいる白いパートナーだ。
「シロ、行こう」
階段を降りて、静かな路上をゆっくり進む。シロの歩幅は咲良とぴたりと重なり、咲良の耳には鳥のさえずりと、遠く車の音が届く。
三つ目の曲がり角――當間神社。古くから動物の神様として知られ、境内には人だけではなく、犬や猫、狐、狸の木彫りが並ぶ。朝の参道は静かで、砂利を踏む音だけが澄んで響く。咲良は社の前で立ち止まり、手を合わせた。
「今日もまた、みんなにとって、いい日になりますように」
咲良が祈る間、シロは足元で穏やかに座り、視線を少し塀の上に向ける。
古びた塀の上には、白地に黒ぶちの猫がいる。地元の人たちからは「ミー」と呼ばれているこの雌猫は、いつもこの塀の上で、シロの登場を待っていた。シロもまた、その姿を見て、どこかほっとしたように鼻先で小さな息をつく。
言葉を交わさず、ただ互いがそこにいることで満たされるひととき。
咲良は一礼し、シロの背を軽く撫でて歩き出す。シロは鼻を鳴らし、いつもどおり咲良に歩調を合わせて進む。
塀の上のミーは二人を見送った後、いつものようにゆっくり姿を消していった。
参道を離れ、住宅街の静かな道へ。朝の光でまだ少し冷たい空気を踏みしめて進む。
緩やかなカーブの先――「向日葵園」の門が見えてくる。
門の前では比呂人が待っていた。
ポケットに手を入れたまま、視線はまっすぐシロに向いている。
「シロ!」
その声に、シロも顔を上げる。しっぽを小刻みに振りながら、体をわずかに前に傾け――それでも、咲良の声を待つ。遠くの比呂人と咲良、どちらにも視線を送り、合図を待つ健気さ。
「いいよ、いっておいで、シロ」
咲良の言葉に、シロが弾かれるように比呂人の元へ駆けていく。比呂人はシロの頭を何度も優しく撫でる。その手の中で、シロは思いきりしっぽを振り、喉の奥で甘えた声を出す。
「いつもお利口さんのシロも、比呂人くんの前では、ただのワンちゃんね。」
隣で園長の光江(70)が微笑む。比呂人は普段、笑わない。言葉を短く切る。目も合わせない。けれどシロが来ると、そこだけほどける。
光江が小さく言った。
「咲良さんとシロが来てくれるようになって、ほんと良かった。」
ずっと心を閉ざしていた比呂人の心は完全に開いたわけではない。ただ、シロの前だけでは素直になる。その温もりの光を、咲良も静かに感じていた。
運動場にいつまでも響く比呂人とシロの笑い声。
朝の光の中、世界が少しずつ、優しい色に染まってゆく――。




