54 オレ達は本を読まない。
「ううっ……うぉぉぉぉぉな、なんだこれはぁぁぁあうあうあう」
目が覚めた途端、頭が痛い!
「飲みすぎ。差し出された杯、全部受けることないんだって。はい。お水」
オレはグワングワンする頭を抱えながら、差し出された水を飲んだ。
ベッドサイドの椅子に座ったマリーはケロッとしていた。
服装は昨夜のままではなくて、楽そうな私服に着替えていた。
あれ? 珍しくスカート履いてる。
「ううっ……おはよう……ここは……?」
「大丈夫。ちゃんと宿へ戻ってる」
周りを見渡すと、確かに、泊っている宿の部屋だった。
ホッとした。
かなり飲んだ気がするが、なんとか帰りつけたらしい。
「バルガスさんとあと3人くらいの人が、ヒースをかついで運んでくれたからね」
大丈夫じゃなかった!
頭がもっと痛くなった。
あそこからここまでって、大通りとか通るよね……少なくとも飲み屋街はその恰好で……。
ものすごく恥ずかしい。
「起き上がれる?」
「今……時刻は……?」
明るい事はわかる。朝だよな。朝であってくれ!
「お昼をすぎたくらい、かな? さっき正午の鐘がなってた」
「……ごめん」
今日は、マリーと王都を回るつもりだったのに……。
「いいっていいって。デートは、また出来るから」
「で、でーと!?」
「好き合ってる同士が、一緒にあちこち回るんだから、デートでしょ?」
で、デートだったのか!
オレ達、ベローナ侯爵領をあちこち回ったけど、それは仕事だったし。
学園生の時代にも、よく一緒に行動したけど、その時は同志で友達だったし。
とっ、ということは、は、初デートだったんじゃん!
それなのに、呑まされすぎてぶっ倒れてるオレって……。
「あ。夫婦になっちゃってるからもうデートって言わないか」
「そんなことないっ! 今からでもっ! あ、あうううううう」
頭が頭が! 割れるように痛いっ。
「無理しなくていいって。明日でもいいし。さっき宿の人に聞いたら、ベローナ侯爵から一か月滞在できるだけ前払いされてるって」
「ええっ!? 書類を王宮に届けるだけの仕事にそんな!」
「新婚旅行しろってことでしょ。いい雇用主だよね。こうでもされないと、あんた休まないから」
いいのだろうか。
だからといって、二日酔いで、侯爵の使いとしては、だらしなさすぎるのでは!?
だけど、マリーは平然としていた。
罪の意識なんかかけらもないようだ。
「だから、明日でも明後日でも、しあさってでもいいし、何度しても大丈夫」
……きっと、オレの方がおかしいのだろう。
だって、マリーがこんなにも平然として、休暇を受け入れているんだから。
「そうか……そうだな……そうしよう……」
オレは、起き上がろうとする無駄な努力をやめて、ベッドにもぐりこんだ。
「着替えるくらいはする? その前にお風呂入る?」
「……マリーにそんな迷惑かけられないよ」
オレが入る時はマリーが、マリーが入る時はオレが沸かすのだ。
「いやいや、あたしの旦那様。ここは宿で、しかも高いんだから、お風呂は沸かしてもらえるよ」
「あ、そ、そうか……」
「あそこにベルのついたヒモがあるでしょ? あれを引っ張ると、ボーイさんがやってきて、あたしたちの注文を聞いてくれるってわけ」
「な、なんと!」
ここは高級な宿だった。
高級っていうのは、高級ってことなんだな……。慣れない。
自分でも何を言ってるかわかんなくなってる。
「ついでに言っておくけど、いつもだって迷惑とは思ってないから。もしかして、自分が沸かす時は、面倒だとか思ってた?」
「そんなこと思ったことない」
「なら同じでしょ」
マリーと話しているうちに、少し頭痛も収まってきて。
「顔色よくなってきたね。食事どうする?」
「……ここって食事も部屋まで届けてくれる、とか……まさか、そこまでは」
流石に食堂に行かないと、食事はないよな。
「運んでくれるよ。それも料金のうちだから」
「!」
なんて贅沢なんだ! 人間が堕落してしまう! 失業しちゃうよ!
