04 あったかもしれないオレとあいつの将来
あのパーティが開かれる数刻前。
オレは王都の安いレストラン『どぶろく亭』であいつと気楽に呑んでいた。
量がたーっぷりで味もそこそこイケると評判の店だ。
財布が軽い学園生、つまり平民の学園生やオレら零細下級貴族子息どもにとって涙が出るほどやさしい店である。
なんと金が払えないと不足分を皿洗いで許してもらえるのだ!
だから今日も、周りは学園の制服を着た学生や、オレ達みたいに卒業したての元学生たちだらけ。
「合格おめでとう」
「お互いにね」
彼女はライト子爵家令嬢。マリールー。
令嬢といっても四女で実家での扱いはオレと相似形だ。
別に彼女とか恋人とかじゃない。
いうなれば同志や戦友みたいなもんだ。
彼女とは同学年だが一度も同じクラスにはならなかった。
ならどこで一緒だったかと言えば、図書館で勉強した時によく顔を合わせていた。
きっかけは、こっちが落とした本を拾ってくれて。
「この本って採用試験に役に立ちますか?」(そのころは今のようにフランクな口調じゃなかった)と聞かれたところから始まった。
「なぜオレが採用試験を受けると?」
「違うんですか? この本って、採用試験に役立つって言う人と、役に立たないって言う人がいるんですよ」
「うーん。オレも兄から『読んでおいて損はないぞ』って言われただけだから」
「ふーん。ならわたしも読んでおこうかな」(そーいや、あの頃は『わたし』だったな)
というのをきっかけに、互いの存在に気づき、一緒に勉強するようになり。
たびたび図書館で会うようになって、情報交換したりなんなり。
会話を重ねているうちに、お互いのプライベートも少しずつ知っていき。
あっちは子爵家だったけど、四女ともなると扱いは似たようなもので。そんなところも親しくなる要因であったのだろう。
お互い、容姿も能力も凡庸で平凡でそんじょそこらだったしな。
「まぁ、四女じゃわざわざ求めてくる子息もいないからね。食いぶちなら官吏になるのが一番」
「ああ、わかるわかる。オレもそう」
みたいな感じ。
で、合格発表の日にも、採用担当に呼び出される待合室で会って、オレが先に呼ばれて、その次に彼女が呼ばれて、ふたりとも合格していた、というわけだ。
「ま、とりあえず乾杯。で、マリーは飲めるの?」
お互い相手が飲んでいる姿を見たことがないので訊くと。
マリールー、というかマリーは、にやり、と笑って。
「飲めるよ。失敗しないようにって3年前に試しに呑まされた。で、兄が酔いつぶれても、あたしはケロッとしてた。うわばみだって」
「オレは公式的には卒業して初めて吞んでみた。結構いけるくちらしい」
「非公式には?」
「3年前、兄貴にそっちと以下同文」
卒業年度には酒が飲める。まぁいつ飲んでもいいんだが、推奨されているのはこの年から。
「あはは。まじめな仮面もタイヘンだ」
「吹けば飛ぶような男爵家の息子なんで、スキを作りたくないんだよ。推奨年度まで飲まないっていっておけば、断りやすかったのもあるしな」
「こっちは逆。子爵家の女なんてさ、吹けば飛ぶようなもんでしょ。嫌と断れない雰囲気作られて飲まされたことあるんだよねー」
「ああ、アレですか。爵位を盾にしてグイグイと迫ってくるのね。そういう奴いるよなー」
「でさ、あたしがいるとさ。ほら、他の女の子がちょっとは飲まされなくて済むし、あたしが目をぱっちりしてるとさ、不埒なことしにくいわけよ」
「呼ばれなくなったろ」
「せいせいした。ああいうのに呼ばれたくないし。ただ、女友達に呼ばれれば下心いっぱい男よけとして出動してたけどね」
「それにしても今日はグイグイいくな」
すでにジョッキがカラになっている。
「兄が保証してくれたうわばみですから、これくらいまだまだ。で、あんたはもう呑まないの?」
「今日はさ。夜から、例のパーティ。官吏採用試験に合格したら顔見せといたほうがいい、アレ」
