第54話 叡者の証
カモメ率いる一行は、学術都市ノエリアから交易船に乗り、北を目指した。
長い、船旅の始まりだ。
春の日差しに包まれて、交易船は帆をなびかせる。
旅は順調そのものだった。
三本の帆柱が長手に並ぶ上甲板。
船尾の帆柱の足元に、カモメは居た。
傍らには少女と老婆の姿も見える。
カモメは後半に座り、無言で佇んでいる。
「よっ、モーゼス。
今日も精が出るな」
カモメが首を回して振り返ると、そこには船乗りが一人。
その手には、一匹の小魚が握られている。
「これ、差し入れだ」
男は小魚をカモメに差し出した。
「いつも済まないな。世話になる」
そう言ってカモメは首を伸ばし、小魚を咥えて受け取った。
そのまま嘴を上へ向け、魚を一飲みにする。
船乗りは満足げな笑みを浮かべ、カモメに語りかける。
「何言ってんだ。
お前さんのおかげで航海は順調そのもの。
世話になってるのは俺らの方さ」
そう。
カモメは風魔法を使い、帆に風を送り続けていた。
さほど風力があるわけではない。
それでも、無風に悩まされることも無い。
通常よりも幾分速く、船は進んでいた。
「ん~、そろそろ限界だな。
母さん、変わってもらえるか?」
「ああ、任せときな」
老婆がそう言い放ち、胸を張る。
モーゼスの育ての親、アストリッドは老婆だ。
だが、賢者すら導く叡者の称号を持つ。
魔法の扱いに関しては、当代一の実力者だ。
老婆の目が真剣みを増し、小声で何かを呟いた。
途端、追い風が強まり船は速度を増してゆく。
「う~む。流石に母さんには敵わんか。
あんな使い方したら、今の俺じゃあ魔力が持たん」
カモメの言葉に傍らの少女、シェリーが応じる。
「でも、モーゼスだって人間のころはもっと魔力が多かったんでしょう?」
その声色は、柔らかい。
少女の問いかけに、カモメは振り向きもせず、返事する。
「まあな。だが、それはそれってやつさ。
それより、今度はこっちに集中しないとな」
カモメは嘴を自身の胸元へと向ける。
胸元にぶら下がるは、首に掛かったペンダント。
銀色に輝くそれは、叡者の証と呼ばれる物だ。
銀は磨かねば、直ちに輝きを失う。
研鑽を忘れることなかれ。
叡者の証は、戒めでもある。
魔法を操り人語を喋る、奇怪なカモメ。
カモメが叡者と認められた、その日からカモメの余生は宿命づけられた。
賢者は到達点、だが叡者とは生き様である。
カモメの、真の研鑽の日々が始まったのだ。
カモメは今、叡者の証に魔力を流していた。
適切な手順、強さ、リズムをもってすれば、叡者の証は輝きで応える。
だが、カモメの胸元の証には、何の変化も起こらない。
「それって、やっぱり前の指輪の時より難しいの?」
少女が問うと、カモメは目を伏せ首を振り、本音を漏らす。
「ああ、段違いだな。
コイツで重要なのは、出力を落とすことなんだ。
繊細な魔力操作が要求される。
こんなに難しいとは思わなかったぜ」
――――――
二週間後、交易船は目的地の港町に到着した。
船が錨を下ろし、乗客たちがぞろぞろと甲板上に集まってくる。
乗客たちは、渡しの小舟を待っている。
下船に備えて集まった乗客たちとは反対舷。
右舷の甲板で、カモメ一行は男性と向かい合っていた。
立派な帽子をかぶった男。
交易船の船長だ。
「叡者殿。此度は大変お世話になりました。
通常なら一か月以上もかかるところですが、まさか二週間で辿り着けるとは」
船長が慇懃に謝意を言葉にした。
だが老婆の応えは対照的に、ぶっきらぼうだ。
「良いってことよ。私も急いでたんだ。
礼を言われることじゃない」
老婆の物言いにも船長は態度を崩さない。
「そうですか。まだこれからも船旅を続けるのでしょう?
なんでも小舟で河を遡上なさるとか。
この先も、叡者殿のご安航を祈ります」
船長が右手を上げ、帽子の鍔に指先を当てた。




