第40話 湯殿に指す影
「なあ、俺はやっぱり水浴びでも良かったんじゃないか?」
「何を言う。久しぶりに、親子水入らずってのも良いだろう。
それに、水より湯の方が好きなんじゃないのか、アンタは」
「そうだな……」
湯気の立ちこもる浴室で、老婆が湯船に浸かっている。
その視線の先には、真白のカモメが湯面に浮かぶ。
老いた母、アストリッド。
そしてカモメへと姿を変え、その名もモーゼスへと変えた子、ルカーヴ。
母と子は、数十年の時を隔て、再び湯浴みを共にしていた。
どうしてこうなったのか。
時は少し遡る。
――――――
「なんか、失敗したみたいだね」
言葉とは裏腹に、アストリッドの表情は和やかだ。
「でも、おかげでアンタ達とお別れせずに済んで、私は嬉しいよ」
老婆はあっけらかんとした様子で笑顔を見せ、シェリーもまた微笑み返す。
シェリーの肩に座るカモメは、首を伸ばして立ち上がり、少し羽を畳み直す。
そして、安堵と困惑の混じった声で母に応えた。
「そうだな。それもそうか。
でも、一瞬成功しかけたかに見えたんだが、何が起こったんだ?」
「う~ん……」
アストリッドは顎に手をやり、中空を見つめ始める。
一寸の間を置き、再び口を開いた。
「そうさね。なんというか、説明が難しいんだが。
まあ、後で一旦整理して、それから話するよ。
そんなことより――ほら、ルカ。おいで」
そろりと老婆の腕が持ち上がり、その手がカモメに差し出された。
対するカモメが首を傾げていると、シェリーが微かにくすりと微笑み、カモメを両手で持ち上げた。
そして、老婆の手に載せる。
「はい、お母さん」
老婆はカモメを抱き寄せ、胸元に抱え込む。
そして、呟く。
「今日はもう疲れたし、風呂でも入るか」
カモメを抱えて家へと歩き出す老婆。
胸元のカモメは何かに気付いたか、すっくと首を伸ばし、老婆と少女の顔を交互に見やる。
そして、
「え? 俺も?」
異を唱えるカモメ。
だが老婆は、どこ吹く風とばかりにカモメを両手で抑え込み、足を進める。
「いいじゃないか。せっかく無事に終わったんだ」
「勘弁してくれよ……」
――――――
そして今に至る。
二人の空間は、時折生じる微かな水音だけに支配されていた。
カモメの浮かぶ湯に浸かり、老婆の表情はどこか溶けて見える。
だが、この場に新たな音を吹き入れたのは、老婆の言葉だった。
「実はアンタに伝えておきたいことがあってね」
老婆の表情は変わらない。
だが、その言葉は力強い。
カモメは泳いで向きを変え、老婆と正対し、疑問を投げかけた。
「シェリーに聞かれるとまずいのか?」
ほんの一瞬、老婆は肩をすくめ、両眼を伏せて見せる。
「どうだかね。ただ、伝えるならアンタの口からのほうが良いだろう」
「なるほど。で、話というのは?」
そこで老婆は姿勢を正し、真正面にカモメを見据えた。
その眼光は鋭く、表情もまた叡者のそれへと立ち戻っていた。
そして、静かに語り始めた。
「さっき失敗したとき、魔法陣から魔力が戻ってくる感じがあったんだ。
その時の感じが気になっててね……。
どうも、『寿命を全うせよ』って言われた気がしたんだよ。
転生先の指定で符号化しただろ? あの要領さ」
「言われたって、誰に?」
「さあ。でも多分、神界からの返事なんじゃないかって、私はそう感じたよ」
そう言って老婆は首を傾げる。
カモメもつられて首を傾け、鈍く唸ってみせる。
暫くして、カモメは引きずるように言葉を絞り出した。
「う~ん……それにしても、寿命、か」
「そう。そこなんだよ、私が引っかかってるのは。
あの転生術、転生先の年齢も指定するじゃないか。
私はその分寿命が延びるかと思ったんだが、そういうことじゃないのかもしれんね」
「それはつまり――」
モーゼスの気付きに重ねて老婆は頷いた。
そして、彼女の考えを、伝える。
「アンタが人間に戻ったとしても、見た目通りの寿命にはならないかもしれないって」
「なるほど」
カモメは再び唸り始め、一瞬、頭を湯に差し込んだ。
そして、頭を振るって湯を飛ばし、言葉を繋ぎ始めた。
「俺が転生したときの年齢が三十後半で、あれからもう7年か」
「アンタが昔のまま生きてたとしたら、今頃四十四、五ってとこだろう?」
「そうだな。それでシェリーは17歳か。
……まあ、俺が先だな」
そう言ってカモメは天を仰ぎ、静かに目を伏せる。
そんなカモメに老婆は手を伸ばし、胸元へと引き寄せる。
カモメは無言で首を伸ばし、老婆の首へと絡ませる。
老婆は、赤子をあやすかのようにゆっくりと、毛並みに沿って首を撫で、カモメに応えた。
二人は再び水音の世界へと身を寄せていた。
一時を経て、老婆はカモメの背中を優しく叩き、再び語り始めた。
「まあ、まだそうと決まったわけじゃないし、結論には早いかね。
ただ、この話はアンタにしといたほうが良いかと思ってね」
カモメは小さく頷き、そして、言葉を繋いだ。
「ありがとう、母さん。
……ティシアの時もそうだったし、寿命の話は、つくづく俺を苦しめるな」
かつての想い人とは寿命の違いがすれ違いを生み、袂を別つこととなった。
そして転生に失敗してカモメとなり、運命を感じさせる少女との出会いを経て、固い絆を築き上げてきた。
そんな矢先に再び寿命が二人の未来に影を落とす。
カモメ賢者の呟きは、彼の偽らざる本音であった。
【お知らせ】
次話より、週末一回の投稿とさせていただきます。
日曜朝の投稿予定で、次回は1/25です。
第4章完結時に改めてあとがきで触れますが、今後の更新スケジュールについても活動報告に載せておきますので、よろしければそちらもご覧ください。
それでは、引き続き、「カモメ賢者と黒髪の少女」を宜しくお願いします。




