私の知らない教科書
私の知らない教会書。
私の知らない教科書。
「はっ!」
大学の図書館で目を覚ました。手元にはコロンブスの伝記。この図書館で手にした1冊だ。ここのところ、ありがたいことに勉学と音楽活動で忙しくしているものだから、借りても返すことのできない自信の方がある。そういうのに対して自信があるっていうのは何か変だけど。でも、変な夢をみちゃったな。えっと……。
「セラ、君の仕事ぶりは素晴らしい。このままどこの学校の採用試験を受けてもきっといいぞ。良い学校で良い教員になれることだろう」
「ありがとうございます」
「大学院にもういなくてもいいのでは?」
「そうですね……」
「まぁ何をどうしようと君の自由だ。このまま教育学者になるのも悪い事なんかではない。もっとも、まずは教壇に立って現場を知るところから始めて欲しいが」
「そうですけど……」
「何か悩みがあるのか?」
「いえ、大丈夫です。失礼します」
私は地元の大学に進み、そのまま大学院へ進んだ。両親はいずれも学校教員で私にも同様の道を志して欲しいと期待を寄せた。
我ながら裕福な家庭に育ったと思う。わがままもさせて貰った。
だから私の人生を親孝行に捧げるのも悪くはない。
そう思っていたけど……
夕暮れに染まるハドソン川。そこを悠然と渡るクルーズ船。そんなのを眺める私の背にはフェンダーのギターがもたれかかっている。そろそろ向かわなくちゃ。
JAZZ CLUB IDiOM。
有名なミュージシャンやアーティストもお忍びで訪れていると噂されるジャズクラブだ。ジャズシンガーを目指していたものの、声帯の酷使により思うように歌えなくなったマスターが立ち上げた個人経営店。
ステージ上でひと際輝く真っ白なグランドピアノとキラキラ輝くガラスビーズが散りばめられた重厚感のある大黒幕がまず来場者達の目を奪う。ピアノの客席から見えないところにはこのステージに立った者たちのサインで埋め尽くされており、ここにサインすると5年以内に売れるというジンクスがあるとも。
提供される料理は某有名店から引き抜いてきた凄腕のシェフが作っているとのことで美食家にも好評だ。それ目当てでアメリカ全土が訪れる人もいるとか。
オープン直後限定で運が良いと聴けるマスターのピアノ演奏も格別のものだとして、その手の業界では絶えず話題になってすらいる。
そんなステージに今宵も私は立つ。
ここまでの話を聞いて貰えたら分かるものだと思うが、私は喋るのが苦手だ。せいぜい「ありがとう」と「よろしく」を伝えるので精一杯。
でも、演奏と歌は別。
私は今晩もスタンディングオベーションの拍手を演奏後に浴びる。
私は手を振って「ありがとう」とマイクを通さずに何度も言う。
キッカケは高校生の時に彼氏に連れて来て貰ったこと。その彼とは何でもないことで喧嘩して別れたけども、このクラブのムードに魅了されてやまなかった。その彼は飽き性で軽率な奴だったから、マスターのピアノ演奏も聞いた事なんてなかっただろうし。このクラブが持つ可能性に気がつく事もなかったのだろう。
私は両親の影響で小さい頃からギターを弾く趣味があった。このクラブに来て何かに目覚めた私は新しいギターを購入。大学キャンパス内でのストリートライブから活動を始めた。
いつかはこのクラブのステージに立ちたい。そう願いながら。
でも、神様は思ったよりも早くそのチャンスを私に与えてくれた。
私がヨウチューブに投稿したカバーソング動画が驚くほど伸びてバズったのだ。この出来事をイディオムが見逃す事もなかった。私がクラブの客としていつものように訪ねたら、マスターから「動画をみたよ! 今度ライブをしてくれないか?」と声を掛けられたのだ。
気がつけば私は一人のミュージシャンとしてニューヨークにある人気クラブのステージに立っている。
そう。でも、話を戻そう。私は一応教員を志している学生であった。
何も悩まない訳でない。教師となる事に飽きた訳でも。プロのミュージシャンとしてメジャーと契約できる自信が今ここにある訳でも。
付き合って数カ月になる彼とDMを交わす。
たわいのない話ばかりだけど、彼は私がプロのアーティストになる事を勧めてくる癖が節々にみられる。普段は陰キャと言っていいほど陰キャな彼だが、その時となると「夢をみさせてくれ」とギラギラした連投をしだして期待を寄せる。
「はぁ」
溜息をついて寝床に伏せる。ここのところ、ハードスケジュールでクタクタになって仕方ないが明日も朝が早い。この国の平均睡眠時間は8時間だと言われているけど、私のそれはその半分だ。
『早く楽になればいいのに』
誰?
