39 『高い城』攻防戦 三日目 午後 オレはなんにもしなかった。
巨弾による攻撃が停止した。
敵陣に慌ただしい動きが現れ、旗頭たちの叫びが聞こえてくる。
「いよいよか……」
敵の前線に並んだ盾の長城が、ゆっくりと前進し始める。
『高い城』の前面には、左右の城壁が崩れて出来たゆるい谷がひろがる。
石だらけのそこを、左右一杯に広がって敵は迫ってくる。
側面の防御は気にしていない様子だ。
こちらの右翼と左翼が消滅し、側面から射撃される心配がないからだろう。
オレとマリーは関所の2階。正門の真上の部屋からそれを見ていた。
近づいてくる。迫ってくる。
敵のひとりひとりの顔が見えるくらいに。
これだけ迫ってきているのに、こちらから誰も撃たない。
普通なら、焦った兵隊さんの誰かが撃ちだしてもおかしくない距離。
事前に告げたことをみなが守っていてくれている。打ち合わせ通りやってくれるだろう。
オレごときが指揮するなんて勿体ない人達。
愛すべき兵隊さんたち。
敵の歩兵が幾重にも打ち寄せる波のようにつらなる背後に、白と金の鎧を着こんだ肥満気味の中年男が見えた。白馬に乗っている。
あれがベローナ侯爵か。
その周囲にいるのが側近や幕僚だろう。
彼らは勝利を確信しているのだ。
左翼と右翼を失った『高い城』の弱点は、中央部の両端だ。
そこにはかつて両翼と繋がっていた通路の扉がある。いくら補強しても脆弱さは否めない。
しかも、端では十字砲火も浴びせられない。
端への攻撃と同時に正面にも攻撃をかけられれば、当然、端へ援護の射撃も出来ない。
左右を攻める部隊に巨大な鎚を持った兵隊が複数随伴していることが、オレの見方を裏付ける。
あれで左右の閉鎖された扉を叩き壊すつもりだ。
一旦兵の侵入を許せば、元々300しか兵力のない『高い城』は落ちる。
白兵戦に持ち込まれれば兵員の消耗に耐えられないからだ。
オレが敵の立場ならそう考える。
実際、敵軍の展開はそれを裏付けているように見える。
……ほんとうにそうだろうか?
何か見落としがあるのではないだろうか?
致命的な。何か。
そのせいで『高い城』にいるみんなが――
オレの手がやわらかい手に包まれた。
「大丈夫。あんたはちゃんと仕事をしてる。そして最後までする。そうでしょう?」
やわらかいけど、あちこち固いマリーの手。働いている人の手。
「ああ……そうだ」
「なら、自分の仕事を信じなさい。そしてみんなを。全員で出す結果を」
足元からバルガスの怒声が響いた。
「開け! 放てぇぇぇぇ!」
敵は見ただろう。
いきなり正門が開け放たれ、そこにバリスタが4丁並んでいるのを。
ここには存在しないはずのバリスタが。
至近距離で一斉に放たれた鉄製の矢が、中央先頭の歩兵達の盾を貫通し、その背後の鎧も肉体も貫くのを。
2丁ずつ交互にバリスタが放たれる度に、中央の歩兵が倒され、屍となっていくのを。
オレも見た。
中央の歩兵が、予想もしていない攻撃に混乱し、立ち止まるのを。
前オライオン伯の威厳に満ちた声が響く。
「突撃せよ! ただひたすら突撃せよ! 狙うはベローナ侯爵と、帝国第二皇子アレクサンドルの首!」
台車に乗ったバリスタ隊が両脇へどくと、そのあいだから躍り出た前オライオン伯の率いる騎馬隊が、混乱する敵前衛へ突き刺さり、鋭いキリのように貫いていく。
こちらの騎兵の存在を予期していなかった敵は大混乱に陥った。
騎馬隊の後に、前オライオン伯が鍛えぬいた精鋭歩兵部隊が続き、槍衾を作って円陣を組み、敵兵を主君の背後へ回り込ませない。
それでも背後に回り込もうとする敵兵に対して、『高い城』からのバリスタと弓と火壺が襲い掛かる。
バリスタが放たれる度に、敵は盾も鎧も関係なく射抜かれ、絶命していく。
当然、放たれるのは、この『高い城』名物のクソが塗られた鉄の矢だ。
敵の左右の旗頭の声が響いた。
敵に突破を許すな! 中央を援護しろ! 侯爵閣下をお守りするんだ!
