第36話 叡者と賢者
ここは叡者サメロスことアストリッドの住居。
すなわちモーゼスの生家である。
挨拶を終えたシェリーは、アストリッドに中へと誘われた。
リビングに置かれたL字型のソファとローテーブル。
シェリーとモーゼスは横に並び、アストリッドは斜向かいに座る。
たちまち談笑が始まり、アストリッドは矢継ぎ早に質問を投げかける。
義理の息子の「婚約者」への興味を隠そうともしない、そんな姿にシェリーはたじろぎ、眉間を微かに狭めてみせる。
そこに紅茶が運び込まれた。
蜜柑の爽やかさと、それを包み込む蜂蜜の香りが部屋の空気を和らげる。
シェリーの表情や仕草から徐々に力が緩み、柔らかさを取り戻す。
一通りの歓談を終えたところで、モーゼスは割って入り、これまでの経緯についてアストリッドに語り始めた。
「――というわけで、俺たちは『叡者』の知恵を借りにやってきたんだ」
「ふうむ。
つまり、シェリーちゃんがルカを連れてきてくれた、ということかね?」
「ええと……その、ありがとうございます。
そうだといいんですけど」
叡者の要約に再びたじろぐシェリー。
だが、そんな姿とは対照的に、叡者の言葉は明るく、弾みを帯びたものだった。
「そうでもなければこの子は一生立ち寄らんかったかもしれん。
本当に、私は嬉しいよ。
ありがとう、シェリーちゃん」
そう言ってアストリッドはカモメの背を撫でる。
いつの間にやらカモメは老婆の膝上へと居場所を変えていた。
「さて。
話を聞いた感じだと中々難儀そうだし、
しばらくここでゆっくりしておいき。
私も出来る限り、力になろうじゃないか」
「はい。ありがとうございます」
「そうと決まれば今日はお祝いだね。
エイレーネ、とっておきのワインがあったろう。
あれを出しとくれ」
――――――
叡者の歓待を受けたその晩。
シェリーは部屋をあてがわれ、カモメと並んで寝床に横たわっていた。
月明かりも差し込まない、暗闇の中でシェリーがそっと呟いた。
「ねえ、モーゼス。まだ起きてる?」
「――ん? あ、ああ。起きてるぞ」
「ふふ。ごめんね。せっかく寝かかってたのに」
シェリーは手を伸ばし、横たわったままカモメを小脇に抱える。
カモメは首を体に沈めたままだ。
「ちょっと……気になったんだけど……。
どうしてアストリッドさんのこと、『おばさん』って呼んでるの?」
「ん? ああ、そうだな。
元々は、拾われたときにそう呼ぶ様に言われて。
それで、急に呼び方を変えるもなぁって感じで」
「そう……。
そういうところは昔から不器用なのね。
でも、『お母さん』って呼んであげたら、きっと喜ぶわよ。
私のお母さんにしたみたいに、ね?」
シェリーの指がカモメの頭に添えられ、毛並みに沿って緩やかに滑り始める。
「そうだな……何かきっかけがあればいいんだが。
まあ、考えておくよ」
「そうね……」
――――――
翌日、モーゼスとシェリー、アストリッドの三人は、再びソファに座り談笑していた。
話題は次第に人間への逆転生へと移る。
そこでモーゼスは、転生術について説明を始める。
過去に、アマルティシアに話した時と同じ内容だ。
まとめると――
転生術は、大別して二つの要素に分割される。
一つは時間操作。
自身の体を一旦分解して、過去または未来へと結像させる。
操作出来る時間の長さは、術に込める魔力量に比例する。
もう一つは転生先の指定だ。
通常、未来の姿は不確定なので、これを指定して初めて術は成立する。
この指定とは、自身の魔力を転生神に捧げ、お伺いを立てる事である。
拒否された場合は未来を結像出来ず、術は失敗する。
過去への時間操作は、指定が無くても行使出来る。
だが、これは神の承諾を得ていないので、その姿で定着出来ず、時間で元に戻る。
――といった具合だ。
「なるほどねぇ。今のままだと、魔力が足りなくて逆転生はできないのか。」
「そうだな。カモメのままだと、出力・容量ともに嘗ての10分の1くらいなんだ。
仮に魔力暴走で出力を上げたとしても、容量が足りない。
一つ考えたのは、シェリーからの魔力譲渡で不足分を補う方法だ。
ほら、あの、胸から渡すやつ」
そう。この世界の女性は、胸を通して他人に魔力を分け与えることができる。
ただし、その変換効率は極めて悪い。
常人をはるかに超える魔力量を誇る賢者アマルティシア。
彼女をもってしても、逆転生に十分な魔力を譲渡することは叶わなかった。
ただし、シェリーには黒髪からもたらされる無尽蔵の魔力がある。
これを使えば魔力量の問題も何とかなるのではないか。
それがモーゼスの見立てだった。
「ふうむ。
シェリーちゃんの黒髪にはそんな力が隠されてるのか。
でも、今のシェリーちゃんは、あんまり魔法の出力が上がらないんだね?」
「そうなんです。ここが育ってくれば出力も上がるかと思ってたんですけど」
シェリーは自分の胸を指す。
「そうさね。大きさだけ見ると十分そうにも見えるけど……。
でも、それが全てってわけでもないしねえ。
そこに関しては、私が面倒見ようじゃないか」
「ありがとうございます。
よろしくお願いします……アストリッドさん」
シェリーは身を乗り出し、そう答えた。
その目は輝やいて見える。
「ところで、出力の件は良いとして、私も転生法を試してみるかね。
ルカ、教えてくれるな?」




