第48話 真の番のはじまり
ソフィアが瞬く間にその命を散らした日。
その日、シェリーは一時として俺を離してくれなかった。
風呂にも入らず、俺を抱えて眠りについた。
翌日。
「モーゼス。
私、ちょっとお湯を浴びてくるわ」
そう言ってシェリーは風呂へと向かった。
暫くののち、シェリーが戻って来た。
その右手には鋏が、そして左手には髪の毛が握られている。
見上げると、背の中程まであった髪が、肩上ほどへと長さを変えていた。
思わず俺は、声を漏らす。
「シェリー……」
シェリーの黒髪は、無尽蔵の、謎の魔力の源だ。
こないだまでは、俺の逆転生への鍵だと思っていた。
最早その望みは潰えた、いや薄れたとはいえ、
その黒髪に手を入れるとは。
只事ではない。
「ねぇ、モーゼス。
港に、行きましょう?」
俺達は、再び港を訪れた。
見渡せば、彼方此方にカモメの姿が見える。
見慣れたいつもの光景だ。
違いに気付くのは、俺とシェリーだけだろう。
俺を右肩に乗せ、シェリーが無言で歩く。
左手には、髪の毛が握られたままだ。
浮桟橋の先端で、シェリーは立ち止まり、海面を見つめる。
視線の先は、昨日ソフィアが姿を消した辺り。
言葉は無い。
彼女は今、何を思うのか。
暫くののち、シェリーは腰を下ろし、片膝をついた。
同時に、俺は飛び降り傍で見守ることにする。
シェリーが、水面に向かって、囁く。
「ソフィア……ありがとう」
横笛の音色の様に、透き通った声だ。
そして、左手を差し出し、そっと髪の毛の束を水面に浮かべた。
「安らかに眠って。
そして、もし生まれ変わったなら……」
そう言って、ゆっくりと両目を閉じるシェリー。
黙祷か。
閉じた瞼から涙が溢れ、ついには雫が落ちる。
一呼吸の間をおいて、両の瞼が開かれた。
首を起こし、遠くを見やる。
目線の先には、ソフィアが消えた海面がある。
シェリーの瞳には、未だ涙が滲む。
それでも、彼女はかすかに微笑み、別れを告げる。
「その時は、また会いましょう?」
未だ片膝をつき、遠くを見つめるシェリー。
その顔、その瞳は、野の花の力強さを滲ませていた。
肩上で切られた黒髪と相まって、どこか大人びて見える。
シェリーは今日、何かを決意したのだろう。
そして、大人への階段を上ったのだ。
ふとシェリーの手が伸びてきて、俺は胸元に抱えられた。
シェリーは立ち上がり、声を漏らす。
「モーゼス、私……」
「大丈夫だ。俺は、ここに居る。
シェリーの傍が、俺の居場所だ」
シェリーが強く、抱きしめてくる。
「うん……」
その声は、いつもの聞きなれた、少女の声だった。
「宿に、帰るか」
――――――
朝陽が徐々に力強さを増す頃、
俺たちは宿に戻り、居室の扉をくぐった。
シェリーはベッドに腰掛け、俺を膝上に降ろす。
未だに両の手のひらは、俺の背中に添えられている。
唇が、動いた。
「モーゼス、あのね。
私、思ったの」
その声色は、落ち着いている。
凛とした響きは、先ほど感じた決意の強さを醸し出す。
「今、モーゼスと一緒に過ごしてる。
それだけで、私は幸せよ。
だから、あなたと過ごす、この時間を、
大事にしようって」
シェリーが目を細め、目尻を下げる。
「前に、言ったよね。
あなたを笑顔で送ってあげるって。
あの時は、多分まだ分かってなかったのね。
あなたと過ごす、この時間が、どれほど貴重なものかって」
手が動き、大きくゆっくりと、俺の背中を擦り始めた。
「私たち、もう四年も一緒に過ごしてるのよ?
私が惹かれたのは、人の姿のあなたじゃない。
カモメの姿のモーゼスなの。
だから。
だから、あまり思いつめないで。
あなたと一緒に過ごせるなら、他には何も要らない。
だから……」
シェリーの告白。
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
黒髪の魔力が変質して以降、確かに俺は焦っていた。
彼女もまた、気づいていたか。
隠していたつもりだったが、シェリーは俺の女神だものな。
全てはお見通しか。
だがそれでも、今だけは。
俺は、シェリーの手を抜け床に飛び降りた。
背嚢をまさぐり、人間化セットを取り出す。
そして――
久しぶりに、人間の姿を取り戻した。
「モーゼス……どうして?」
俺は無言でシェリーに近寄り、両手で肩を抱いた。
顔と顔を向かい合わせ、彼女の瞳をじっと見つめる。
そして、言った。
「それはな、シェリー。
男女の間には、言葉よりも大事なことがあるんだ。
分かるな?」
シェリーの瞳が僅かに見開き、すぐに目線は下へと向かう。
頬が、赤みを帯びている。
口元が動き、声が漏れる。
「うん……」
そう言って、シェリーは目を閉じた。
その姿は、俺の知る限り、この世でもっとも尊く、そして愛おしい。
女神の見せる初心な表情に、俺の心は高まりを隠せずにいた。
俺も目を伏せ、女神に顔を近づける。
唇が、触れた。
シェリーの腕が、俺の背中へと回る。
俺もまた、女神の体を力の限り、抱きしめる。
ここまで、長かった……。
伏せた瞼の奥から、熱いものが滲んでくる。
同時に、頬が、濡れるのを感じる。
これは、シェリーか。
俺たちは唇を重ね、しばしの間、互いに抱きしめあっていた。
顔を離し、目を開けた。
同時にシェリーも目を開けたのか、目が合い互いに見つめ合う。
ほのかに赤みを帯びた彼女の顔は、俺を惹き付けてやまない。
美しい。
ついに根負けしたのか、シェリーが顔を、俺の胸にうずめてきた。
そして、呟いた。
「ありがとう……」




