物語が始まる前に死んでいるモブに転生しましたが、推しに会う為に頑張って生き残ります!
マノン・シャンパーニュ公爵令嬢は、全てを手にして生まれたといっても過言ではない少女であった。
事実、多くの貴族はそう思っていた。
シャンパーニュ公爵領は、この国の南に大きな領土を持つ裕福な家であった。
祖父は、若い国王を導きこの王国に安寧をもたらせたと評判の敏腕宰相。
現公爵である父親と母親は、誰もが振り返る程の美貌の為、どちらに似てもマノンが美しい少女となることを誰もが疑わない。
父親に至っては、その美貌でさえも彼を語る上での一番ではない程の人格者であった。
この国の権力を持つ祖父、人格者の父、優しい母、そして優秀な兄を持ったマノン。
彼女の前途は洋々に思われた。
「そうよね、私もそう思ったわよ・・・」
私は鏡に映る美しい自分の顔を、ぷにぷにと摘まんだりしながら、盛大なため息をついた。
その悲壮感漂う特大のため息は、十歳児が吐くには重たすぎるが、仕方ない。
豪華な調度品に囲まれた大きな部屋を、私はぐるっと見渡して再度ため息を着いた。
私には日本人として生き、二十六歳で事故に遭い亡くなった記憶がある。
社会人になって四年目、やっと仕事が面白いと思えてきた矢先の事故だった。
歩きスマホをしていた為に、事故に巻き込まれてしまったのだ。
悔やんでも悔やまれない・・・。ただ自分のマナーの悪さが元凶なだけ。車の運転手さん、あなたがもし道路交通法を守っていたのなら、本当にごめんなさい。
私が100%悪いです・・・。
鏡台に頭をゴンゴンと打ち付けて、前世の自分を恨む。
今は一人になりたいと、侍女やメイドを部屋から追い出したため、現在やりたい放題中である。
誰かにこの奇行を見られたら、「姫、ご乱心!」と叫び医師に見られていた事であろう。
だけど許して欲しい。
ついさっき歴史の教科書を見ていた私はここが、自分が死の間際に読んでいたネット小説の中であると気づいたのだ。
それと同時に前世の記憶がぶわっと脳内を駆け巡った。
今まで感じた事の無い感覚が体中を走った高揚感で大興奮した私は、大好きな話に転生出来た事にぬか喜びしたのもつかの間。
大急ぎで鏡の前に行き、自分の姿を改めて見て首を傾げた。見覚えの無いキャラクターなのである。
鏡の中から自分を見つめているのは、二十一世紀の日本ならトップアイドル間違いなしの美少女。
真っ黒な髪は艶々と輝いて真っ直ぐに背中に流れている。
真っ黒なけぶるようなまつ毛から覗く瞳も真っ黒である。
日本人として見慣れた黒髪と、茶色やこげ茶色の瞳がほとんどのアジア人にとって珍しい真っ黒な瞳。
それらは、可憐な美しい少女に幻想的な雰囲気で彩る。
どこぞのモブかと期待したが、自分の名は何度も小説に出てきたのだ。たとえ彼女の容貌が一言も記載されていなくとも。
そして思い出された一文・・・。
≪アンリの婚約者で宰相の孫であるマノンが、学園の階段から落ち命を落としたのだ。
国王が驚き調べさせると、アンリがとある子爵令嬢と仲良くなり、それに嫉妬したマノンが彼女を階段から落とそうとして自分が落ちたのだという。
マノンらしくないと思いつつも、気の強い彼女であればあり得る事かとも思った≫
「・・・・・・・・・・・。
ストーリー始まる前に死んどるやないか~~~~い!!!」
おいおいと、自分を憐れむ様に号泣する私・・・。
このだだっ広い部屋で泣き叫んでも誰にも聞かれない。
その事実がまたちょっぴり寂しい・・・。
ガラガラのおっさんの様な声になってやっと、私は全てを洗い流した様にスッキリとして顔を上げた。
「泣いていてもしょうがないわ。推しに会う為には生き延びなきゃ!」
悩み事を翌日に持ち越さない前世の私と、悩む暇があったら自力で悩みを解決する頭脳とバイタリティーを持ち合わせたマノン。
二人のポジティブマインドが融合して、何だか最強になった様に感じた私は、鼻息を荒く勉強机へと向かった。
まずはストーリーのおさらいと、生き残るための秘策が必要よね!
