06 2年の月日が流れ去り 国を出るハメになりそうです。
その日は朝から『高い城』を巡回していた。
どんなに忙しくても、週に一度は見回ると決めていたからだ。。
ミリオン側から勤務先である『高い城』を見上げた。
山肌を覆って連なる分厚い城塞は、さすがは『高い城』と言われるだけはあった。
隣国ミリオンから続く街道は、『高い城』がある峠を通って王都へと続いている。
つらなる山々に食い込む形で峠の街道は続き、『高い城』の門に至るのだ。
門へ続く道の左右には山肌が迫っている。
『高い城』の城壁は、山肌と山肌の間に、街道を遮る形で聳え立ち、道を通ってくる敵を満遍なく射界に収めるようになっているのだ。
城塞が位置するのは峠で一番の高所。
弓矢が届く範囲内で、ここより高い場所はない。
昔の人は、よくもまぁ膨大な石材をふもとの石切り場からここまで運んだものだ。えらい!
城壁は全体として、ミリオン側へ開いたVの形で作られ、左右にも巨大かつ頑丈な塔が建てられている。
塔は城門脇、中間部、左右の端と、計6つ。
塔は入り口を閉鎖すれば、内部へ立てこもれる構造になっている。小要塞でもあるのだ。
それらを繋ぐ城壁にも、射出兵器の投射孔が多数設けられている。
更に、もっと低い位置(といっても、人の背丈の3倍はある位置だが)にも、胸壁が作られている。ここにも、射手を配置できるのだ。
つまり、単なるVではなく。Vの内側に更にV字型の城壁が設置されているのだ。
ミリオン側から攻め込んできた敵が、城門にたどり着くには、左右の構造物からの射撃に身を晒し続けなければならない。
巨獣の顎の中に入っていくような恐怖を味わうことになる。
展開するスペースもなく、遮るものもない場所で一方的に浴びせられる矢や熱湯や火や巨石の雨。
それは文字通り死の嵐だったろう。
凄かったろうなー。怖かったろうなー。確かに越えられない『高い城』ってだけはある。
300年前にならな!
兵数500、いや実数は300ではそんなのムリ!
いくら多数の射出孔 があっても、そこに配置できる軍勢がない。
この兵数ではせいぜい、死の嵐ではなく、ウチワであおいだ風程度だろう。
そのうえ、城壁は、かなりくたびれあちこち崩落さえしており、大工のゲンバの見立てでは、上に兵を配置した途端がらがらと崩れるという保証付きの場所だらけだ。
正直なところ、現在の『高い城』は、張り子の虎ならぬ張り子の城である。
オレは、元ドロボウのサンジに訊く。
「これを攻撃するとして……上るとしたらどこから登る?」
サンジは、値踏みする目でしばらく城壁を眺めていたが、
「ここからここへ、あっちからあそこへ、あそこも、わっしならなんとか、それから」
オレは、サンジが次々と示す場所と、手元の図面を見比べる。
あげられる箇所はみな、作戦計画に載せた地図に記入してある場所だ。問題ない。
「この前、わっしが言ったとこの半分も直ってませんぜ」
「予算がね。他の場所は?」
「無理ですが」
「ならいいんだ」
「登れるのにいいんですかい?」
「てめぇはわかってねぇな。若親分にはちゃーんと考えがありなさるのさ!」
こいつは元ゴロツキのバルゴフ。
オレより頭3つばかりでかい体、分厚い胸板、立派なひげ、つるつるに剃った頭。顔に走るデカイ傷。
正直に言えば近づきたくないタイプなのだが……2年の間に、なぜかすっかり懐かれて、今やオレの副官のようなことをしてくれている。
怖い顔には慣れたが、若親分というのはやめてほしい。
「そうなんですか。ですが、若おやびん。どこも登れない方がいいと思いますいぜ」
バルゴフのせいで、サンジも、他の奴らもみんなオレを若親分と呼ぶ。
「いや、これでいい。戦闘時の作戦計画に属することなのでここで説明はできないけどね」
完璧に修理する予算はないし、予算があったとしても兵力がない。
それでも、出来る範囲で最善は尽くしてある。
「がはは。いざとなりゃ、若親分の悪知恵が見られるってわけだ! 見てぇな」
「来ないと思うけど」
自主練している兵隊さん達を見たり、麓の農家が届けてくれた(もちろん対価は払ってますよ!)野菜や肉を検分していたら、たちまち昼になってしまう。
ようやく遅い朝食を済ませ、司令官室に落ち着いて、書類仕事に取り掛かろうとしたところで、センセイがやってきて、
「司令官閣下。閣下あてに手紙がありましたよ」
ひょろりと背が高く、髪も髭も真っ白な老人だ。
この人が、かつては王都で有名だった小説家だっていうが……自称だからな。
だが、学があるのは間違いないので、文字が読めない兵隊さんたちに読み書きを教えてもらっている。こうして秘書的なこともしてもらっている。
