20 それぞれの選択。
目が冴えて眠れない。
隣でマリーが寝ているからだろうか。
やわらかくて、やさしくて、あまい存在がとなりにいるからか。
昨夜は、その、ただ無我夢中で、しあわせだった。
はじめてどうしで、うまくいった、とは言えないけど。
だけど……。
「ヒース。ねむれないの?」
「マリーもか……」
男物のぶかぶかのシャツと、だぶだぶのズボンでも、マリーは愛らしかった。
「うん……」
「戦い……だよな」
明日が……怖い。そのほうが大きい。
弓が届くところで、敵が大軍で野営をしている。
酒を飲んで歌を歌っているのが、さっきまで聞こえてきた。余裕だな。
センセイの策略があたって、こっちを舐め切っている証拠でもあるが。
逆に、相手が計略でも上回っていて、舐め切っているふりで、今夜奇襲を……。
オレの手に、そっと手が触れた感触。
「だいじょうぶ。あんたも、ニコライの冷たい目を見たでしょ。あたしたちを虫けらだと思っている目。万が一があったとしても、見張り番の兵隊さんがみつけてくれる」
マリーの手はやわらかい。
だけど、あちこちにタコが出来ている。大量の書類仕事をした指だ。
オレと同じように、仕事をしていた手だ。
「いつも言ってるでしょ。あんたは考えすぎだって。もう考えるだけ考えたんだから。今夜くらい、考えなくてもいいじゃない」
「……そう、だな」
落ち着いてくる。今夜の襲撃はない。そういうことにしよう。
そうマリーが言うんだから。いつも助けてくれたマリーが。
「眠るまで、こうしてるから……それとも、司令官と女が同室なんて、けしからん。断るべきだったって思ってる?」
「……あ、ああ……押し切られちゃったけどな……」
バルガスもセンセイも言ったんだ。
2年ぶりにめぐりあって、夜は別々なんて、ありえない、と。
それが兵隊さんたちの総意だと。
そして、オレ自身にも、そうしたい、という気持ちがあったのは否定できない。
「きっと……兵隊さん達は、理由が欲しかったんだと思う」
「理由?」
「国を守る、とかじゃない、なんかもっと、心がこめられる理由」
「それが、オレ達?」
「……ここにいる人達って、家族とかから切り離されてる人おおいでしょ? 守れって言われても守るものがない人がいっぱいいる。帰れない人が」
「確かに、そうだな……」
兵隊さん、ひとりひとりの顔を思い浮かべる。
家族がいない人、いても連絡がこない人、ここはそんな人だらけだ。
ひとりひとりに詳しく聞いたわけじゃないけど、手紙が来ることなんてめったにない。
センセイからだって、家族の話を聞いたことがない。
「そういう人たちにとって、あんたは……弟とか息子みたいなものなんだよ。親しい親戚の子供で、すごく頑張ってて……ほうっておけない男の子」
最初のうちは、みんな冷たかった。
いつからだろう。
兵隊さん達がオレに、あたたかいまなざしを向けてくれるようになったのは。
オレが、ひたすら仕事をしていたら、徐々に環境がよくなって……みんなが手伝ってくれるようになって(もちろんちゃんとお手当は払っていますよ)。
「そんな放っておけない男の子に、別れさせられた女がいて、だけど、再びめぐりあって。そうしたらまたピンチになって。そんなふたりが目の前にいたら、みんなで助けようと思っちゃうでしょ……彼らにとっては、そういう物語なのよ」
「オレは頼りない甥っ子みたいなもので……オレ達は親せきの若夫婦みたいなもんか」
「多分ね」
「……きっと、向こうもそうなんだろうな。第二皇子と侯爵令嬢もさ」
傭兵たちにとっては、どうでもいい話だろう。
だけど、第二皇子直属の、彼を小さい頃から知っている側仕え達にとっては。
「ニコライと、あんたの元奥方もね。そして美しい物語には、醜い敵が必要なんでしょう」
「それがオレか……」