「ああ、あれね。あたしみたいな女には縁がないやつねー」
「どうして?」
てっきり出るのだろうと思ってたから訊くと、
「この国で女はさ、まぁ、働けるようになっただけ昔よりマシだけど、それ以上の出世とか望めないから。顔を売ってもね」
「あー」
女性が官吏になれるようになってから20年くらいしか経っていない。
彼女らがつける職業としては、給料はいいほうだ。制服だって支給される。
だが、あくまで補助職。たまにそれ以上になれた人がいても、なぜか、独身でなくなれば退職だ。
「あたしみたいなのだと、売れ残りが結婚相手探しに官吏になったと思われるんだよね」
「実際、そういうのもいるだろ」
「まぁね。今日のパーティに出てる子たちはそっち派が多数でしょ。目いっぱい高めのドレス仕立ててきたり、脚の付け根が見えるか見えないかくらいまで制服のスカート短くしてさ。でもみんながみんなそうじゃないわけで」
「ああわかる。でもまぁ結婚は最初からあきらめてたら気楽さ」
「個人としてはねー。でも、向こうがさ。こうみえてもさ、あたし、顔は凡庸でそんじょそこらだけど若いオンナだから」
「……なるほど」
官吏の中で、女性は少数派だ。
正確に言えば、下っ端なら4分の1は女性だが、上にいけばいくほど少なくなり、ある程度まで行くといなくなる。
「まぁさ、食い扶持稼ぐだけなら、定年まで働いてりゃ、というか働けてりゃいいんだけどさ。だいたい、その途中でさ」
「……そうだな」
そうなのだ。
オレとマリーの能力は、圧倒的とまではいかないが彼女の方が上だ。ずいぶんと助けて貰った。
だけど、マリーは若い女だというだけで、いろいろなハンデがあるのだ。
「しかもさ、その相手がさ、上司だったり、上のお貴族様だったりしたらさ」
「最悪だな……」
そういう地位の男には大抵妻子がいる。だから大抵の場合、本気じゃないのだ。
そばに若い女がいて、言うことを利かせられるから、手を出す。
体まで把握しておけば無理も聞かせやすい。
実際、そういう高級貴族出身官僚もいたらしい。有能な女を見つけては、いろいろと目をかけて好きなように使い倒すわけだ。
万が一本気だとしても、自分の地位を守るために、大抵、最終的に手を出した相手から手を離す。
「でしょ。
でもさ。これが女が上司で相手の男が部下だと、なぜか女が辞めさせられるんだよね……。
いきおくれだったのに、いい相手がめっかってよかった、とか言われてね」
どんなに有能な人にみえる人でも、大部分は替えが効く。
それは男女とも関係ないのだが、なぜか、女性だけがやめさせられる。
その女性がどんなに努力して、重要な地位についていても、誰かの奥方になれば一発アウトだ。
もちろん、そういうのを望んでいる女もいるだろうが……。
なんかお酒が苦い。
マリーがこういう事を話したことは今までなかった。
そりゃそうか。話したって、「だから女はずるいじゃん。結婚で玉の輿って武器があるでしょ。高級官吏で上級貴族の愛人にでもなれれば、ひょっとして奥方になれれば人生逆転」とか言われるだけだろうし。
中には、『オレも女に生まれたかったなー。女には男にない武器があるから』とかのたまわった友人もいたっけ。
「まぁ……ある程度、防ぐ方法はあるけどね」
「あるのか?」
「最初から結婚しちゃってること。出世は望めないけど。最初から望めないけどねー」
「なるほど……そうすればちょっかいを断る口実になるからか」
「そのとーり。特にあんたみたいなタイプは、人妻には近づかないでしょ」
「人妻以外にだって無理やり迫ったりしねーよ」
「賢明」
「つーわけで、もてない独身一直線」
「その顔じゃね」
「この顔じゃな」
「中身も平凡だし」
「そっくりそのまま返してやるって……って、本当によく呑むな。大丈夫か?」
「だいじょーぶ」
もう一度言うが、彼女は凡庸な顔だった。
微妙な言い方だが、どちらか、と言えば美人よりの凡庸。
冷静に見れば、大部分のパーツは悪くない。
