29 『高い城』攻防戦 二日目 午後 (3) 10年殺し
「ここまでとは……」
バルガスと共に右翼へ駆けつけ、中央と右翼の境となる頑丈な扉を抜けると、凄惨な状況だった。
多くの兵隊さんが、攻撃用の狭間にはりつき、敵に弓を放ち続け、あるいは登って来たのを槍で叩き落すのに必死。
少々の怪我でも持ち場から離れず、包帯に血の染みを広げながら戦っている兵隊さんもいる。
床のあちこちに大きな血しぶきが模様のように飛び散っている。
あちこちで重傷者がうめき、消されていない小さな火の手があがっている。
補給班が補給をしながら濡らした布をかぶせて火を消して回っているけど、油で燃え上がる火はなかなか消えない。次々と放り込まれてくるのを周りに燃え広がらないようにするので精一杯な様子だ。
オレはすでに消し止められて転がっている筒を拾い上げた。
「これか……」
腕くらいの太さの木材を切断し、くりぬき、口に布が貼ってある簡単なものだ。
口の近くに火をつける短い縄がまきつけてある。
火壺のように砕けてすぐ火はつかないが、消火に手間取れば筒に燃え移り、油がしみ込んだ布は派手に燃え上がり、布が破れれば中の油が漏れて引火する。
軽装な敵は油など大して持っていないはずだが……いや、水をふもとから運ばせる時、同時にか。
「こりゃ、長くはもちませんぜ」
バルガスの言葉にオレはうなずく。
来てよかった。
主塔の屋上で見ているだけだったら、あの手を使う決断が遅くなってしまっただろう。
オレに気づいた兵隊さん達が、
「若親分! こんなあぶねぇところにわざわざ!」
「閣下だ! 閣下が自ら来てくださった!」
負傷している兵隊さんまでが、オレの姿を見て歓呼の声をあげる。
オレなんか何も出来ないのに。この人たちのほうがよほど戦っているし、戦えるのに。
外の気配が遠ざかっていく。指揮官たちの指示する声が聞こえる。
敵が退いていくんだ。
オレは手近の兵隊さん(確かヴァイスさんだ)に。
「敵が穴にもどったら、教えて欲しい」
「ようがす! お、今、敵さん、かたつむりみたいにひっこみました!」
「ありがとう」
オレは、右翼でずっと悪戦を続けていてくれた兵隊さん達に向かって叫んだ。
「ここまでよくもちこたえてくれて! みんなありがとう!」
兵隊さんの誰かが返してくれる。
「閣下と同じですよ! 仕事をしてるだけです!」
そうすると次々と声があがった。
「少々きつすぎる仕事!」「若親分ならあとでたっぷり特別給金をはずんでくれるさ!」
笑い声が起きた。
オレはグッとして胸がつまりそうになってしまう。でも、なんとか続ける。
「これから全員、右翼から撤収してもらいます! 火壺と矢を撃ち尽くし次第お願いします! そのあとで一仕事を済ませたら。各々休憩したり、食事をとったりしてください! 新しい戦闘配置はのちほど伝えます!」
一斉に撤収しないのは、敵にこちらが力尽きてきたように見せるためだ。
なるべく敵を多量に引き付けて、あの手を使う。
誰かがおどけたように言った。
「なんてこった。閣下は慈悲深すぎなさる! もうちょっとで相手は全滅だってぇのに、敵さん命拾いしたな!」「手前ぇの弓の腕じゃ、これ以上味方に当てなくてよかったな!」
笑い声が湧く。
まだみんな笑えるのか。
すごい。みんなすごい。兵隊さんはすごい。
「それから、撤収する時、出来ればでいいのですが、負傷した戦友を安全な場所へ運ぶのに協力してくしてください! お願いします!」
右翼の兵隊さん達の撤収がはじまった。
またも押し寄せてきた敵に対して応戦し、矢も火壺も使いつくした人から引き揚げていく。
みんな疲れているだろうに、重傷を負った兵隊さん達に肩を貸したり、自分で動くこともできない人には担架を作って運び出してくれる。
「あたしが離れている間に怪我した人はいる!? すぐ応急処置するから!」
マリーと補給班の兵隊さんたちと医療班の人が駆けてきた。
