第2話「体験入部:パンケーキ作りで3人が出会う」
部室兼調理室の扉を開けた瞬間、ふわっと甘い香りが鼻をくすぐった。
壁際には銀色のボウルやフライパン、色とりどりのスパイス瓶が整然と並び、中央には三つの調理台が置かれている。まるで小さなカフェの厨房みたいだ。
部屋のあちこちで、新入生らしい制服姿の子たちがきょろきょろと周囲を見回している。ざっと見て十人ほどだろうか。
その中を、先輩たちが色とりどりのエプロンを手に歩き回り、「はい、これ使ってね」と配っていた。
私は受け取った水色のエプロンを手にしながら、少し緊張した面持ちで部屋を見渡す。
そして——見つけた。
「あっ……」
試食会で声をかけてくれた、あの元気そうな女の子。
彼女も私に気づくと、にこっと笑って手を振った。
「お、来た来た! 今日はパンケーキ作るんだってさ〜」
明るく通る声に、胸の奥がふっと軽くなる。
私はそっと息を吸い込み、その香りを確かめるように呟いた。
「……甘い香りがする」
杏子に連れられて向かった調理台には、すでにひとりの先客がいた。
短くまとめた黒髪、ジャージの上に前掛けエプロン。
そのエプロンの紐をキュッと結ぶ所作は、無駄がなくてきびきびしている。
——なんだか、陸上部の先輩みたい。
そんな印象が自然と浮かんだ。
彼女は私たちに軽く会釈すると、低めの声で言った。
佐伯先輩のひとこと
「パンケーキはね、味はもちろんだけど、作る時間そのものがごちそうなんだよ」
「水上翔子。料理は……初心者だ」
あまり感情を表に出さない声音。でも、真剣さはしっかり伝わってくる。
杏子はにこにこと手を差し出した。
「鳴海杏子! 食べる方はプロ級だよ!」
「田中実花です。よろしくお願いします」
その時、部屋の中央で佐伯先輩が手を叩き、全員の視線を集めた。
「はい、今日は班ごとに協力して——ふわふわパンケーキを作ってもらいます!」
部室に小さなざわめきが広がり、甘い香りへの期待がさらに膨らむ。
私たち三人の初めての共同作業が、今まさに始まろうとしていた。
私たちの班は、自然と役割が決まっていった。
杏子は材料の計量係、私は卵と牛乳を混ぜる担当、翔子は焼き担当だ。
「砂糖は……えっと、大さじ二?」
杏子が量りをのぞき込みながら、そっと指先でつまもうとする。
「こら、つまみ食い禁止だ」
すかさず翔子が手首を押さえた。無表情だが、その目はしっかりと“監視”している。
「え〜、味見は大事でしょ〜?」
「焼けた後にしろ」
私はくすっと笑いながら、泡立て器を動かす。
卵と牛乳がふわっと混ざり、やわらかな黄色に変わっていく。
「実花ちゃん、泡立てるの上手だね〜」
「うん、小さい頃からよくホットケーキ作ってたから」
翔子はすでにホットプレートの前で構えていた。
おたまからとろりと生地を落とすと、ジュッと小さな音が弾ける。
甘く香ばしい匂いが、一気に部屋いっぱいに広がった。
周りの参加者たちからも「いい匂い〜!」という声があがる。
「ねえねえ、ひっくり返すときって思いきりやった方がいいの?」
「そうだな……でも勢い余って床に落とすなよ」
「……プレッシャーかけないで!」
「あっ、ぷつぷつしてきたよ!」
私の声に、翔子はタイミングを計ってフライ返しを滑り込ませる。
くるり——と軽やかに宙を舞い、きれいなきつね色の面が現れた。
「……よし」
短い一言に、翔子の小さな達成感がにじんでいた。
きつね色に焼けたパンケーキが、次々と皿に重なっていく。
湯気と甘い香りがふわりと立ちのぼり、見ているだけでお腹が鳴りそうだった。