「あーた、この程度で堕落するなら、『高い城』で堕落してるでしょ。あそこは汚職し放題だったんだから」
「……そういえばそうか」
「大丈夫。ヒースが堕落したら、一緒に堕落してあげるから」
「……そこは止めてよね」
着替えさせてもらって、宿のボーイを呼んでお風呂を用意してもらって、食事を二人分運んできてもらうように頼む。
お風呂に入って私服に着替えると、頭痛は去っていた。
そんな絶妙のタイミングで食事が到着。
ふたりでベッドに入ったまま食事をする。
なんでそんなことが出来るのかと言えば、そういうテーブルがあるのだ。
部屋の隅に、板が折りたたまれているものがあったから、何だろうと思ってたけど。
展開すると、ベッドをコの型に覆うテーブルになるんだ。
ベッドの上に、二人並んで上半身だけ起こして食事とかって、安楽すぎ。
なんという堕落! でも楽。
まるで貴族じゃないか!
オレも肩書では貴族なんだけどさ……。マリーだって子爵家の生まれで男爵夫人だし。
「上の方の貴族ってこういう生活してるのかな……?」
しかも、この宿の食事うまいんだよ!
語彙力がないので、うまいとしか言えない。
「多分ね。あたしが侍女の代行とかしたお屋敷でも、食事を部屋に運ばせてた貴族がいたもの。小さい頃からこんな生活してたら堕落するよね……」
「するな……オレも間違いなくしてた」
意志力が弱く流されやすいオレは、絵にかいたようなアホボンボンになっていたに違いない。
あの筋肉3人組とか、デブ室長とかって、こういう生活してたんだろうな……(個人の偏見です)
「あたしらも、ベローナへ帰ったら、侍女だの何人も雇ってこういう生活してみようか」
収入的には不可能ではない……ここまでのレベルではないけど。
「いいよ。どうせ家には滅多に帰らないし」
「ほとんど寝に帰るだけだもんね」
「マリーは、こういう生活したい?」
マリーは、食事の手を止めて、少し考え、
「……たまにだからいいんで、毎日だとありがたみがなくなりそう」
ヒモを引っ張ってベルを鳴らせば、ボーイさんが来て、さっと全部片づけられて。
オレ達はベッドに取り残された。
寝具の下で裸足で触れ合っているうちに、なんとなくそういう気分になって盛り上がって。
「マリー……その、いいかな……?」
こんな明るいうちから、いけないんじゃないか、なんて思いながらも、マリーの肩に手をかけると。
からかうように、
「こんな明るいうちから?」
と言われてしまう。
「そ、そうか、だ、だめだよね……え……」
マリーの方が、オレに覆いかぶさるようにしてきて
「だめじゃないよ……一緒に、堕落しましょう」
と言われてしまい、くちびるをくちびるで塞がれながら、上着をはだけられてしまうと。
「そうだね……一緒に……」
オレも堕落した。
ベッドから出ないうちに、いつのまにか夜になっていた。
オレ達は裸で汗まみれでぐったりしていた。
このぐったりは好きだ。求めあって受け入れあって、疲れ切っているのに満ち足りているから。
「なんだかさ……するたびに気持ちよくなっていくよね……」
とかマリーが呟くのには全面的に賛成しかない。
再会してからほぼ毎日こうしてるのに、どんどんよくなっていくばかりだ。
「ほんと……なんでなんだろうな……」
それに今日は、陽が高いうちからだったので、相手の身体がよく見えて、それが新鮮で。
しかも場所もちがうので、いつもより更に盛り上がってしまった。
「あれ……あの本は?」
枕元に、一冊の本があった。
「帰ったら、あんたとあたしあてに宿へ届いてた。センセイの新刊。あたしの分はもう取った」
そういうと、マリーは手だけを寝具から出して、本を取って渡してくれた。
「ドナルド・モワティシエ著『『高い城』の男は、仕事をする』か……」
これが……センセイの新作。
オレはあんまり本を読まない。
仕事の資料としては読むけど、いわゆる小説は全く読まない。
「マリーは読んだの?」
マリーは首を振った。
「ううん。休暇は一ヶ月あるんだからいつでも読めるでしょ」
「そうか……仕事しなくていいんだからな……」
しかも『仕事がない』が『失業している』と同意語じゃない!
『明日がない』でも『ここにはいられない』でもない!
「それにヒースと来てるのに、ひとりで本を読むとかってつまらないじゃない。二人でいるんだから二人ですることしたいもの」
そう言われてうれしかった。センセイには悪いけどね。
せっかくの休暇。しかもマリーと一緒だ。
本とか読んでる場合じゃないよね。




