新ライネル領Ⅳ
フレデリカ視点です
地獄を見た事がある。
あの日、街の壁を突き破って、馬と豹に乗った蛮族が、斧を持って隣の家のおじいちゃんの頭を跳ね飛ばした日。家の向かいのお姉さんの小さい娘を、まるで干し肉のように引き裂いた蛮族が街中を走り回り、家々を破壊し、火を放って、笑いながら、私のお母さんとお父さんを殺したあの日。私の兄も、弟も、まるで豚のように首を切られ、腕を切られ、鍋に入れられたあの日。
私はその日を一生忘れない。嫌と言うほどくっきりと頭に刻まれたあの日の様子は、夜に眠る私に纏わりつくように、何度も何度もその日の光景を思い出させる。
「はぁ....はぁ.....がっ.....はぁ.....はぁ....」
森の中を全力で走り抜ける私。あの地獄の日から逃げるように、私は森の木々の根に躓きそうになりながら、必死に後ろから追ってくる魔獣から、必死に逃げていた。
「くそっ、くそっ、くそぉ!」
何とか追ってくる[魔豹]を躱し、今は決死の覚悟で飛び降りた崖の下にある泥だまりに全身をくぐらせ、こちらの匂いを嗅いで自分を探し回っている魔豹が自分を見つけられない事を祈りながら、再び走り出した。
弱い、私はなんでこんなにも弱いんだ。父も母も、兄も弟も、誰一人守れず、ただ逃げる事しかできない。無理だから、私はまだ小さいから、まだ子供だから、痛む右足に構っている暇もなく、ただただこの魔獣の森の中を、逃げる事しかできない。
「はぁ....はぁ....はぁ.....」
ひとまず周囲に危険な魔獣がいないのを確認して、息を整えるために近くの木に背中を預ける。
「くそっ!」
自分の弱さと、情けなさに堪らず背中の木を殴る。
「どうしろって言うんだこれ」
あの日屋上で、クロウさんに言った言葉を少し後悔する。だって、こんな場所で、どうやって生き残ればいいんだ?今まで習った魔法もここにいる魔獣には何一つ通用しないし、武器もないから[短剣術]のスキルも使えないし、動物相手に[近接格闘術]でも勝てない。
「うぐっ!」
少し気を緩めたのが悪かったのか、突如自分の腹から木の枝が生えてきた。呆気に取られていると、背中に寄りかかっていた木の根がまるでタコのようにうねうねと動き出し、木の幹がまるで人の口のように大きく裂けていた。
「こいつも...かよ....」
死ぬ最期に見たのは、まるで私の弱さを嘲笑うような[トレント]の口と、身体の中から四方八方へ私の身体を突き破るように枝が生えてきた感覚だ。
.....
.......
..........
...............
「....すがに、それは.....」
「でも結構......」
「いやそうかもしれ......」
「.....あっ、全く」
頬には暖かい、まるで暖炉の火の傍にいるような感覚が伝わってくる。身体もぽかぽかと心地よく、まるで天国にいるようだった。
「ん?起きたか」
まだはっきりとしない意識で、自分の瞼を必死に開け、目の前の人物を確認しようと必死に瞬きする。くっきりと目の前の人物が見える頃には、自分の前に、ホットミルクの入った木のマグカップが差し出されていた事に気が付いた。
「やぁ、私はアルル、ここに昔から住んでいる者だ、君が[トレント]に串刺しにされていたから、君を助け出してここまで運んだんだ。身体に何か違和感はないかい?」
「いえ、大丈夫、です」
私はあの時、再び死んだはずだが、またもやこうして生き返っている。一体自分の身に何が起きているか分からないが、メルティお姉様の言う事が正しいなら、恐らくクロウさんが私を蘇生しているのだろう。
「よしよし、君はどうやらクロウにこの森に投げ込まれたのだろう。彼の君に対する目標も一応聞いているよ、この森の頂点に位置する魔獣である、【ヌシ級】の魔獣を単独で狩ればこの森での修業は完了だと聞いている」
「はい、そうです」
「でもまだまだ今は魔獣に追いかけられてばかりだと」
「はい....」
「全く、彼は色々と規格外だからな、また自分を参考に修業でも考えているのだろう、まあ良い、今日からはここに住むと良いよ、私も彼には随分と世話になっているからね、君が1人でヌシ級の魔獣を倒せるようになるまで、暫く協力するよ」
「あ、ありがとうございます」
「とりあえず今は生き返ったばかりで、色々とまだ精神と身体が同調していないかもしれないから、本格的に修業するのは明日からでいいだろう」
彼女がそう話し終えると、どこからか小さな黒い妖精のようなメイドがふよふよと飛んできて、いつのまにか飲み干した私のマグカップを受け取り、代わりに黒い粒のようなものが練りこまれたクッキーを一枚私に渡した。
「どうぞ、チョコチップクッキーだ。ホットミルクに浸して食べると良い」
アルルと名乗る女性がそういった後、同じような見た目のメイドがもう一体、再びホットミルクの入ったマグカップを渡してくれた。言われてみたまま、手にしたクッキーを暖かいミルクに半分ほど浸し、そのまま口に入れる。
「.....い、美味しい」
甘い。甘くて、暖かくて、優しい味。思わず私は涙が出てきてしまう。クロウさんに拾われてから、1日たりとも、一時たりとも涙を流した事がない私だが、思わず涙を流してしまった。まるで今までの地獄から救われたような、あの日の悪夢を塗りつぶすほどに、彼女のくれたチョコチップクッキーと、ホットミルクは、私の心を癒してくれた。
「おやおや、よしよし、今まで我慢してたんだね、よしよし、もう我慢しなくてもよいぞ、怖かったんだよな、よしよし」
右腕に泣き顔を埋めながら、なんとか先ほどの妖精メイド達に手にしたマグカップと食べかけのクッキーを渡す。彼女達が私の手からそれらを受け取った瞬間、私の感情は爆発してしまった。今思い返すと、非常に恥ずかしいが、初対面にも関わらず、私はまるで赤子のように、わんわんと泣き声を上げていた。だが、アルルはそんな私を嫌がりもせず、ただ優しく私を抱きかかえ、まるで子供をあやす母親のように、私が泣き止むまで辛抱強く、私の傍で私の背中をさすってくれた。
今思い返すと、あれが私の産声、地獄の日々のトラウマから逃げ回っていた私を救ってくれたあの日、私は改めて生まれ変わったのかもしれない。****ではなく、【フレデリカ】として。
泣きつかれてそのまま眠ってしまったが、その日はここ数年で最もよく眠れた日だった。毎夜毎夜私を付きまとう悪夢もなく、地獄からずっと逃げていた私がようやく本当の意味で休息を得られたような、そんな心地の良い眠りだった。




