34 『高い城』攻防戦 三日目 午前 (1) あんたらってばかわいいんだから!
まぶたの裏側に染みこんで来た光の明るさに目覚める。
「朝か……」
明り取りから入ってくる光がまぶしい。
オレの肩には、あたたかくてやわらかい重み。
「すぅ……すぅ……ううん……」
マリーは、まだ眠っていた。
一瞬だけ思った。
ここに隠れ続けていれば、何もかもが終わってくれるのではないかって。
バルガス達が気づかないここを、帝国軍がすぐ気づくとは思えない。
時間的余裕も、兵力的な余裕もない帝国軍は、ここを通り過ぎていくだろう。
警戒の兵すら残していかないかもしれない。
なら、ここに隠れて敵をやりすごし、敵が去ったら逃げ出せばいい。
オレとマリーは助かる。
オレは頭を振った。
助かってどうなる? オレは敗戦の責任とありとあらゆる冤罪を負わされた罪人だ。
そんな男と、泥水をすするような苦しい逃亡生活をマリーに送らせるのか。
だけど、それでも。
マリーにだけは生きていて欲しかった。
オレは、彼女を起こさないように、そっと立ち上がろうと――
「!」
ズボンが、ぐっと引っ張られる。
「ん……ううん……」
マリーが目を覚ましてしまった。
「……おはよう。今、あたしを置いていこうとしたでしょ?」
「え、いや、そんなことは」
「あたしのズボンのヒモを、あんたのベルトの通しに結んでおいた」
オレは下を見た。確かにそうなっていた。
「……なんで」
マリーはヒモをほどきながら、うつむいたまま答えた。
「なんでって、バカなこと聞かないでよ。そうしたいからに決まってるでしょ」
「……だけど、マリーなら」
マリーなら。
オレよりも万事要領よくて、咄嗟の機転が利くマリーなら。
「おかしいなぁ……強く結びすぎちゃったみたい……もしも、もしもだけど、あたしだけが生き残ったら……そりゃ何か月も思い出して苦しくなるだろうけど、あんたのことも、ここのことも忘れたふりくらいできると思う。思うよ」
彼女らしくもなく、ずいぶんと手間取ってる。
ああ、そうだった。結んだりするのは下手だった……。
「別の男とうまくやることだってできるような気がする。あたしってそういう女だからさ。前だってあんたのこと追いかけもしなかったし、手紙を出しもしなかったくらいだから。まぁ仕方ないよねって、受け入れられちゃった人だから。あたしってあたしに対しても器用だから」
別の男とうまくやる。
それはそうだ。オレがいないところで、彼女が生き続けるのはそういうことだ。
ずっとオレを思って一人でいろ、なんて言えない。
だけど、だめだ。オレは心が狭い。なんかそれが凄く哀しくていやに感じてしまう。
彼女だけでも助かって欲しいのに。それは本当なのに。
「でも、もうイヤなんだそれ。すごくイヤなの。そういうことできちゃいそうな自分がいやなの。ずっと引っかかっているくせに、見て見ぬふりできる自分が……もうちょい」
ああ。そうか。
オレだってそれで、元奥方と結婚してしまったのだ。
ほんとうは出来もしないのに。
「どんな人があらわれても、心のどこかであんたと比較し続けるようなのは。だってさ、今、あんたに死なれちゃったら、あんたより上の人なんていないもの。まだ嫌いなところとか全然見つけてないから……ほどけた、もう立ち上がれるから」
オレは立ち上がりながら訊いた。
「ないの?」
「うーん。強いて言えば、お金に縁があまりなさそうなこと、かな」
「お金好きなの?」
「嫌いな人ってあまりいないでしょ。でも、多くは望まないかな。急な出費があっても、質屋に走らなくて済むくらいあればいいや。あと寒い日には、部屋をあたたかく出来ればなおいいね」
学園時代。ふたりともそういう生活をしていた。
「……善処します」
マリーは笑った。
「じゃあさ、この際だから聞いておくけど、ヒースから見てあたしのどこが嫌い? 顔とか言われてもどうしようもないけどね。あと風呂に入れって言われても困るよ。今、あたし好き好んで汚れ放題なわけじゃないんだから」
考えるまでもなかった。
「ない。マリーは、性格はいいし、機転は利くし、頼りになるし、美人だしきれいだしかわいいし……あったかいしやわらかいしどこをかいでもいいにおいがするし……」
言ってるうちに、頬が熱くなってきた。
マリーも同じみたいで。