敵の左翼と右翼が旋回運動をして、中央へ向かって動き出す。
前オライオン伯の騎馬隊を左右からの歩兵の圧力で潰すつもりだ。
こちらの抵抗力が脆弱とみているのだろう、旋回する敵は背中をこちらへ向けた。
「野郎ども突撃だ! 援軍と大工の奴らだけに見せ場をとられるな! 若親分と姉御の愛のために戦え!」
正門から移動していたバルガスの怒声に、
おおおおう! という凄まじい鬨の声が応える。
かつての右翼と中央を区切っていた大扉を破壊して、バルガス率いる関所の兵隊さんが出撃して、敵左翼の背後から襲い掛かった。
前進を続けるか、反転をして反撃するかで脚が止まった左翼の敵に対して、バルガス達は一斉に火壺を投擲。敵左翼の各所から火の華が咲いて、混乱は一気に広がり。そこへバルガス達が突っ込んでいく。
朝から今までひたすら撃たれ続けてきて溜まりにたまった鬱憤を爆発させたのか、『高い城』の兵隊さん達の戦いぶりは凄まじい。
「がははははははは! かかってこぉい! おらぁおらぁおらおら!」
特にバルガスは、高笑いをしながら身の丈くらいある金属の六角棒を振り回し、敵の槍をへし折り、剣をへし折り、敵の鎧の上から叩きつけては人体をへしおっていく。
敵にとっては、まさに生きている災害だ。
今『高い城』に残っているのは、オレとマリーと、バリスタ要員と調理班、志願してくれた義勇兵と、どこかで全部を見物しているセンセイしかいない。
あ。地下牢伯爵と、その愉快な仲間二名もいたな。閉じ込めたままだけど。
前オライオン伯と騎馬隊は、長い馬上槍で歩兵を蹂躙し、ただひたすら中央を突破していく。
それは敵の中央を貫く巨大な槍だ。
余りの情勢の急変に、ベローナ侯爵が驚愕狼狽しているのが見えた。
側近や幕僚たちが何か口々に叫び、肥満中年侯爵を後方に下げようとしている。
「ここで退けるか! ここさえ抜けば! 敵は少数だ! 少数なのだ」
とわめくベローナ侯爵の声。
とりまく人々が侯爵をはがいじめにして、無理やり後方へ下がらせようとする。
だが遅い。
前オライオン伯と、それに続く伯爵の息子二人が、ついに前衛を突破。
ベローナ侯爵と幕僚たちに襲い掛かった。
息子二人が幕僚を蹴散らしている間に、前オライオン伯が侯爵へ迫る。
「おおおおおおおっっっっっ!」
けだもののような叫びが、前オライオン伯の口から迸った。
その黒い長槍は血でべっとり塗装され、凶獣の長い牙のようだった。
槍だけではない。顔も鎧も乗馬までもが、槍に掛け踏みつぶし薙ぎ払った敵の人血で染まっている。
悪夢の底から現れたようなその姿を見るや、側近と幕僚は大部分逃げ散り、ひとりだけ立ち向かった男は、投じた長槍に貫かれ地面に縫い留められた赤い噴水となった。
噴水の脇を抜け、前オライオン伯が侯爵に迫ったかと思うと、抜き放った刀の一閃で切り捨てた。
肥満した中年男の首が空中に舞う。
前オライオン伯は、舞う首の髪を宙で掴むと、死体に刺さったままの長槍を引き抜き、その先に首を串刺しにして、高々と掲げた。
「聞けぇぇぇ! ベローナ侯爵は前オライオン伯爵、ミラン・オライオンが討ち取った!」
その声は、静かな湖面へ大きな石を乱暴に投げ入れたように戦場を広がっていく。
前オライオン伯の息子たちが、父親の脇を駆け抜けると、一本腕の化け物目掛けて、火壺を投擲した。
防水のために油でも塗ってあったのか、一本腕の化け物は、たちまちのうちに巨大な松明と化した。