知っている話に転生=チート
これだけでも、大分違う。
それにマノンは断罪される悪役令嬢じゃない。
ただ悲運な少女なだけなのだ。
私は何だか前途が洋々な気がして、鼻息を荒くノートを開く。そして羽ペンを使って小説の内容を書き出していった。
私が読んだネット小説では、ストーリーが始まるのは今より後の時代。私が生き残った場合の、私の子供達の世代の話だ。
国教である女神教に出て来る天使様と同じ色を持った侯爵令嬢アリスが、侯爵家を継げる様に頑張る過程で、自分の望みの為には人殺しも厭わない悪女である王太子妃を退治していく話。
第一部が終わった後は、アリスの姉であるアデルが、王孫のラファエルと結婚して王太子妃となったから、ややこしいのでここからはただの“悪女”と記載する。
さて、そんな小説に出て来る一人の少年に私は恋をして、推し推しで何度も小説を読んでいたんだけど。
え? 誰かって?
ひみつ~♡
それはさておき、その小説の中で、マノンという少女は生きて出てこない。
彼女は学園の三年生の時に、十八歳で殺されてしまうのだ。
マノンを殺したのは、その小説で出てくる王太子妃であった“悪女”。彼女達が学生の頃、その“悪女”が王太子妃の座が欲しくて、当時王太子の婚約者だったマノンを階段から突き落としてしまうのだ。
憐れなマノンはそのまま打ち所が悪く、即死してしまった。さらに、“悪女”と王太子が恋仲で、嫉妬したマノンが“悪女”を階段から突き落とそうとして、反対に落ちてしまったと誤認されてしまうのだ。
そんな過去があって、十数年後から小説のストーリーは始まっていく。
私、可哀相すぎない~~~!!??
なんで悪い事していないのに、そんな目に合うの!?
でも私はここで、光が射すのを感じた。
だって、普通転生させられる場合って、悪役令嬢になっちゃって、まずは婚約者との関係性から何とかしなければいけないじゃない?
だけど、マノンの場合はそんな事をしなくていいのだ。
だって王太子とマノンは恋人同士なのだから!
つまり、あの事故(事件?)さえ回避できれば、私の生存確率がぐぃ~んっと上がるわけ。
余裕よね???
「そう思っていたのに・・・」
テーブルに肘をついてため息を零す私。
場所は王宮内の広大な庭の一角。
多くの子供達が国王主催のお茶会に参加をしている。私もその一人である。
小説ではさらっとしか書かれていなかったから知らなかったが、盲点だった・・・。
「まさかまだ恋人同士じゃ無いだなんて・・・」
「え? なんて???」
歯噛みをする私の隣で上品にお茶を飲んでいるのは、この国の第一王子であるアンリ殿下。
今日は、彼と彼の弟である第二王子の婚約者候補と側近候補を選ぶお茶会であったのだ。
他の断罪系の小説を読んでいて、勝手に小さい頃に結ばれた婚約だと思っていたけど、本当はこれからだったようで・・・。
私はまだ幼馴染の域を出ていないアンリの横顔を覗き見る。
薄い榛色の髪に、真冬の空の様に薄いブルーの瞳。
そこそこのイケメンなのに、覇気が無いせいでどことなくひ弱に見える。
前世を思い出す前のマノンの感情では、同い年なのに弟枠に入れられている。だけど前世を思い出した私の気持ちのせいで、現在はあまりアンリに友好的な感情は無い。
小説の中で、愛する恋人を殺された彼は、生きる屍の様になった。
その後、悪女の策略により知らぬ間に一夜を共にしてしまい、図らずも後継ぎが出来てしまう。
その後継者が、小説のメインキャラクターの一人として出てくるのだ。ラファエルと名付けられたその子供は、主人公アリスの姉のアデルの婚約者になるのだが。
愛を知らずに育った王孫のラファエルが、それはもう可哀そうで・・・。
母親は母性を持ち合わせていない“悪女”で、父親は彼を存在しないかのように目にも入れない。
アンリの気持ちも、分かるよ。
その悔しい気持ち。悲しい気持ち。
愛する女性を殺したかもしれない女と、夫婦として子供を育てないといけない、やるせない気持ち。
何もかもを捨て去りたいと思っていただろう。
だけど、生まれてきた子供に罪はなくない?