見ると、差出人の名前には見覚えがある。
「……あー。初めて向こうから来たか」
書類上の奥方からだ。
あの初夜以降話してもいないので、どんな顔だったかも覚えていない。
覚えているのは、がりがりに痩せていたこととだけだ。
封を慎重に切ると、中に入っていたのは『白い結婚』を理由とした離縁状だった。
つまり、ここへ来る前に奥方と契約した通り、2年の月日が経過して『白い結婚』が成立する条件が整った、というわけだ。
2年かぁ。2年経っちゃったか……。
「私信もなしとは、簡潔ですな」
「オレも今の今まで忘れていたから、お互い様だ」
早いね。時の経つのは早すぎる! これじゃあいつのまにかジジイになってるだろう。
赴任した当初はそれなりに覚えていたけどさ。
いつのまにか、それもたまーに思い出すだけになって。
そのうち、ないがしろにしてませんでした、というアリバイのために手紙を書く時だけになって。
ああ。誕生日と結婚記念日にプレゼントを贈る時も思い出したな。
カレンダーにあらかじめ印をつけとかなかったら、完全に忘却の彼方だったよ。
奥方からの便りは、この離婚届が最初で最後になりそうだ。
「私が彼女を小説のヒロインにしたのなら、最低でも月一で閣下に手紙を書かせますがね。
それでないと『顧みられない気の毒な奥方』という描写にやや説得力が」
「……事実、顧みてないからね。それに忙しいんだろう」
向こうのサインが入っているのを確認、なんの感慨もわかずにサインを入れた。
これで書類は完成。
王都へ送り、受け取った奥方が役所へ出せば、長くても一か月で離縁となる。
「これ、今日の連絡便と一緒に速便でよろしく。私信なんでこれ代金」
「こういうのはさっさと済ませた方がいいですからな」
センセイが王都への報告と一緒に手紙をもって出ていくと、オレは溜息をついた。
感慨がなかったと言ったが、正確にはちょっとあった。
それはあの女(頭くるぱーは失礼だよな)と終わりということにじゃない。そもそも始まってすらいないからな。
『白い結婚』による離縁が成立すると、オレがこの国を出ていくしかなくなるってことにだ。
だって当然だろ。
今の職場も、そして形ばかりとはいえ男爵の位も、この奥方と結婚させられたから貰ったわけで。
その条件が消滅するのだから、十中八九、この職場も爵位も取り上げられるだろう。
そうなれば、この国での再就職は困難だ。
『白い結婚』による離婚が成立したってことは。
常識的に考えれば、不能か、よほど不誠実か、不名誉な離婚理由を受け入れる弱みがあるかだ。
そんな疑惑が濃厚な男を、わざわざ雇うってとこはないよなぁ。
身に着けている事務能力を生かすには(それしか出来ないからなぁ)、別の国に行くしかない。
『どぶろく亭』なら皿洗いとして雇ってくれるかもしらんが……もう学園生じゃないからなぁ。
まったく。なんてこったい。
祖国から出ていくハメになるとは、結婚するまで思わなかったよ。
頭くるぱー、おほん元奥方は、いいよなまったく。
ニコライだかとうまくいっていれば、あいつは得るものはあっても失うものはなく。
オレは職も失い国も失うのだ。
……なんかちょっとムカムカしてきた。
まぁ覚悟していたし、いまさら話がちがうとかもないし。
あんな言葉のパンチをくらわしてきた相手と関係を作っていくとかもありえなかったんで。
このムカムカは、誰にも向けようがないわけだけどね。
悲劇のヒロイン様は、オレが国を出るしかない状態になるなんて、考えてもいないんだろうな。
いや、逆によーくお判りになってて、あのアホボンボンと結託していた(冤罪だけどね)カスが消えて清々するとか思っていたりして。
まぁ、愚痴ってもしゃーない。自分で選んだ道だからな。
最初から身辺整理をするほどの私物も持たないようにしていたので、いつも通り過ごし続けていたら。
4日後に『白い結婚』を理由とした離縁が認められたという書類が来た。
2年前に、万事準備していたとはいえ。予想より早い。
もしかしたら奥方、いや元奥方が手を回したのだろうか。
だとしたら本人が言ってた自分の才覚か、それとも頼りになる協力者でもいるのか。
まぁ、オレにはもう関係ないけど。
ついでに、『高い城』の司令官を解任するという命令書も着ましたよ。
正式に解任される期日は一週間後だってさ。
そんなのを待たずに、今すぐにでもこっちから辞めたっていいんけど。
仕事だから、任期をつとめあげるまで続けるか、と思ってしまうのが我ながら損な性格だよなぁ。
とか思っていたら次の日。
王都から招かれざるお客たちがやってきちゃいましたよ。