目が小さくて垂れ目なのと、鼻が丸くて低めなのが、パッとした感じがしない2大理由だろう。
「でもさー。こんな凡庸でその辺に転がってそうな見てくれなのに、面倒なやつはよってくるんだよね」
オレの前では、そういう話題は出さなかったが、学園でもそうだったのかもしれない。
「……だろうな。オレのおばさんも定年まで官吏やってて、まぁ普通の人だったけど、しょちゅうぐちってたもの」
「「男の視線がいやらしいって」」
ハモってしまった。
「それがたまたまだったとしてもさー。一日一回で同僚が20人いれば20回だもんね」
「だよなー。その点、男は楽だけど」
「あーたはとくにそうだろうね」
「ふっ。最初から勝負しないで見切った男と言ってくれよ。はいはい、悪うござんした平凡で。体も普通」
「というよりは貧弱だよね」
「う……騎士になるのは早々に諦めた男に痛いセリフだ」
「まったく、何を好き好んで、あたしにちょっかいかけようとするかね。どこ目当てなんだか」
こいつをいやらしい視線で見る、か。
どこを見るだろう。
まぁ……胸だろうな。ここは平均以上だもんな。
いつも少しサイズが大きめの服で、ぱっとみわからないけど。
やっぱりそこだろうな……やーらかそうだな……手でつかんだらあふれそう……
オレは慌てて頭を振った。
いかん、ちょっと酔ってるかもしれん。
酒が入ってて肌がほんのり赤いのも、なんだか……。
……酔ってるなオレ。
「あーた今、エロい視線であたしを見たでしょ」
マリーは結構めざとい。
「あーすまん。話の流れでな、そういう奴らが見るならどこ見るかな、って気になってしまって。悪い」
「ふーん。あたしの身体でそういう気になるんだ」
否定したところでどうしようもないんで。
「……たまーに。たまにだけど、な」
だが実のところ、それ以上を想像したことはなかった。
「じゃあ、つまりあーたはできるんだ。あたしで。こんな凡庸な顔をしたあたしでも。どっかに連れ込んでふたりっきりになれば」
マリーがいつも大きめのサイズの服を着ていたのは、胸の大きさをパッと見判らなくするためだと、今更ながら気づかされた。
「……やめてくれよ……悪かったって思い知ってるんだから」
恥ずかしかった。
オレは、そういう目でマリーを見ないからこそ、こうして親しくしてもらえていたのだろう。それなのに。
マリーは、ぐっと杯をあけると、少し上を見て、呟いた。
「……あたしはさ、あーたとするの想像しても、気持ち悪い感じはしないかな」
なぜか、そのしぐさに、ぐっと来てしまった。
まずい。なんかまずい。
ずっと友達づきあいしててきたうえに、官吏採用試験に挑んできた同志に、そういう感情をもつとひどく後ろめたくなる。
「やっぱりお前……酔ってるだろう」
「かもね。でも、ウソはついてないよ。うん。ぜんぜんへーき。だいじょーぶ」
小さな黒い瞳がじっとオレを見た。
いつもより濡れ濡れと光っているようだった。濡れた黒い真珠みたいだった。
揺れるオレが映っていた。すごくかっこうわるい。
視線をそらす。
「……無理だ。オレはその……お前とその、アレだ、そういう意味で、その」
「ちょっとした好奇心を満たす遊びでも? あーただって女に興味あるでしょ」
興味はある。もちろんある。すごくある。
だが縁はない。金もない。
それに……マリーはそういう対象じゃない。
「……遊びとか、そういうのは、考えられない。特にお前とは」
「ふーん」
マリーは、持っていた杯をごとり、とテーブルに置いて。
「遊びじゃなきゃいいんだ」
「!」
そういうことになるのか。いや、でも。
「あたしらさ3年間、こうやってよく顔あわせてきたわけだけど、何度かケンカもしたけどさ、そのたんびにちゃんと話してさ、元に戻ったじゃない」
「そうだな……」
「そういう相手って、結構貴重なんだよね。あーたってさ、ちゃんと耳と心が繋がってるから」
「なんだよそれ」
