第39話 叡者の転生
シェリー、モーゼス、アストリッドの3人は、最寄りの集落近くの砂浜にやってきた。
モーゼスはアストリッドの方に座り、二人はシェリーから距離を取る。
「それじゃあ、始めるわね」
合図とともに、シェリーの顔が真剣みを帯びてゆく。
掌を水面にかざし、それは放たれた。
「真空断」
掛け声が発せられ、突如、海面から底に向け、裂け目が現れた。
その刹那、裂け目は気泡へと変わり、破裂音とともに海面を荒立たせる。
風魔法によって生み出された真空が水を割り、そして真空に晒された水が気化したのだ。
「……どうかしら?」
シェリーが振り返り、二人に顔を向ける。
その表情は晴れやかで、どこか満足げな笑みを浮かべて見える。
そんなシェリーを見て、モーゼスは賞賛の言葉をかける
「いや、御見それした。凄いじゃないか、シェリー」
「ふふん。ありがとう。でも、これはお母さんのおかげなのよ」
シェリーの目線がアストリッドへと向かう。
対するアストリッドは頬をかき、どこか気まずそうにしている。
「わ、私はただ、トレーニングの方法を教えただけだ。
あれから毎日続けてきた、シェリーちゃんが偉いのさ」
そんな様子を肩から眺めていたモーゼスだが、おもむろに口を開き、ツッコミを入れた。
「母さんがそんな照れてるなんて、珍しいな。
雷でも落ちるんじゃないか?」
「な、なに言ってんだい。
ただ私は、娘が出来て喜んでただけさ。
年寄りをからかうんじゃないよ、まったく。
ホントに雷落としてやろうか……」
「物騒だな……。
母さんが言うと冗談にならないから、やめてくれ。
悪かったよ」
と、そこにシェリーが近寄り、二人まとめて抱き抱えた。
老婆の顔と、肩に乗るカモメ。
その間に頭を滑り込ませ、静かに囁いた。
「私、幸せです。お母さん。
こうやって、モーゼスとお母さんが仲良く過ごして。
そこには私も居て――」
「シェリーちゃん……」
カモメは最早何も語らなかった。
だが、その首を伸ばして少女の頭に重ね、眼を伏せた。
――――――
さらに一か月が過ぎた。
日ごとに日差しは強さを増し、枯草色だった草原はある日を境に突如彩りを取り戻す。
それは、生命の息吹が再び世界に帰還したしるし。
春が、来た。
ある晴れた日の昼下がり、三人は家の庭先に集まった。
そして、アストリッドは地面に模様を描き始める。
転生術の魔法陣だ。
シェリーと定位置のモーゼスは、その様子を傍らで見守っている。
やがて、魔法陣を描き終えたアストリッドが振り返り、問う。
「こんなもんでどうかね、カモメの賢者くん?」
「ああ、良いんじゃないか。
それにしても、俺は10年以上かけて転生術を覚えたってのに。
数カ月でここまで持ってくるとは、なんか複雑だな」
「伊達に私も叡者なんて呼ばれてるわけじゃないってことさ」
そう言ってアストリッドは胸を張ってみせる。そして、
「それに、アンタの教え方も良かったしね。
よく整理できてたと思う。成長したね」
と続けると、二人に近寄り、カモメの頭に手を乗せ、そろりと撫でた。
そんな折、シェリーも続いて口を開く。
「モーちゃん、教えるの上手ですよね。
私も魔法槍を教わった時はすぐ出来たし。
ホントに賢者なんだって思いましたもん」
「その言い方、なんか素直に喜べないんだが」
不満げなカモメをよそに、残る二人からは笑い声が漏れる。
「ふふ、アンタも成長したみたいだし、そうさね。
アンタさえよければ叡者サメロスの名を譲っても良いが……どうだい?」
間髪を置かず、カモメが答える。
「いや、やめとく。だって、カモメの名前がサメとか冗談だろ。
それに、シェリーのくれたモーゼスって名前、気に入ってるし」
叡者の提案を冗談と切って捨てたカモメ賢者に、叡者は苦笑いを浮かべた。
「そうさね。アンタはもう、賢者モーゼスだったね。
でもまあ、心の片隅にでも置いといてくれれば私は嬉しいよ」
「そうだな……」
「さて、ぼちぼち始めるとしようかね」
叡者の発したその言葉で、場の雰囲気が途端に引き締まる。
だが、その雰囲気に割って入ったのは、次のカモメの一言だった。
「その前に、一つ聞きたいんだが」
「何だい?」
「この転生先、少年……だよな。何で?」
首を傾げるカモメに対し、叡者は悪戯っぽい笑みを見せた。
そして、答える。
「それは、簡単な事さ。
昔から、立ちションってやつをしてみたかったんだ。
夢があって、いいだろう?」
「……」
叡者の告白にカモメは言葉を失い、眼を伏せる。
片やシェリーは眼を輝かせ、何度か頷いたのちに言葉を繋げる。
「わかります、お母さん。
あれ、ずるいですよね。私も――あいたっ」
カモメが頭を小突き、シェリーの言葉を遮った。
シェリーは眼を伏せ、こめかみのあたりを押さえている。
「シェリー、その辺にしとくんだ。さもなくば――」
「もう、分かったわよ」
「ははは。良いじゃないか、たまにはこんな話も。
私らだって、人形じゃないんだ」
「……そうだな。まあ、人間、そんなもんか」
――――――
あれから暫く談笑した後、三人は改めて表情を引き締め直し、アストリッドが魔法陣の中央に向かう。
両足を肩幅ほどに開き、両腕を無造作に真下へ降ろした。
背筋を伸ばし、瞼を閉じてゆっくりと大きく呼吸を整える。
周囲を取り巻く空気が徐々に緊張感を増し、突如、魔法陣が光を放つ。
反射的にシェリーは腕で視線を遮り、モーゼスは眼を細めた。
そのまばゆい光は独特の鼓動で強さを変え、落ち着きを取り戻す。
そして、老婆の全身が光に覆われ、煌きへと変わってゆく。
やがて煌きは収まり、モーゼスとシェリーは視界を取り戻した。
そこで待っていたのは、
「やあ、ただいま」
先ほどと変わらぬ姿の老婆であった。
困惑の表情を浮かべる二人に対し、叡者は顔色も変えず、呟いた。
「なんか、失敗したみたいだね」