広大な王宮で、孤独に膝を抱えて過ごすラファエルを想像したら、あまりアンリの気持ちだけに寄り添えなかった。
(・・・・・・・いや、ここから恋愛って、・・・無理じゃない?)
私が再度のため息を零すと、アンリが心配そうに声を掛けてくる。
「マノン、調子悪いの? 大丈夫?」
優しい子ではあるのよね・・・。
私は何でも無いと首を軽く振って、アンリに微笑んだ。
少なくない子供達が居る中、何故かこのテーブルには私とアンリしかいない。
何故に・・・???
そしてそのせいで、一人ターゲットとなり女の子に囲まれている第二王子のカール。
そしてそのせいで、テーブルからあぶれてしまい集まっている、側近候補の男の子達。
なんだ、これ・・・。
私が状況を整理していると、一人の猛者が、勇ましく私達のテーブルにやって来た。
鼻息荒く見えるのは、私の妄想だけではあるまい。
「わたくしもお邪魔させてくださいませ!」
そう言って、たった二人ぼっちのお茶会に乱入してきたのは、とある侯爵家の御令嬢。確か私達の一つ上の十一歳だったはず。
私は笑顔で了承を現したが、彼女の視線はテーブルに着いてからアンリだけに向けられている。
人見知りのアンリが一体どんな対応をするのかと、興味を持った私がアンリに視線を向けると、ばちこんと目が合った。
そして私に優しく微笑みかけたアンリは、丸っと彼女を無視して私に茶菓子を進めて来る。
「マノン、このケーキすごくおいしいよ! 食べてみて」
視界の端で、彼女が親の仇を見る目で私を睨んでいる・・・。やめて。
「アンリ」
私の意図を感じ取ったアンリは、私に向けた笑顔の95%を回収した微かな笑顔を彼女に向けて宣った。
「一緒に座るのはいいけど、僕は王太子にならないから、意味ないよ。
王太子妃になりたいなら、カールに選ばれないと無駄だから。
分かったら、僕とマノンの時間を邪魔しないで欲しいな・・・」
すんごい塩対応・・・。
わたし、これカンストしてない???
もう完全に、アンリの恋のバロメーターはギュンギュンに振り切ってるよね???
侯爵令嬢は、ふんっと鼻息を鳴らしてから、結局カール達が居るテーブルへと向かった。
王太子妃狙っとったんかーい!
そこは嘘でも、アンリが好きだからこっちに来た体を貫き通しなよ・・・。
気にした様子もなくアンリが、100%の笑顔に戻って私の方に振り向いた。
このテーブルがガラガラなのは、アンリが普段から王太子にはならないと宣言していたからだ。
勉強は出来るが内向的で人見知りのアンリは、昔から自分は王の気質では無いのだと言って憚らなかった。
外交的で剣の才能がある弟のカールの治世を、裏で支えたいらしい。
だけどふと、先日の父親との会話を思い出した私は呟いた。
「残念だけど、カールを支える道なんて無いよ?
王太子にならないなら、隣国の王配になるんだから」
私の言葉にアンリは、持っていたマドレーヌを口に入れる前に落としてしまった。もったいないよ?
「じゃぁ、王太子にならないのなら、僕はマノンと結婚できないの?」
落ちたマドレーヌを気にする事も無く、アンリは瞳に少し涙を溜めて、悲しそうにテーブルの上にある手元を見つめて呟いた。
自分のほっぺが赤くなるのを感じる・・・。
それから言葉少なくなったアンリだったが、お茶会が終わる頃には決意を秘めた瞳で私を真っ直ぐに見た。
「僕、王太子になるよ。絶対にマノンと結婚したいから」
顔を真っ赤にしてそう宣言したアンリは、私の返事を聞かずに走って行ってしまった。
上に立つ者として、どうかと思う。
この国に生きる民として、愛する女性と結婚する為に王太子になるだなんて、この国の生末が不安でしょうがない。
だけど。
言われた女性の側に立ったら、キュンッとしてしまうのは許して欲しい・・・。
候補たちを厳選した後、審査をパスした女の子達は王宮で王子妃教育を視野に入れた、王宮主催の令嬢教育を受ける為に毎日王宮に通う事となった。
もちろん私も入っている。
教育を受ける為に王宮に来た私は、偶然陛下に会った。
いや、偶然じゃないよね?