だからこそ、新聞に書かれたオレは、あそこまで醜悪なのだろう。
ああ、そうか。今、判った。オレはそれを利用したんだ。
発案したのがセンセイだとしても、オレが採用した。
オレは、ニコライの前で、ことさら無様にふるまった(棒読みだったけどな)。
関所中から高そうな古道具を集めて、いかにも趣味の悪いゴテゴテだらけの部屋を作って、司令官室に見せかけた。
マリーはひたすら頭が悪くて、虚栄が大好きな女としてふるまった。
バルガスとセンセイは、救いようがない上官に仕方なく従っている兵を演じた。
それに加えて、センセイは。
司令官室(偽!)への行きかえりにあちこちに寄って、兵隊たちの劣悪な(嘘!)環境を見せて回った。
ニコライは見ただろう。
石の壁剥き出しの狭い部屋で雑魚寝し、賭博にふける兵隊さんたちを。
まずい飯に文句をいい、遅配される給料を嘆き、司令官が横領し、司令官だけが女を連れ込んでいると不満をぶちまけている兵隊さんたちを。
矢も石弾もわずかばかりしか置いていない武器庫(嘘)を。
あちこちから漂う糞尿のにおいを。
横領の話を聞いていたニコライは、ピンと来たに違いない。
横領が行われているから、武器の備蓄がないのだと。給料の遅配もだ。
糞尿のにおいは、汚物の処理をする規律もないのだと。
そして確信しただろう。
ここの士気は最悪で、オレを守ろうなどと考える兵は皆無だと。
そのうえ武器もろくにない。
一押しすれば『高い城』は瞬時に落ちる。
ならば、戦場が混乱しやすい夜に、戦いの火ぶたを切る必要はない。
ちなみに、センセイによれば、兵隊さんたちが迫真の演技が出来たのは、以前の城代達のふるまいを思い出していた、からだそうだ。
よかった……ホントはオレのことをそういう目で見てたんじゃなくて……。
「オレじゃない。オレ達でしょ? あたしも熱演したんだから」
「!」
マリーは新聞であんなにも醜悪に描かれていた。
もし敵の手に落ちたら、オレよりも凄惨な目にあうのは間違いない。
しかも、相手の悪感情を煽るようなことまでした。
ニコライは、マリーを傭兵たちに投げ渡すだろう。それがヤツの正義だからだ。
なんてことに巻き込んでしまったんだ!
「この『高い城』に今いる人は、みんな自分の意志でここに残っている。逃げてもあんたが咎めないことをみんな判ってる。それでも残った。前の城代だったら、誰一人残らなかったでしょ」
「それは、オレが――」
「あたしも選んだ。2年前からずっと選ぶことが許されなかったあたしが選んだ。2年遅れの既成事実を作ることも、あんたの隣にいることも」
そうだ。オレが今さら後悔することは、マリーや兵隊さん達の選択をふみにじることだ。
だったら。
「……オレはマリーを選んだ。きっと、2年前から、いやそのずっと前から。そして、この仕事を最後まですることも選んだ」
ここに来たのは、押し付けられた仕事のはずだった。
そして、オレには仕事くらいしかすることがなかった。
そのはずだった。
だけど、もうそれだけじゃない。
あの日『白い結婚』を選び、それ以降、元奥方とのかかわりを断ち切ることを選んだ。
そして、仕事と関係なく、マリーを選んだ。
今、ここにオレがいるのは、オレが選んだ結果だ。
この瞬間『高い城』にいる全ての人は、選んだ結果だ。
だったら、泣き言も後悔も無用だ。
緊張とか悩みがほどけていく。
やるべきことをやるだけだ。
「うん。いい顔してる。なにもかも納得した時の顔」
輝く小さな黒い瞳は、やさしい。
あの頃からずっとそうだった。
いつでも、オレに納得をもたらしてくれるのは、マリーだった。
「……ああ。した」
愛しくてたまらなかった。
この人の、笑顔も心も体もありとあらゆるものが。
オレは、ゆっくりとマリーにおおいかぶさった。
マリーはこばまなかった。
腕をひらいて迎えてくれた。
「来て」