「そ、そうなんだ……あたしと同姓同名の人はすごいんだ。でも、ヒースがそう思ってくれてるなら、あたしもせいぜい善処させていただきます」
不思議だった。
マリーと顔をあわせて、話していると、心が落ち着いてくる。
うん。なんか……こうなるしかないんだなという気がしてきた。
諦めともちがう。どちらかというと納得に近い。
少なくとも今のこの瞬間、オレ達は離れられない。
「じゃあ……戻ろうか、オレ達の仕事場へ」
「うん」
オレ達は手をつないだ。
関所に戻ると、バルガスが駆け付けてきた。
「若親分! 敵に妙なものが現れましたぜ」
オレが姿をくらましたことに対しても、戻って来たことに対しても、何も言わない。
不思議なくらいいつも通りだった。
3人で主塔に上ると、敵陣に巨大なものが見えた。
一本の太い腕を空中に突き出した巨大で複雑な機械。
太い角材と頑丈なロープや滑車で出来た怪物。
「平衡錘投石機か……」
投石器の一種だが、飛ばす動力はロープのねじれや、動物の太い腱をねじった力ではない。
投石する腕の、もう一方の端についている箱に重りがついており、それが下へ落ちる力で飛ばす。
その複雑な機械仕掛けの部分だけでも人間の背の4倍。
腕の長さも、それくらいの長さがある。
あの長い腕の先端についた頑丈な網に、投擲する物体を載せて、放つ。
バルガスくらいに体格のいい人間と同じ重さの石を飛ばせるのだ。
しかも、こちらの弓矢の射程外から。
あの位置からここまで届くのだろう。
「300年前ぇ『高い城』が戦ってた頃にゃ、あれはまだありませんでしたぜ。このごつい石造りのお嬢さんにとって初体験ってぇわけです」
『高い城』の城壁は、あの化け物の攻撃を想定していないのだ。
ここが帝国と接している北部国境だったら、城塞には必ず平衡錘投石機や弩砲が装備されていて、対抗もできた。
だが、ここは重要度が全くない『高い城』だ。そんなものがあるわけがない。
「……ベローナ候は完全に裏切ったな」
一本腕の化け物の背後や周囲には、ドラビタ様式(つまりうちの国ね)の鎧兜を着た兵たちがうごめいているのが見えた。
あの化け物を提供したのは、ベローナ候だ。
あんな巨大かつ重い武器を、分解したとしても帝国本国からはもちこめない。
とすれば、二日に渡る激戦で2000強に減らした敵は、4000強に回復している。
「帝国の皇子、いや、未来の国王陛下になるかもしれない奴に、恩を売るチャンスってわけですぜ」
「あれを運び上げたってことは……初日の時点でもう、見切ってたってことでしょ?」
「多分ね」
第二皇子は、初日の午前の時点で、ニコライの報告を全く信じなくなったのだろう。
だから信頼を取り戻そうとあがいたニコライは陣頭に立ったのか。
第二皇子としても戦後を考えれば、ベローナ候の力をあれ以上は借りたくなかっただろうが……もしも陥落しなかったことを考えて、初日のうちに要請していたに違いない。
水の補給のことにしても、二日目の臨機応変な戦術展開にしても、先が見える男なのだろう。
ニコライの誤情報がなければ、ここは速やかに落ちていたかもしれない。
バルガスは、一本腕の化け物に視線を向けたまま
「おふたりは後悔してやせん?」
「なにを?」
「あのまま隠れてても逃げてもよかったんですぜ。若親分たちが姿をくらました時、ちょっとホッとしたんですぜ。おふたりに手荒なマネをしなくてすむ。できれば、このまま隠れてて欲しいって」
そして肩をすくめて。
「ゴロツキどもが柄にもなく、親切心を発揮したってぇのに。戻ってこられちゃどうしようもねぇ」
マリーがいたずらっぽく笑った。
「うーん。あたしはそうしてもいいかと思ったんだけど。彼が離してくれなくて」
「逆じゃないか! マリーがオレにヒモを」
バルガスは振り返り、
「そうやってしっかり手を繋いだままで、そんなこと言われてもねぇ」
オレ達はどちらともなく、パッと手を離した。
「ったく……若親分と姉御がそんなに初々しくなきゃ、ゴロツキどもが命をかけることだってぇなかったんですぜ。どこをとってもお貴族様らしくねぇ。頼りないけど頑張ってる親戚のガキどもみてぇで、助けたくなっちまうじゃぁないですか!」
バルガスは、オレ達をあたたかい目で見ていた。
もう顔のすごい傷も怖くなかった。
「ったくったく、あんたらってばかわいいんだから! まいっちまうぜ!」