ここ、王家の居住区域でも、陛下の執務室や謁見室と、全くもって真逆よね?
しかも陛下の後ろには、デレデレの顔をして私に手を振って来る宰相殿。もとい、おじぃちゃま・・・。
そんな疑わしい感情など胸の奥底に隠して、私は完璧なカーテシーで陛下に挨拶をする。外面がいいのは前世からだから、もう脊髄反射だね。
「マノン、偶然じゃのう!」
まだまだ若いのにおじぃちゃまのせいで老人の様な喋り方が口癖の国王陛下は、アンリとカールと同じ髪色だが、瞳の色は黄金色だ。
この国は、女神様の加護を頂いた青年が、この地に国を作ったと言い伝えられている。
女神様は白金の髪と黄金色の瞳を持っている。そして建国の王は、女神様からその色を頂いたと言われており、王都にある中央教会の天井画には、白金の髪に黄金色の瞳の建国の王が描かれている。
そして、王家に女神様の色を持った子供が生まれると、その時代は実り豊で平和になると言われている。
前国王も、今代のシャルル国王陛下も持って生まれなかった女神様の色。
アンリとカールも違った色を持って生まれた事から、多くの民が残念がったらしい。
しかし数年前、王妃様のお命と引き換えに生まれた末姫様が女神様の色を持って生まれたそうで、その時は国中でお祭り騒ぎとなった。
しかしその末姫様はとてもお体が弱く、ずっと王城の端にある小さくて静かな離宮で過ごされているそうだ。
いつか会ってみたいな、女神様の色を持って生まれた少女。
「ところで、アンリが王太子を目指し始めたんじゃが。マノン、どう思う?」
私が生き残るという部分だけストーリーを変えたいわけだから、小説の通りにアンリが王太子になった方がいいと思う。
だから私は、率直に思っている事を口にした。
「わたくしは、アンリ殿下が王太子に相応しいと思います。カール殿下は確かに武勇に優れております。
しかし戦争が終結して大分経ちますので、強い王のイメージを前面に出す必要はありません。
これからは、国を安定させて内地を潤わせる事が大事だと思います。
それには、アンリ殿下の頭脳は役に立つと思います」
「しかしアンリの引っ込み思案はひどすぎて、国を引っ張るには難しすぎる」
「なら、アンリ殿下の婚約者に引っ張らせればよいではないですか。
陛下の様に一人で国を動かせるのが一番ですが、そう出来ないのであれば、国王と王妃二人でお互いの足りない部分を補って行けば良いと思います」
「そうじゃな、そなたの様な女傑があやつの隣におれば、安泰じゃな」
そう言って、陛下はニマニマしながら顎をスリスリと撫でた。
やっぱりもう、私を王妃認定しておりますね?
