50 世界は結構、ご都合主義でいい加減で人情がある時も、ある。
二日経っても、三日経っても、一週間経っても、新しい城代は来なかった。
王都からの指示もない。
政権の権威が確立していない新王陛下にとって、ここのことは後回しなのだろう。
向こうから見れば、権威が確立していないのは、ちゃんと仕事をして死ななかったオレのせい。
いったい、どんな陰険で理不尽な処置が下されることか……。
「引継ぎはうまくいっているようだね」
その日の夕食。
オレ達はオライオン伯であるゲールさん、いやゲール様に呼ばれて……会食をするはめになった。
兵隊さん達と別れるのが辛いから、食事の時間もずらしているのに、この呼び出しは断れない。
「ええ。みなさん優秀ですから」
オレは形式的に城代の仕事を続けているが、5人の文官さんは有能で、急速に仕事は減っていった。
オレやマリーへの問い合わせも、一日にせいぜい数回になった。
「そうはいっても、緊急の仕事などには、まだ君たちの力が必要だ」
「評価していただいて、ありがとうございます」
緊急の仕事は、多発しないから緊急なんです。
それにオレがいなくても手引書があります。
加えて『高い城』は左翼も右翼も失って、見回りが必要な場所も半分以下になりましたし。
ますます仕事が減ってます。もうオレはいなくていいんですよ。
もちろん判って言ってるんだろうけど……。
「何か、人員が必要なことはないのかね?」
「ありません」
マリーがにこやかに付け加える。
「今でも十分、のんびりさせていただいています」
最後の置き土産として、オレ達が隠れた聖堂や居住区の正確な地図を作ろうかとも思ったが、そうなれば人員を割いてもらわなければならない。
この期に及んで周りの人の仕事を増やすのはよくない。
「仕事がないというわりには、司令官室からほとんど出ていないようだが」
仕事がない人間が、職場をうろついて、変に気を遣わせるのもいけない。
それに仕事にかこつけて、バルガス達と連絡をとって、逃がしてもらおうとか助かろうとか考えてませんから。
安心してください。
「緊急のことが起きた時、仮にも城代なので所在がはっきりしていないとまずいですから」
それにオレは一応城代なので常に護衛がつく。マリーにもだ。
護衛の人達は、オレ達が逃げ出すのを防ぐ監視役も兼ねているのだろうから、そんな気はありません、というのを身をもって示しているつもりだ。
それでもオライオン伯は、オレ達がここから逃げ出さないか心配してるんだろう。
「そうか……もし、城代の仕事がなくなったら、どうするつもりなんだね?」
「何も考えてません」
「マリーさんも?」
「しばらくは、ふたりでのんびりしようと思います。結婚祝いを過分に貰ってしまいましたから」
そうなのだ。
バルガス達なんて、高給取りでもないのに、みんなでオレ達に結婚祝いをいっぱいくれた。
もちろん、一銭も使っていない。
遺言書も作ってある。マリーにちゃんと見て貰って、法律的に有効な遺言状だ。
オレ達の持っている僅かなものは、全部、兵隊さん達に行くことになっている。
「……そうだね。ふたりともここ2年は大変だったろうから休みは大いに必要だ。そのあとでいいから、うちの領地で働く気はないかな?」
そうできたらいいな、と思う。
王都から離れた場所で、毎日きちんと仕事をして。
決して多くはないけれど、ふたりで食べていくには十分な給料をもらって。
たまには、ふたりで旅行とかもして。
近所の人ともつきあったりして。
だけど、オレとマリーは、これが最後の仕事と悟った夜に話し合った。
ふたりとも夢のような錯覚はすまいと。そんなものは来ないのだと。
だから、どんなに伯爵様がオレ達を慮るようなことを言っても、全て社交辞令として受け取らなければならないと、判っている。
オレは用意しておいた当たり障りのない言葉を返す。
「オライオン伯爵領は、すでにきちんと統治されているではありませんか。オレを雇う必要はないでしょう。経費の無駄です」
「それにお役所勤めはもう沢山ですしね。ヒースとふたりならなんとかなりますよ」
ふたりして錯覚なんかしていないことをアピールする。
「最後まで仕事はしますから安心してください。自分のなすべきことは判っていますから」
オライオン伯なら、オレ達がすでに、最後の仕事をひきうけたことを判ってくれるだろう。
これで安心してくれるはずだ。
オライオン伯は、なぜか深いため息をついた。
「……ドナルド卿のおっしゃっていた通りか……」
ドナルド卿? ああ、センセイのことか。
「センセイがなにか?」
「……君らが思っているほど、この世界は悪い場所ではないよ。それに……もっといい加減だ」
オレとマリーは顔を見合わせた。
オライオン伯が何を言おうとしているか、よくわからなかった。
次の日。
ついに王都から使者がやってきた。
陥落寸前の『高い城』へやって来たのと同じ使者殿だった。
意外なことに馬車一台で、随員ふたりしか連れて来なかった。
オレとマリーを連行するための、檻車と警邏を連れて来ると思ったのだけど……。
オライオン伯に処置させて、処置した証拠だけ持って帰るつもりなのだろうか。
前回と同じく、王命は司令官室で伝えられた。
その場に呼ばれ、王命を拝聴させられたのは。
前オライオン伯爵ミランさん。
現オライオン伯爵ゲールさん。
ゲールさんの弟、ゲオルグさん。
そしてなぜか、オレとマリーも呼ばれた。
オレは、とっくに解任されているのに、なぜだろう?