矢とか火壺の代わりに、包帯と薬でバッグや背負子はいっぱいだ。
あ。オレが言った通りちゃんと着替えてくれてる。よかった。
「姉御! おいら怪我した!」「手前ぇはかすりきずだろう! オレなんか頭だ!」「鼻血のくせになにいってる!」
みんなマリーに包帯を巻かれたがってる……
「はーい、みなさんは元気すぎです!」
そう言ってマリーは笑うと、医療班の人と一緒に重傷の人から手当てをはじめてくれた。
応急処置をしてから撤収してもらうのだ。
「若旦那」
声に振り向くと、石工班の棟梁であるトムさんと石工班の人達5人がいた。
トムさんは、老齢だ。この関所に来て10年だそうだ。
センセイと同じくらいの年だが、トムさんは老木のようにふしくれだっている。
「上じゃ、あれ以上石を崩したら、敵に見えるようになる寸前でしたよ。ついにやるんですか?」
「頼みます」
「準備はできてます。いつでも」
石工さん達の案内で、オレは応戦と撤収の喧騒を抜けて右翼の中央へ辿り着く。
右翼の中間の塔の底部だ。
「この石です」
塔の底部、とりわけ頑丈かつ緻密に積み上げられた石組。
その中で、トムさんが指さしてくれた石は、目立っていた。
ひときわ大きいだけでなく、この石の周囲だけが深く掘られ、削られているのだ。
今や、上の僅かな部分だけで周囲と接している。
「この石を引き抜けば……右翼が崩れるのか……」
あの手というのは、右翼の城壁を全て崩してしまい、その凶悪な石雪崩をもって敵を壊滅させるという手なのだ
まさか使う日が来ようとは……というか、それ以前に使えるとも思っていなかった。
トム棟梁がいてくれなかったら、実現の可能性すらなかっただろう。
他の石工さん達が、接している部分にさらさらした油を流し込んでいく。
そして削られ掘られた部分に人の腕より太いロープを通していく。
このためにここまでズルズルと引き摺ってきたのだ。
ロープで石をしっかりと結わえ、綱引きの要領で引き抜くのだ。
「よく短時間でこれを……」
棟梁は平然と言った。
「いえ。5年前からやってます。皆の目を盗んで少しずつ」
「え?」
「もうわしも年ですから。お迎えがいらっしゃるのも近い。ですが神様に御足労を願うのもなんなんで、自分から行ってしまおうかと思いまして。5年前にこの石に目をつけて、ひとりで隠れてコツコツとね。10年はかかると見てたんですが。この2日は若旦那が人手をよこしてくださったんで大っぴらにやってましたから一気に進みまして」
棟梁は……この関所を道連れにしようとしていたのか。
「……面接した時、10年前からここにいたって言ってたね」
「ほんとうは35年前からです。石工の仕事で貴族の屋敷へよばれて、修理したのがあやしげな地下の通路。見てはいけないものだったらしくて、そのままここへ」
ここに放り込まれた兵隊さんは、大抵、シャバに戻れない。
「……ご家族は」
「いません。5年前。風の便りに聞きました。最後まで待っててくれたかかあが死んじまったと」
この関所を守り切れれば、その功績で出られるかもしれませんよ。
とオレは言いそうになったけど、言わなかった。
後始末で各々の功績を記した書類は作り、その申請もするつもりだった。
だが、守り切れるかどうか判らない。それにもう、この人を待っている人はいないのだ。
「若旦那。そんな顔しないでくださいよ。わしの誰も幸せにしなかったはずの死出の準備が、こうして若旦那や関所のみなさんのお役に立つんだ。光栄ってもんです」
他の石工さん達が、固く固く石を結わえつけた。
みしり、と塔のどこかが鳴ったような気がした。
染みこんでいく油が、接合部をゆるしくしているのか。
今にも塔を形作る膨大な石積みが崩れ落ちてきそうな気がして、背筋を汗が伝う。
オレと石工さん達は、ロープを引き摺り、再び応戦と撤収の喧騒を抜けて、中央へ戻る。
撤収した兵達がすでに三分の二を超え、こちらの応戦は明らかに勢いが衰えている。