あまりストーリーを変えない事を理想に掲げているから、私も王太子の婚約者になることはやぶさかではない。
そうしなければ、私は推しに会い、愛でる事が出来なくなるからだ。
*****
そうして教育を受ける為に王宮に通う日々が続いていたとある日、連日の大雨の中王宮に着いた私に、侍女の一人が近寄って来た。
御者の手を借りて馬車から降りて来た私に、彼女は申し訳無さそうに現状の説明をする。
「休講ですか?」
「はい。南の地域では王都よりも大雨に見舞われているようで、多くの領地で川が氾濫を起こしているそうです。
それによって、現在王宮で貴族会議が開かれております。
普段お嬢様方の講師を務めて頂いております伯爵様も貴族議員のメンバーですので・・・」
それじゃぁ仕方がないな。
私は王宮の図書館には行っても良いかを侍女に確認し、王宮の騎士を手配してもらった。
騎士の先導で図書室に着いた私は、入り口付近に騎士と自分の侍女に待ってもらって、一人で本を探しに行く。
本好きには堪らない、圧倒される程の本の数々。
古い本の匂いを思いっきり鼻から吸って、ワクワクドキドキ今日の獲物を探す旅に出た。
しかし少し奥に入ったところで、思わぬ先客に驚いた私。
「アンリ!」
だけど呼ばれた本人は、私が来る事を想定していたようだった。驚きもせずに私に笑顔を向けてきた。
「マノン、お早う」
「私が来るって思ってたの?」
「うん。だって、いつだって隙あらば王宮の図書館に行こうとするじゃないか」
否定できぬ・・・。
私は唇を突き出して、アンリに行動を読まれた事に不快を露わにしたが、アンリはクスクスと楽しそうに笑っている。
「アンリの王子教育もお休みになったの?」
「うん」
少し俯きがちに返事をしたアンリを不思議に思って見つめたが、ふとある事を思い出した。
「そういやアンリ、前に川の氾濫について、堰き止める事が出来るかもしれないって言ってなかった?」
私が疑問を口にすると、アンリの肩が小さく跳ねた。
「今回の会議で、それを発表してみたら?」
「大人の会議に子供は入れないよ・・・」
アンリはもそもそと、目の前にある本の背表紙を触りながら小さな声で返事をする。目も合わせてこない。
「発表出来る程は調べられて無いの?」
「調べたよ。改善案も出来上がってる」
「なら発表しなよ」
「だから、子供は会議に出席出来ないんだよ」
モジモジと手を動かすアンリにイライラした私は、彼の肩を掴んでこっちを振り向かせると、そのまま本の壁に片手をついてアンリを封じ込める。
壁ドンである。
「王太子になるんでしょ? この王城で、王太子が行けない場所なんて無いよ!」
真っ赤な顔のアンリが、私の一言でハッと息を呑んだ。
「王族に、子供も大人も無いよ! 陛下だって十歳で王太子になってからは、いつも会議には参加していた筈だよ? あと数年もしたら私達は、陛下が即位した年になるんだよ?
王族に大人も子供も関係ない!」
私の強い視線に目を合わせたアンリが、小さく頷くのが見えた。
私は壁ドンしていた手を、アンリの肩に叩くように置く。
「行ってこい!」
「うん!」
アンリは力強く頷いて、走って図書館を出ていった。
その後を、どこに居たのかアンリの侍従が私の前に現れ、恋する乙女の様な目で私を見つめ、そして会釈をしてアンリを追いかけていった。
いや私、初めての壁ドンがする側って、どんだけ~? ・・・ヒロインになりたい。くすん。
*****
今日は講義も休みだからランチも出して貰えないだろうと思った私は、お昼には泣く泣く図書館を後にした。
一冊しか読めなかった。ぶっとい本を選ばなきゃよかった。・・・無念。
馬車に向かって歩みを進めた私に向かって、前方からアンリが走って来る。
「うまくいった?」
「うん! ありがとう、背中を押してくれて」
そう言ってアンリは笑った。
王太子にはならないって決めていたアンリだけど、脳筋で思慮が足りないカールを支える為に、一生懸命勉強していたことを知っている私は、自信があった。
アンリは良い国王になれるって。
だって、アンリはいつだって民の事を考えていたから・・・。
「いつも僕の背中を押してくれるのは、マノンだった・・・」
「え?」
「何でもない。
お昼貰って来たから食べて。そうすれば午後からも図書館で本を読めるでしょ?」
「ありがとう」
「僕は午後からの会議の準備があるから、もう行くね」
アンリはそう言って私にランチの入った籠を手渡すと、手を振って走って行った。
私はその後姿を見送りもせずにくるりと方向転換して、籠を持って図書館の横にある庭園のガゼボに向かう。
振り返った私の視線の先に、ニマニマと笑う私の侍女と王宮の騎士が居たが、丸っと無視をした。
だけど、自分のほっぺが真っ赤なのは無視できなかった。
『いつも僕の背中を押してくれるのは、マノンだった。
だから僕は、君が大好きなんだ・・・』
*****
大雨による災害の対策と、今後の課題の改善を提示したアンリが、多くの貴族達の後押しを得て王太子にと任命された。
そして、陛下の指名で私がアンリの婚約者に選ばれた。
王太子任命式と、婚約の儀式が執り行われたのは、私達が十一歳になった春だった。
いつもよりおめかしをしたお互いの姿にドキドキして、私とアンリは言葉少なく控室でモジモジとしていた。
何だか恥ずかしくって、モソモソしてしまう。なんでだろう。
こんな時こそ、男のアンリにかっこよくエスコートしてもらいたいのに。
実はまだ、今日の正装した姿を褒めて貰えてないんだよね・・・。小説のヒーローなら、絶対にここで綺麗だって言ってくれるよね?
