48 閑話 領主と小説家のたくらみ
新郎と新婦が寝所へ行ってしまっても、会場はにぎやかだった。
『高い城』組と、オライオン伯爵領軍組が肩をくんだりして高歌放吟している。
ここ数日ですっかり打ち解けたようだ。
会場のど真ん中が広く開けられて、その中心で相撲をしているのは、オライオン伯の弟ゲオルグだ。強い。とても強い。屈強な男が次々と投げ飛ばされていく。
だが、バルガスとの対決が始まると、がっちりと組みあって二人とも動けない。
肩の筋肉が不気味に盛り上がり、凄まじい力がふたりの間で展開されているのは確かだが、そのたくましい体は、青銅にでもなってしまったようだ。
そんな騒ぎから外れたテーブルで、老人がひとり酒を飲んでいた。
「ドナルド卿。貴方には感謝せねばなりませんね」
話しかけながら、テーブルについたのは、オライオン伯爵ゲールだった。
「感謝とはなんですかの?」
「あのふたりが、何も言わずに立ち去るかもしれないから、門を絶対に通すなと忠告してくださったことです」
老人の空になった盃に、ゲールは酒をついでやる。
「ほっほっほ。私はただ、つまらないな、と思っただけですぞ」
「つまらない、ですか」
「あのふたりが出ていってしまったら、どうなると思いますかの? おそらく、目立たず、ごく平凡で金に縁はないが、それなりに幸せに暮らす。そして我らは二度と彼らを見つけることはない……まぁそうなったでしょうな」
ゲールは、首をかしげる。
「……それが判らない。あのふたりは、有能で、しかも英雄だ。少なくとも英雄のひとりだ。300で5000の敵を二日半食い止めた。簡単に出来ることではない」
「本人達には、それが、まったく判っていないようですがの」
「判っていないどころか、自分達に立てられた悪評が消えることはないとすら思っているようで……なぜ、ふたりとも物が見えるのに……特に彼女の方は、私が見るところ、要領がいい」
「確かに、『高い城』の補給担当として辣腕を振るってましたからの。必要な時に、必要な場所へ物質を用意するのは、簡単ではありませんからの。ですが、あのふたりからすれば、それだけのことなのですぞ」
「それだけ……とは?」
「与えられた仕事をして、その場所にいる資格を得る。仕事を見つけて、その場所にいる資格を得る。そのために仕事をする。走り続けないと世界に居場所を失う。常に追いかけられている感じですな」
「……自分は仕事をしているだけで、それ以上のことをしている他の人間こそが凄い、と考えるわけですか……」
苦い声でそうつぶやくゲールに、
「あのふたりは、世界に全く期待をしていないんですぞ」
「どうしてそんなことが言えるんです?」
「何日か前の新聞に、あのふたりがふたりとも家族から縁を切られたことが載ってましての。ですがの。あのふたり、大した衝撃を受けていない様子でしたわ」
「……まさか、そんな」
「どの時点かで、ふたりとも、家族、一番近い位置にいるはずの人間達に全く期待を抱かなくなっていたのでしょうな。貴族、しかも下級貴族の下の方の令息や令嬢ではよくあることですがの」
センセイと呼ばれていた老人は、笑う。
「貴族とは、どこまでが貴族なんですかの? 長男はまぁ確実でしょうな。長女もまぁそうでしょう。ですがの。それ以下のスペア達は? 政略結婚にすら使えない存在は? 成人と同時に家を放り出される男女は? 果たして貴族と言えるかどうか」
「……貴族として生まれたのに平民になるしかない存在……ですか。考えてみれば、伯爵家以下ともなれば、そういう人間の方が多いわけですよね……」
老人はうなずく。
「家での扱いも、それなりになるでしょうな。疫病で上がバタバタ死ねば別でしょうがの。子爵家男爵家の4男ともなればそういうケースはまぁ稀ですな。子爵家の4女であれば、もはや政略の駒としても使えない」
「選択肢も余りないでしょうね……ああ、だから官吏ですか」
「小さいころから職人仕事をやっている人間や、商家で働いている人間とは哀しいほど経験が違いますからな。貴族の家に生まれて、教育を受ける機会にだけは恵まれますからの。それを生かすくらいしか有利さがないわけですの。しかも中途半端に貴族の考え方だけはすりこまれている」
「……市井で普通の平民として暮らすのは、避けようとしてしまう……」
「そういうことですの」
「ドナルド卿は、あのふたりがそうだとおっしゃる?」
「彼が仕事にこだわるのは、それ以外で、この世に受け入れられる価値を認められないから、なんでしょうな。彼女の方も然り。だからこそ、最悪の職場から逃げるよりも、懸命に適応しようとしてしまう……そこに自分の仕事がないなら、そこでの自分は価値がない。そこどころかこの世界で価値がない、切ないですの。いじらしいですの」
「ですが、ここの兵達は、ふたりをとても大切に考えているのは明らかではないですか。彼らは国のためではなく、あのふたりのために戦った。ふたりを成就させるために。それが判らないのでしょうか」
「それもこれも全て、自分が司令官だからだ、と彼は思っているのですぞ。そして、自分はするべきことをして、たまたまそれが皆の信を得たと。つまりふたりとも仕事が先にあって、そこに自分達というオマケがくっついておるわけですな」
「ああ……それが仕事だからですか……だから仕事がなくなれば……その瞬間に自分らの価値は消滅すると。だから何も言わずに出ていこうとした……」
「多分。そういうことですの。まぁ、何か言って出ていこうとすれば、ひきとめられる、くらいは心のどこかで判ってはいたんでしょうがの」
ゲールはやり切れない顔をした。
「……ですが、判ります……私もそういうところがありましたから」
バルガスとゲオルグは、まだ組合い続けている。
ふたりは、激しい力がぶつかりあう均衡に耐えて全身を震わせている。
だが、お互いその唇には、実に楽しそうな笑みが浮かんでいた。
滅多にない好勝負に、周りの喚声がやまない。
「……ここで今、騒いでおる奴らは、あのふたりがそんなからっぽを抱えてるとは気づいとりゃせんでしょうな。ミランも、いや前オライオン伯ミラン殿も、卿の弟であるゲオルグ氏にも判らんでしょうな」
「……父も弟も自分が自分であるだけで愛されるタイプですから」
「だからこそ、ゲール殿に話したんですぞ。豪快さで人を惹きつけるわが友と、その血を色濃くひいた弟御には判らん機微でしょうからな」
「あのふたりを繋ぎ留めろとおっしゃる……難題だ」
「なに簡単ですぞ。仕事を与えてやればいいだけですぞ。手間がかかり時間がかかり、いやでも周囲の人間と関わらざるを得なくなる仕事を」
ゲールの顔に、苦笑が浮かんだ。
「確かに、私は人に仕事を与えるのは得意です。領主ですから」
老人は、人の悪そうな笑みを浮かべた。
「期待してますぞ。なんせ、あのふたりに、このまま消えられたりしたら面白くないですからの。せっかく見つけた美味しいネタですからの」