「人の話を聴けるってこと。聴いたことが胸の中にまでちゃんと届いてるってこと。前に、色ボケボンボンの手伝いさせられてた時だって、あーただけだよ、アレと最後まで会話しようとしてたの」
「……そういうお前だってそうじゃないか」
「あはは。じゃあ、あたしも貴重なんだ。あーたにとって」
「……そういうことになるな」
「じゃあさ、問題なくない? 別にさ、あの色ボケボンボンとちがってさ、あたしらに恋だのはないかもしれないけどさ」
オレは覚悟を決めて、あいつを見た。
「……いいのか? こんなに盛り上がらない相手で」
「いいんじゃない。あーたはどうなの?」
困った。
否定する要素がない。
少々事態に動転はしている、だが、マリーを見て、盛り上がる気持ちは、ない(ほとんど)。
これは困ったというよりは、そういう目でみてこなかった相手が、突然そういう存在だとわからされた困惑だ。
困惑はある。でも。
それだけなのか。
彼女は辛抱強く待っている。
応えなければならない。
確かに耳から入った言葉は、オレの胸に届いているのだから。
マリーは全部わかっている。オレがさえない人間で、乏しい将来性しかないことを。
ささやかな官吏生活が待っているだけだってことも
「……お前がそう言うなら、いや、お前がいちばんぴったりだ、と思う。じゃなくて、ぴったりだ」
「いいの?」
「ああ」
すごくかっこうわるかった。
本来、こういうのは男から言うべきなのでは……と言っても、そういう相手と認識してなかった。いや認識しないようにしていたのだから、言いようもなかったわけだが。
マリーは大きく息を吐いた。
「ふぅ。柄にもなく緊張したわ」
「そうだったのか?」
「そりゃね。これでも乙女ですから。で、これからどうする?」
「……まずは、互いの家族に報告して、許可をもらって」
パッとしない四男坊と四女。片付いたと喜ばれこそすれ、問題はないだろう。
「きっちりと手順を踏むのが凡庸でつまらないあーたらしい」
「じゃあどうするんだよ?」
「これから既成事実を作る……とか?」
「うぐ!」
「驚くことでもないでしょう。結婚したらいくらでもするんだから。早いか遅いかでしょ」
まぁ確かに。
底辺子爵と底辺男爵の子息令嬢で、すぐ結婚するなら、問題にはならないだろう。
拒まれているわけでも遊びでもないわけで問題はない。ないよな。ない。
だが。
「官吏になるんだから、いろいろと言われないようにしておきたい」
実際問題。言うヤツはいないだろう。
だが、官吏になるなら足をすくわれるようなことはひかえたい。
「真面目だぁ」
「しょうがないだろ。こういう性分なんだから」
「ま、既成事実ならこれからいくらでも作れるわけだし。
正直、『判った。今から行こう! 今今今!』とか言われてたら、かえって意外だったかも」
「なら言うなよ」
というわけで、オレはあのパーティに出席したあと帰宅して、報告する予定だったんだよ!
先方だって、都から一日ばかり離れた本宅へ行って報告するつもりだったんだろう。
まさか、夜のあいだに、あんな珍事に巻き込まれるとは思わないだろ!
というわけで、この話は、お互いの親に言う前に終わってしまったのだ。
いっそさ、既成事実つくっちまえばよかった!
ああだめか。W侯爵には逆らえんよね。
いや、そもそもあの場から即、既成事実を作りにいけば、あのパーティにも出なかったろうし。
あそこか。
あそこで人生狂ったか!
その後、マリーには会っていない。どうしてるかも知らない。
あの頭くるぱーとの白い結婚契約を書面でまとめて、お互いに一組ずつ持ち、名前を入れれば完成の離婚届も作ると。
オレは「急に結婚が決められてしまった。今までありがとう」みたいな短い手紙を書いて投函してから任地へ向かった。
マリーならこれで察するだろうし、誰かから面白おかしく顛末を聴いただろう。
情熱とかが乏しいオレ達が、圧倒的な流れに抗がえるわけがなかったしな。
やれやれ。