戻って来たオレにバルガスが駆け寄ってきて。
「若親分! 敵さん右翼に総攻撃を掛ける気ですぜ!」
城壁の狭間から覗くと、こちらの応射や火壺の投擲が減ったのを見たのだろう。
上段の城壁がこれ以上崩れれば、作業をしている人達の姿が暴露してしまう事にも気づいているだろう。
敵兵が、土塁のふたつの門と、突撃路と、地下から一斉に湧き出してくる。
今までになく多い。
幾重にもつらなった黒い大波が、右翼に迫ってくる。
整然と隊列を組み。勝利の予感に昂揚している。
黒鉄に光る鎧の群れは圧倒的な迫力だ。
その先頭には銀髪が美しい若武者。
「ニコライか……」
黒と銀の姿は美しかった。
美しい恋物語のヒーローのようだ。
対するこちらからの射撃は弱弱しい。矢も火壺も尽きたように見えるだろう。
放り投げられる火筒を消すものもいない。
周囲に類焼がはじまり、右翼全体を煙が満たし始める。
いきなり後ろへ強く引っ張られて、オレはひっくり返りそうになり、
「おっと! あぶねぇ!」
バルガスに背を支えられたオレの頭上を、敵の矢が走り、天井へぶつかって落ちた。
背筋が寒くなる。スゴイ腕だ。
「みんな安心しろ! 若親分は無事だ! あとは合図でロープをひっぱりゃ休めるぞ!」
城壁の外で、風を切る音が無数に鳴る。
敵が投げ縄を一斉に振っている。
無数の投擲の音があわさって、吹きすさぶ風が木の梢を鳴らしているようだ。
同時に、右翼の幅いっぱいに、石と木がぶつかる軽い音が鳴り渡った。
一斉に梯子がかけられたのだ。
オレは全ての兵隊さんが撤収した右翼を見た。
消すもののいない火筒は燃え上がり。木造の壁や仕切りを燃やし始める。
ガランとした空間に、火と煙が右翼に充満し始めているい。
敵から見れば、城壁の狭間から煙や火が噴き出し始めているはずだ。
こちらが力尽き右翼を放棄したと判断してくれるとありがたい。
上段にある右翼と中央の境の大扉は既に閉鎖した。
あとは、ここにいる全員で、ロープを引くだけだ。
調理班も、石工班も、細工班もいる。きっとマリーもこの列のどこかにいてくれている。
中央と左翼で戦闘中の兵隊さん以外の全員がいる。
なぜかオレの後ろが丁度一人分空いていた。
後ろから誰かが押されてきて、オレの後ろへ押し込まれる気配。
振り返るとマリーだった。
「みんなが、あたしにここへ入れって……」
さっき下ろしたばかりのはずのシャツは、もう汗と血にまみれていた。
マリーも戦ってくれている証だ。
「一緒に」
「言われなくても」
マリーはロープを握るオレの手に、一瞬手を重ね、すぐ後ろを握った。
「若親分。まだですかい?」
「まだだ」
梯子を上る敵の足音がする。
上段と下段の城壁の上を、敵のブーツが踏む音がしはじめる。
やったぞ一番乗りだ! 城壁を落したぞ! 旗を立てろ! というような声が頭上から聞こえた。
「今だ!」
「ゴロツキども、ロープをひけ!」
オレ達は力の限りロープを引いた。
凄まじい抵抗、それはビクとも動かないかと思えた。
難攻不落を誇る『高い城』自体が、自分の一部を破壊されるのを拒んでいるようだった。
ロープは、ぴん、と張って、今にも千切れそうにびりびりと震え。
汗が全身から吹き出す。
オレは心の中で唱えていた。
すいません。昔の職人さんたち。
すいません。『高い城』
これ以外、手を思いつかなかったんです。だからどうか、お願いします。
「!」
今、少し動かなかったか?
マリーが叫んだ。
「動いた!」
バルガスが激を飛ばす。
「動いたぞ! ゴロツキども、もっと気張りやがれ!」
おおおおおおおおおお!
という『高い城』を震わせる声声声!
それに力をもらって、オレ達はただひたすら引っ張った。
仕方がない。いいだろう。ろくでなしどもめ。
そう『高い城』が言ったみたいだった。
ロープが一気に動き、オレ達は折り重なって後ろへ倒れこみ。
『高い城』が咆哮した。