燃える化け物を背景に、槍先に反逆者の首を掲げる老戦士と息子ふたりの姿が黒い影となって浮かび上がる。
兄が叫んだ。
「ベローナ侯爵に従っていた者たちよ! 君らが反逆者であれば、私達は君らを討たねばならぬ! だが君らが心ならずも従っていたことは判っている! 主君の命ゆえに従ったが、本心では王国に熱い忠義を抱いていたことを! 同じ王国の民として判るのだ!」
弟が続けた。
「忠義を示す方法は単純だぁっ! 帝国軍を攻撃せよ! 帝国人を屠れ! 銀髪野郎どもの首をあげれば、反逆者の一味として扱われることはないぞ! それどころか手柄だ! 今こそ愛国を示せ! 侵略者を叩きだすのだっ!」
帝国人を殺せば、罰せられない。それどころか手柄になる。
その言葉は、主君を失い、混乱と将来への絶望に覆われかけていたベローナ侯爵の軍に光を示した。
誰かが叫んだ。
帝国軍を討て! オレ達は騙されていたんだ!
そうだ! 帝国軍を討て! 討って手柄にするんだ! 帝国人を殺せ!
生き残ったベローナ侯爵の幕僚らしき男が、叫んだ。
敵は帝国軍! 帝国軍を討て! ご主君をたぶらかした帝国軍を討て!
関所の前を埋めていた敵兵達が濁流となり、背後に布陣していた帝国軍と傭兵部隊に襲い掛かった。
つい先刻まで味方同士だったふたつの軍は衝突した。
傭兵部隊は真っ先に崩れ我先に逃げ出したが濁流に飲み込まれていく。
「……あれはセンセイの策か」
武辺である前オライオン伯には思いつくまい。
相変わらずえぐい。
数が少ないオレ達が帝国軍を掃討しようとすれば、少なくない損害が出る。
それをベローナ侯爵の軍にやらせようというのだ。
二つの軍はもつれあいながら、関所からベローナ領へ続く街道の坂道で自暴自棄の激闘を繰り広げていく。
坂を下りきる頃には、両者のどれだけが残っているだろうか……。
戦闘の音が、遠ざかっていく。
『高い城』の周囲に静けさが戻って来た。
「勝ったのか……」
信じられなかった。
5000vs300。
やるべき事をひたすら積み重ね。全ての準備は出来ていたけど。それでも。
いや全てじゃないよな。
オレは何度も計算外の事態にうろたえたよな……。
マリーがオレの顔を覗き込むようにして訊いて来た、
「信じられない?」
「ああ……」
「そりゃそうか。だってあんたは、最後のいいところをぜーんぶ人に渡しちゃったんだもの。勝ったって実感わかないのも当然だ」
そうだ。勝ったのはオレじゃない。
弓を放っていたのも、火壺を作ったのも、調理をしてたのも、補給をしてたのも、城壁を崩壊させたのも、バリスタを作ったのも、援軍を呼んだのも、ベローナ候を討ち取ったのも、全部ほかのひとだ。
オレは主塔に立って、たまに命令をした(それだって事前に決めてたことばかり)だけだ。
あとはロープを引いたくらい。それだってマリーがいなかったら死んでた。
なんにもしていないのと同じだ。
「与えられた仕事をしただけで、それ以外はなんにもしていない。とか思ってる?」
「……だって、そうじゃないか」
「あたしとしては、異論はあるけど……本心からそう思っちゃうヒースのこと好きよ」
バルガスが叫ぶのが聞こえた。
「勝鬨をあげろ!」
『高い城』の周りから、いや、『高い城』の中からも勝鬨があがった。
終わった。
作戦計画第一号が適用される状況が終了したんだ……。