しかもマリーにいたっては単なる現地任用された法律顧問に過ぎない。
使者殿は重々しい声で。だがどこか昂揚した口調で伝えた。
「ギュスタ―3世陛下の王命を伝える。傾聴せよ」
内容は以下の通り。
・叛徒ベローナ侯爵の王都進軍を、寡兵で二日半にわたって阻止した『高い城』の功績は大である。
・賊軍との戦闘時に『高い城』に在籍した人員(現地任用も含む)は、全員に完全な恩赦を与える。
・前回の王命により、すでに恩赦を与えられている者には、褒章を加える。更に兵役期間を超過した者に関しては、その分の俸給を支払うものとする。
・罪なくして罪に問われ『高い城』にいた者に関しては、訴え出れば調査を行う。その償いのために、俸給に補償を上乗せするものとする。
・戦死した者に関しては、その家族がいれば、未払いの年俸と恩給を与えるものとする。
・叛徒ベローナ侯爵を討ち取った功は、王命により『高い城』を救援に向かい、見事その任を果たした、前オライオン伯爵と、その息子ふたりに与える。
・その功により、オライオン伯爵弟ゲオルグをオライオン伯爵に。オライオン伯爵ゲールをベローナ侯爵とする。
・『高い城』は再建がなるまで閉鎖し、その間、工部省の管理下におくものとする。
「――以上である」
「……」
オレは、ぽかん、としてしまった。
隣ではマリーも同じような反応をしている。
余りに意外な内容だったからだ。
帝国のことも、帝国第二皇子のことも、その妻である侯爵令嬢のことにも触れられていない。
この度の戦は全て、ベローナ侯爵ひとりの企みで起こったことになっている。
まぁ……その辺は政治的な駆け引きがあるのかもしれないが……。
それにオレとマリーも呼んだということは、オレ達も恩赦の対象ということだ。
しかも訴えれば調査までしてくれるという。
没収されたささやかな蓄えも戻ってくるかもしれない。
なんだこれは?
『高い城』の兵隊さんたちとオレとマリーにとっては、全然悪くない。
というかかなり好条件。
確かに、前オライオン伯が救援に来てくれたのが王命によるものになったりはしているが。
それだって、王命に反してここへ援軍に来てくれたのが、咎められないっていうことで――
「なんだこの茶番は! 拙者、こんなに恥知らずな王命は聞いたことがありませんぞ!」
ミランさんが憤然と叫んだ。
歴戦のツワモノの怒声に、使者殿は、びくっと震える。
「一番の功は、この『高い城』を守ったヒース殿に与えられるべきではないか! それにだ! ヒース殿から罪なくして奪った爵位も返還すべきだ! いや侯爵に叙爵すべきなのは彼ではないか!」
怒るのそこ!?
「……オレは功をあげていません。戦ってくれたのはこの関所の兵隊達です」
作戦計画に従って事前の準備をしていたけど、それは司令官ならやっておくべきことでしかない。
戦闘中にオレがやっていたのは、旗の隣に立っていたことと、事前に定められた作戦計画のタイミングで命令を下しただけだ。
つまり、計画さえ頭に入っていれば、オレでなくても出来た。
ロープを引いた時は、巻き込まれて死にかけただけだったし。
「それに、ベローナ侯爵を討ち取ったのはミラン卿ではありませんか。オレは戦闘もせず見ていただけですし」
あれ? こういうとき、平民が前伯爵を卿って呼んでいいんだろうか? 様なのかな?
「あと、オレの爵位を取り上げたのは、王家ではなくアンナン侯爵家だと思います。もともとあの家の男爵位を預かっていただけなので」
兵隊さんたちにとってかなりな好条件、ここでゴタゴタして逃すわけにはいかない。
ミラン卿は、オレを珍しい生き物でも見るように見ていたが、
「まぁ……ヒース殿本人がそう言うなら……」
勢いをなくした口調でそういうと、黙ってしまった。
使者殿は、ちらっとオレを見て、ちいさく頭を下げてくれた。
なんとなく腑に落ちた。
どうして『高い城』の兵隊さんに妙に手厚い王命なのかが。
オレとマリーまでがここに呼ばれたのか。
この人は、前回ここにきたことで『高い城』の状況を垣間見てしまった。
それで、自分の出来る範囲で調べてくれたのだろう。
オレ達が生き残ったことで、その調査が役立てられたんだ。
そうでなければ、冤罪のことや兵役年数のことに触れられるわけがない。
オライオン伯爵、いや新ベローナ侯爵であるゲール卿がうやうやしく頭を下げた。
「王命謹んでお受けします。私が責任をもって遂行いたしましょう」
その姿を見て、思い出した。
昨日の会食の最後に、ゲール卿が言ったことを。
『……君らが思っているほど、この世界は悪い場所ではないよ。それに……もっといい加減だ』
この人は、この辺りで収まることを予期していたのかもしれない。
ただ、予想に過ぎないので、下手なことは言えなかったのだろう。
こうして、オレの仕事は、公式にも非公式にもようやく終わった。




