09 すいません。ここはラブホテルじゃあないんで
夕方の巡回で、いつもより頻繁に声を掛けられる。
「若親分安心してください! あいつらにスキなんざ見せません!」
「いざというときには、閣下をお守りしますぜ!」
「あいつらが買収して歌わせようとしてきたら、逆にそれで弱みを握ってやりますよ!」
「みな若おやびんの味方ですから! 大船に乗った気でいてくださいな!」
そのたびに、オレはあいまいな笑いを浮かべて。
「皆のことを頼りにしてるよ」
くらいしか答えようがない。
オレはいつものように随行してくれているバルガスに訊いた。
「何か触れて回ったの? 筋書きはセンセイあたりが?」
バルガスはニヤリと笑い。
「査察官が急にやって来たら、誰でもああ思いますぜ」
それはそうなんだが……。
「まぁちょっとは漏らしましたがね。ですがね、若親分。あんたの人徳がなかったらこううまくはいかなかったよ」
「人徳っ!? 誰のっ!?」
「こんなこたぁ珍しいんですぜ。貴族あがりのパッと出の親分を、しかもたった2年、それをゴロツキどもが揃って守ってやんなきゃなんて気になるのは」
ゴロツキじゃなくて兵な。
人徳? ははは、御冗談でしょう。
オレは仕事をしていただけで、特別なことはしていないんだけどなぁ……。
「人徳……どこに?」
「飯がうまくて、仕事もきっちり休みがあって体を壊さねぇで済む。給料をきちっと払ってくれる。規定外の仕事をすりゃ、ちゃんと手当が出る。しかも、よく出来りゃ褒め、できなくっても、くささねぇ。こんな出来たカタは、滅多にいねぇもんですぜ」
「そんなもんかね……」
おかしい。世の中おかしい。
職場の環境を整えるのも、給料を払うのも、当然のことだろ。
上前をはねたり横領したら、それは不正だし。
確かに、そういうのをうまくやっている奴らがたくさんいるのは知っている。
『高い城』の前任者達は、そういうのばっかりだったぽいしね。
だが、オレに言わせれば、そういうことをするのにも、また才能がいる。
中途半端にそっち方面を真似したらどうなることやら。
そっちの才能もないオレは、後ろから刺されるか、お縄になるかという未来しか見えない。
非才の身なんで、やるべきことをやるくらいしか出来ないってだけなんだが……。
夕食が終わり、もう少しで『高い城』の風呂タイムという頃合いで、デブが押しかけて来た。
「アレの部屋の鍵を渡してこちらへもらおう」
「アレとは何でしょうか?」
前回と同じく、後ろに並んでいる1号・2号・3号は、オレの後ろにいるバルガスにびびっている。
「アレはアレだ! あのブスだ!」
マリーは美人よりの凡庸だ。少なくともブスではないから。
いや、そうじゃない。
2年前よりもきれいになった。
「ブスとは誰のことでしょうか? 一応オレは300人以上の人間を管理しているので、名前を言っていただかないと……」
丁寧に訊き返すと、
デブは、唸って、少しだけ考えてから、
「ええと、それは、アレだ、だから、あのブスだ! 名前は、アレ、リでもルでもない、ラだ! ララララ、そうだライト子爵家! ライト子爵家のブスだ!」
マリールーという名前が出てこないのか。
彼女どう扱われているのかが判るというものだ。
「なぜです?」
「我は査察団の団長だ。その団員を把握するのは当然ではないか! そもそもアレを一人だけ別室にするとはどういうつもりだ! 我の秘書は、我の部屋にいるべきであろうがっ!」
「……子爵令嬢は室長殿の奥方か何かで?」
「そんなわけないだろう! あんな子爵家の娘ふぜいが!」
「では、室長殿に同行している査察官3名のうちの誰かの奥方か婚約者なのでしょうか?」
「はっ。そんなわけないだろう! あんな子爵家の娘、家格がつりあわん!」
「では、どなたかの恋人であると?」
「そういうわけではない! 我を差し置いて、こいつらが手をだすわけがないだろう!」
あ、そうなんだ。
オレは、ひどくホッとしていた。
こいつ、室長の権力を笠に着てマリーをさんざん弄んでいるが、まだ、そこどまりらしい。