『自由の国! 万歳!』
夢のなかの私は機関銃を手にして街の広間にいる人々へ発射した。
やめて!!!
「はっ!」
見覚えのない図書館で目を覚ます。手元にはコロンブスの伝記だ。ここで手にした本なのかな? 忙しいから、ここで読むだけ読んで頭のなかに仕舞おうと。あれ? こんな光景をどこかで目にした気がするな。
私はそもそもこの図書館で働く司書らしい。私はコロンブスの伝記を元あった場所に返すとその足で図書館に併設するアトリエに向かった。そこで黒人の壮年男性がアートに励むのを微笑んで見守り、挨拶をする。
『調子はどう?』
『まずまずさ! そっちは順調かい?』
『ええ。来週の金曜日ね。とても素晴らしい1日になると思うわ』
画家の名はアミール。この町でアートグループを結成し、地域コミュニティの絆を深める活動を展開する活動家だ。教育活動にも熱心で青少年の育成サポートにも精をだす。そんな彼がダンスやグラフティなどの芸術を通じたイベント開催をこの夏に計画した。しかし――
『あんな得体のしれない黒人の呼びかける行事だなんて。信じられないわ。悪魔崇拝でも始める気なの? 今すぐ手を引きなさい。ロクなことにならないわよ? 忘れたの? この国もこの町もホワイトなカラーで歴史を紡いできたのよ!!!』
町の盟主として名高い議員の彼女は顔を真っ赤にして言い切った。
私はアミールたちが計画するイベントを町に広めようと必死で頑張ってきたが、頑張れば頑張るほど反発の声も広まった。挙句の果てに私やアミール一家へ殺害予告が届き、イベントの襲撃予告が図書館のポストへ入れこまれる事態も生じた。
『もう、いいよ。君まで危険に晒して申し訳ない……』
『謝らないで! これはあからさまな悪意よ! 負けるワケには!』
『私たちが正義だと言い切れるのか?』
『ええ! そうよ! 何も間違ってなんかない!』
『私も彼女に投票したよ』
『え?』
『私も彼女に投票したさ。それは彼女に賛同しているからではない。誰に入れたって同じことだからさ。私の三軒隣の家に住むお家の息子さんは普通の高校生であるのに警察官に射殺された。薬物の売買に関わっていたなんて疑いをかけられ。パトカーに追いかけられて。本当にそうだったか? そんな筈はない。悪戯さ。彼らのほうが走って逃げる彼に悪口を浴びせながら追いかけていたらしい。勿論、その警官が裁かれる事もない。彼の葬儀の時に私は遺族へ何と言ったと思う?』
『…………………………』
『何も言えなかったのさ』
アミールは目を赤くして涙を零す。
これまで話さなかったが、彼は車椅子で残りの人生を全うするしかない障害者でもある。若い時に白人の男に彼が手掛ける花壇を荒らされた。怒った彼はその白人男と揉みあいの喧嘩になった末に道路へ突き飛ばされ、車に撥ねられてこうなった。
外は雨。それはどうしようもない現実を洗い流してくれるようで。
いや、そうでもないか。また明日はやってくるのだから。
行くあてのない私の視線は真っ白なノートへ向かう。
「はっ!」
私はまたも見覚えのない図書室で目を覚ます。手元にはやっぱりコロンブスの伝記がある。コレは誰にでも分かりやすく読める仕様のだが。私は学校教師になったようだ。この本は誰かに頼まれてこの図書室に返しにきたものだが、つい読んで熱中していたようだ。
クマル・ハーン。
その名前を自然と口からだす。図書カードに彼女の名前が書いてある。とても綺麗な字だ。私がどんなに訓練したってここまで綺麗な字を書けることはないだろう。
私はここ最近になってこの学校へと赴任してきた。早速担任となったクラスでとても優秀な生徒と出会った。それが彼女。クマルだ。でも、私にとって彼女が特別なのは単に彼女が優秀だからじゃない。
『わたし、がんばって先生みたいな先生になりたい!』
これは長い事やってきた教師人生のなかで何より嬉しい言葉だった。
しかし、いくら優秀な彼女でもどうにもならない障壁がある。彼女はこの町のとりわけ貧困地域と名指しされる区域で貧しい家族と住んでいる。その為に学校のリソースが不足しており、大学進学の道はどうにも厳しいものがあった。