アンリ、そういうとこだぞ!!!
侍従が呼びに来て、王城にある教会の入り口に向かって私達を先導する。
エスコートしてくれるのかと思いきや、いきなりアンリが手を繋いできて私はドキッとした。
少し侍従と離れて、真っ直ぐに前を向いて歩きだしたアンリ。
「皆は、陛下がマノンを王太子妃に選んだと思ってるし、それは事実なんだ」
いきなり目も合わせずに小声で話し出した、少し前を歩くアンリの耳が真っ赤だった。
私は心臓がドキドキと早鐘を打ち始めた事に気付いた。
「陛下は、王太子を決める前から、マノンが王妃に相応しいと考えていた。
だから、僕に言ったんだ」
私の手を、アンリが力強く握った。少し痛いくらいに。
「マノンと結婚したかったら、王太子になるしかないって」
アンリが今日初めて、私と目を合わせた。
「だから、頑張ったよ」
いつの間にか、教会の入り口の前に着いた。私の心臓は痛いくらいに早鐘を打っている。
全然好みじゃなかったのに。
何なら、未来の子供に対する態度で、ちょっと人としてどうなのかと思っていたくらいなのに・・・。
この一年、アンリにドキドキさせられて、自分の顔が真っ赤になっているのを感じてますます恥ずかしさでいっぱいだった。
「大好きだよ、マノン。今日、凄く綺麗だったから、すぐに言えなかったけど。
凄く綺麗で緊張してしまって、控室で言えなかったけど、初めて会った日から、僕はマノンが大好きだよ」
痛いくらい真っ直ぐな気持ちがぶつかってくる。
マノンを殺したかもしれない女との間に生まれた息子を、受け入れられない程に深くマノンを愛していたアンリ。
アンリの手が震えている。
私は、ギュッとアンリの手を握り返した。
「私はまだ、アンリに気持ちを返せる程、アンリが好きだとは言えないけど。だけど。・・・きっと」
私はそれ以上の言葉を伝えられなかった。
この気持ちにはまだ、名前がついていないから。
だけど。
アンリはとっても幸せそうな顔で、笑った。
私のこの気持ちに名前が付くのは、きっと、もうすぐ・・・。
*****
十五歳になった秋、私達は学園に入学した。
アンリは毎日王宮から公爵家のタウンハウスまで、私を迎えに来てくれた。そして一緒に学園に向かった。
私達の関係は、あれから恋人同士にステップアップした。
なのに。
今日もアンリは、馬車の中で横並びに座る所までは勇気を出せるのに、そこから私の手を繋ぐことは出来ずに、手を浮かせたりモジモジしたり。
そして挙句には、座席に置いた手の小指だけを触れさせるという、どこぞの韓国ドラマの様なキュンを急に出して来る。
私もその空気に耐え切れず、背中がムズムズとして、大きな声で叫びながら走り出したい気分になる。
恐るべし、青の春・・・。
やめて、心臓に悪い。これが本当のキュン死に!!!
今日も今日とて、顔をうにょうにょさせながら、アンリとは反対側の窓の外を眺めて学園へと向かった。
そうした、小学生の様な恋愛を続けた私達。
三年生になって私は、“悪女”こと、サタネラ・ルーアン子爵令嬢に近づいた。
この女の恐ろしいところは、色素薄弱症という病気のせいで全体的に色素が薄く、物凄く儚く見えるのだ。
細身で小柄な彼女がしくしく泣くと、誰もが彼女を被害者認定するのだ。
そしてそれを知っている彼女は、何もされていないのに何かをされたかのように怯えてしくしくと泣き出す。それを傍で見ていた頭の悪い男共が、バカな正義を振りかざして、サタネラが敵認定した少女達を攻撃する。
女が一番嫌いなタイプの女なのだ。
私はカフェテリアで彼女を探し出し、何気なく近くを通って敵を観察する。これから退治するには、敵をよく知っていなければね!