そこで、この査察に同道させ。
立場の弱いオレに黙認(あるいは協力)させて、力づくでヤッてしまうつもりだったのだろう。
しかも、筋肉3名の力まで使ってとはね。
卑劣で外道ですね。
「ならば結婚もしていない男女を、同室させるわけにはいきませんね」
間違っていないよなオレ。
『高い城』は、 近頃、王都に出現しているとかいう『ラブホテル』じゃないんで。
しゃれた言葉で言ってるけど、あれって単なる『連れ込み宿』だよね。
「貴様! 我はアブレイン侯爵家の者だぞ! 貴様のような木っ端男爵家の人間に、とやかく言われる筋合いはないのだ!」
侯爵家の者か。うん。微妙な言い方だね。
センセイに訊いたところでは、デブは後継者ではないらしい。三男。
「ここの責任者はオレです。なので、兵たちの誤解を招くようなことはできんのです。室長殿と女を同室にしたら、女に飢えた兵らがどんな想像をするか、判りますよね?」
「いやしい兵隊どもが何を考えるかなど、我にはどうでもいいのだ!」
「責任者なので、そういうわけにはいかんのですよ。女に飢えた兵どもが刺激的な想像で頭をいっぱいにした余り、女査察官どのに狼藉に及んだりしたら、オレの責任になってしまいますし」
一瞬。デブが、「あ」という顔をした。
その手があった、とか思ったろう!
「そうか! 貴様、我のかよわい部下をひとりにして、こっそり手籠めにでもするつもりであろう! それは好都――おほん、なんと悪辣な!」
判りやすいなぁこの人。
こんなに単純で、物事を隠す才能がないのに、不正とかに手を染めてて大丈夫なのか?
もっと悪くて賢い奴らに、サクッと切り捨てられるタイプだぞ。
「……ですから。夫婦でもない男女を同室にしたら、後からオレが管理責任を問われるのですよ。今、まさに査察を受けているオレが、そんなことを認められるわけがないでしょう」
「我は貴様と違って、そんな不埒なことは考えておらん! 鍵を預かるだけだ!」
「先程の理由で、彼女を貴方方と同室にさせるわけにはいかんのです。となれば個室しかないというわけです。判ってください」
うん。オレの言ってることはどこも間違っていない。
さっきちゃんと確認したから、この4人のうちの誰かの奥方あるいは婚約者、恋人とは言えないだろう。
今夜あたり無理やり襲って愛人にするつもりだ! とかも言えないですよねー。
さて、どう出るかな?
「ぐっ……そうだ! そういうことかっ! あの女が自由に部屋を使えたら男を引っ張り込むぞ! かえって風紀が乱れてしまうぞ! だからこそ我らが管理してやらねばならんのだ! うん、名案」
うわ。今、思いついた、とバレバレのウソを!
「それならば、兵どもではなくて、貴方方が引っ張り込まれるのでは? というか既にそういう被害を受けていらっしゃるので?」
オレは、ああなるほど、という風に続けた。
「ああ……まさか。もうすでに室長殿や部下の方々は、あの女の毒牙にかかっていると? それは……また……」
気の毒そうな目で見てやると。
「し、失敬な! 我らは、そんな安っぽい欲望には屈しない! 日頃からあの女の淫らな振る舞いに耐えているのだからな!」
昔からおっぱいを追いかけている男が言うセリフとは思えないですよ。
「ふむ。ご立派ですね」
「部下どもも、あの破廉恥な姿を見せつけられて、それでも尊き血を持つ貴族である我らだからこそ耐えられるのだ! いやしい貴様の部下どもにはとて――」
「そこまでフシダラな行状が判明しているのでしたら、彼女を辞めさせるべきでしたね。そんな問題行動を把握していながら。なぜいやしい欲望うずまくここへ連れてきたのですか?」
と、『これって純粋な疑問なんですが?』という体で訊いてやる。
「あ、そ、それはだな……」
「室長殿は聡明でいらっしゃる。当然、ここにそんな危険物を連れてきたら、何が起きるか判っていらっしゃいましたよね?」
「も、もちろんだ! 聡明な我は当然判っていたのだ!」