私は州の奨学金プログラムや地域の支援団体とのコンタクトを試みるも、この学校自体が政治的な制約を受けている為に進展させようにもさせられなかった。
追い打ちをかけるように思いもよらない事態が発生する。
放課後の教室で大泣きをしている生徒がいた。彼女の横には彼女の友達だけでなく普段絡まない生徒までついていた。
『どうしたの?』
『ケイミーがクマルから酷いことを言われたって』
『え?』
ケイミーはクマルと仲良くしているクマルの数少ない友人だ。クマルとは学においても成績を張り合うライバルである。放課後はバスケットボールの部活でも共に切磋琢磨していると聞く。そのケイミーがクマルからあまりにも酷い扱いを受けたという。
『ミステイクさせた?』
『うん、今回のテストで出題されるところをわざと違うもので教えていたみたい』
ケイミーは泣き止まない。今回のテストとは学校推薦の掛かった学校が主催をするテストでクマルもケイミーもかなり張り切って望んでいた。これまで善き友でありながらもライバルとして研鑽をしていた彼女たちだったが、その学び合いの場で間違った情報をクマルがケイミーに教えていたと言うのだ。
テストの結果が返ってきて、結果にケイミーは愕然とした。僅か1問2点差でクマルがトップの成績を残したのだ。その問いはクマルが何度もケイミーにそうであると教えこんだもののようで――
すぐにクマルを問い詰めたケイミーだったが、クマルはそんなことをした覚えなんてないと言い切ったと言う。
『なんてこと……』
『先生、クマルのやったことは辛辣すぎるよ。停学処分にすべきだ』
ケイミーのボーイフレンドであるダンが強く言い放つ。
私は居ても立っても居られずクマルの家庭訪問をすることにした。家を訪ねて驚いた事があった。彼女の家から両親がいなくなっていたのだ。彼女は高齢者で寝たきりの祖母の面倒をみていた。自分は汗水を垂らしながらも祖母へジュースを飲ませている。でも私が驚いたのはその光景を目にしたからではない。
『ええ。そうよ。騙した。そうするしか学校推薦を勝ち得ないと思ったから』
『あなた……』
『でも、学校推薦はもらえるのでしょう? だったら、もう学校にはいかないわ。行ったってもっとイジめられるだけでしょうし』
『虐められるって?』
『先生が知らないだけよ。教科書にラクガキされて靴に画鋲をしこまれたことだってあった。傷がひどくなってスグに病院にいきたかったけど、そんなおカネすらなかった』
クマルの学校推薦は正直厳しい状況になる。意図的に挑戦者であるケイミーの成績を落とす罠を仕掛けたからだ。それが事実として明るみになったからには。
『どうしてこんな真似を……』
『答えて』
『何を?』
『私は学校推薦を貰えるの?』
彼女は真っすぐな瞳で私に投げかける。
『先生もわたしにイラクへかえれと言うの?』
私はまたも目の前を真っ白な壁に向けるしかなかった。
暑い。
灼熱の太陽は真っ白な壁よりも真っ白で強烈だ。
その炎天下の空の下。機関銃を持った男が広間に現れる。
彼の足元には見慣れたスケートボード。何より彼の顔をみた私は思わずその名を叫ぶ。
『イーサンッ!?』
赤いサングラスをかけた彼は冷酷な目で人々へ向けて機関銃を乱射した。
『どけ! 死ぬぞ!』
私の背後から男の声。
彼のピストルから放たれた弾丸はイーサンの頭に命中した。
『イーサン……どうして……』
私はどうしようもない現実に立ち尽くした。
『おい、お前。何者だ?』
イーサンを射殺した男は銃口を私に向けて尋ねた。
『彼の恋人です……たまたまここに通りかかって』
『そうか。だが傷ひとつ無いのが不思議だな? アンタだけ狙いを外したのか?』
『わからない……でも……』
私はそこでハッと思いだす。
『ここは夢のなかの筈。現実で彼がこんなことをするなんてありえない』