だけど、敵を知る前に発見した新事実。
もとい、目を逸らしてきた事実。それは———・・・
私、めっちゃ小っちゃい!!!
マノン殺害事件の時、あの“悪女”が思いっきり階段から突き落としたせいで私は死んだ。
前世の私は、打ち所が悪かったんだな~、ぐらいしか思ってなかったけど。
ずっと目を逸らしてきたの。これから成長するって言い続けて5年・・・。
マノン、きっと150㎝ないの・・・。小っちゃいの。細いの。ミニモニに入れるの・・・。
あの“悪女”が細くて小さく見えても、横に並んだら私の方が断然小さかった!!!
あかん・・・。突き落とされたら、すぐ死んでまう・・・。
めっちゃバイタリティに溢れてて、毛穴を含めて体中の穴という穴から活力を垂れ流す私は、アンリを顎で使って馬車馬の様に働かせる姿から、王宮で女帝と呼ばれている。
だけど、儚げな“悪女”よりも小さくて細い私では、太刀打ちできないよ・・・。
絶望に打ちひしがれた私は、心配するアンリを突き放して、保健室のベッドで子供の時の様においおいと泣いた。声が枯れておっさんの様な声になるまで。
そうして、泣いて全てを流し切った私は、アンリに何も言わずに王家の馬車を勝手に使って、そのまま早退した。
もちろん行き先は、公爵家ではなく王宮である。
勝ち目が無いなら権力を使えばいいのよ。
自力でざまぁ出来ないなら、権力者にざまぁして貰えばいいのよ。
私はそのまま顔パスで陛下の執務室まで行き、ヤバい女が居るから、王家の影を付けて欲しいと陛下にお願いをした。
びっくりしていた陛下とおじいちゃまだったけど、ヤバい女に階段から突き落とされそうになった(まだだけど)と言ったら、すぐに影を付けてくれると約束してくれた。
騎士もつけると言われたけど、そのせいで“悪女”が動いてこなかったら困るので、それは断った。
分かっている話の中で片づけてしまわないと、“悪女”の行動が読めないからね。
それに子供世代に負の遺産を残さないように、私がけっちょんけっチョンにやっつけてやらねば、ね!
鼻息を荒く王城の回路を歩いていると、前から小走りのアンリがやって来た。
忘れとった・・・。馬車使ってしまったのに、どうやって帰ってきたん・・・?
「マノン、大丈夫!?」
心配するアンリを突き放して保健室に行って、そのまま何も言わずに勝手に馬車を使って早退した私を、まだ心配してオロオロするアンリを見て、私は涙が滲むのを感じた。
大好きだなって、改めて思ったよ。
「大丈夫。ごめんね、勝手に馬車を使ってしまって。邸に戻りたいから、送ってくれる?」
私はそう言って、アンリと手を繋いで馬車止めまで歩いて行った。
本当に大丈夫かと、何度も聞く情けない声が、繋ぐ手の温かさが、私に“生”を感じさせたんだよ。
生き残って、彼と二人で私の推しを愛でたいって、私は前世を思い出してから初めて、思った。
帰りの馬車で、陛下に影を付けてもらう約束をした事を、アンリに話した。
陛下についた嘘と同じ事をアンリに行って、サタネラ・ルーアン子爵令嬢のヤバさを伝える。
憤ってくれるアンリにキュンキュンした私は、横に座るアンリの手をギュッと握った。
「明日から影が付くという事は、今日中にやる事はやらないといけないのよ」
キリリと男前な顔をした私の視線の先に、キョトンとした顔のアンリが顔を傾げる。あざといかよ!