こういうプライドだけは高い人って、『あなたは聡明ですね』って言われたら、『いやオレはバカだ』って言えないよな。
「だとすれば、この関所へ意図して多大な害悪を与えようとした……と考えるしかないのですが」
「な、なにを言い出すんだなにを! とんだ言いがかりだ!」
「いえ、もちろん、そんな意図がないのは判っておりますが……だとしたら、なぜ同道を?」
「あっ。あれは、その、あれだ! あんなフシダラブスでも、我のかわいい部下だからだ! 預かったお嬢さんを簡単には見捨てられないのだ! だから仕事上でチャンスを与えようと!」
「室長殿はお優しい方でいらっしゃる。不品行な部下でも情で切れないということですか! 上司たるものそうであるべきですね!」
一転して褒めてやると、デブは鼻をひくつかせ
「そうであろうそうであろう!」
「ですが、そろそろ手に負えなくなってきているのでは? なんせ、この関のむさくるしい男どもすら誘惑するほどに見境なくなっているのですから。これは由々しき事態です。関所の秩序が崩壊し、国の守りがおろそかになりかねません。なんという危機!」
「そ……そこまで大げさでは」
「温情溢れる室長殿が忍びないとおっしゃるならば、このオレがあの女を告発しましょう。そうすれば査察のメスが入り、あの女の行状は暴かれ、室長殿の手をわずらわせるまでもなく、辞めさせられるでしょう」
「い、いや待て! それはまずい!」
デブはオレを見た。
その目には軽い恐れがあった。
思い出したのだろう。オレがなんでも書類にして報告する男だと。
査察のメスを入れられたら、やばい類のこと、いっぱいしてるんだろうなぁ。
この歳になって、実家にすがってもみ消してもらうのも、やりにくかろうもん。
オレはあくまで親切を装って。
「握りつぶされないように、何か所にも報告をあげるのでご安心を。室長殿の監督責任に関しては心配無用です。全てあの女が悪いのです。悪いのは閣下の温情を理解せず増長しているあの女です」
ごめんなマリー。全然そんなこと思ってないから。
「そ、そうだ! わわ我らは被害者! あいつが全部悪いんだあいつが! 我は悪くない! あんな顔のくせに妙に強情なあいつが! そのくせ立派なおっぱいやでかいケツで我や部下達を誘惑しおって! あのふしだらが歩いているような女が!」
不意に思い出した。
遥か昔(といっても二年前だが)
オレの奥方だった女が、婚約相手から責められていた光景を。
あの時も、世界中のことはみんな、彼女が悪いみたいに言われてたよな。
オレは一転して、やさしい声で。
「判ります判りますとも。そのような女が部下に配属されてしまった不運。オレも司令とはいえ、部下を選べたわけではありませんからね。お互い苦労します。室長殿は何も悪くありません」
「おお。判ってくれるのか!」
ちょろいなこのデブ。他人事ながら心配になるレベルのちょろさだ。
悪いことをするのは辞めた方がいいと思うよ。マジで。
後ろの3人は、そこまでバカではないらしく、モノ言いたげだが……。
デブには逆らえないだろう。
「ご安心ください。これ以降、あのフシダラな毒婦は、室長殿や査察官方の側に、絶対に近づけませんから」
「え゛ な、は?」
うん。おもろい顔だ。
「あの女は一室に閉じ込め厳重に監視しておきましょう。室長殿と査察官方は、心置きなく仕事に励んでください。こちらとしては一刻も早く、根も葉もない言いがかりから解放されたいので」
デブは、顔を赤くしたり蒼くしたりして、懸命に言葉を探しているらしいが。
マリーを誰の奥方でも婚約者でも恋人でもないと言ったのも。
淫乱で、風紀を乱すと言ったのも。
この人自身だからなぁ。
オレは机から、書類用の用紙を取り出すと、さらさらと文章を書きあげる。
こういう仕事は得意だ。創造性のかけらもないからね。
即席で作った4枚の同内容の書類を、デブへ突き付けた。
「では、この合意書にサインを。1枚はオレが、1枚は室長殿が、2枚は王都へ送付します」
オレは、にっこりと笑った。
いい仕事だ。