『只者じゃないな。ここがただの空間でない事を知っているのならだが。最も、見た感じ只のビッチにしか見えない俺は俺でつまらない男なのかもしれないが』
彼はまだ拳銃を下ろさない。
『でも、人の心はあるぞ? 痛まない訳じゃないんだ。罪もない奴を殺すなんて時には。悲しみに暮れる奴を殺す事ほど罪を感じる事はない。だが任務は任務だ』
照準は私に向けられたまま。
『アンタを殺すのに無駄玉を使うくらいなら、もう一杯やってくるんだったぜ』
私は両手をあげない。下ろしたままだ。
『ったく、これだからアメリカは嫌いなんだ』
私はゆっくりと彼の方を振り向いた。そして微笑む。ここが夢の中だって言うならば私の言うことはこうだろう。
『ええ。私も大嫌い。でも、だから大好き。この国も。この世界も』
『あばよ。地獄で会おうぜ』
耳を突き破る銃声とともに私の意識は飛んだ――
「はっ!」
目を覚ます。ここは私のお家。見慣れた光景。今日は現場研修があるのだった。でも、だいぶ寝坊したらしい。私は生まれて初めて仮病を使う事にした。
そのまま向かったのはロッキースケートパーク。
彼氏のイーサンが趣味のスケボーでよく遊んでいるところだ。
事前に連絡してないからか、彼は私を見るなり目を丸くして驚いてみせた。
「驚いたよ……今日は現場研修じゃなかったっけ?」
「貴方の方こそ今日は学校じゃなかった?」
「余裕で単位をとっているからね。今日はさぼってもいいかなって。はは……」
「あの、聞きづらいのだけどさ、今困っている事ってない?」
「困っていること?」
「ええ。そういうことを話す事ないなって。私もすごく悩んでいることがあって。お互いこの先を考えるなら、そういう話をしてもいいかな? なんてね」
「…………こんな朝からそういう話をするのはしんどいよ」
「ははは……そうよね。ごめんなさい」
「でも、今晩なら。俺も俺で相談できそうな人がセラだけだからな」
「じゃあ今晩。イディオムでね」
「オーケー。楽しみにしている」
私たちはキスを交わす。そして再びイーサンはスケボーに熱中しだす。
こんな暑い夏だっていうのに彼は汗水垂らしながらも、やりたいことを純粋にやり続けている。その姿は少年のまま大人になった男のそれだ。高いところからジャンプする彼はどこかそんなヒーローを彷彿とさせていた。
その夜にイーサンは胸の内を話してくれた。彼はシングルマザーの家で育った青年だが、働き者である彼のママはその財産をイーサンの学費などにつぎこんでいたらしく。病気を患うも高額な医療費が払えないのだと言う。そんな事情から彼は大学の退学も検討していた。
「大学をやめたら、どうするつもりなの?」
「米軍に入隊しようかなって」
「やめなよ。大学も途中でやめちゃう人が続く訳ないでしょ」
「じゃあ俺がセラに教員の仕事もミュージシャンも向いてないって言ってもイイ訳だね?」
「その話か……」
私は手元にあるサラダを頬張りながらも、こないだ夢から目を覚ましたときの自分を思いだして答えてみせた。
「私はもう決めたわ。私は自由の象徴。そうである道に進むの」
「どういうこと?」
「この国は自由よ。音楽と同じでね。どうなるのか知りたいなら私のインスタをチェックして」
「はは……うまい商売人だな……」
「でも、イーサン。貴方は独りにならならいで。どうしようもない問題も一緒に考えましょう。きっと何とかなるわ」
翌日、私は大学院の教授に自分の決意を表明した。
どういう決断をしたかったって?
ふふ。それは教えられないわ。想像して貰いたいから。
でも、あのときみた夢は地獄のようで天国のようでもあった。
色んな私と出会うことが出来たから。
なんていうサマーバケーション。
私はそこで自分にしか手掛けられない教科書を手掛けた。
私の知らない教科書。
私の知らない教会書。
そういうタイトルでいきたいわね――
∀・)読了ありがとうございます♪♪♪
∀・)アメリカになろう第1号作品として投稿しました♪♪♪
∀・)さてセラはどんな進路を選んだのでしょう?その答えは読者のアナタに委ねます――