今までアンリに合わせて青の春を過ごしていた私だけど、前世は彼氏持ちの二十六歳の女である。
私は何もわかっていない表情のアンリの顎を掴むと、そのチェリーの様な初々しい唇を奪ったのだった。
*****
そうして影を付けてもらった私は、特に何もしなかった。
だから“悪女”が小説の通りに動き始め、私に接触して来た時も、小説の通りに行動した。
王太子妃の座が欲しいサタネラは、自分に傾倒している男子を使って、自分と王太子が恋人同士だと思い込むように誘導していく。
しかし私には、自分と王太子が恋人同士であるという噂が流れているので、皆の前で違うと言って欲しいと相談を持ちかけてきた。
全てが小説で語られていた通りである。
そして決戦の日、横目に大きな階段が下へと広がる舞台に呼び出された私。
王宮から派遣された騎士を隠れた場所にスタンバイさせて、過去最高の数の影を付けてもらった。
恐怖が無いと言えば嘘になる。落とされると分っていて、小説と同じ行動をとるのは恐ろしいものだ。一歩間違えれば、落ちて死んでしまうかもしれないのだから。
だけどアンリと推しの為に、マノンは頑張るのだ!
悪女がギャラリーから見えない様に私を階段下へと押した時、私は影から私を救うために飛び出したのが、配置した騎士ではなくアンリだと直ぐに気づいた。
どんくさくて運動神経が無い癖に。
尊い身なのに。
泣き出しそうな顔で。必死の形相で。
落ちそうな私に必死に腕を伸ばすアンリの顔が、涙の膜で滲んで見えなくなった。
******
王太子の婚約者で公爵令嬢の私に対する殺人未遂で、ルーアン家は取り潰しとなった。
サタネラは規律の厳しい修道院に、一生閉じ込められる事が決まった。平民として。
無事に卒業した私とアンリは、一年後に結婚をした。
そして結婚して半年後に、私の妊娠が発覚した。
九ヶ月間、アンリの情緒が不安定でびっくりした。
母親が妹の出産時に亡くなっていることから、出産に対する恐怖心がすごかった。そこは愛していてもちょっとドン引きしてしまうくらいに。
だけど、申し訳ないけど、私にはこれから大仕事が待っているから、アンリだけには集中できないのだ、マジでごめん。
そして。
八時間の死闘の末、息も絶え絶えの私の元に、柔らかいタオルに包まれた我が子がやって来た。
生れたてで、さっとお湯にくぐられただけの赤ちゃんは、お猿の顔をしているから、よく観察した。
この子は違うのだ。
母親が違うのだから。
もうこの世界に、私の推しが生れてくる事は無い・・・。
だけど・・・。
まつ毛が白金色だから・・・。
私は涙のせいでよく見えなかったから、何度も目をこすって必死に観察をする。
我が子は、顔の上に落ちてきた雫に驚いたのか、目を瞑って泣いていたのに、急に少しだけ瞼を上げた。
そこから覗くのは、確かに女神様と同じ———・・・
「ラファエル・・・。
私が、愛してあげますからね。
あなたが愛を見失う事が無いように。
この王宮で、寂しさに涙を零す事が無いように。
お母様が、いっぱいいーっぱい、愛してあげますからね」
私は号泣しながら、推しを抱き締めた。
マノンが三年から動き始めたのは、物語を大きく変えない為です。
二年の時にサタネラの魔の手にかかった良い子のサタネラちゃんは、隣国で幸せになったので手出ししませんでした。
そして、アンリの二人目の婚約者となったセリアは、早々と未来の王太子妃の側近候補として側に置いて、サタネラちゃんがお世話になった病院に視察に行かせました。
そこで医院長の息子と恋に落ちたので、毒親から離れられるようにあの手この手で二人をくっつけました。
その後も話を大きく変えない様に、だけど皆が幸せになれる道を作っていった筈です。
ラファエルがアデルに意地悪をしたら、頭をぶっ叩いて怒ったでしょうねw
だけどその分、多くの愛を注いだでしょう。アンリと一緒に。
面白いと思ってくださった方、【スーパーハニーになりたくて。】も読んでくださったら嬉しいです^^
あと、けっちょんけっチョンの最後のチョンがカタカナなのは、わざとです。
誤字報告をくださった方、ありがとうございます。
アデルの啖呵の切り方が下手なのを、言葉で表してみました。
つまり女傑のマノンも、啖呵を切るのは下手だって事ですね~