「よーし、トッピングは任せて!」
杏子がチョコソースのボトルを手に取り、迷いなくジグザグにかけていく。
その勢いはまるで芸術というより“情熱”。お皿の端までたっぷりチョコだらけだ。
「……派手だな」
翔子は呟きながらも、きれいに切りそろえたバナナスライスを等間隔に並べていく。
その几帳面さは、杏子の自由奔放さと正反対で、見ていて面白い。
「最後は私の番だね」
粉砂糖を小さな茶こしに入れ、そっと振る。
真っ白な雪がふわっと舞い降り、パンケーキが一瞬でカフェのメニューみたいに変わった。
「できたー!」
三人で声をそろえて完成を喜び、そのまま試食タイム。
フォークを差し入れ、一口。
ふわふわの生地に、甘いソースとやさしいバナナの香り——思わず笑みがこぼれる。
「おいしい!」
「これは……アリだな」
「ん〜、幸せ〜!」
その笑顔を見て、胸の奥があたたかくなった。
——この人たちと、もっと一緒に作りたい。
そう強く思った瞬間だった。
片付けがひと段落した頃、佐伯先輩が部屋の中央で手を叩いた。
「——はい! 今日の体験入部はここまで。楽しかった人は、ぜひ入部届を出してね」
その言葉に、杏子が真っ先に反応する。
「絶対入る〜! もう決めた!」
両手をピンと上げて、笑顔全開。
翔子は、ふっと口元だけで笑いながら、
「……考えとく」
と、そっけない返事をする。
でも、その目はどこか楽しそうだった。
私は——。
まだ、声に出してはいない。
だけど、さっきのパンケーキの甘さと、この空間の温かさが、胸の奥にずっと残っている。
——たぶん、もう答えは決まってる。
窓の外では夕日が差し込み、部室のステンレス台が赤く輝いていた。
新しい生活の香りが、甘く漂っている気がした。
ふわふわパンケーキ(料理部・掛け合い付きレシピ)
材料(直径10cm 6枚分)
薄力粉 …… 100g
ベーキングパウダー …… 小さじ1
卵 …… 1個
砂糖 …… 大さじ2
牛乳 …… 100ml
バター(無塩) …… 20g(溶かしておく)
バニラエッセンス …… 2〜3滴
トッピング例
チョコソース(杏子担当)
バナナスライス(翔子担当)
粉砂糖(実花担当)
作り方
1. 下準備
薄力粉とベーキングパウダーを合わせてふるう。
杏子:「粉ってふるうとき、なんかお菓子屋さんみたいで楽しいよね〜」
翔子:「手首の力、抜けてるか?粉まき散らすなよ」
2. 生地作り
卵をボウルに割り、砂糖を加えて白っぽくなるまで泡立てる。
実花:「お砂糖入れると、混ぜるのがちょっと軽くなる気がする…」
杏子:「お〜、さすが実花ちゃん。よく気づいたね」
牛乳を少しずつ加えて混ぜ、溶かしバターとバニラエッセンスも入れる。
翔子:「香りが甘くなってきたな」
杏子:「これだけで飲めそう…」
翔子:「やめろ、腹壊すぞ」
粉類を加え、ゴムベラでさっくり混ぜる(混ぜすぎ注意)。
実花:「混ぜすぎないって、どれくらい?」
翔子:「粉っぽさがギリ残らないくらい。ほら、こんな感じだ」
3. 焼く
フライパンを弱火で温め、ごく薄く油を引く。
生地を丸く流し入れ、表面にプツプツと気泡が出たら裏返す。
杏子:「ぷつぷつきたよ!もういい?」
翔子:「よし、ひっくり返せ——あ、落とすなよ」
杏子:「だ、大丈夫だってば!」(成功)
実花:「わぁ…きつね色!」
4. 仕上げ
重ねて盛り付け、チョコソース、バナナ、粉砂糖で彩る。
杏子:「チョコはたっぷり〜!」
翔子:「バナナは均等に並べる」
実花:「粉砂糖はふわっと…はい、完成!」