表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後キッチン、3年間のレシピ  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

63/86

63. 翔子、後輩に包丁スピード講義

家庭科室の調理台には、次々と運ばれてきた野菜の山。

人参、玉ねぎ、ピーマン──歓迎会の料理の準備で、テーブルは色とりどりに賑わっていた。


「ぜんっぜん切り終わらない~!」

新入生男子が半分涙目で人参を見下ろす。まな板の上には不揃いな輪切りが並び、見るからにリズムが悪い。


その隣では、新入生女子が包丁を両手で握りしめていた。

「えっと……こうかな……?」

恐る恐る野菜に刃を当てるその手はぎこちなく、切るたびに「ガンッ」「ズッ」と大きな音を立てる。


「お、おい。指、切りそうで見てらんない……!」

見ていた他の子たちがざわつく中、翔子は腕を組んで一歩前に出た。


「……これは包丁講義の出番ね」

低く呟いた声には、不思議な頼もしさがあった。


彼女の目はすでにスイッチが入っていて、まるで戦場に赴く職人のように鋭い。

その雰囲気に、新入生たちは思わず背筋を伸ばした。


「さぁ──包丁の真髄を、見せてあげるわ」


「まずは姿勢と持ち方から、ね」

翔子はすっと新入生女子の背後に立ち、包丁を持つ手に軽く自分の指を添えた。


「ひ、ひゃっ……!」

女子がびくりと肩をすくめる。けれど翔子は気にせず、淡々と指導を続けた。


「包丁を持つ手はここ。握り込むんじゃなくて、軽く添えるくらいでいい」

「そして、もう片方の手は──こう。指を丸めて、猫の手に」

翔子は自分の指を折り曲げて見せる。その所作は無駄がなく、流れるように美しかった。


「こうすれば、刃が当たっても指先は守れるの。怖がるより、形を覚えて安心して切ることが大事」


新入生女子は真剣にうなずき、猫の手を真似てみる。

だが、次に翔子がさらりと付け加えた言葉に目を丸くした。


「包丁はね、“押す”だけじゃないの。引いても切れる」

「えっ!? そうなんですか? 今までずっと押すだけだと思ってました!」


驚きに声を上げる新入生たち。翔子はにやりと笑い、切れ味の良さそうな眼差しを包丁の刃先に向けた。


「切る、じゃなくて──“運ぶ”。それが本当の包丁さばきよ」


さらっと放たれた一言に、場の空気がピンと引き締まる。

その瞬間、新入生たちの中で「この先輩は本物だ」という認識が一気に広がった。


「じゃ、スピードモードでいくわよ」

翔子は袖を軽くまくり、まな板の前に立つ。目の前には玉ねぎと人参。新入生たちの視線が一斉に集まった。


包丁を握り直した瞬間、空気が変わる。

次の刹那──


「トントントントンッ!」


包丁の刃が走る音が、軽快なリズムとなって家庭科室に響き渡った。

玉ねぎはみるみるうちに細かなみじん切りに。人参も同じ調子でスッと整然とした千切りへ。


「うわぁっ、速い!」

「ちょっと待って、もう終わってる!?」

「プロの料理番組みたいだ……!」


新入生たちの目が一斉に輝き、口々に感嘆の声を上げる。

翔子は包丁を止めると、まるで何事もなかったかのように刃先を布で拭き取り、肩をすくめて一言。


「包丁っていうのはね、リズムが命。慣れれば、切る音が自分の音楽になるの」


その言葉に、憧れのまなざしがさらに集まる。


だが──

「はいはい、翔子、ちょっと見せびらかしすぎじゃない?」

と、杏子が横から茶化すように割り込んできた。


「べ、別に見せびらかしてないわよ。ただ、技術は見て覚えるのが一番だから」

と翔子は少しだけ赤くなり、そっぽを向く。


場は和やかな笑いに包まれ、新入生たちの緊張もすっかり解けていた。



「俺も……やってみたいです!」

新入生男子が勢いよく手を挙げた。さっきまで感嘆の声を上げていた瞳が、今度は挑戦の光に燃えている。


「いいわ、やってみなさい」

翔子がまな板の前を譲ると、男子は緊張した面持ちで包丁を握りしめた。


「えっと……トントン……トン……あれ、リズムが崩れる!」

刃がまな板に当たる音は、ぎこちなく途切れがち。指先も少し強張っている。


翔子はすぐ横に立ち、穏やかな声で囁く。

「焦らなくていいの。スピードより、まずは正確さ。ひとつひとつ、確かめるように切って」


男子は小さく頷き、動作をゆっくりにする。

──トン、トン、トン。

少しずつ音が一定になり、野菜の形も整ってきた。


「……あ、なんか掴めてきたかも!」

「そう、その調子!」翔子が笑みを浮かべる。


続いて、新入生女子も包丁を手に取る。

「さっきまで怖かったけど……もう大丈夫そうです!」

緊張した面持ちから、次第に自信に満ちた笑顔へと変わっていく。


「トントン……ほら、ちゃんと切れてる!」

「いいわね、さっきまでと全然違う」翔子が頷く。


その場に漂うのは、成長の手応えと達成感。

先輩に支えられながら、一歩ずつ進んでいく後輩たちの姿に、部屋全体が温かい空気に包まれていった。


「スピードはね、あとから自然についてくるの。大事なのは正確さと丁寧さよ」

包丁を置いた翔子が、きっぱりと言い切る。その言葉は、まるで教科書に載せてもいいくらいの指導の一文だった。


「さすが翔子。これでみんな安心して包丁を持てるね」

実花が感心したように微笑む。


「うん、頼れる先輩って感じだよ」

杏子が茶化すように笑いを乗せると、翔子は少しだけ視線をそらし、頬をかすかに赤らめながらも──


「……まぁ、当然よ」

と、いつものクールな口調で返した。


そのやりとりを見ていた新入生たちは、尊敬のまなざしを向ける。

「いつか先輩みたいに速く切れるようになりたい!」

「私も!もっと練習します!」


その輝く瞳に、翔子はふっと小さな笑みを浮かべた。

──背中を見られている。

そう意識した瞬間、彼女の中で“ただ得意だからやる”包丁技術が、“後輩を導くための力”へと変わっていくのを感じていた。


家庭科室に響くのは、包丁の軽快なリズムだけではなく、先輩と後輩を繋ぐ確かな絆の音だった。





包丁講義編

シーン1:きっかけ


「ぜんぜん切り終わらない~!」

新入生男子が玉ねぎと格闘しながら、半泣きの声を上げる。


「ひぃ……手が怖い……!」

隣の新入生女子も、包丁を持つ手がぎこちなく震えていた。


それを見た瞬間、翔子のスイッチがカチリと入る。

(これは……包丁講義の出番ね)

冷静な表情のまま、心の奥で闘志に火がついていた。


シーン2:基本姿勢チェック


「はい、まずはストップ!」

翔子がすっと近づき、包丁を持つ新入生女子の手を直す。


「猫の手で指を守ること。刃は押して、引いて……切るんじゃなくて、運ぶのよ」


「えっ!? 包丁って押すだけじゃないんですか?」

「むしろ押すだけだと潰れるわよ」


さりげなく決め台詞。

──“切るんじゃなくて、運ぶ”。


新入生女子がぽかんと口を開ける。

(か、かっこいい……!)

ちょっとしたファンが生まれた瞬間だった。


シーン3:スピード実演


「じゃ、実演するわね。スピードモードで」

翔子が一歩前に出た途端、家庭科室の空気が張り詰める。


トントントントン──!

リズム良く包丁が走り、玉ねぎも人参も瞬く間に山へ。


「うわぁ!早すぎ!」

「プロですか!?」

新入生たちの目がキラキラ輝く。


「……翔子、ちょっと見せびらかしてない?」

杏子のツッコミに、場が一気に和む。

「そ、そんなこと……ないけど?」

(ちょっとは見せびらかしたかもしれない)


シーン4:後輩の挑戦


「俺もやってみます!」

勇気を出した新入生男子が挑戦する。


──ガタガタガタッ!

包丁の音はどうにもリズムに乗れず、野菜は大きさバラバラ。


「焦らなくていいわ。まずは正確さ」

翔子が横で落ち着いた声をかける。


「……なるほど、リズムがちょっと掴めてきた!」

少しずつ音が「トン、トン」と整っていく。


「包丁、怖くなくなってきました!」

新入生女子もチャレンジし、笑顔を見せる。

不安顔だった二人の目が、少しずつ自信に変わっていった。


シーン5:まとめ・先輩の背中


「スピードは後からついてくる。大事なのは正確さと丁寧さ」

翔子の言葉に、新入生たちは力強く頷く。


「翔子の講義で、みんな安心して包丁を持てるね」

実花が優しく言い、杏子はニヤリと笑う。

「うん、頼れる先輩って感じ」


「……まぁ、当然よ」

ちょっと照れ隠し気味に、翔子は肩をすくめる。


「いつか先輩みたいに速くなりたいです!」

まっすぐな声に、翔子は思わず背筋を伸ばした。


(あぁ……私たち、もう“見られる側”なんだ)

背中を追いかけてもらう責任と誇らしさが、確かに芽生えていた。


エピローグ


こうして始まった翔子の「包丁講義」は、

ただの調理指導じゃなく、

後輩が先輩を憧れる、部活青春のワンシーンになった。


そして──この日から新入生たちは、包丁を手に取るたび、

“運ぶ”という言葉を思い出すことになる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